猫?
グロスリーグを制圧してから数日後、エルアリーゼは人材探しを兼ねて北へ向かっていた。
空を飛べば早いが、今日は気分が乗らなかった。翼を畳んで街道をぶらぶらと歩きながら、行き交う旅人や商人を眺めていた。ルルシャンティエに人材を連れて来いと言われたが、どこに行けば優秀な人材がいるのか、そもそもどうやって見分けるのか、エルアリーゼにはいまいち見当がつかなかった。
まあ、何とかなるやろ。
そう思いながら歩いていると、街道の先から騒がしい声が聞こえてきた。
曲がり角を過ぎると、一台の馬車が止まっていた。周囲を十数人の男たちが取り囲んでいる。盗賊だ。男たちは荒々しい声を上げながら、馬車の主らしき人物を追い詰めていた。
エルアリーゼは足を止めた。
馬車の主が、目に入った。
黒かった。全身が黒い毛に覆われていて、丸い耳が頭の上に生えている。しっぽがある。手足は人間に近いが、顔は明らかに猫だ。二本足で立っている。
エルアリーゼはしばらくその生き物を眺めた。
猫が、立っている。
「猫ちゃん!」
エルアリーゼは盗賊と黒猫の間に颯爽と割って入った。黒猫の前に立ち、盗賊たちへと向き直る。
「猫ちゃん猫ちゃん、助けたるわ」
背後で黒猫が何か言いかけたが、エルアリーゼはそれより先に口を開いた。
「なあ、アンタ等何でこないいたいけな猫ちゃんを襲うとるん?ちんまいなりで一生懸命馬車に乗っとるやんか。よって集って可哀想や思わんの?」
盗賊たちが顔を見合わせた。
「……このお嬢ちゃん、フェルミーも知らねーのかよ」
一人が呆れたように言った。
「ソイツはれっきとした獣人だぜ?猫ちゃんじゃねえ」
「獣人?」
エルアリーゼは首を傾げた。
「猫の顔しとるやんか」
「だから獣人なんだよ」
盗賊たちの間に、微妙な空気が流れた。話が噛み合っていない。しかし別の一人が気を取り直して、エルアリーゼをじろりと見た。
「嬢ちゃん、ドラゴケンタウレだろ?腕に覚えがあるんだろうが、俺達はこの人数だ。お互い無事じゃ済まねえだろうから、ここは見逃しちゃくれねーか?そうしたらアンタにゃ何もしねーよ」
盗賊なりの、精一杯の譲歩だったのかもしれない。
エルアリーゼはその言葉を聞いて、少し考えるように小首を傾げた。そして左手の人差し指を盗賊たちに向けてゆっくりと伸ばした。
「あっちむいてぇ」
盗賊たちが怪訝な顔をした瞬間。
「ほい」
指が、右へ向いた。
ぐるり。
バキリと嫌な音を立てて、十数人全員の首が右回りに一回転した。それだけだった。盗賊たちはそのまま、糸の切れた人形のように崩れ落ちた。
静寂が戻った。
「何がお互い無事じゃ済まんや」
エルアリーゼは倒れた盗賊の一人を無造作に蹴り飛ばした。
「ウチとまともに遊べもせんやんか」
それから振り返り、黒猫に声をかけた。
「猫ちゃん、怪我ない?」
黒猫は、固まっていた。
無理もない。つい今しがた、目の前で十数人が一瞬で絶命したのだ。しかしその黒い瞳がエルアリーゼを捉えた時、何かを振り切るように大きく息を吸い、ぺこりと頭を下げた。
「あ、ありがとうございますニャ……助かりましたニャ」
声は思ったより落ち着いていた。エルアリーゼは黒猫の周りをぐるりと一周した。
「ええなあ、猫ちゃん。ふわふわやん」
「さ、触らないでくださいニャ⁉︎」
「ごめんごめん」
エルアリーゼは手を引っ込めながら、あれこれと観察を続けた。丸い耳、ふさふさのしっぽ、黒い毛並み。こんな生き物は見たことがない。
「名前は? 歳は? どこから来たん? フェルミーってのが種族名なん? みんな猫顔なん?」
「ちょ、ちょっと待ってくださいニャ、一つずつ——」
黒猫は少し困ったように耳を伏せた。それでも丁寧に答え始めた。
