第五十六章 創造
時間が過ぎていく。
どれだけ過ぎたか分からない。十分かもしれない、二十分かもしれない。謎域の通りはどこも空っぽだった。みんな家にいて、カフェにいて、義肢店の作業台の前にいて、どこかで画面を見つめていた。
画面の中央。
ナナ 58%
ヴァイラ 42%
数字が動き続ける。
【ウィンドウ 1837】:ナナ +0.04% / ヴァイラ -0.04%。
【ウィンドウ 0421】:ナナ +0.05% / ヴァイラ -0.05%。
【ウィンドウ 2106】:ヴァイラ +0.03% / ナナ -0.03%。
【ウィンドウ 0009】:ナナ +0.04% / ヴァイラ -0.04%。
各戦の権限変動は、平均すれば似たようなものだった。ただ、ナナの勝つ戦いの方が多い。
〔義眼買い替えたばかり〕:首席はまだ持ちこたえてる⋯⋯でもこの駆け引き、あまりにも一方的だ。
〔不眠症の会計士〕:このまま続けば、首席の権限はどこまで落ちるんだ?
〔通りすがりのエンジニア〕:この速度なら、あと二十分で 20% を切るかもしれない。
〔街角ジューススタンド〕:⋯⋯もう手はないのか?
◆
レストランの中。
宇安が画面を見ていた。古靈が彼の向かいに座って、両手をテーブルに置き、浮かぶウィンドウ群を見ていた。
「⋯⋯ヴァイラのほうは何をしてるんだ?」宇安が訊いた。
古靈が少し考えた。
「⋯⋯彼女は手を探してるはずだ」彼が言った。「対戦系の戦いでは勝てない。別の種類の試合を開いてみるだろう」
「⋯⋯」
「対戦系は、ルールが固すぎる。当たれば当たり、防げば防ぐ。このルールでは、計算能力の強いほうが勝つ」
彼が画面を指した。
「⋯⋯でも、ルールがそこまで固くない試合が、一種類だけある」
◆
ちょうどその時、画面のウィンドウ群の中央に、突然、少し大きな新しいウィンドウが現れた。
【ウィンドウ 3001:建築コンテスト】
ルール:三分以内に、同じ素材ライブラリを使って、建物を一つ建てる。最後に観衆の採点で勝敗を決める。
〔野次馬隊長〕:待って! これ何の試合?
〔仕事帰りの人〕:建築コンテスト?
〔義肢七号店店主〕:これは知ってる、老舗の建築ゲームだ。でも⋯⋯
〔三班シフト〕:でもこの試合は「観衆採点」? 俺たちが投票できる?
〔黎水区古参住民〕:できる。インターフェースに投票ボタンがある。
画面が試合に切り替わる。
二つに分割された空白の敷地、それぞれに建築マシンが一台。左が「ナナ」、右が「ヴァイラ」。
計時開始。
二人が同時に動き出した。
ヴァイラの建築マシンが操作を始める。小型の、曲線の屋根を持つ、緑の植栽の中庭がある建物が、ゆっくり形になっていく。住んでみたい、と思わせるような建物だった。
ナナの建築マシンも動いていた。非常に複雑な構造の、精密な幾何学を持つ、いかにも「現代的」な建物がゆっくり形になっていく。どの角度も黄金比、入ってくる光線の計算もどれも正確だった。
〔通りすがりのエンジニア〕:⋯⋯ナナのこれ、実はなかなか良くできてるな。
〔合成コーヒー愛好家〕:技術的に見れば、ナナのほうが精緻だ。
〔義肢七号店店主〕:でも首席のあれも悪くないだろ。俺は首席のほうに住みたい。
三分経過。
採点インターフェースが現れた。観衆一人につき一票。
〔義眼買い替えたばかり〕:首席に入れる。
〔不眠症の会計士〕:俺も首席。
〔街角ジューススタンド〕:首席。
〔野次馬隊長〕:首席。
〔引退脚本家〕:首席。
〔脳死でヴァイラ推し〕:脳死でヴァイラさんに投票!!!! ネット民よ突撃せよ!!!!
〔通りすがりのエンジニア〕:⋯⋯俺も首席。
〔合成コーヒー愛好家〕:待て、技術的にはナナのほうが精緻だって言ってなかったか?
