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侵攻2

前線で最も激しく戦っていたのは、レンゲルヘイルの傭兵隊長ローレンスだった。


 大柄な体躯に無骨な鎧を纏い、長槍を縦横無尽に振るうその姿は、まさに死神と呼ぶに相応しかった。既に三十二人のグロスリーグ兵を斬り伏せ、それでもなお前線の中心で戦い続けている。


「オラァ!この死神ローレンス様を殺すにゃ数が足りねーぞ!」


 ローレンスは吠えた。味方を鼓舞し、敵を威嚇する。実際効果はあった。ローレンスの部隊は最前線で戦いながら、最も損耗率が低かった。


 しかし内心では、冷静に状況を見ていた。


(チッ……!こんなんいつまでも保たねーぞ!)


 損耗はゼロではない。飢えて体力を削られた傭兵たちは、一人また一人と倒れていく。補給もない。退路もない。勝ち目があるとすれば、気迫だけだった。


 部隊の半数が倒れた頃から、ローレンスは己の最期を感じ始めていた。


(あーあ、此処が俺の死に場所か)


 悔いがないわけではなかった。


(せめてあの魔王と決着をつけてから死にたかったぜ……)


 ヴィフラゾンとローレンスは、敵同士でありながら浅からぬ仲だった。北方の最前線で幾度となく槍を交え、今では戦いの前に言葉を交わすほどになっていた。お互いがお互いを強者と認め、いずれ自身の手で決着をつけると誓った相手だ。


(ま、どんなに祭り上げられようが、俺も所詮は傭兵だったって事か……泥に塗れてみっともなく殺されるのが関の山ってな)


 槍を振る勢いが鈍り始めた。息が上がり、視界が霞む。これ以上は長く戦えない。そう思い始めた時だった。


 ズルリと、足が滑った。


 泥濘はなかったはずだと目を足元にやる。


 血溜まりだった。自分が斬り伏せた魔族たちの血が泥濘となり、ローレンスの足を取ったのだ。


(こんなもんで……!)


 疲労が蓄積していなければ。飢えて空腹でなければ。様々な思いが頭を過ぎる。


(ああ……お終いか……悔しいな)


