嵐の様に
ヴィフラゾンが鎮圧軍を南へ送り出した翌日、グロスリーグの首都に異変が起きた。
城門の衛兵が最初に気づいた。南の空から何かが近づいてくる。鳥にしては大きすぎる。魔獣にしては速すぎる。やがてそれが一人の少女だと分かった時、衛兵たちは互いに顔を見合わせた。
黄金の翼と尾を持つドラゴケンタウレの少女が、悠々と空を飛んでいる。
「ドラゴケンタウルスって飛べるのかよ……」
ドラゴケンタウルスは立派な翼はあれど、殆ど飛べないのが普通だ。高く飛び跳ねたり、滑空するのに使うのが精々である。兵士達の驚きは当然だった。
警鐘が鳴り響いた。残留していた兵士たちが城壁に駆け上がり、弓を構えた。矢が一斉に放たれた。
エルアリーゼは気にも留めなかった。矢は翼や足先の鱗に触れた瞬間、残らず折れて落ちた。肌に触れたものもまた、刺さる事無く弾かれた。彼女はそのまま城壁を越え、首都の中心部へと降り立った。
石畳に着地すると足元から、ばきりと小さく音がし、ひびが広がった。
周囲の兵士たちがじりじりと距離を保ちながら包囲を作ろうとしている。エルアリーゼはその様子を眺めながら、少し首を傾げた。思ったより小さい首都やねえ、と。
兵士の一人が震える声で叫んだ。
「な、何者だ! ここはグロスリーグの首都ぞ! 直ちに——」
「エルガリア国主、エルアリーゼと申します」
エルアリーゼは澄んだ声で名乗った。これまた他所行きの丁寧な口調だった。
「魔王ヴィフラゾン陛下に降伏を勧告しに参りましたの。取り次いでいただけまして?」
静寂が落ちた。兵士たちは誰も動けなかった。単身で首都に乗り込み、降伏を勧告しに来たと言ってのけた少女を前に、どう反応すればいいのか誰も分からなかったのだ。
その報告がヴィフラゾンの耳に届いたのは、ほんの数分後のことだった。
謁見の間に現れたエルアリーゼを、ヴィフラゾンは玉座から無言で見下ろした。
小さかった。五メートルの自身と比べれば、人間の子供と大差ない。黄金の翼と尾は確かに珍しいが、それだけだ。どこをどう見ても、自分に宣戦布告してくる理由が分からなかった。
「単身で乗り込んでくるとは、呆れた小娘だ」
ヴィフラゾンは低く言った。
「お褒めに預かり光栄ですわ」
エルアリーゼは微笑んだ。まるで社交の場にでもいるような、涼しい顔で。
「それはそうと、ヴィフラゾン陛下も含め皆様思った以上に弱そうで弱そうで……私大変残念です。無駄に抵抗して皆殺しにされたくなければ、今すぐ降伏なさいませ。そうすれ痛く苦しい思いをしなくても済みますし、そう悪い様には致しませんわ」
謁見の間にいた臣下たちがざわめいた。ヴィフラゾンは一瞬だけ目を細め、それから低く笑った。
「ふははは……面白い事を言う」
玉座から立ち上がる。五メートルの巨体が謁見の間に圧倒的な威圧感をもたらした。しかしエルアリーゼは表情一つ変えなかった。
「その度胸だけは認めてやろう。そうだな……単身で乗り込んできた蛮勇に免じて、一騎打ちはどうだ?俺に勝てたらこの国はくれてやろう」
「やはりそうなりますわよね……」
エルアリーゼは少し考えるように首を傾けた。
「……ええよ、ならやろか?」
交渉の決裂と同時に猫を被るのは辞めた様だった。
首都の広場に二人は向き合った。
周囲を取り囲む兵士たちは固唾を呑んで見守っている。五メートルの魔王と、その三分の一ほどの背丈しかない黄金の少女。誰の目にも勝負は明らかに見えた。