〔通りすがりのエンジニア〕:精緻は精緻だ。でもこの試合、彼女に入れる気はない。
〔猫耳同盟本部〕:正直、今のこの状況で、誰が管理員に入れるんだよ。
〔三班シフト〕:そうそう、俺たちだって馬鹿じゃない。
投票結果。
ヴァイラ:百万票級のリード。
ナナ:哀れなほど少ない。
【ウィンドウ 3001】ヴァイラ勝利。数字変動:ヴァイラ +0.05% / ナナ -0.05%。
◆
古靈がレストランで軽く笑った。
「⋯⋯面白い」彼が言った。
「⋯⋯」宇安が画面を見ていた。「⋯⋯ナナのあの建物も、悪くなかった」
「ああ」古靈が言った。「だがこの試合は『どっちが上手いか』じゃない。『観衆がどっちに入れるか』だ」
彼が流れていく掲示板のメッセージを指した。
「⋯⋯住民はもう、立場を選んだ。ナナが何を作っても、彼らは入れない。ヴァイラが適当に線を一本引いただけでも、彼らは彼女を持ち上げる」
「⋯⋯」
「これが創造系の試合の特性だ。『技術の良し悪し』だけじゃない、『観衆が誰を選ぶか』だ。ナナの計算能力は、ここでは使えない」
◆
その後の数分、創造系の試合が次々と開かれていった。
建築コンテスト、自由創作コンテスト、水墨画コンテスト、作曲コンテスト。
ヴァイラの作品が狂ったように投票される。
そしてナナのほうは、直接、棄権した。どの創造系の試合も、ナナ側の敷地は空っぽだった。
〔義眼買い替えたばかり〕:管理員のほう、また誰もいない。
〔三班シフト〕:彼女、もう入ってくることすらしなくなった。
〔通りすがりのエンジニア〕:この種の試合では何をしても負ける、計算能力を無駄にする気はないんだろう。
〔合成コーヒー愛好家〕:管理員の曲、もし出てたら、たぶん結構いい曲だったんじゃないか、ちょっと惜しい。
〔引退脚本家〕:管理員の曲風、正直すごく俺の好みなんだけど、惜しいことにあんたは管理員なんだよな(笑)。
〔脳死でヴァイラ推し〕:どれだけいい曲だろうと関係ない! この一票はヴァイラさんに!!!!
〔野次馬隊長〕:上のやつ落ち着け、本人そもそも参加してない、空気に投票する気か。
〔脳死でヴァイラ推し〕:じゃあこの情熱は次の試合まで取っておく。
◆
画面中央の「総スコア」がヴァイラのほうへ動き始めた。
ナナ 56%
ヴァイラ 44%
二ポイント取り返した。
〔街角ジューススタンド〕:やった! 首席が少し追い返した!
〔不眠症の会計士〕:そうこなくっちゃ!
〔猫耳同盟本部〕:管理員も、そこまで大したことないじゃないか!
◆
古靈が数字の動きを見て、また笑った。だが今度は、少し淡い笑いだった。
「⋯⋯古靈?」宇安が訊いた。「どうした?」
「⋯⋯この方法は、長くは持たない」古靈が言った。
「⋯⋯」
「見てみろ」古靈が画面の隅、ずっと隅に浮かんでいる「総試合数」のカウンターを指した。
今の数字。
同時進行中の試合:1142
うち対戦系:1107
うち創造系:35
「⋯⋯創造系はたった 35 戦。残りの千以上は全部、対戦系だ」古靈が言った。「ヴァイラは創造系で二ポイント取り返したが、対戦系のほうでは、ずっと負け続けてる」
彼が一拍置いた。
「⋯⋯それに、創造系はナナが直接棄権してる。彼女は入ることすらしない、だからこの部分には計算能力を一切使わない。全部の計算能力を、あの千以上の対戦系に注いでる」
◆
宇安が少し考えた。
「⋯⋯じゃあ、トータルで見ると?」
古靈が少し考えた。
「⋯⋯元々、一分間でだいたいこんな感じだった」彼が簡単な計算を示した。「ナナが十戦勝ち、ヴァイラが二戦勝つ」
「⋯⋯」
「今は創造系の試合をヴァイラがほぼ全勝してる。一分間でだいたい六戦多く勝つ。だから一分間で、ヴァイラが八戦、ナナが十一戦、という形になる」
彼が一拍置いた。
「⋯⋯差は確かに縮まった。元々一分間で八戦差、今は三戦差。ヴァイラの負ける速度は、さっきよりだいぶ遅くなった」
宇安が画面を見た。
「⋯⋯でも、まだ負けてる」
「ああ」古靈が言った。「縮まることと、逆転することは、違う」
◆
画面中央の「総スコア」が、再びナナのほうへ動き始めた。動く速度は前より少し遅くなったが、それでもナナのほうへ動いていく。
ナナ 57%
ヴァイラ 43%
ナナ 58%
ヴァイラ 42%
ナナ 59%
ヴァイラ 41%
〔街角ジューススタンド〕:え????なんでまたあっちに動き始めた?
