第五十八章 資金集め
〔M〕の返信は、しばらくしてから出てきた。
〔M〕:調べた。結論から言うと、該当データなし。
〔M〕:分身に使われているアカウントは、本質的に一部の「必要」データしか持っていない。キャラクター名、能力、基本情報、その程度だ。ゲームコインは入っていない。
〔M〕:しかも管理員だけじゃない。ヴァイラの分身アカウントも同じだ。ゲームコインは一枚もない。
〔M〕:これはデータベースの設定によるものだろう。ゲームコインというものは、設計された当初から、最も厳重な防護がかけられている。誰であれゲームコインを手に入れるには、正当な手段を踏まなければならない。本当にプレイして、稼いで、交換して、だ。裏口から直接生み出すことはできない。
〔M〕:この防護はデータベースの最下層のルールだ。お前が誰かも、権限がどれだけ高いかも見ない。この世界の創造者本人ですら、回避できない。つまり、ナナがどれだけ強かろうと、ゲームコインを無から生み出すことはできない。この試合で彼女が使えるゲームコインは、彼女のあの分身アカウントが正当な手段で稼いだぶんだけだ。この点に関しては、彼女も一般人と変わらない。
掲示板で誰かが言葉を継いだ。
〔金親父〕:つまりこの戦い、ゲームコインに関しては、双方フェアってことか?
〔M〕:いや⋯⋯むしろ、唯一管理員にとってアンフェアな部分、と言うべきだな(笑)。
◆
レストランの中。
宇安がそのメッセージの連なりを見ていた。
「⋯⋯これは、いい知らせなのか?」彼が古靈に訊いた。
古靈が少し考えた。
「⋯⋯まあ、そうだな」彼が言った。「このほぼ一方的な戦いの中で、ようやく、ナナが優位を取れない場所が一つ見つかった」
彼が画面の隅の「ゲームコイン」のアイコンを指した。
「⋯⋯ナナの計算能力、彼女の眼鏡、創造者としての権限、こういうものはヴァイラの側では太刀打ちできない。だがゲームコインは違う。あれは一枚一枚、稼ぐものだ。ナナが高い代償を払ってゲームコインを得ようとしたところで、本質的に割に合わない。それなら直接稼ぐか、その手間を別のデータの書き換えに回したほうがいい。それに、彼女が分身アカウントの一部をゲームコイン稼ぎに回したとしても、その速度は⋯⋯」
彼が一拍置いた。
「⋯⋯謎域中の人間が一斉に稼ぐ速度には、敵わない」
◆
掲示板で、議論の方向が変わりはじめた。
〔通りすがりのエンジニア〕:課金で強くなるタイプの試合は、ゲームコインを積めば戦力を底上げできる。理屈の上では、ゲームコインさえ十分にあれば、道具と強化で技術の差を埋められる。
〔野次馬隊長〕:じゃあ金があれば勝てるのか?
〔通りすがりのエンジニア〕:そう単純じゃない。はした金で本当に勝てると思うか? チート相手じゃ、課金も「効くかもしれない」手段の一つでしかない。それに、課金武器のバランスが極端に壊れてるゲームを選ばないとな。
〔金親父〕:ちょっと試してくる。待ってろ。
◆
画面に、新しいウィンドウが一つ点灯した。
【ウィンドウ 4417:資源争奪戦】
〔野次馬隊長〕:これ妖精天地のモードだろ?
〔通りすがりのエンジニア〕:ああ。とある MMORPG の中の一モードだ。マップ上に資源ポイントがあって、一番長く占領した側が勝つ。
画面が中へ切り替わる。
ナナ側のユニットは、とっくに資源ポイントに到達していた。彼女はその外周に、城壁を一つ築き上げていた。その壁は、高さも厚さも、異常だった。
〔三班シフト〕:⋯⋯このモード、建造機能なんてあったか?
