落下
戦場に降り立ったエルアリーゼは、眼下に広がる光景を眺めた。
「おー、仰山居るわ」
グロスリーグ軍と連合軍が入り乱れて戦っている。数だけ見れば相当なものだ。
「せや、グロスリーグの兵隊も混ざっとるんか……どないするかなぁ」
一応エルアリーゼにも自国民を巻き込まないという最低限の分別はあった。毒を使えば魔族も人間も関係なく死ぬ。悪魔に任せても区別はつかない。
「んー……毒は駄目やし、悪魔共にやらせるんも駄目やな。人間と魔族の区別なんて出来んやろし……」
両軍入り乱れた戦場を眺めながら考えていると、すぐ傍で剣戟の音と怒号が飛び交っている。
「ってか喧しいわ!ウチが考えとる最中なんやから、ちったぁ大人しゅうしぃや!」
次の瞬間、戦場の全員が宙に浮いた。
グロスリーグ兵も、レンゲルヘイル兵も、イスタリア兵も、剣を振り上げていた者も、槍を構えていた者も、全員が一斉に地面を離れ、上空へと急上昇していく。
悲鳴が上がった。
数百、数千という兵士たちが空中に浮かんだまま身動きが取れず、手足をバタつかせながら叫んでいる。城壁の五倍以上の高さまで浮き上がらされた兵たちは、眼下の地面を見て青ざめた。
「どないしょうか……」
エルアリーゼは空中に浮かんだまま、ぷかぷかと漂う大量の兵士たちを眺めながら考えた。
「あ、せやせや、人間って飛べんのやった」
ぽん、と手を打った。
魔族だけを残し、人間にかかっていた浮遊魔法を解除した。
夥しい悲鳴が上がった。
バラバラと、人間の兵士たちが落ちていく。城壁の五倍以上の高さから、次々と地面に激突し、絶命していく。一瞬前まで剣を交えていた戦場が、瞬く間に静寂に包まれた。
「人間は不便やねぇ……って言っても魔族で飛べるのもそない居らへんのやけどな」
エルアリーゼは独り言のように呟きながら、宙に残ったグロスリーグ兵たちをゆっくりと城壁の上へと降ろし始めた。
兵士たちは降ろされた瞬間、膝から崩れ落ちる者、その場に座り込む者、震えながら地面にしがみつく者と様々だったが、誰一人として立ち上がれる状態ではなかった。
「あ、ありがとうございます魔王陛下……」
近くに降ろされたグロスリーグ兵が、震える声でどうにか礼を言った。
「人間相手に手こずり過ぎやない?」
エルアリーゼは呆れたように言った。
「こない簡単に死ぬ様な奴等なんやからさっさと始末せなあかんで?」
「お、恐れながら……この様な大魔法を使えるのは、陛下だけで御座います!」
「これで大魔法ね……まあ、ええわ」
エルアリーゼはさらりと流した。
「アンタ等後片付けは任せたで?死体は腐るとかなわんからな。大して働いとらんのやからそれくらいしぃ」
言い残して城内へと向かいかけたエルアリーゼは、ふと足を止めた。
「せや、食糧持って来たんやった。どこに置けばええんやろ?」
呆然と立ち尽くしていたグロスリーグ兵たちは、その言葉を聞いて再び固まった。
たった今数百人を一瞬で片付けた主君が、次の瞬間には食糧の置き場所を尋ねている。
誰も何も言えなかった。
食糧を届けたエルアリーゼは、用は済んだとばかりに転移魔法石を取り出した。
「ほな帰るわ」
「……もうお帰りになるので?」
ヴィフラゾンが問うた。
「タマノワールとカカオ農場の視察に行く約束しとるんよ。待たせとるし」
「タマ……?か、カカオ……?」
「知らんやろ?こっちでもその内出回る様になる思うで?じゃあ後はよしなに」
それだけ言って、エルアリーゼは消えた。
ヴィフラゾンにはタマノワールが誰でカカオが何なのか分からなかった。しかしそんな事はどうでもよかった。
