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メルクシュタイン

 エルアリーゼは再び翼を広げ、北へと向かった。

 今度は歩かなかった。ルルシャンティエの顔を思い出すと、さすがに急いだ方がいい気がした。

 空を飛びながら、エルアリーゼは考えた。人材を連れて来いと言われたが、他の領地から優秀な人物を引き抜けばルルシャンティエに怒られる。かといってどこへ行けばいいのか。

 ふと思い至った。

 敵対国家から奪えば良い。

 我ながら名案だと思った。自国の人材を減らすわけでもない。相手国が文句を言ってきても、そもそも敵対しているのだから気にする必要もない。

 エルアリーゼは眼下に広がる景色を眺めた。グロスリーグを越えた先、人間国家群の領域が広がっている。

 どこへ行こうか。




 北方国家群の一つ、レンゲルヘイル。

 この国の事をメルクシュタインほどよく知る者は、そう多くはないだろう。

 貧乏な商家に生まれたメルクシュタインは、幼い頃から読み書きと計算を叩き込まれた。商家の子として当然の教育だったが、メルクシュタインにとってそれは生存戦略でもあった。

(賢ければ文官になれる。馬鹿なら徴兵されて戦場送りだ)

 レンゲルヘイルは年がら年中戦争をしている国だ。魔族領グロスリーグと隣接し、北方国家群の最前線として常に戦火に晒されてきた。平民が生き残る道は二つしかない。頭を使って文官になるか、魔族より強い英雄になるかだ。剣の才のないメルクシュタインは、必死に勉学に励んだ。

 やがて大人になり、文官の職を得たメルクシュタインは、しかしレンゲルヘイルの現実にほとほと愛想を尽かしていた。

 戦争依存の国家体制。各国からの支援金は莫大だったが、その殆どが戦費と貴族の贅沢に消えていった。公共事業も福祉も予算が割かれず、平民の生活は一向に改善しない。どれだけ国の現状を憂いても、平民出身の文官には何も変えられない。官僚になれるのは貴族だけだと、法がそう定めていた。

 おまけに上司が無能だった。

 貴族の出で、碌に字も書けず、法にも疎い上司の穴を埋めるべく、メルクシュタインはいつしか書類作成から法の解釈まで一手に引き受けるようになっていた。お陰で彼は非常に優秀な文官へと育った。しかしそれだけだった。どれだけ優秀でも、平民は官僚にはなれない。

 今夜もメルクシュタインは大衆食堂の隅で、質の悪い酒を煽っていた。

 何も出来ない。何も変えられない。

 薄暗い店内で、そんな事をぼんやり考えていた時だった。

 食堂の扉が開いた。

 どよめきが起きた。

 入ってきたのは、小柄な少女だった。しかし翼がある。黄金の尾がある。足首より下が龍の爪だ。頭には湾曲した角が二本。どこからどう見ても魔族だった。

「何で魔族が……」

「衛兵は何してるんだ⁉︎」

 そんな声が飛び交った。しかし衛兵はやって来なかった。店の客たちは知らなかった。入口の外で、衛兵たちが凄惨な屍となり事切れている事を。

 少女は店内をぐるりと見渡した。そして目当ての物を見つけたらしく、メルクシュタインの方へと歩いてきた。

「その格好、アンタ文官やね?」

 メルクシュタインは恐怖のあまり、持っていた杯を取り落としそうになった。何故自分が?魔族の相手など最前線の馬鹿共……兵士の仕事ではないか。自分は文官だ。戦場には出ない。出ないはずだ。

 しかし目の前の少女は、こちらを害する様子もなく、ただ興味深そうにメルクシュタインを見ている。

「そ、そうですが、何のご用ですか?」

 精一杯の笑顔だった。内心は泣きそうだった。

「やっぱり文官やった!賢そうな顔しとるもん」

 少女は嬉しそうに言った。

「なあ文官さん、ウチの国に来ん?今絶賛官僚募集中やねん」

「官僚⁈」

メルクシュタインは思わず声を上げた。

「私は人間ですよ⁈」

「ウチは新興国家でな、やる気と能力さえあればそんなん気にせんて。絶賛人手不足やねん」

 少女は続けた。

「まあ、最初は同じ魔族から探そう思うたよ?けど、他の領地から要人引っこ抜いたらアカンやんか。だから敵地からなら良えかなー思うて此処まで来たんよ」

「い、いきなり敵国に亡命など出来ませんよ……」

 メルクシュタインは努めて冷静に答えた。しかし少女は構わず続けた。

「こんな国に忠誠誓っとるんか?皆飢えて、こないな質の悪い酒飲んで、年がら年中命の取り合いやろ?ああ、それでも故郷だからっちゅうヤツか?そらウチには分からんもんやからどーしょうもないけど——」

 メルクシュタインは何も言えなかった。故郷への愛着。確かにある。しかし愛着と同時に絶望感も存在している。

「ウチの国、エルガリアは凄いで?今後大陸一の物流の要衝になる。決め手はコレや!これを使うて、世界中を行き来するんや」

 少女はそう言って、小さな赤い石をメルクシュタインの前に置いた。

「これは?」

「ちぃと魔力込めてみ?」

 よく分からないまま、言われた通りに魔力を込めた。

 景色が消えた。

 次の瞬間、メルクシュタインは見知らぬ街の真ん中に立っていた。活気のある通り、行き交う人々、建設途中の建物。どこか南の国らしい、暖かい空気だった。

 目を丸くしたまま立ち尽くしていると、隣に少女が現れた。

「転移魔法石や。山程作ったさかい、これで世界中をこの国に繋げるんや」

 メルクシュタインは街を見渡した。

 転移魔法。お伽話の魔法だ。それが実現している?信じられないが、今目の当たりにした以上此れは現実なのだ。

 という事は、この国はどこからでも物資を調達出来る。どこへでも瞬時に輸送出来る。物資の終着点だけで無く、中継点としても大きく発展するだろう。それが大陸規模で展開されれば——その経済効果は、計算する間もなく途方もない数字が浮かんだ。

 胸が、熱くなった。

 祖国でどれだけ憂いても何も変えられなかった。しかし目の前に広がるこの国の可能性はどうだ?種族に関係無く、能力が有れば起用する。そして今まさに大陸の中心となって発展していこうとしている。魔族の国とはいえ、メルクシュタインにはとても眩しい物に見えた。

 叶うなら自分もその一端を担いたい。

「こんな私で良ければ、是非お力添えさせて下さい」

自然と少女に頭を下げていた。脳裏には歓喜と感謝しか無かった。何の面白味も無い、貴族のご機嫌伺いをしつつ、生き存えるだけの自分に、こんなにも素晴らしい機会を与えてくれた少女に、メルクシュタインは万感の思いで頭を下げていた。

「宜しゅうな文官さん」

少女は笑った。

「と言ってもまだまだ文官足りひんからな……」

少女曰く、現在文官と呼べる存在は宰相である彼女の姉を合わせても二十に満たないという。これから行う大事業を思えば、その十倍でも足りないだろう。

「でしたらレンゲルヘイルへ一度戻りましょう。私の様に燻っている文官が巨万といますから、私が此方に引き込んで参ります」

「そんな事出来るん?なら頼んだで!文官さん」

「畏まりました。それと私はメルクシュタインと申します。どうぞメルクとお気軽に」

「メルクやね。ほなメルク、頑張ったってや」

「仰せのままに」

 メルクシュタインは深く頭を下げた。質の悪い酒の酔いは、いつの間にか完全に醒めていた。

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