魔王調伏
シャルマタが首都の消滅を知ったのは、青ざめた伝令が転がり込んできた時だった。
首都が——巨人に——土石に埋まり——跡形もなく。
あまりに荒唐無稽なその内容は、到底信じられるものでは無かったが、魔王級の存在に首都が攻められているとなれば話は変わってくる。悠長に南下している場合ではないと、シャルマタは判断し、踵を返して元来た道を帰るのだった。
土砂に埋まり、見る影も無くなった首都を目の当たりにしたシャルマタは、六千の兵を率いたまま、その場に立ち尽くした。四本の腕から力が抜け、シャムシールが音を立てて地に落ちた。
合理主義者のシャルマタには分かった。終わりだと。首都を失い、孤立した軍に勝ち筋はない。兵糧も、退路も、拠り所も消えた。地方都市に逃げ込めば再起の目が無くも無いが、これだけの事をやってのける輩が相手である。戦い続ければ六千の命が無駄に散るだけだとすぐに思い直した。
それでも、認めたくなかった。
「……化け物め」
吐き捨てるように言って、シャルマタ宙を睨む。このままで終われない。せめて一太刀浴びせてやらねば気が済まない。魔王としての矜持がシャルマタを突き動かそうとしていた。
「諦めていない——そんな顔ですわね?」
声が降ってきた。
シャルマタが振り仰ぐと、土砂の平野の上空に黄金の影があった。翼を広げたドラゴケンタウレの少女が、何か小さな木の実を齧りながら語り掛けている。
「……お前がエルアリーゼか」
「左様ですわ」
エルアリーゼはゆっくりと降下し、シャルマタの前に降り立った。
小さい。背丈が腰ほどまでしか無く、見上げてきている。それにも関わらず少女は微塵も臆した様子がなかった。
「わざわざ俺の前に現れた理由は何だ?」
「どうせ魔王ともあろうお方が、たかが首都を滅ぼされた程度の事で諦めるとは思えませんでしたので、一度正面から叩いて差し上げ様と思っただけですわ」
エルアリーゼは眼下の六千の兵をさらりと見渡した。
「でもそうですわね……せっかくですから、一対六千で構いません。お相手して差し上げましょう」
周囲の兵士たちがざわめいた。
一対六千。正気とは思えない言葉だった。しかし目の前の少女は、首都全体を瞬時に葬ったという存在だ。今更何をしても驚くまいと思いながらも、シャルマタの四本の腕に力が入った。
「……俺から始めさせてもらうぞ」
「ええ、いつでもどうぞ」
シャルマタは四本全ての腕にシャムシールを抜いた。刀身に炎を纏わせる。揺らめく炎が、四本の刃を赤く染めた。
踏み込んだ。
四刀が縦横無尽に奔る。上段、下段、右、左——それぞれが独立した意思を持つように動き、どれか一本は必ず急所を捉えるはずの連撃だ。海賊の船長など比較にならない、シャルマタの本気だった。
しかし、叩き込まれた渾身のシャムシールは、少女の柔肌に赤筋一つ入れられなかった。
(何……だよ……これ……‼︎)
斬った感触はある。しかし刃が全く通っていない。まるで絹の上を滑らせているように手応えが無い。間髪入れず振るった炎を纏わせた刃も同じだ。少女の髪に触れた炎が、その一筋すら焦がすことなく掻き消える。二度、三度、十、二十と渾身の斬撃を振るうが、全く効いていない。斬撃が駄目ならと殴打に切り替え、衝撃が乗る様に頭上から幾度も叩くが、それも効果無し。エルアリーゼはシャルマタの攻撃を全て無抵抗に受けつつも、一切のダメージを負っていなかった。
(有り得ねぇ……!何がどうなってやがる⁈)
シャルマタは距離を取った。息が上がっている。全力の連撃を繰り出したというのに、全て急所に打ち込んだというのに、目の前の少女は微動だにもせず、涼しい顔で立っている。しいて言えば着ているものが少し乱れた程度だ。
「……何なんだテメェ!おかしいだろ⁈」
あまりの理不尽さにシャルマタはつい喚き散らす。最早強い、硬いなどという次元の話では無く、異常なのだ。
「頑丈やろ?」
エルアリーゼは胸を張って答えるが、シャルマタが望む答えになっていない。
