魔王シャルマタ
ロムスタールは大陸南西部に広がる魔族国家である。内陸から沿岸にかけて広大な領地を持ち、その中心には大陸有数の港街が栄えている。魔族の国でありながら、海を介した交易で栄えたその国は、他の魔族国家とは一線を画す豊かさと洗練を持っていた。
魔王シャルマタは、そんなロムスタールの盟主だった。
蒼い肌に、四本腕の精悍な顔立ちの青年。それぞれの腕に得意のシャムシールを提げ、炎魔法を纏わせて戦う四刀流の使い手だ。魔王としての歴はまだ浅い。しかし領内の港湾交易を巧みに管理し、周辺国家との外交も手堅くこなす政治手腕は、大陸の魔王の中でも頭一つ抜けていた。荒くれ者の多い魔族の中にあって、損得を冷静に見極める合理主義者。それがシャルマタという魔王だった。
もっとも、合理主義者であることと、血が滾ることは別の話だ。
その日、シャルマタは旗艦の船首に立っていた。
沖合に黒煙が上がっている。ロムスタール沿岸に出没するようになった海賊船団だ。商船を三隻沈められ、港街の商人たちが騒ぎ始めたところで、シャルマタは自ら出撃を決めた。
「王自らお越しにならずとも、我々だけで——」
「偶には俺にも暴れさせてくれよ。魔王だからな」
副官の言葉を遮り、シャルマタは四本の腕を大きく伸ばした。
海賊船団は五隻。数の上では互角だが、シャルマタの旗艦は明らかに格が違う。速度を上げ、一気に距離を詰めた。海賊船から矢と魔法が飛んでくる。シャルマタは意に介さず、旗艦が海賊船の舷側に激突する寸前、甲板から躍り出た。
海面を蹴り、海賊船の甲板へと飛び移る。四本のシャムシールに炎を纏わせ、襲いかかってくる海賊たちを次々と薙ぎ払う。炎が甲板を舐め、悲鳴が上がり、あとはなし崩しだった。自軍の兵が続々と乗り込んでくる頃には、シャルマタはほぼ船の制圧を終えていた。
シャルマタが近付くと海賊たちは我先にと逃げ惑った。四本の腕に炎を纏ったシャムシールを提げた蒼肌の魔族——それだけで、場数を踏んだ荒くれ者たちの戦意が折れた。
しかし全員ではなかった。
「待ちな」
甲板の奥から、重い足音が響いた。
大柄だった。ミノタウルス——牛頭の大型魔族で、その体格は並の魔族の二倍はある。両手に構えた戦斧は、それだけで小型の船なら真っ二つにできそうな代物だった。
周囲の海賊たちが男を見て、僅かに安堵したような顔をした。この男が船長なのだろう。
その時、傍にいた海賊の一人が青ざめた顔で叫んだ。
「船長、そいつ!シャルマタですよ!魔王シャルマタ‼︎」
船長はシャルマタをじっと見た。成る程、四ツ腕、四刀流で蒼い肌。英雄譚で聴いた特徴が全て合致する。
「お前ぇがロムスタールの魔王、シャルマタか?」
「ああ、俺がシャルマタだ」
「お前ぇを倒しゃ、俺の名も上がる! 死んで貰うぜ、英雄シャルマタ!」
男は吠えながら踏み込んだ。巨体から繰り出される戦斧の一撃は、まともに受ければサーベル型のシャムシールなど容易く弾き飛ばしてしまうだろう。重く、速く、容赦がない。
シャルマタは二刀を抜いた。
真正面から受け止めるのではなく、二本のシャムシールを巧みに角度をつけて添わせ、戦斧の力を流した。金属同士がぶつかる甲高い音が響き、戦斧の軌道が僅かに逸れる。その反動で船長の巨体が前のめりに体勢を崩した。
そこへシャルマタが踏み込む。残りの二刀が船長の脇を捉えようとした。
「しまっ——!」
船長が咄嗟に空いた手で身を庇う。完璧な機会だった。しかしシャルマタの斬撃は、船長のすぐ傍をすり抜けた。
当たっていない。
外れた、と船長が思った瞬間——。
轟音が響いた。
続いて、巨大な影が揺れた。
「め、メインマストが……⁉︎」
誰かが叫んだ。甲板にいた全員が、その光景を見上げて固まった。
船のど真ん中に聳えるメインマスト——その巨大な柱が、縦に両断されていた。横にではない。縦に、綺麗に、上から下まで真っ二つだ。両断された半分がゆっくりと傾き、轟音を立てて海へ落ちていった。
