銀龍姫の焦燥
エルガリア城は、首都から十キロ程離れた上空に悠然と浮いていた。
城の土台となっているのは、エルアリーゼが作り出した巨大な浮遊水晶の大鉱床だ。そこから無数の巨大なクリスタルの柱が突き出しており、その上に首都の総面積の半分にも及ぶ巨城が建っている。外壁は厚さ五センチの純金で全面を覆われており、黄金の城壁と無数の水晶が陽光を受けて輝く様は、現実離れした壮大さと美しさを持っていた。
この城へ行き来する方法は転移魔法だけだ。首都中央広場に設置された転移門には許可を得た者だけが使用を許され、興味本位で触れようとした者は、門を警護する悪魔たちに容赦なく食い殺される仕組みになっている。
転移魔法を大陸に広めた魔王が造り、転移魔法でしか辿り着けない城。エルガリア城は、エルアリーゼの絶大な力を雄弁に物語っていた。
もっとも、この城の建造のきっかけはメルクシュタインの「エルアリーゼの威光を示す城を」という真面目な提案に、エルアリーゼが悪ノリしたというだけの話である。
「楊帝国の元皇女に一目惚れ、そのまま奴隷商館で即時購入……ですか……」
ルルシャンティエは眉間を揉み、必死に頭痛を抑えていた。
エルガリア城に帰ってくるなり、ウチのヨメさんやで〜!と上機嫌なエルアリーゼが、どう見ても厄介事の塊でしかない銀色のドラゴケンタウレを紹介してきたからだ。当の麗姫はエルアリーゼの腕の中に半ば強制的に収まりながら、この上なく不満そうな顔をしている。
「色々言いたい事はありますが……リーゼは一旦席を外して貰えるかしら?まずは麗姫さんとお話しがしたいの」
引き攣った笑みでルルシャンティエがそうエルアリーゼに告げた。
「えー……そないな事言うて麗姫ちゃんの事、早速嫁いびりするんちゃうよね?はっ!それともルル姉も麗姫ちゃんの事気に入って……ダメやで!麗姫ちゃんはウチのもんや!」
麗姫をぎゅっと抱きしめながらエルアリーゼが低く唸り声を上げた。状況だけ見れば姉妹が戯れているだけの微笑ましい光景だが、エルアリーゼから放たれる強烈な殺気により、傍らのメルクシュタインとタマノワールは早々に気を失っていた。
その殺気を真正面から受けているルルシャンティエも、ドラゴケンタウレの強靭な肉体を持っていなければ気を失っていただろう。
「そんな事する訳無いでしょ?それに私にはシャルマタ殿が居ると知っているでしょう?」
それもそうかとエルアリーゼは納得し、あっさりと殺気を引っ込めた。その切り替えの早さに、麗姫は毒気を抜かれたような顔をした。
「どうせ貴女の事だから麗姫さんへ碌な説明も無しに連れて来たのでしょう?」
「んーっと……そうかもしらんな……何で分かったん?」
「麗姫さんのその様子を見ていたら嫌でも分かるわよ。さっきからずーっと貴女の腕に噛み付いておられるじゃない?」
エルアリーゼははて?と腕の中に居る麗姫に目を向けた。ハナセ!バカ!と騒ぎ、時折腕を甘噛みしているなあ、照れちゃって可愛いなあと思っていたが、どうやら違った様である。
「ちゃんと麗姫さんに納得して此処に居て貰う必要があるでしょう?長くなるかもだからリーゼは部屋で待ってて貰えるかしら?」
「うーん、せや!ウチ麗姫ちゃんの歓迎会を準備しとくわ!ほなルル姉、麗姫ちゃんの相手宜しくな!」
エルアリーゼは思い付くや否や鼻歌を歌いながらルルシャンティエの執務室から飛び出していった。その背中が見えなくなった瞬間、室内の空気がようやく弛緩した。床に倒れていたメルクシュタインとタマノワールも、ゆっくりと意識を取り戻し始めた。
「……ったく、なんなのよアイツは!」