「ウチも何でこんなに丈夫なんか、よう分からんのやけど」
南部訛りが出ていた。しかしシャルマタにそれを気にする余裕はなかった。
「こりゃ拙い……おいテメェら!こいつやっぱ化け物だ!全軍で掛かるぞ!」
もう四の五の言っている場合ではなかった。シャルマタに残された選択は圧倒的数で押し潰す他無かったのである。
六千が一斉に動いた。
矢が放たれ、魔法が飛び、剣を持った兵士たちが四方から殺到する。密集した兵士たちが波のようにエルアリーゼへと押し寄せた。
エルアリーゼはその場から動かなかった。
矢は肌に触れた瞬間に折れ、魔法は霧散し、槍は弾かれた。兵士たちが体当たりをかけるが、少女の体は微動だにしない。むしろ激突した兵士たちの方が耐え切れず押し返されていく。
シャルマタは歯を食いしばりながらその光景を見ていた。六千が束になっても傷一つつけられない。これはもう戦闘ではない。全く攻撃を受けていないにも関わらず、一方的に押し返されている。
それでも諦めなかった。
「炎魔法使い、前へ!集中砲火!」
魔法使いたちが前線に出て、一斉に炎魔法を放った。個々の威力ではなく、数で押し潰す。轟炎がエルアリーゼを包み込み、周囲の地面が焼け焦げた。肺の中まで焼き尽くす炎だ。普通なら無事では済まない。普通ならば——。
炎が収まった。
エルアリーゼは案の定何食わぬ様子で、無傷のままそこに立っていた。
ただ、その表情が少し変わっていた。
カチン。
小さな音が響いた。エルアリーゼが歯を打ち鳴らした音だった。周囲の兵士たちには何事か分からなかった。しかしシャルマタは、その音に僅かながら薄寒いものを感じていた。
カチン。カチン。
また鳴った。規則的に、しかし少しずつ間隔が短くなっている。エルアリーゼの表情に感情らしいものが滲み始めていた。怒りというより、苛立ちだ。延々と効きもしない攻撃を受け続けた、純粋な苛立ちだった。
「お、おい……何だよ、何してんだ彼奴……」
兵士の一人が呟いた。誰も答えなかった。エルアリーゼの行動が何を意味するか分からなかったからだ。だが、その場の全員が、何となく嫌な予感を覚えていた。
カチン、カチン、カチン——。
打ち鳴らす間隔がどんどん短くなっていく。
そして。
ガガンッ‼︎
一際大きな音が轟いた。
次の瞬間、エルアリーゼの周囲にいた兵士たちが、音もなくひしゃげた。数百人が、まるで巨大な顎に噛み潰されたように、一瞬で圧壊した。悲鳴すら上がらなかった。上がる間がなかった。
残された兵士たちが、一斉に後退した。誰かが逃げ出した。それが伝播して、六千の軍が瓦解し始めた。
(……何だこれ⁈この威力なのに魔法ですらねぇのかよ‼︎)
シャルマタはエルアリーゼの放った謎の一撃の正体を探るべく必死に思考を巡らせていた。真っ先に重力魔法の類いでは無いかと疑ったが、魔力が一切感じられない。だとすると轟音による衝撃波の可能性が高いが、それだけで兵士が数百人も潰れるのは有り得ない。
(魔法でも物理でも無い攻撃……)
思い当たるとすれば人智を超えるとされる『超常の技』だ。英雄と呼ばれる者が、極稀にそういった技を持って生まれるというが、エルアリーゼもそれに該当するのでは無いか。
(だとしたら相当やべぇ!こっちの攻撃も効かねぇし……このままじゃジリ貧だ……)
まだやれる、決定打は受けていない。だがどう足掻いても勝ち目は無い。納得は出来ないが、これ以上の被害を出さない為には、此処が引き際だとシャルマタは唇を噛み締める。
エルアリーゼがこちらを見ている。苛立ちは少し収まったのか、その表情は既に元の涼しい顔に戻っていた。
「……降伏する」
シャルマタは静かに言った。四本の腕を下ろし、シャムシールを地に落とした。
「俺の負けだ」
合理主義者としての判断だった。しかしその目には、煮えくり返るような怒りと、どうにもならない悔しさが滲んでいた。六千の命をこれ以上無駄に散らせるくらいなら、この屈辱を呑む。それだけのことだ。