「ば、化け物だ……!」
船長の顔から血の気が引いていた。武器を持つ手が震えている。
「威勢は良かったがな」
シャルマタはシャムシールを収めながら、肩を竦めた。
「言っとくが俺は魔王の中じゃ非力な方だぜ?つってもこれくらいは出来る」
船長を一瞥し、続けた。
「魔王を倒そうってんなら、これくらい余裕で出来なきゃ駄目だぜ?」
甲板が静まり返った。戦意など、もはや誰にも残っていなかった。
船長はしばらくシャルマタを見つめ、それからゆっくりと戦斧を下ろした。
残りの四隻は呆気ないほど簡単に制圧された。というのも海賊達は旗艦である母船を失うと、その殆どが脱出艇で逃げ出したからだ。
「所詮海賊、分が悪けりゃ命まで賭けやしないか……」
制圧を終えたシャルマタが捕虜を眺めていると、副官が駆け寄ってきた。
「助かりました。しかし、王自らお越しにならずとも良かったのでは?」
「偶には俺も暴れたいさ。魔王だからな」
シャルマタは返しながら、拿捕した海賊船を改めて眺めた。船体の造りが気になった。商船には見えない。甲板の構造、船底の深さ、帆の配置——どれも明らかに戦闘を想定した造りだ。
「……ただの海賊じゃないな。船が良過ぎる。上手く偽装してるがどう見ても戦艦だろこりゃ」
副官が眉をひそめた。
「では、背後に誰かが?」
シャルマタは捕虜たちを一瞥した。魔族が混じっているが、揃いも揃って身なりが貧しい。正規の軍人ではないだろう。しかし船だけは一流だ。この食い違いが全てを物語っていた。
沖合に目をやると、小さな影がいくつか遠ざかっていくのが見えた。脱出艇だ。戦闘を開始するや否や逃げ出した者も居たが、その中に今回の首謀者が居たのかもしれない。
「脱出艇で逃げた連中が怪しいが、大方人間共の仕業だろ」
「しかし、相手は魔族でしたが……」
「察するに傭兵や国境沿いの食い詰めた連中だろ。人間と魔族の全面戦争っていっても正面切って嫌いあってんのはヴィフラゾンの旦那くらいだ。他所じゃ未だに商売や交流してんのが普通だ」
シャルマタは腕を組んだ。周辺の海洋国家が、魔族の傭兵を雇い、旧式の戦艦を供与してロムスタールの海運を妨害しようとした——おそらくそういう話だ。正面からぶつかるのを避け、海賊に見せかけて痛めつける。姑息だが、分からないでもない。
「船は押収しろ。使える部分は使う」
「捕虜は?」
「情報を吐かせた後、解放しろ。殺しても得るものがない」
副官が頷いて走り去った。シャルマタは海風に吹かれながら、脱出艇が消えていった水平線を眺めた。
脱出艇は波間を漂うように、ゆっくりと遠ざかっていた。
艇の上には数人の人影があった。海賊の生き残りではない。身なりが違った。白いローブを纏った女性と、黒い法衣の初老の男。どちらも、先ほどまでの戦闘とは無縁の、穏やかな顔をしていた。
女性は艇の縁に腰掛け、遠ざかる海賊船をじっと眺めていた。制圧を終えたシャルマタの姿が、遠目にも見て取れる。
「あれが魔王シャルマタですか……」
白いローブの女性がそう呟いた。声は静かで、感情が読みにくい。
「如何でしたかマルチェローナ様、かの魔王は御眼鏡に適いましたかな?」
傍に控えていた初老の男が恭しく問いかけた。単なる随行者ではない。その物腰には、長年聖職者として積んできた年季のようなものが滲んでいた。
マルチェローナはしばらく黙って海賊船を眺めた。シャルマタが縦に両断されたメインマストを一瞥する様子が、遠目にも見える。
「若い魔王ですし、これからに期待……といったところでしょうか?今はまだ我等がお仕えするに値する御方ではありませんね」
溜め息混じりにそう言うと、マルチェローナは興味を失った様子で海賊船から目を背けてしまった。