「申し訳ありません麗姫さん……あれでもこの国の王なのです」
ルルシャンティエはどうぞと麗姫に椅子を勧めた。麗姫はふんと鼻を鳴らして乱暴に椅子へ腰掛けた。先ほどまでの激しい抵抗が嘘のように、今は疲れたような顔をしている。
「色々気に入らない事も、納得いかない事もあるでしょうが、ひとまず私の話を聞いて頂けないでしょうか?」
「……良いわよ。アンタあの子の姉?大変ね」
「ええ、本当に……」
同情する麗姫にルルシャンティエも思わず同意した。こんな形で共感を得るとは思っていなかったが、悪い気はしなかった。
「取り急ぎお願いしたいのはエルアリーゼの機嫌を損ね無い様にして頂きたいという事です」
「それは大丈夫だと思うわよ?あの子私が何しても本気で喜んでるから」
「……大変申し訳ない事にあの子にとって貴女は初恋の様でして……同性の上、この上なく厄介な存在かとは思いますが、どうか嫌わないでやって頂けないでしょうか?」
「え?嫌よ……キモいし、訛りは強いし……気に入る要素が皆無だわ」
麗姫ははっきりと嫌そうな顔をしてみせた。
「それは重々承知です。ですがリーゼに気に入られてしまった以上諦めて頂く他ありません。この城を見ても分かるでしょう?この城をあの子はたった半日で作り出しました。大量の黄金、巨大な浮遊水晶……全てあの子の魔法で出来た物です。あの子にとって出来ない事等無いに等しいのです」
ルルシャンティエは一息ついてから、静かに続けた。
「リーゼに常識は通じません。不可能も当たり前の様に可能にしますし、ちょっとした癇癪で国すら滅ぼしかねません。ああ、軍隊を動かすという話ではありません。あの子はたった一人で国を滅ぼせます。ロムスタールもグロスリーグもあの子はただ一人でふらっと出掛け、単騎で滅ぼしています。それも半刻もしない時間でと聞いています。魔王シャルマタも魔王ヴィフラゾンもあの子には雑兵扱いです」
「ですから諦めてリーゼの事を受け入れて下さい。貴女の言動一つで本当にこの国は消滅するのです」
「いや……いくらなんでもそれは有り得ないでしょ……」
麗姫は半信半疑の顔をした。しかしこの城の存在が、ルルシャンティエの言葉に妙な説得力を持たせていた。
「一緒に過ごせば嫌でも分かりますよ……兎に角くれぐれもお願いします」
「……善処するわ」
麗姫は渋々ながらも頷いた。
ルルシャンティエは少し間を置いてから、言いにくそうに口を開いた。
「……それと極めて申し訳無い事に、両親はリーゼにその……性教育を施す前に殺されて家督を奪われてしまいましたので……その……」
「はあ⁈貴族の子でしょ?何それ有り得ないんだけど⁉︎」
通りでおかしいと思ったと麗姫が盛大な溜め息を吐いた。恋愛が初めてで知識も無いとくれば、あの奇行も頷ける。
「成る程、今思えば女だけど行動は童貞のソレだったわね……何というか……今初めてアイツに同情したわ……」
「申し訳ありません……それどころでは無かったのと、そもそもそうした色恋に興味を持つ子ではなかったので、失念していました。きっと子供の作り方も知らないでしょうから同性の貴女を嫁だ何だと言っているのです」
「うわ……そんな事すら知らないんだ……」
「……ひょっとするとあの子なら同性でも子を為せるのやも……」
伝説の魔法を易々と操るエルアリーゼの事だ。同性で子供を作るくらいどうとでもしてしまいそうだ。そう考えると、ルルシャンティエ自身も少し頭が痛くなった。
「勘弁してよ……そんなの本当に化け物じゃない……え、あの子の卵産むとか嫌過ぎるんだけど」
麗姫は心底嫌そうに顔を顰めた。