「気ィ済んだ……って顔や無いなぁ?本当はまだ諦めて無いやろ?」
エルアリーゼは物足りないのかシャルマタを挑発する。
「そりゃあ……な。けどこれ以上やっても犠牲者が増えるだけだろ?ならつまんねぇ意地張るつもりは無え。我慢するさ。此奴等の生命には変えられねぇからな」
対してシャルマタは冷静だ。いや、降伏を選んだからこそ冷静になっていた。エルアリーゼの挑発を受け流し、手を上げて完全に抵抗の意志が無い事を示して見せる。
「ウチとしては此処で力の差を存分に見せつけときたかったんやけどな。ま、後学の為に一応見せたるわ。これでウチに歯向かう愚かさが分かって貰える思うんよ」
そう言うや否やエルアリーゼは空に巨大な魔法陣を出現させた。
「落とす気は無いから安心してええよ」
それは空を覆い尽くす巨大な炎だった。灼熱に灼けた山よりも遥かに巨大な岩石がゆっくりと魔法陣を通り、顕現したのだ。
「轟天 オルゾベート。世界を滅ぼす終末の神サマとか言われとるね。これはその一部や」
「ぐう……ッ‼︎」
猛烈な熱風が吹き荒れる。呼吸をするだけでも肺が焼けそうな息苦しさを覚える。魔王として頑丈な肉体を持って生まれたシャルマタですらそう感じるのだから、他の兵達には更に過酷だ。
「あらら、ちょっと見せたるだけのつもりやったんやけど、これ以上は無理そうやね?」
苦しむシャルマタ達の様子を見てエルアリーゼはオルゾベートに帰れと命じ、オルゾベートはそれに呼応して魔法陣の中へと消えていく。
「で?アンタにゃ無理や思うけど、魔王名乗るくらいなら、これくらい出来ないけんとちゃう?」
思い知った。これが本物。魔王とは他の追随を許さぬ圧倒的存在。言葉では分かっていたつもりだった。自分がそうである自負もあった。だが、実際は違った。本物とは真の魔王とは、この黄金の少女の様な存在をいうのだと、嫌という程分からされた。
「参ったぜ……完敗だ……」
ふと自然に笑っていた。負けたというのに、此処まで完膚なきまでの敗北だと、寧ろ笑えてくるのだなとシャルマタは新鮮な清々しい気持ちを覚えていた。
「神ですら従えるとかとんでもねーな。とても敵う気がしねぇ……出来れば俺の首一つで治めて貰いたいんだが構わないか?」
シャルマタは自分の身を犠牲に、兵達の助命を請うが、エルアリーゼは「そやねぇ……どうしたら良いんやろ?」と決め倦ねていた。
「そや!」
エルアリーゼはひとしきり唸った後、良い考えが浮かんだ様でパチンと手を叩いた。
「詳しい話はウチの姉やんとやったらええわ。ほんに何でも知っとるさかい、上手い事してくれる筈や。ほな行こか?」
エルアリーゼはシャルマタの腕を——四本あるうちの一本を、無造作に掴んだ。
「おい、何を——」
景色が消えた。
次の瞬間、石造りの部屋が目の前に広がっていた。書類の山、燭台の灯り、窓から差し込む夕陽。見慣れない部屋だった。シャルマタは自分の手を見た。足元を見た。壁を見た。一瞬前まで確かに、土砂に埋まった首都の跡地に立っていたはずだ。
「っ——今、何をした」
声が掠れた。
「転移魔法やけど」エルアリーゼは首を傾げた。「便利やろ?」
転移魔法。
その言葉を聞いた瞬間、シャルマタの思考が止まった。
転移魔法とは、古の魔導書にその理論だけが記された、空想上の術式だ。二点間の空間を繋ぎ、瞬時に移動するというその概念は、あらゆる魔法学者が研究し、あらゆる天才魔法使いが挑戦し、しかし誰一人として実現できなかった伝説の魔法だ。不可能の代名詞として語られるほどの——その魔法を、この小娘は人を掴んで当たり前のように使ってみせた。
「……つくづく化け物だな」
シャルマタは今日何度目かの言葉を吐いた。今度は怒りではなく、純粋な呆然だった。
一方、部屋の主であるルルシャンティエは、椅子に座ったまま二人を眺めていた。突然現れた妹と、見知らぬ蒼肌の魔族。状況を把握しようと視線を巡らせながら、まず妹に問いかけた。