ヴィフラゾンは両腕を広げた。掌から白い霧が溢れ出し、瞬く間に周囲の気温が急降下する。兵士たちが思わず身を縮めた。
「カアァァァァ‼︎」
ブレスが放たれた。吹雪のような白い奔流が、エルアリーゼを正面から呑み込んだ。地面が凍りつき、周囲の石畳に霜が張った。
静寂。
白い霧が晴れた時、エルアリーゼはそこに立っていた。黄金の翼にも尾にも、霜一つついていない。黄金の瞳でヴィフラゾンをじっと見ている。
「……なんやの?」
エルアリーゼは自分の手を眺めた。少し冷たかった。それだけだった。
「臭い息吹きかけるんが攻撃なん?そんなんちょっとキモいだけやで?」
ヴィフラゾンの眉が動いた。あらゆる物を凍てつかせるブレスが、効かない。そんな事があり得るのか。
次の瞬間、ヴィフラゾンは地を蹴った。五メートルの巨体が轟音と共に突進する。その速さは並の魔族では目で追うことすら難しい。巨大な拳がエルアリーゼに向かって叩き込まれた。
ぱんと軽い音がした。
ヴィフラゾンの拳が、エルアリーゼの掌に優しく受け止められたのだ。
「……」
ヴィフラゾンは自分の目が信じられなかった。全力で叩き込んだ一撃が、小娘に片手で止められている。
エルアリーゼは嗤う。
「ホンマに全力なん?ごっつぅ軽かったんやけど?」
次の瞬間、エルアリーゼがヴィフラゾンの拳を掴み、無造作に振り回した。五メートルの巨体が木の葉のように宙を舞い、何度も何度も広場の石畳に叩きつけられた。轟音と共に石畳が陥没し、叩きつけられる度に砕けた石と土煙が宙を舞った。
周囲の兵士たちが息を呑んだ。
ヴィフラゾンは立ち上がろうとした。だがすぐ膝を突く。体が言うことを聞かない。全身の骨を殆どと言って良い程砕かれたのだ。それでも歯を食いしばって起き上がると、エルアリーゼの声が上から降ってきた。
「もうウチの勝ちでええやろ?」
ヴィフラゾンは顔を上げた。黄金の瞳が自分を見下ろしている。弱さへの怒りではなく、ただ純粋に、次どうするのかを尋ねるような目だった。
それが何より屈辱だった。
「……兵士よ、かかれ!」
ヴィフラゾンは怒鳴った。誇りも矜持も関係ない。この小娘を仕留めれば、それでいい。
エルアリーゼは兵士たちが動き出したのを見て、小さく息を吐いた。
「話にならへんわ。これはちょっと仕置きが必要やね」
両手を静かに持ち上げる。その瞬間空が暗くなり、突風が唸り始めた。気づいた時には、五つの巨大な竜巻が首都を囲むように生まれていた。
それは瞬く間の異常な出来事だった。
竜巻が空を多い首都を薙ぎ払った。建物が、城壁が、兵士たちが——ヴィフラゾンとその側近たちを残して、全てが飲み込まれ、呆気なく粉砕された。さながら世界の終末、そう言われても納得出来る様な地獄が始まったのだった。
轟音は残った者の叫びを遮り、赦しを乞う事も、エルアリーゼを止める事も許されない。そしてその間にも竜巻は容赦無く、徹底的に都を破壊し、ありとあらゆる物を遥か彼方へと吹き飛ばした。
やがて土煙が晴れた後に残ったのは、瓦礫の平野だけだった。
ヴィフラゾンは膝をついたまま、その光景を見渡した。街が、首都が、築き上げた全てが——残らず消えた。この小娘が一人でやってのけた。
「……化け物め」
「それよりも」エルアリーゼは言った。「降伏するん? それともまだ続けよか?」
怒りで震えるヴィフラゾンだったが、終ぞ返す言葉が無かった。