「諦めて下さい……あの娘は意思を持った自然災害みたいなものです。というか今の貴女の立場は、人によっては喉から手が出る程欲しい立場でもあるのですよ?」
「確かに、他の兄姉よりは恵まれてるとは思うわ……けど嫌な物は嫌よ!」
麗姫がそう言い切ったところで、ルルシャンティエの目が僅かに細くなった。
「……確か、瑶蘭帝を倒す、と仰っていましたね?ですがそんな様子で、そんな大それた事が可能だと思ってるんですか?」
「……何よ?何か文句でもあるの?」
「ええ、有ります」
ルルシャンティエの声から温度が消えた。
「目的達成の為の手段が目の前にあるのに使わない。私から言わせればそれは甘えです。一時の感情に任せ好機をみすみす逃す?有り得ない。つまり、貴女にとって所詮その程度の目標だと言う事では有りませんか?」
「……何ですって?」
ルルシャンティエの言葉に麗姫は苛立ちを見せた。銀鱗の自分に、緑鱗如きが偉そうにと、麗姫は殺気を込めた視線でルルシャンティエを睨んだ。
しかし楊帝国の民ならば一睨みで縮み上がる麗姫の眼光を受けても、ルルシャンティエは涼しい顔をしていた。普段からエルアリーゼの殺気を体感しているルルシャンティエにとって、麗姫の殺気など大した圧にもならないのだ。むしろ中途半端にルルシャンティエの怒りを買っただけであった。
「確かに皇族に生まれた身で奴隷落ちというのは屈辱でしょう?ですがその肌艶、髪の艶……その後いか程も辛酸を舐めておられないでしょう?甘ったれも程々になさい!これ以上貴女の様な方に我が国を掻き回されたく有りません!」
ルルシャンティエに一喝され、麗姫は思わずたじろいだ。反論しようとしたが、言い返せない。思わずして図星を突かれた形になったからだ。
「な、何よ……こんな国……!」
「貴女ではどうにも出来ませんよ。悔しければ強くなる事です。この国は力こそ全てを体現した国ですからね」
「チッ……!今に見てなさいよ!」
麗姫は捨て台詞を吐き、踵を返して部屋から出て行った。廊下に出た途端、抑えていた感情が溢れ出す。
「何よ……!あの女!」
拳を握り締め、麗姫は城内を進んだ。行き場の無い怒りが全身に満ちている。良い、強くなってやる。私は銀鱗なのだ。瑶蘭を倒す為に、何だって利用してやる。そう心に決めながら廊下を歩いていると、角を曲がったところでエルアリーゼと鉢合わせした。
「あ、麗姫ちゃーん!もう終わったん?それじゃあ麗姫の部屋を案内して——」
「そんな事より、今から手合わせ出来る?ちょっと暴れたい気分なの」
「そうなん?それなら外行こか?」
エルアリーゼは麗姫の希望にあっさりと応え、転移魔法で広い荒地へと二人を移動させた。城からは遠く離れた、見渡す限りの荒野だ。踏み固められた土と枯れた草だけが広がっている。
「此処なら暴れても花夜ちゃんに怒られんやろ。さ、いつでもおいで?」
エルアリーゼは軽い口調でそう言い、ゆったりと構えた。戦う気はあるのか無いのか分からないような、どこか余裕のある立ち姿だ。
「フン、舐めやがって……!私の力!見せてやるわ‼︎」
麗姫は銀の鱗をぎらつかせ、身を低く沈めた。その細い尾が地面すれすれを揺れている。先ほどルルシャンティエに言われた言葉が、まだ胸の奥で燻っていた。
甘ったれ、と言われた。
悔しい。悔しくて、それが正しいとも思えてしまうのが余計に腹立たしい。
だから今は全力でぶつかるしかない。この金鱗の馬鹿娘に、銀鱗の力を思い知らせてやる。
荒野に風が吹いた。
金と銀、二人の龍姫の初めての激突が、今まさに始まろうとしていた。




