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片鱗

 書状が届いたのは、海賊討伐から数日後の朝だった。

 受け取った家臣が青い顔でシャルマタの執務室に飛び込んできた。

「魔王様、南から宣戦布告が——」

「南から?」シャルマタは書類から目を上げた。「どこの国だ」

「アヴェンティス家と名乗っております。南部の古参貴族家かと」

 シャルマタは無言で書状を受け取った。封を切り、中身を読んだ。

 簡潔な文章だった。アヴェンティス家当主エルアリーゼが、ロムスタールに対して宣戦布告する。それだけが、やけに丁寧な文体で書かれていた。

「アヴェンティス……伯爵家か」シャルマタは書状を机に置いた。「理由も書いてないのか」

「は、それが……一切」

 シャルマタはしばらく書状を眺めた。古参の伯爵家が突然、ロムスタールに宣戦布告。理由もなく、要求もなく、ただ布告だけが書いてある。どんな算段があるのか、何を考えているのか。

 普通に考えれば無謀だ。しかし無謀な宣戦布告を堂々と送ってくる胆力は、嫌いではなかった。

「面白い。返事の代わりに叩き潰してやろう」

 シャルマタは立ち上がり、四つの拳を打ち合わせた。鈍い音が四回、連続して執務室に響いた。

「全軍に伝えろ。南へ進軍する」

 六千の兵がロムスタールを出発したのは、それから三日後のことだった。




ロムスタール出立前、エルアリーゼは地図を広げ、シャルマタの領地、街道の位置等、大まかな地理を頭に入れていた。

「出来れば一回で終わらせたいんよね」

 シャルマタが軍を動かすとしてすぐ動かせるのは六千程度だと古参の騎士長が言っていた。六千の軍と戦う。それ自体は別に構わない。しかし六千を倒したところで、それだけだ。負けた軍は悔しがるかもしれないが、次の軍を立て直せばまた向かってくる。それでは終わりがないし面倒だ。また、一人で攻めるエルアリーゼにとって多方面から攻められるのは都合が悪い。

 ではどうすれば、二度と逆らう気を起こさせないか?

「ネズミも虫も巣から叩くんが一番やからね……」

地図のロムスタール首都を指で叩きつつエルアリーゼはほくそ笑む。



 大急ぎでルルシャンティエがロムスタールへ宣戦布告状を送った頃、エルアリーゼは屋敷を出て西へ向かっていた。

 急ぐ必要はなかったが、思い付いたら即座に行動に移してしまうのがエルアリーゼである。途中、書状がロムスタールに届くにはそれなりの日数がかかると思い到り、それならばと道中の気になる場所へ寄り道をする事にした。

 ロムスタールへ続く街道沿いにある、古くから旅人に親しまれてきた宿場町。様々な国の商人や旅人が行き交う、賑やかな町だと聞いていた。一度泊まってみたいと思っていたのだ。

「ちょうどええわ」

 エルアリーゼはそう呟いて、翼を畳んだ。飛べば早いが、今日は歩いていく気分だった。

 数日かけて、のんびりと街道を歩いた。道中では茶店という風変わりな店があり、そこで食べた緑色の『草団子』が絶品だった為、エルアリーゼは三度もおかわりをした。その後は川沿いで休憩したりしながら南西へと進んだ。目当て宿場町には四泊した。温泉という自然の湯を利用した大衆浴場は、エルアリーゼにとって初めての経験だったが、あまりの心地良さについつい長湯をしてしまったり、宿の食事が思いのほか美味しく、もう一、二泊と余計に滞在し、四日目に差し掛かった頃、流石に長居しすぎかと思い直した。

 尚、この宿場町での滞在中、エルアリーゼはルルシャンティエに手紙を送っていた。内容は温泉についてや、道中何を食べた等の取り止めの無い物であったが、お陰で宣戦布告前にエルアリーゼがロムスタールへ攻撃を仕掛けるという最悪の事態だけは避けれたと、ルルシャンティエは安堵するのだった。


 そうして数日後、エルアリーゼはロムスタールの首都に降り立った。


 昼下がりだった。

 せっかく来たのだから、攻める前に少し見ていこうとエルアリーゼは街の門を潜る。黄金の翼と尾と足先を持つドラゴケンタウレが大通りを歩いていれば目立つはずだが、エルアリーゼは特に気にせず進んでいく。