〔黎水区古参住民〕:あるわけがない。このモードは実体を生成できる道具の持ち込みすら許されてない。あの壁は、何か建物を造る魔法か何かだろう。そうでもなきゃ、どうやって出したのか見当もつかない。だがこのゲームに、その手の魔法は存在しないはずだ。だから普通に考えれば、このモードの中で何かを建てるのは、不可能なはずなんだ。
金親父の分身ユニットが、マップの反対側に現れた。
金色の鎧を一式まとった人物だった。金髪で、鎧が光を受けて鈍く輝いている。その手に、何かを持っていた。
金色の、天秤。
〔通りすがりのエンジニア〕:⋯⋯待て。あれは。
〔義肢七号店店主〕:妖精天地のプレイヤーなら分かるはずだ。あれは伝説級の道具で、全ゲームで最大の商会を持つ者しか手に入れられない。毎月末に一度、所有者の精算がある。聞いた話じゃ、あの道具はもう三年、持ち主が変わってないらしい。
〔通りすがりのエンジニア〕:あの天秤の効果は、投じた資金に応じて、理論上、上限のない破壊とダメージを生み出す。
金親父の手の天秤が、回転しはじめた。
両端の皿は、ゲームコインが次々と投じられるにつれて、重くなっていく。天秤の回転はどんどん速くなり、回転が生む破壊力も、それにつれて一段また一段と上がっていった。
そして、あの異常な城壁が、天秤の高速回転の中で、丸ごと砕けた。
城壁が砕けたその瞬間、ナナの側が、一度止まった。彼女はおそらく、目の前のこの相手には自分が何のダメージも与えられないと判断したのだろう。それ以上、別の動きをすることなく、その場に留まったまま、金親父のユニットが前に出て、彼女を討ち取るのを受け入れた。
【ウィンドウ 4417】ヴァイラ(代役:金親父)勝利。
◆
〔金親父〕:勝った。だが喜ぶ前に、実際のところをはっきり言っておく。
〔金親父〕:俺が勝てたのは、「妖精天地」はやり込んでるし、あの天秤も俺自身の商会のものだからだ。別のゲームに変われば、俺の腕は下の下、上がったところでただの献上だ。
〔金親父〕:さっきの一戦を例にする。三十万ゲームコインだけで、そこに狙いの正確な高威力スキルを一発合わせれば、城壁を直接突破できる見込みはある。だがそれには、相当いいタイミングと、精度と、十分な威力を持つ単発スキルがいる。天秤の一撃も、同じ一点にしか集中できない。
〔金親父〕:俺はさっき城壁を突破したあと、管理員の側には、もう反撃の手段が残ってなかった。だから、おおまかな結論を出せる。
〔金親父〕:この手の、課金武器のバランスが極端に壊れたゲームでなら、だいたい三十万ゲームコインで、一戦を勝てる見込みがある。前提として、上がる人間がもともとそのゲームの上級者であること。
〔金親父〕:さっきの一戦、俺はだいたい一千万を燃やした。腕のない人間は手を出すな。お前のゲームコインは、水に注ぐようにして消える。
〔金親父〕:上級者であっても、保険をかけて、確実に勝ち切りたいなら、一戦でだいたい百万は見ておけ。
掲示板が、しばらく静かになった。
百万ゲームコイン。それは、ぽんと出せるような数字ではない。普通のプレイヤーなら、仮想層の中で、ずいぶん長いこと稼ぎ続けて、ようやく貯まる量だ。しかも、それでたった一戦。
〔街角ジューススタンド〕:⋯⋯じゃあ、やっぱり無理じゃないか? 一人でそんな額、出せるわけがない。
〔金親父〕:一人なら、当然、無理だ。
〔金親父〕:だが、同じ理屈を逆から考えてみろ。俺には金がある。だが妖精天地以外は、どれもからきしだ。腕のいい上級者たち、彼らに足りないのは、ちょうど金のほうだ。だから俺は、自分のゲームコインを、そういう連中に振り込める。
〔野次馬隊長〕:それで⋯⋯?
〔金親父〕:だから、俺の考えはこうだ。腕のいい人間が試合に出る。金のある人間がゲームコインを出す。それぞれ、得意なことをやる。
〔金親父〕:もちろん、もちろん強制はしない。
〔金親父〕:掲示板でさっき勝った何人かの上級者、名前は控えておいた。ほかにも上級者がいるなら、俺に個人メッセージをくれ。振り込むし、このゲームコインはこの大会にしか使えないという簡単な契約も交わす。一つ釘を刺しておくが、こんな時に人の金を騙し取ろうなんて考えるな。これは、俺たちの世界の未来がかかってるんだ。
◆
画面に、掲示板の表示が、一つまた一つと振り込み通知を浮かべはじめた。
金親父が、アカウントの中のゲームコインを振り込んでいった。掲示板で先ほど勝った何人かの上級者が、次々と受け取りのスクリーンショットを上げる。それから個人メッセージが殺到し、一人また一人、自分のゲームと戦績を名乗る上級者が、金親父とあの簡単な契約を交わし、ゲームコインを受け取って、それぞれ課金できる試合へと申し込んでいった。
ウィンドウ群の中で、課金で勝てるタイプの試合が、一つまた一つと点灯していった。
〔通りすがりのエンジニア〕:⋯⋯動き出した。各方面の上級者が、みんな場に入った。
〔野次馬隊長〕:金親父一人で、こんなに多くの試合を養ったのか?