「……リーゼ、何をしたのかしら?」
「転移魔法」
ルルシャンティエの動きが止まった。
「転移魔法……ですって?」
普段感情を表に出さないルルシャンティエが、珍しく目を見開いていた。歴史上誰一人として成功した事のない、古の魔導書の中にしか存在しないはずの魔法。それをこの妹は、他人を連れて当たり前のように使ってみせたのだ。
「……いつの間にそんなものが使えるように」
「前からやけど」
「前から……」
ルルシャンティエは深く息を吸い、ゆっくりと吐いた。
「転移魔法が使えるのでしたら、事前に教えていただけますか。あまりの事に卒倒しかけましたし、そもそもいきなり部屋の中に現れるなど非常識にも程が有ります!大体心の準備というものが——」
「あー……堪忍なぁルル姉、次から気を付けるさかい」
「本当に次からはお願いしますね!」
まったく悪びれていない謝罪だった。ルルシャンティエは気を取り直して、隣に立つ蒼肌の魔族へと視線を向けた。
「それで——こちらの方は?」
「ロムスタールの魔王サマ。降伏する、自分の首で他の兵隊見逃せって言うてはるんやけど、ウチ首なんて要らんし、ええ考えも思い付かんから、後の話はルル姉に任せよ思うて連れて来たんよ」
ルルシャンティエは一瞬だけ目を閉じた。開戦の報も届いていない内から敵方の降伏の報せを妹から聞き、更には敵方の総大将である魔王を便利だからと、伝説の転移魔法で連れてきた——と
(無茶苦茶が過ぎる……)
何もかもが有り得ない。有り得ないのだが、同時にエルアリーゼなら出来て当然という妙な信頼があるのも事実だ。目眩の様な頭痛にも似た奇妙な感覚を味わいながら、ルルシャンティエは湧き上がる感情を堪え、ゆっくりと落ち着きを取り戻す。
落ち着きを取り戻したルルシャンティエは、気を取り直してシャルマタへと向き直る。
「ロムスタールの魔王シャルマタ様ですね。突然の事で大変失礼いたしました。私はエルアリーゼ様の姉で、政務を総括しておりますルルシャンティエと申します」
シャルマタはまだ若干放心状態だったが、椅子に腰を下ろしながら短く答えた。
「あ、ああ……よろしく頼む」
「こちらこそ。早速ではございますが、今後の事についてお話させて頂きます」
どうぞ此方へとルルシャンティエはシャルマタに椅子を勧める。
「ほな後は宜しく、ウチは部屋におるさかい終わったら結果だけ教えたって」
エルアリーゼが退席し、ルルシャンティエとシャルマタの戦後処理が始まった。
四本の腕を持つ魔王は、かつての威圧感が嘘のように疲弊した顔をしていた。それでも背筋は伸びており、敗者なりの矜持は保っていた。ルルシャンティエはその様子を静かに観察してから、口を開いた。
「今後のあなたの処遇についてお話ししたいのですが、その前に一つ確認させてください。ロムスタールの港湾網と交易路、あなたが直接掌握していますか?」
シャルマタは僅かに眉を動かした。てっきり処刑か隷属かという話が来ると思っていたのだろう。
「……ああ、している。それが何だ」
「では話が早い」ルルシャンティエは書類を一枚差し出した。「ロムスタールの代官として、引き続き西側の統治をお願いしたいのです」
沈黙が落ちた。
「……代官だと?」
「処刑するには惜しい御方ですし、何より今の私どもにはロムスタールを治める人材がいません。というか既に人手不足なんです。貴方に帰っていただく方が双方にとって合理的かと」
シャルマタはしばらく黙っていた。腹の底では煮えくり返るものがある。持て余すくらいなら何で攻めて来たと尤もな怒りが込み上げる。しかし負けた以上、勝者に従うのが筋だ。遺恨は遺恨として、代官として放逐されるというのは悪い話では無い。
「……条件は」
「税については後程擦り合わせましょう。基本的にはエルアリーゼ様への忠誠と、西側の安定した統治を心掛けて頂きたいですね。」
またしばらくの沈黙の後、シャルマタは短く頷いた。
「分かった」




