カカオ農園視察
カカオ農場は大陸南部の温暖な土地に広がっていた。青々とした木々の間に、ラグビーボールを細長くしたような奇妙な実がごろごろとぶら下がっている。
農場主に案内されながら、エルアリーゼとタマノワールはカカオの果肉を口に運んでいた。白くてぷるぷるとした果肉は、種を覆うように薄く張り付いている。
「此れがチョコレートになるんか……全然味が違うんやね」
「けど甘酸っぱくて美味しいですニャ。これは売りに出さないんですニャ?」
タマノワールが初老の農場主にそう尋ねると、農場主は顎を摩りながら答えた。
「そうですね……このあたりではそのまま食べたり、酒やジャム、ジュースで楽しみますな。しかし、鮮度が落ちやすいのと、そもそもチョコレートにする為に実を食べる事はあまりせんのです」
「どういう事ですニャ?」
「チョコレートの原料となるカカオは、カカオの種を発酵させた物でしてな。カカオの種を発酵させるのに果肉をそのままにして腐らせる必要があるのです。その為加工品も売る程は作っとらんのですよ。チョコレートにした方が儲かりますからな」
「ニャるほど……」
「元々滋養強壮の為にスパイスや唐辛子等を混ぜた飲み物として使われていたのですが、チョコレートが作られる様になってからはすっかりチョコレートの材料として扱う様になりましたな。そもそもチョコレートというのは——」
そこから農場主は、カカオが飲み物からチョコレートに至るまでの歴史を長々と話し始めた。タマノワールは目を輝かせながら熱心にメモを取っている。
エルアリーゼはといえば、三十秒ほどで興味を失っていた。
ちょうどその時、農場主の奥さんがホットチョコレートを作ると言い出した。エルアリーゼは農場主の話の途中で、ふらりとその後についていった。
「貴族のお嬢サマにやらせる様な事じゃありませんよぉ」
奥さんは萎縮しながら言った。見るからに只者ではない黄金の角と翼を持つ少女が、台所で手伝いをしようとしているのだ。困惑するのも無理はない。
「ええやん、ええやん、ウチこういうの興味あるんよ〜」
エルアリーゼは萎縮する奥さんを宥めながら、材料のカカオ豆を一つ摘み上げた。
「ちょっと味見な」
「ああ!そのままじゃ——」
奥さんが止めようとしたが間に合わなかった。エルアリーゼはゴリゴリとカカオ豆を噛み砕いていく。
「にが……ジャリジャリするし美味し無いね」
猛毒すら消化するエルアリーゼだが、味覚は人並みだ。少しチョコレートの風味は感じたが、炭の塊のようなカカオ豆は流石に口に合わず、顔を顰めた。
「当たり前ですよ!カカオ豆は食べれる様にするまで大変なんですから!」
奥さんはそう言って、カカオ豆をすり潰す為の石を指差した。表面のざらついた平らな石と、丸い拳大の石だ。この二つを使って出来るだけ細かくすり潰すのだと説明する。
「カカオ豆をすり潰して出てきた油を取って粉にしたのがココアになったりするんでさ。油はカカオバターに加工して、ココアや砂糖、粉乳と混ぜてチョコレートにするんだけど、大変だし家で作る様なもんじゃ無いからね。家庭ではこうしてすり潰したカカオに黒胡椒や砂糖を入れてホットチョコレートにして飲むんさね」
「はあー手間暇掛かっとるんやね〜……まあ、折角やしウチもカカオすり潰す所から始めるわ」
エルアリーゼは奥さんから石を受け取り、カカオ豆の上に石を当てた。
(優しく優しく)
本来力が要る作業だが、エルアリーゼの場合は逆だ。石を握り潰したり、擦り付け過ぎて砕かない様に、慎重に慎重に力を加減する繊細な作業となった。
「こんぐらいで良えやろ?」
力が強い為、エルアリーゼは手早くカカオを砕いてみせたが、奥さんは苦笑いした。
「まだまだ、しっかり擦らないと粗過ぎて口の中がジャリジャリしますよ」
「そうなん?」
「ええ、チョコレート作る時はこの作業が一番大変なんです。沢山作る時は水車と石臼を使いますがね」
隣で手本を見せながら奥さんが続ける。
「手が疲れたら休憩休憩。無理しても良い事ないからね」
エルアリーゼは奥さんの手元を見ながら、真似るように石を動かした。ゆっくりと、丁寧に。普段の豪快さとは打って変わって、妙に真剣な顔をしていた。
やがてカカオ豆が十分にすり潰された頃、黒胡椒と砂糖、水を加えて小鍋で加熱した。
甘い香りが台所に漂い始めた。
「出来ましたよ。冷めない内にどうぞ」
「作ってはみたけど、チョコに胡椒って合うん?」
出来上がったホットチョコレートを凝視しつつ、エルアリーゼは匂いを嗅いだ。香りは確かにチョコレートだ。恐る恐る一口飲む。
「ん?意外といけるわ」