◆
〔金親父〕の振り込みのメッセージが、何かを一押ししたようだった。
掲示板の空気が、変わった。
〔不眠症の会計士〕:俺は金親父ほど金はない。だが俺のアカウントにも、いくらかゲームコインがある。普段、貯めてるだけで使ってない。俺も振り込む。
〔義眼買い替えたばかり〕:俺もだ。多くはないが、塵も積もれば、だろ。
〔引退脚本家〕:この数年で貯めたぶん、全部振り込む。どうせこの歳だ、取っておいたところでな。
〔三班シフト〕:俺もアカウントの中身を、全部出す。
〔金親父〕:みんな、いったん俺に振り込んでくれていい。こっちで簡単なチームを作って、ゲームコインの分配を専門にやる。各試合の、まだ戦ってる上級者に配る。そのほうが混乱しない。
数人ではない。一面だった。
メッセージが次々と流れ落ちていき、その一つ一つの後ろに、振り込みの通知がついていた。金額には大小があった。とても大きな数字を振り込む者もいれば、ほんの少しだけ、という者もいた。だが、メッセージの数は、ずっと増え続けていた。
〔猫耳同盟本部〕:待った、これ少し整理したほうがよくないか? みんな各自に振り込んでたら、ぐちゃぐちゃになる。
〔通りすがりのエンジニア〕:その通りだ。俺がまとめを一つ作る。掲示板で確認の取れた、本当に勝てる上級者を一覧表にする。振り込むなら、表の名前に従って振り込んでくれ。
〔黎水区古参住民〕:照合は俺が手伝う。どの上級者がもう満タンで、何戦打てるか、リアルタイムで表を更新していく。
◆
レストランの中。
宇安が、画面に広がる一面の振り込み通知を見ていた。
しばらく見て、彼は小さく笑った。
「⋯⋯ちょっと、一戦やってみたくなった」
古靈が眉を上げた。
彼が傍らの椅子で意識を失っているヴァイラに目をやり、それから視線を戻した。
「⋯⋯行ってこい」彼が言った。「通りの向かいに、公共の精神接続装置が一台ある」
宇安が立ち上がった。彼が、ずっとテーブルの脇に留まっているエイセイを見た。
「⋯⋯お前はここで、俺の帰りを待っててくれ」
エイセイの剣先が一度動いたが、ついていきはしなかった。
◆
宇安は向かいの店に入り、公共の精神接続装置の中に横たわった。
意識が仮想層へ繋がる。
彼は M が公開したあのプログラムを起動し、自分をヴァイラ陣営の対戦ユニットに偽装した。それから金親父に個人メッセージを出し、自分の過去のゲームでの戦績をまとめて送った。
金親父の返信は早かった。百二十万ゲームコインの振り込みが着金し、その後ろにあの簡単な契約がついていた。宇安は署名した。
彼が選んだのも、妖精天地だった。試合は、シンプルなコア破壊戦。
ルールは複雑ではない。双方がコアを一つずつ持つ。軽く触れただけで砕ける代物で、普段は持ち主の手の中にあり、どんな方法で隠してもいい。勝利条件は、相手を討ち取るか、相手のコアを砕くか。これは本来、多人数のチーム戦の遊び方だったが、今のこの状況では、一対一の決闘に近い形になっていた。
宇安が場に入った瞬間、ナナの姿が見えた。
ナナのほうも、彼を見ていた。
「⋯⋯裏切ったわけ?」ナナが訊いた。
「このほうが面白い。そうだろう?」宇安が小さく笑い、ゆっくりと前へ歩いた。
彼の手には、一振りの剣があった。二十万ゲームコインで交換したもので、剣身に華やかなエフェクトが流れていた。
◆
〔生体改造愛好家〕:あれ断滅剣か? 妖精天地でとっくに失われたあの神器? なんであいつの手にある? このゲーム長いことやってるが、こんな奴見たことないぞ。
〔通りすがりのエンジニア〕:ショップに試用版が売ってたはずだ。だが試用版は、確か四分しか保たない。
〔我はヴァイラ様の犬〕:四分か⋯⋯本当に勝てるのか⋯⋯なんだか、俺と同じくアカウント消去コースに見えてきたぞ⋯⋯
〔星塵-10〕:上のお方、その名前⋯⋯まあ、いい、なんでもない。同じくアカウントを消した身として、何も言うまい。元の名前に戻そうとしたら、システムにその名前はもう使われたと言われてな。番号を一つ後ろにずらすしかなかった。