城壁の上から戦場を遠巻きに見ていたヴィフラゾンとローレンスは、先程までの出来事を思い返し、押し黙っていた。
半刻も経たなかった。ただの一撃だった。
宙に浮かべて落とす。それだけで、イスタリアとレンゲルヘイルの連合軍は1人残らず全滅したのだ。
夥しい数の死体が地面に散らばっている。つい先ほどまで死兵の気迫で押していた兵士たちが、今や全員地に伏している。抵抗の痕跡すらない。ただ落ちて、死んだ。それだけだ。
ローレンスは茫然としていた。
事実として目の前に広がっているはずの光景が、どうしても現実として受け入れられなかった。自分が命を懸けて戦っていた戦場が、あの小娘の気まぐれで瞬きの間に終わった。仲間たちの死が、国の命運が、何もかも失われたのだ。
「あれが魔王エルアリーゼだ」
ヴィフラゾンが静かに言った。
「逆らうのも馬鹿らしく思えてしまおう?それぐらい我等と彼奴は隔絶しておるのだ」
しばらく沈黙が続いた。
「……それでアンタは諦めちまったってのか?」
ローレンスが口を開いた。茫然としながらも、その目はヴィフラゾンをじっと見ていた。
「違うだろ?アンタは明らかにエルアリーゼに敵意を持っている!」
「……だったらどうだというのだ?魔王エルアリーゼに告げ口でもするのか?ヴィフラゾンは叛意を持っていますとな」
「しねぇよ」
ローレンスは鼻で笑った。
「それよりも、此処に丁度魔王エルアリーゼを憎く思っている傭兵が居るんだが、雇う気はねえか?」
ヴィフラゾンはローレンスを見た。軽口の様だったが、その瞳は真剣そのものだった。
「我に人間と手を組めというのか?」
「敵同士とはいえ、俺とアンタの仲だろ?」
それに俺にゃ帰る国がねえんだと、ローレンスは続けた。
イスタリアもレンゲルヘイルも正確にはまだ存在する。しかし生き残りを賭けたこの戦いに敗れた時点で、母国の命運は決まっていた。食糧を奪われ、精鋭を失い、レンゲルヘイルはもはや立て直せる状態ではない。遠からず崩壊し、残された民は難民となり、多くが命をおとすだろう。食糧も無しに他国へ行ける程、大陸の冬は甘く無いのだ。そして運良く他国へ行けたとして受け入れられる補償はない。これから冬を迎えるという時期に、難民に配る程食糧に余裕がある国等無いからだ。
「あの魔王を相手取るなら戦力は少しでも多い方が良いだろ?自慢じゃ無いが、俺はあのヴィフラゾンと切り結んで何度も生還した男だぜ?」
ローレンスは本人を前にそうやって自分を売り込む。勿論冗談だが、少しでもヴィフラゾンの気を紛らわせてやろうと思っての行動だ。
「茶化すな」
ヴィフラゾンは低く言った。しかしその目は戦場の彼方を見つめており、しばらく黙って考えていた。
あの小娘を相手取るなら、あらゆる手を尽くす必要がある。かつての自分なら人間と手を組むなど鼻で笑っただろう。しかし先の戦いで身を持って思い知らされた。誇りだけでは何も変えられない。
「……相手が相手故、儂も変わらねばならぬか」
ヴィフラゾンはローレンスに向き直った。
「ローレンス、貴様の処刑は延期だ。儂と共にあの小娘の抹殺に手を貸して貰うぞ?」
「ああ、任せとけ。俺とてあのお嬢ちゃんを倒す宛が全く無い訳じゃない……と言っても準備が必要だがな。」
ローレンスはそう意味深に言って頷いた。それから少し間を置いて、気まずそうに口を開いた。
「けど、その前に……」
「何だ」
「何か食い物をくれ……もう何日もまともに食ってないんだ……」
戦場の惨状を背景に、百戦錬磨の傭兵長が発したその一言に、ヴィフラゾンは一拍置いてから短く言った。
「……おい、何か持って来てやれ」
傍らの部下が慌てて走り去った。