 死を覚悟した。しかしローレンスは目を瞑らなかった。せめて最期まで戦士らしくあろうという、それだけの意地だった。


 倒れ込む体勢のまま、視界の端に複数の影が見えた。


「悪いなローレンス、ウチの大将がお前さんだけは生かして連れて来いって煩いんでな!」


 グロスリーグの精鋭将校たちが数人がかりでローレンスに飛びかかり、幾重にも鎖を巻きつけた。ヴィフラゾンの指示だった。


「くそったれ魔王め……戦場で死なせてくれりゃ良いものを!」


 ローレンスは悪態を吐きながらも、抵抗する力は残っていなかった。鎖に縛められたまま、引きずられていく。


 最悪だ、とローレンスは思った。


 捕縛されたローレンスがヴィフラゾンの前に突き出されたのは、戦況がグロスリーグ優勢に傾き始めた頃だった。


「不様だなローレンス」


 ヴィフラゾンは腕を組んだまま、鎖で縛められた傭兵隊長を見下ろした。


「お陰様でな」


 ローレンスは鼻で笑った。膝をつかされていても、その目に卑屈さはなかった。


「この様な形で我等の因縁を終わらせるのは残念だが、これも戦場の習いだ」


「お互い様だ。俺がお前でもそうしている」


 ヴィフラゾンは僅かに目を細めた。こういうところがローレンスという男だった。


「そうか。だが最後にもう少し鳴いてもらうぞ?まず何故こんな無茶な侵攻を行った?飢饉でも起こったのだろうと思ったが、違うか?」


「白々しいぜヴィフラゾン!奪ったんだろうが!」


 ヴィフラゾンは眉をひそめた。


「何の事だ?」


「とぼけるな!食糧庫が根こそぎ——」


「閣下!」


 部下の一人が割り込んできた。ヴィフラゾンは不快そうに振り向いた。


「尋問中だ、後にしろ」


「いえ、それが……エルアリーゼ陛下がお会いしたいと……その……もう此方まで来ておいでです」


 ヴィフラゾンが振り返ると、いつの間にか黄金の翼を畳んだ小柄な少女が、戦場の只中に立っていた。周囲のグロスリーグ兵が慌てて道を開けている。


「忙しそうやなヴィフラゾン」


 エルアリーゼは戦場の惨状をざっと見渡しながら、涼しい顔で言った。


「申し訳ありません、我等は今人間達と交戦中でして。宜しければこのまま御用件を伺いたいのですが」


 ヴィフラゾンは努めて平静な声で言った。


「ウチに内緒で戦しよったんかヴィフラゾン?」


「は?いえ、攻め込まれたので応戦したまでで……我等から仕掛けたのでは御座いません」


一瞬殺気を感じたヴィフラゾンは慌てて弁明する。


「ふうん、まあええわ。それよりレンゲルヘイルとイスタリアっちゅう国から食糧しこたま奪ったんやけど、漸く仕分けが終わってな。そんでシャルマタがグロスリーグにも分けた方が良えって言うてな——」


 ヴィフラゾンのこめかみに手が当たった。


 静寂。


 戦場の喧騒が、妙に遠く聞こえた。


「……つまり」ヴィフラゾンはゆっくりと言った。「レンゲルヘイルとイスタリアには今食糧が無い……」


「そうやで。ロムスタールの食糧が足りんくてな。文官連中もあっこから貰ったやろ?どうせ敵やし、丁度良えな思うたんよ」


「それで此奴等が飢えて攻めてきた、と?」


「あれ?そうなん?」

エルアリーゼは少し考えてから頷いた。

「そういやシャルマタがそないな事起こるんちゃうか?って言っとったな」


 ヴィフラゾンはローレンスに向き直った。


「すまんなローレンス。知らなかったとはいえ、どうやら原因は我々の様だ」


 ローレンスはしばらく黙っていた。鎖に縛められたまま、エルアリーゼを見上げ、ヴィフラゾンを見て、また黄金の少女を見た。


「……アンタの娘か?」


「なんや?失礼な人間やな。ぶち殺されたいんか?」


ヴィフラゾンの娘扱いが心外だったらしく、エルアリーゼはローレンスの顔を覗き込み、カチン、カチンと歯を打ち鳴らす。不機嫌な時に見せる彼女特有の癖だ。


「言葉を慎めローレンス。この御方は魔王 エルアリーゼ・アヴェンティス様だ。儂とロムスタールのシャルマタ、二人の魔王を下した我等が新たな盟主よ」


(魔王を二人も下した⁈こんなガキが⁉︎)


信じられないが、ヴィフラゾンが頭を垂れている以上事実なのだろう。力こそ強さこそ正しいとするヴィフラゾンが従うならば少女の強さは本物だ。魔族相手に見た目で判断するなという良い例だなとローレンスはエルアリーゼへの見方を変える。


「偉そうに言うとるけど、このおっさんもシャルマタもウチからしたら全然やったで?」


エルアリーゼはヴィフラゾンの態度が気に入らず、そう不満気に言う。


「で?この人間と外の阿保共はどないするん?」


 エルアリーゼはローレンスとヴィフラゾンを交互に見ながら問うた。


「この男ローレンスはレンゲルヘイルの手練れで、長く戦って来た相手でしてな」ヴィフラゾンは努めて平静な声で言った。「最期はこの手で始末をつけたいと連れて参った次第です。外の人間共については今交戦中で御座います」