「タマノワールと申しますニャ。年は三十ですニャ」
「三十!」
エルアリーゼは目を丸くした。
「ウチより歳上やん」
「そうなりますかニャ……あの、お嬢様はどちら様で?」
「あ、ウチ?ウチはエルアリーゼ。ドラゴケンタウレやけど、まあ見たら分かるか」
タマノワールは改めてエルアリーゼを見た。黄金の翼、黄金の尾、黄金の足先。確かにドラゴケンタウレなのは見れば分かる。しかし黄金のドラゴケンタウレなど、聞いたことがなかった。
「どこから来たん? こんな所で何しとったん?」
「あちこちから、ですニャ」
タマノワールは馬車に視線を向けた。
「各地の食材や調味料を集めて売り歩いているんですニャ。美味しいものを広めるのが生き甲斐でして」
「美食家ってヤツなん?」
「まあ……そういう事になりますニャ」
タマノワールは少し照れたように尻尾を揺らした。
「世界には美味しいものがたくさんあるんですニャ。それをもっと多くの人に、もっと安く届けたいというのが夢でして。自分が一番食べたいというのもありますけどニャ」
「ええ夢やなあ」
エルアリーゼは素直に感心した。
「で、今は何を持っとるん?」
「色々ありますニャ。試しにこういうものは如何ですかニャ?」
タマノワールは馬車の荷の中から、小さな茶色い塊を取り出した。エルアリーゼは受け取って、まじまじと眺めた。
「何これ」
「チョコレートと申しますニャ。カカオという豆から作るんですが、実はこのあたりの南部地域が原産でして——」
エルアリーゼは一口齧った。
止まった。
甘い。濃い。苦みがある。しかしそれが全部合わさって、何とも言えない味になっている。もう一口齧った。また一口。気づけば全部食べていた。
「……もっとある?」
「ございますニャ」タマノワールは少し目を輝かせた。「気に入って頂けましたニャ?」
「めちゃくちゃ好きやわこれ」
エルアリーゼはタマノワールをじっと見た。食材の知識、流通の話、世界各地を渡り歩いているという経験。そしてこのチョコレート。
ルルシャンティエが欲しがりそうな人材かどうかは分からない。しかし自分が手放したくないと思った。
「タマノワール、一つ話があるんやけど」
「は、はいニャ?」
「ウチな、エルガリアって国の王やねん」
タマノワールの耳がぴくりと動いた。
「……エルガリア、ですニャ?」
「最近出来たばっかりの国やけど。タマノワールに来て欲しいんやわ。食材の調達とか、流通広げるとか、好きな事やってええから」
「そ、それは急な話ですニャ……」
タマノワールは尻尾をぱたぱたと揺らしながら、しばらく考えた。助けてもらった恩がある。だがエルガリアという国は聞いた事がない。少女は自分が王だというが、はたして信じて良いものやら——。
だが提示された条件は——特に好きな事をやっていいという言葉は、正直魅力的だった。国の後ろ盾があれば、流通網の拡大も夢ではない。
「……分かりましたニャ。お世話になりますニャ」
駄目で元々、どうせ運よく拾われた命だ。ここは少女の言う通りにしておこうと、タマノワールは頭を下げる。
「よっしゃ!ほな帰ろか」
「帰ると言っても、馬車がありますニャ。時間がかかりますが——」
「大丈夫やで」
エルアリーゼはタマノワールの手を掴んだ。
「え、ちょ、何をニャ——」
景色が消えた。
次の瞬間、タマノワールは見知らぬ石造りの廊下に立っていた。馬車も、街道も、盗賊の死体も消えていた。
「こ、ここは……」
「エルガリアやで。着いたわ」
タマノワールはしばらく自分の手を見て、廊下を見て、エルアリーゼを見た。
「……今、何が起きたんですニャ」
「転移魔法。便利やろ?」
タマノワールの耳がぺたんと伏せた。
「……末恐ろしいお方に拾われましたニャ」