「これは手厳しい!ヴィフラゾン陛下や銀妃帝の時もそうでしたが、貴女に御納得頂ける英傑など本当にこの世に存在するのですか?」
男は苦笑いを浮かべながら言った。一度や二度ではない、という口ぶりだった。長い旅の果てに幾人もの英傑を見てきた、そんな疲労が滲んでいた。
マルチェローナは波の向こうを眺めながら、静かに答えた。
「居なければ待てば良いのです。それが駄目なら我等で作れば良いだけの事。そういう意味では、蒼銀は比較的良く出来ていただけに悔やまれますね……」
蒼銀。その単語を口にした時、マルチェローナの声に微かな翳りが混じった。惜しむような、それでいてどこか割り切ろうとするような。
「蒼銀……勇者メアリー・アルマシールですか。恐るべき化け物でしたなぁ……五人の魔王を討伐し、単騎で七千以上の魔族を討ち取った正真正銘の英傑……今は何処で何をしているのやら……」
男の言葉には、純粋な驚嘆が混じっていた。敵意でも憎しみでもない。ただ純粋に、その規格外の存在を認める響きだった。
マルチェローナは小さく首を振った。
「居なくなった者について考えていてもしょうがありませんね……司教、次の候補者は目星はついているのですか?」
司教と呼ばれた男は懐から小さな手帳を取り出し、ぱらぱらとめくった。各地の英傑に関する記録だろうか。びっしりと文字が書き込まれている。
「極東にレオントケンタウロスの英雄が居るそうです。次はそちら等どうでしょう?」
「良いですね。では次は東へ伺うと致しましょう」
マルチェローナは静かに立ち上がった。白いローブが潮風に揺れる。その顔には焦りも落胆もない。まるで気の長い旅人のように、ただ淡々と次を見据えていた。
脱出艇は波間を滑り、やがて水平線の向こうへと消えていった。
帰港から数日後、拿捕した海賊船の処理があった。
船員たちは全員捕虜にしたが、シャルマタが甲板に立つと、あの船長が進み出てきた。ミノタウルスの大男は、既に戦意など欠片も残っていない顔をしていた。
「頼みがある」
「聞こうか」
「俺だけでいい。俺を好きにしろ。その代わり、他の連中は見逃してやってくれ」
シャルマタは船長をしばらく眺めた。部下の命を盾に情報を引き出そうとしているのか、それとも本気で仲間を案じているのか。その顔を見る限り、後者のようだった。
「情報次第だな」
「何でも話す」
尋問の結果、船長が語った内容はこうだった。依頼主は周辺の海洋国家の商人組合。ロムスタールの海運が拡大しすぎて、自分たちの商売が圧迫されているのだという。金と船を用意してもらい、ロムスタールの商船を荒らすよう依頼された。依頼主の名前も、国名も、書類まで用意されていた。
シャルマタは書類に目を通し、腕を組んだ。
しかし何かが引っかかった。話が綺麗すぎる。証拠が揃いすぎている。依頼主を売ることへの躊躇が、船長の顔に見当たらない。
「お前、この依頼を受けた時、直接依頼主と会ったか?」
船長が一瞬、目を泳がせた。
「……仲介を通した」
「その仲介の顔は?」
「白いローブを着た、女だった。名前は知らない」
シャルマタは書類を机に置いた。仲介者。白いローブ。名前不明。船長自身も騙されている可能性がある。だとすれば、この書類に書かれた依頼主というのも、誰かが用意した偽の情報かもしれない。
「……約束通り、船員は解放する。お前は暫く預かるぞ」
船長は黙って頷いた。
シャルマタは書類を副官に渡した。
「一応、この商人組合とやらを調べろ。ただし、鵜呑みにするな」
「は。では真の依頼主は——」
「分からん」シャルマタは窓の外の海を眺めた。「随分と手の込んだ事をする連中だ。ロムスタールを特定の誰かと争わせたいのか、それとも別の目的があるのか……まあ、急ぐ話でもないだろう」
そう呟いた数日後、南のアヴェンティス家から宣戦布告の書状が届くことになるのだが、その時のシャルマタにそれを知る由はなかった。