粉乳が入っていない代わりに黒胡椒が入っているという違いはあるが、チョコレートはチョコレートだ。タマノワールが食後に出してくれるココアに似た感じもあり、思ったより抵抗なく飲める。スパイスのぴりりとした刺激が後から追いかけてきて、チョコレートの甘さと不思議と合っていた。
「お気に召して頂けましたかね?」
「良えねコレ。帰ったらまた作ってみるわ」
エルアリーゼは空になったコップを見せて笑い、奥さんに礼を言ってから台所を出た。タマノワールたちの方へ視線を向けると、見慣れない人物が農場主と話し込んでいるのが目に入った。
「誰か来とるね?」
「ああ、あの子はチョコレートを開発されたセルヴァケンタウレの花夜様だよ」奥さんが答えた。「極東の生まれだとかでああいう格好だね。見た目は若いけどかなりのご長寿だった筈だよ」
「ふうん……只者や無いみたいやね」
エルアリーゼの目が細くなった。
遠目から見ても分かった。穏やかな佇まいをしているが、その奥に何か途方もないものが潜んでいる。セルヴァケンタウレ——半人半鹿の種族、セルヴァケンタウルスの女性をそう呼んだはずだ。鹿の角と蹄、編み込んで綺麗に纏められた茶色い艶やかな髪。黄色い着物と緑の袴、薄桃色の花柄の和傘。極東の衣装に身を包んだその姿は、年老いているとはとても見えない。確か長命種ではないはずだが。
「ちょっと良えかな?」
エルアリーゼは花夜に声をかけた。
「あら、ご機嫌よう。どうなさいました?」
花夜は穏やかな物腰で振り返った。その目には警戒も敵意もなく、ただ静かな好奇心だけが宿っていた。
「ウチはエルアリーゼ、アンタはカヨ?いうらしいな。なんやそんなナリしとらはるけど……中身は結構なバケモンやろ?」
「——ええ、ですがそれは貴女もでは?」
花夜は微笑んだまま言った。動じた様子が微塵もない。
「まあな。けど正直こないな所でアンタみたいなのと出会すとは思わなんだわ」
これまで会った相手の中で、間違いなく一番強い。もし戦えば負けはしないだろうが、相当手こずるだろうという確信がエルアリーゼの中に生まれていた。戦場の勘とも本能とも違う、もっと原始的な何かだ。
「そう心配なさらずとも争う気はありませんよ。私は争いが嫌いですからぁ」
「意外やね。そんなに強いんやから偶には暴れたりしとうならんの?」
「無いですねぇ……こう見えてお婆ちゃんなので。美味しい物を食べたり、畑仕事したりする方が楽しいですねぇ」
「アンタ幾つやねん……」
「まだ二千はいってませんよぉ。って言っても誰も信じてくれませんが」
「そら信じれんわ」
エルアリーゼは思わず素直に言った。
「セルヴァケンタウレの寿命って人間と変わらんのやなかった?」
「そうですね。けど私は御主人様から不老長寿の法を授けて頂いておりますので」
「御主人様って誰やの?」
「ふふ、それは言えません。言ったら面白くないですから」
花夜はにこりと笑った。答える気が全くない顔だった。
「もしどうしても知りたければマルチェローナという人物を訪ねて下さいな」
「マルチェローナ?誰やねんそれ?」
「昔の知り合いです。お嬢さんみたいな強い子が大好きなんですよぉ。タマノワールさんのお話を聞く限り中々暴れ回っていらっしゃる様ですから、その内彼方から訪ねてくると思いますよ?」
エルアリーゼはしばらく花夜を見つめた。煙に巻かれている感覚があった。しかし力尽くで話を引き出せる相手でもないと分かっていた。
「うーん……なんや煙に巻かれたみたいでモヤモヤするけど、力尽くでも喋ってはくれんのやろ?」
「嫌ですよぉ、こんなお婆ちゃんを虐めるなんて」
花夜は軽やかに言った。
「悪い子には新しいチョコレートはあげませんよ?」
「え?新しいチョコレート⁉︎」
エルアリーゼの目が一変した。
「ホワイトチョコレートっていうらしいですニャ!」
いつの間にか傍らに来ていたタマノワールが興奮気味に言った。
「独特のほろ苦さはニャいですが、真っ白でクリーミー、とっても甘いですニャ!」
「あ、タマ!先に食べたん⁉︎ずるいわ〜!」
「フェルミーなので好奇心には抗えませんニャ」
タマノワールは尻尾をぱたぱたと揺らしながら、悪びれる様子もなく言った。
エルアリーゼは花夜に向き直り、先ほどまでの探るような目つきはどこへやら、まっすぐに手を差し出した。
「花夜さん、ウチにもそのホワイトチョコレートとやらを食べさせてくれへん?」
「ふふ、良い子にしていれば差し上げますよ?」
「……良い子にするから、その……ええやろ?」
花夜はくすくすと笑いながら、腕に下げたバスケットから小さな白い欠片を取り出した。