 エルアリーゼは一拍置いてから、小さく溜め息を吐いた。


「この人間はアンタが殺しゃええけど、外が問題やん。いつまでちんたらやるん?さっさとウチが出て片付けた方が良えんちゃう?」


「い、いえ……わざわざ陛下の手を煩わせる訳には……」


「そういうんはもっと強うなってから言いや?」


 エルアリーゼの声の圧が、僅かに変わった。


「アンタの意地でなんぼ死なせるん?ガキやから煽てとりゃ良え思うたらあかんでヴィフラゾン?ウチの事舐め腐るのも大概にしいや……」


 縛められたままのローレンスは、その瞬間に何かを感じた。


 殺気だった。


 エルアリーゼから僅かに漏れ出た、薄い殺気。自分に向けられたものでもなかった。それでも百戦錬磨の傭兵長は、心の底から震え上がった。まだ少し幼な気な、自分の半分ほどの背丈しかない少女から放たれた気配が、全身の産毛を逆立てた。


 横を見ると、あのヴィフラゾンですら声が掠れていた。


「も、申し訳……御座いません……」


 平伏し、それだけ搾り出すのが精一杯という有様だった。大陸北部の人間国家が最も恐れた魔王が、地に頭をつけて震えている。


「ウチは魔王や、えらーいえらい魔王サマや」


 エルアリーゼはヴィフラゾンを見下ろしながら続けた。


「せやからアンタ如きがウチに意見出来る思うたらあかんで?ルル姉やシャルマタがウチに意見出来るんは立場弁えてウチの役に立っとるからや。アンタはまだウチの役に立っとらん。グロスリーグ治めるのに必要やってルル姉が言うから生かしとるだけやってのをよう覚えとき?」


 言い終えると、エルアリーゼは尾をゆっくりと持ち上げた。


 そして、軽く叩いた。


 鞠を撞くような動作だった。痛めつけるのではない。ヴィフラゾンの頭を、何度も何度も、軽く、執拗に叩く。子供が玩具を弄ぶような、完全に馬鹿にした動作だった。


 ローレンスは見ていられなかった。


 目を逸らしたかった。しかし逸らせなかった。


(悔しいよな……ヴィフラゾン……)


 あの魔王が。北方最強と謳われ、人間国家が最も恐れた魔族の英雄が。年端も行かない小娘に頭を何度も叩かれながら、ただ耐えている。どれほど腹立たしく、苦々しく、屈辱的な事か。ローレンスには分かる気がした。


 やがてエルアリーゼは尾を下ろし、出口へと向かいながら言った。


「外の人間はウチが始末する。併呑した以上此処はもうウチのシマや。ウチのモンに手ェ出したらどうなるか思い知らせにゃあかんからな」


 誰も止めなかった。止められなかった。


 ヴィフラゾンは頭を垂れたまま、嬉々として戦場へ向かう小さな主君の背を見送るしかなかった。黄金の翼が広がり、エルアリーゼは外へと飛び出していった。


 静寂が落ちた。


 しばらく誰も口を開かなかった。


「笑いたくば笑え……これが今の俺よ……」


 ヴィフラゾンは半ば自棄になったように、ローレンスへ向かって言った。顔を上げると、その目には怒りでも悲しみでもない、ただ重たい疲労が滲んでいた。


「……只者では無いのは分かるが、あのお嬢さん、それ程なのか?」


 ローレンスの問いにヴィフラゾンは少し間を置いてから、静かに答えた。


「ロムスタールとこのグロスリーグを単騎で落とした。どちらもたった半刻でな」


「は、半刻⁈」


「今思えばあれは遊び半分だった」

ヴィフラゾンは低く言った。

「彼奴は我等とは次元が違う。俺も身体中の骨を砕かれ、都は灰燼に帰した……何をどうやっても彼奴には敵わんと身を持って思い知らされた」


 ローレンスは天幕の外に目をやった。遠くで何か轟音が聞こえ始めた。


「お前程の男がな……なあ、外の連中はどうなるんだ?」


「分からん」ヴィフラゾンは静かに言った。「だが碌な事にならん事は確かだ」


 二人が言葉を交わしている間にも、轟音は大きくなっていった。やがて外から悲鳴が聞こえ、それがぴたりと止んだ。静寂が戻るまで、さほど時間はかからなかった。


 本当にさほど時間はかからなかった。


 半刻も経っていなかった。


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