開宴
「あんの弱腰ジジイが……!」
ダァンッ。テーブルに空になったジョッキを激しく叩きつける音だ。申し訳程度の仕切りされている居酒屋だが、店員以外には彼ら二人しか居ない。貸切状態だ。最低限の人数だけ動員されたているので店の中は閑散としている。哀れな店員はこの日のシフトに入った自らの運の悪さを呪いながらも、負の感情を顔に出さないように笑顔を貼り付ける。プロだ。顔の筋肉が強張るも、その後の末路を思えば無理矢理表情を維持する方が楽だった。
「……落ち着け、晋吾」
静まり返った居酒屋内で少ない人目も憚らず怒鳴り散らす、粗野乱暴な相方の術者を竹弥は冷静沈着な面持ちで宥める。彼らの性格は真反対であり、趣味も考え方も何もかも決して合わない。だが、いざ妖魔との戦いとなれば日柳一族分家の中で勝る者は居ないほどに二人の相性はピッタリだった。
「これが落ち着いてられるか!?」
だが、今は戦いとは関係ないので、二人の相性は最悪。水と油だ。
「あの無能者のせいで俺達は死にかけたんだぞ! 結局、あんのジジイも日柳一族の安寧よりも実の息子と我が身が可愛いだけなんだよ!!!!」
「口が過ぎるぞ、それ以上は」
「黙れ! てめえも死にかけたくせに偉そうな口を叩くな! 同レベルなんだよ! 純連様に命令されても日和ってる甘ちゃんだから俺の方がマシまであるぜ!!!!」
「……なんだと」
無表情だった竹弥の顳顬にビキリと音を立てて血管が浮き上がる。表情こそ変わっていないように思えるが、普段から彼と肩を並べて戦う機会の多い晋吾と客の顔色を窺うのが仕事の店員もすぐに僅かながらも劇的な変化に気付いた。
「俺があんな無様な姿を晒すことになったのは、お前が余計な発言をしたからだ。俺はただ無能者が風術を身につけて帰国したことを宗主様に報告しただけ……その後の展開は全部お前が悪い」
燃え盛る前の炎を彷彿とさせる静かな怒りにお盆に料理の皿を乗せた店員はその場に縫い付けられたように身動きが取れなくなった。恐怖のあまり目尻に涙を浮かべる姿は、この状況から幸運にも逃れられた者達からの同情を寄せ集められるだろう。
「そうやっていい子ちゃんぶるのも大概にしろや、竹弥! 所詮お前も俺と同じ穴の狢だろ! その証拠にお前はあの時俺の意見を否定しなかった! 偉そうに講釈垂らすなよ莫迦が!」
「黙れ。お前が悪い」
「あ?」
「やるのか?」
一触即発。空気は地獄だった。店内には冷房が効いているはずだというのに、それ以上の熱気が充満し、肌がひりつく。乾燥は女性の肌の天敵ではあったが、熱を識る炎術師である二人はその影響下にはない。
「あ……ぁ……」
そして、何よりそれ以上にこの場の緊迫した空気に、一般人である彼女の精神の均衡は崩れかけていた。壊れたラジオのように言葉にならない声を発しつつも、自分が立っている足下以外は地雷原が広がっているかのように動くことすらままならない。一刻も早くこの二人には店から出て行ってほしい。早く帰って。そういう普段ならば思いつかない自分本位な部分が意識の表層に浮き彫りになってしまうくらいに彼女は余裕を失っていた。
「あっ! いらっしゃいま、せ……」
その時だ。扉が開く音が響き渡る。かなり雑な開け方をしたのが分かったが、それを咎める以上に女性の中で生まれたのは安堵だった。心からの笑みを浮かべ、入店した客にとびっきりの笑顔を向け、そのままゆっくりと失速していく。
「おい、店の前に置いておいた貸し切りの看板が見えなかったのか」
「出て行け。一般人は極力巻き込むなと言われている」
晋吾と竹弥、どちらもこの時冷静ではなかった。苦しい言い訳だが、それ以外に言いようがないだろう。二人の意識は殆ど眼前の気に食わない相手に集中していた。だから、反応が遅れた。一瞬の油断や隙が術者には命取りとなる。一刻前にその身に刻まれたはずだというのに。この時点で炎の精霊を喚んでいれば、術者として再起不能になる程度で済んでいただろう。
「!」
店員の異変に最初に気付いたのは意外にも晋吾だった。なんてことはない。立ち位置によるものだ。竹弥は僅かとはいえ、店の入り口と店員に背中を向けていた。晋吾の方がそちらの様子を窺いやすかった。
(妖魔……ッ! それも風を操る……!)
それは思わず視逃してしまいそうなほど、自然体で入口に佇み、酷薄に口元を吊り上げている。背中に氷嚢を当てられたような感覚を覚え、彼は血相を変える。店員を撥ね飛ばし、晋吾は店の入り口に向かって駆け出す。
「退け!!!!」
「離れてろ」
無情にも壁に叩きつけられようとしていた店員を咄嗟に抱き留める竹弥。腕の中で安らぎを覚えそうになっていた彼女を彼は冷たく突き放し、自身の背後は庇う。彼自身に護る意思は微塵もなかったが、行動ではそうとしかとれない。店員は感謝の言葉を伝え、店の奥へと逃げ込もうと死に物狂いで走る。だが、緊張状態が続いたせいで足が縺れ、派手に転倒した。
「あ……」
その音に二人の意識が店員の方へ傾く。一瞬だった。並の術者相手ならば、大したことはない。二人の実力は日柳一族で上澄みの者達と差はあるが、彼らに次ぐ。されど今回は違う。晋吾と竹弥の生死を分けるには十分過ぎた。
「しん、ご……」
まず晋吾の首が刎ね飛ぶ。炎の精霊も喚べず、無音の一撃になす術は無かった。続け様に放たれた風の刃によって棒立ちの肉片が切り分けられる。戦友の命が呆気なく尽きたことを理解し、竹弥の中で燻っていた怒りの気炎が猛り、炎の精霊の喚び声となる。熱烈な意志を伴って引き寄せられた熱が迸り、一気に店内には火の手が回る。店員は短い時間の中で現実離れした光景を目の当たりにし、すでに精神が崩壊し、煙を吸って咽せながらも笑い狂っていた。それに同調し、嗤う妖魔。神経を逆撫でにされ、頂点に達していたと思われた竹弥の怒りはその更に先を行った。
「貴様……ッ!」
生涯最高の集中力と膨大な数の精霊によって構成された、高密度の炎が圧縮されて妖魔へと放たれる。もう二度と再現できないだろう。それ程までに自身の才と精神力をありったけ乗せた一撃だった。
「莫、迦な……」
それは無慈悲にも人の形をした妖魔が僅かに顎を引くだけの動きで飛ばした風壁によって相殺された。絶望的なまでの力の差を突きつけられ、竹弥の頭は空白に染まる。そして、次の瞬間には暗闇に落ち、再び意識が戻ることはなかった。