 首都は賑やかだった。港街らしく、様々な種族の商人や船乗りが行き交い、露天には見慣れない品物が並んでいる。エルアリーゼは興味の向くまま、大通りをぶらぶらと歩いた。

 宣戦布告を受けた首都が、まさかその宣戦布告した当人に観光されているとは、誰も思わなかっただろう。

 しばらく歩いたところで、一つの露天が目に入った。

 殻のついた小さな木の実を山積みにして売っている。薄緑色の、見慣れない実だ。エルアリーゼは足を止めた。

「これ、何なん?」

「ピスタチオでございます、お嬢様。東の方から仕入れた珍しい品でして——」

 露天商の説明を半分ほど聞いたところで、エルアリーゼは一粒手に取り、口に入れた。

 止まった。

 香ばしく、濃く、それでいてくどくない。殻を割る手間すら惜しいと思わせる、不思議な旨味がある。気づけばもう一粒、また一粒と手が動いていた。

「……これ、ここにあるの全部もろてええ?」

「え、全部でございますか?」

「いうて2、3袋やろ?こんなん全部や全部」

 露天商は面食らいながらも、金貨を受け取ると笑顔で山積みのピスタチオを袋に詰め始めた。エルアリーゼはその間も、無造作に手を伸ばして一粒ずつ口に運び続けた。


 それからしばらく、エルアリーゼは首都を十分に満喫した。

 港の景色を眺め、行き交う船を見物し、買い込んだピスタチオを食べながら大通りを端から端まで歩いた。

「ま、こんなもんやろか」

 エルアリーゼは呟いて、空を見上げた。

 十分見た。そろそろ仕事をしよう。

 黄金の翼を広げ、一気に上空へと舞い上がる。首都が眼下に広がった。大通りを行き交う人々が、空に現れた黄金の影を見上げて立ち止まっていく。

 エルアリーゼは首都全体に届くよう、声に魔力を乗せた。

「ロムスタールの皆様、ご機嫌よう」

 広場で、路地で、港で、人々が一斉に空を仰いだ。

「私、新たに魔王を名乗る事となりますエルアリーゼ・アヴェンティスと申します。先日、ロムスタールの皆様には宣戦布告をさせて頂きましたが、単身潜入が叶ったので、これより首都攻撃を開始致します」

 首都が静まり返った。

「尚、魔王シャルマタ陛下及びその臣下の皆様が、今後私への叛意を起こさぬ様、甚大な被害を与えさせて頂くつもりですので、大変申し訳ありませんが、最低でも皆殺しは覚悟して下さいませ」

 悲鳴が上がり始めた。人々が走り出した。しかしそれも長くは続かなかった。

「それでは参ります」

 エルアリーゼは小分けしたピスタチオの小袋を懐にしまい、利き手を空へと向けた。

 空が、変わった。

 首都全体を覆い尽くすほどの巨大な魔法陣が、天空に展開された。幾何学的な光の紋様が空一面に広がり、昼の陽光を遮って首都を薄暗い影の中に沈める。人々は逃げる足を止め、空を見上げた。あまりにも巨大すぎて、何が起きているのか理解できなかった。

 魔法陣の中心が、開いた。

 何かが降りてくる。巨大な、途方もなく巨大な何かだ。首都全体がその何かの影に沈んだ。人々は最初、それが雲だと思った。しかし次の瞬間、それが動き、足だと気づいた。

 足だった。

 建物よりも、城壁よりも、山よりも大きな足が、雲の上から降りてきている。その先に胴体があるはずだが、雲に遮られて見えない。首都の誰一人として、その全貌を視界に収めることができなかった。

 巨人は、ゆっくりと身を屈めた。

 雲の上から伸びてきた手が、首都に隣接する山の裾野を——まるで子供が砂場の砂を掬うように——ごっそりと掬い上げた。山肌が、岩が、土が、木々が、そのまま巨人の掌に乗った。

 そして、振りかけた。

 轟音が空を揺るがした。

 土砂が首都に降り注いだ。雨ではなく、滝でもなく、山そのものが降ってくるような壮絶な質量が、首都全域に叩きつけられた。城壁が呑まれ、大通りが埋まり、港が消えた。逃げ惑う人々は逃げる間もなかった。悲鳴すら、轟音に掻き消された。

 やがて、静寂が訪れた。

 そこにあったのは、土砂と瓦礫の平野だった。かつて大陸有数の港街と呼ばれた首都の面影は、どこにも残っていなかった。

 エルアリーゼは上空からその光景を眺め、懐からピスタチオを一粒取り出して口に入れた。

 美味しかった。


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