〔不眠症の会計士〕:さっき追い返したんじゃなかったのか?
〔通りすがりのエンジニア〕:対戦系の試合が多すぎるからだ。創造系をヴァイラが全勝しても、対戦系で負けた分は補えない。
〔三班シフト〕:だから首席が創造系で勝つ分と、対戦系で負ける分が、まったく釣り合ってない。
〔義肢七号店店主〕:⋯⋯これ、もう詰みじゃないか。
〔猫耳同盟本部〕:対戦系も「観衆採点」にする方法はないのか?
〔通りすがりのエンジニア〕:仮に変えても、管理員は今と同じように、直接棄権すればいい。入ることすらせず、計算能力を全部、別の試合を勝つことに回せばいい。
〔街角ジューススタンド〕:じゃあ⋯⋯どうすればいいんだ?
◆
レストランの中。
宇安が古靈を見た。
「⋯⋯これが、詰みってことか?」彼が訊いた。
古靈が少し考えた。
「⋯⋯ナナが同時に操作できるアカウントの数が、ヴァイラより多い限り、基本的に詰みだ」古靈が言った。
彼が画面を見た。
「⋯⋯それに、さらにナナ本人の能力が加わる」
「⋯⋯能力?」
古靈が一度頷いた。
「⋯⋯俺たちのこの階層の人間は、一人一人、先天的な能力をいくつか持ってる」彼が言った。「最も基本的なのは『全知』だ。自分の宇宙について、起きるすべてのことを把握できる。俺もできる、フィナもできる、ナナもできる」
「⋯⋯フィナ?」
「⋯⋯お前が駄猫と呼んでるあの人だ」
「⋯⋯ああ」
「それから、各人はたいてい別の能力も持ってる。フィナは精神力、ミーム/逆ミーム関連。俺は創造、発明、研究のほうだ」
彼が画面を指した。
「⋯⋯ナナは少し特別だ。俺たちのこの階層の人間の中で、計算と分析に精通してるのは、彼女だけだ」
「⋯⋯」
「自分の宇宙について、彼女がその気になれば、百パーセント掌握できる。どの世界も、どの人間も、今起きているどの出来事も、彼女が計算する気になれば、全部算出できる。宇宙の外のことすら、わずかな痕跡から大量に分析してみせる」
古靈が少し考えた。
「⋯⋯彼女は普段、こういうことをしていない。退屈だと思ってるからだ。だが彼女が一日中ふざけ倒していても自分の宇宙が破綻しないのは、この能力のおかげだ」
「⋯⋯」
「この試合の先の展開を、彼女は計算していない。そんなのは面白くないと思ってる。だがこの試合そのものは、本気で遊んでる」
彼が一拍置いた。
「⋯⋯彼女の計算能力、彼女の分析、彼女がこの世界の創造者本人であるという権限、それに、あの眼鏡の中に押し込められてるもの。それを全部、使ってる」
彼が画面中央の数字を見た。
「⋯⋯ヴァイラはもう自らをデジタル生命に変え、この世界の現在の権限の大部分を手にした。だが今のこの様子を見ている限り、彼女に勝ち目は、ほぼない」
◆
画面上、数字が動き続ける。
ナナ 61%
ヴァイラ 39%
ナナ 63%
ヴァイラ 37%
〔不眠症の会計士〕:⋯⋯落ちる速度がどんどん上がってる。
〔義肢七号店店主〕:というか、これもう何かのゲーム大会じゃないだろ。
〔通りすがりのエンジニア〕:最初からそうじゃない。これは計算能力、権限、データの層での戦争だ。
〔黎水区古参住民〕:しかも、かなり一方的な戦争だ。三十分近く見てるが、首席はこの管理員にほとんど手も足も出てない。
メッセージの密度が、変わり始めた。
〔街角ジューススタンド〕:じゃあ⋯⋯どうすればいいんだ?
〔不眠症の会計士〕:このまま首席の権限が剥奪されるのを、見てるわけにはいかないだろ⋯⋯
〔通りすがりのエンジニア〕:⋯⋯何か方法はないのか、俺たちが手伝えるような。
〔義肢七号店店主〕:おい、ネットの大神たちはどうした? 普段、首席権限のハッキングくらい朝飯前みたいにイキってたじゃないか。今になって、なんで誰も出てこないんだ???
メッセージが一つずつ流れていく。
宇安がそのメッセージを見ていた。
彼が顔を上げて古靈を見た。
古靈は、掲示板のある一つの、最新のメッセージを見ていた。
彼が小声で言った。
「⋯⋯ただ、どうやら本当に、転機が訪れそうだ」




