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猫管理人と騎士王の隠居生活  作者: tobyisme


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第五十二章 ステーキ

 宇安がドアを出た。エイセイが彼の傍らで飛び上がった。


 空はすでにゆっくりと暗くなりつつあった。まだ午後三時を過ぎたばかりだが、この世界は永誓星より暮れるのが早く、もう夕食の時間に近かった。


 エイセイがその横で飛びながら、訊いた。


「⋯⋯で、どこに遊びに行く?」


 宇安が彼を見た。すぐには答えが出てこなかった。


 彼がたった今経験したものは多すぎた。仮想世界の中でヴァイラと一戦交え、ナナが負けるのを見て、戻ってからナナが話した白血球やら権限申請やら政策やら逃亡やらの説明を聞いて。それからナナは彼に遊びに行けと言った。


 彼には、今「遊ぶ」というのが何を意味するのか分からなかった。


「⋯⋯先に街を歩こう」彼が言った。「警戒はしておいて。念のため」


「⋯⋯ああ」エイセイが言った。



   ◆



 彼らは住処の外の通りを歩いた。


 謎域の通りはこの時間帯、かなり賑やかだ。仕事帰り、学校帰り、夕食を取りに出てきた人で大通りが詰まっていた。空中には自動運転の小型車が行き来している。建物の外壁にはホログラム広告が点滅していた。いくつかの屋台が、様々な食べ物の匂いを漂わせていた。


 歩き続けたが、確かに何も起きなかった。


 何も特別なことが起きていない時と、同じだった。誰かに見張られることもなく、防御メカニズムが向かってくることもなく、足止めされて身分を訊かれることもない。ナナが言っていた通りだった。彼らは「ウイルス」じゃない。政策はナナにだけ有効で、彼らは実のところ結構安全だった。


 彼らはそのまま街を歩いていた。


 エイセイが宇安の傍らで、ゆっくり飛んでいた。剣先が時々、左右に向きを変える。


 十数分歩いた頃、宇安が人混みの中に、見覚えのあるシルクハットを見つけた。


「⋯⋯古靈?」彼が半信半疑の声で言った。


 彼とエイセイが少し歩を速めて近づいた。


 その人物は古びたスーツを着て、高いシルクハットをかぶっていた。機械改造や義肢、発光するインターフェースで溢れたこの通りで、彼は完全にこの世界に属さない雰囲気を放っていた。まるで別の時代から来た人間が、間違った場所に紛れ込んだまま、出ていく気もない、という感じだった。


 宇安が彼のそばまで歩み寄り、肩に手を置いた。


 その人物が振り返った。


 帽子を一度直した。


「お?」古靈が言った。「ナナは? どうして一緒じゃない?」


 彼の口調はごく自然だった。「ああ、あんたか」という驚きもない。この通りで彼らに会うことを、特別に不思議だとは思っていない様子だった。


「彼女、面倒事を抱えてる」エイセイが言った。「今日の午後の議会、見てないのか」


 古靈が少し考えた。


「見たよ」彼が欠伸をした。「逃げたんなら大丈夫だと思ってたけど」


 帽子の角度は変わらない。あの件は知っているが、それ以上深く考えるつもりはない、というような態度だった。


「一緒に食事でもどう?」古靈が言った。「ちょうど人と約束してて、あんたたちが来てくれれば賑やかになる」


 宇安が一瞬迷った。


 古靈以外の人間とは会いたくない。とくにこの状況下では。


 だが古靈の誘いには、ある種の気軽さがあった。古靈はそういう人間だ。誰かに警戒を促すべき時に、こんな気軽な口調は使わない。


「⋯⋯まあ、いいか」宇安が言った。


 古靈が頷いた。


「行こう」



   ◆



 彼らは高級レストランに入った。


 通りの普通の屋台とは違う。この店の入り口は半透明のアーチで、上部に控えめなフォントで店名が書かれていた。入ると下に降りていく階段があり、その先は広いホールだった。テーブルとテーブルの間は、低い植栽で仕切られている。


 照明は暖色で、刺すような明るさはない。外の通りのように様々な匂いが入り混じる感じはない。この店の空気には特別な処理が施されている。余計な匂いはすべて濾過されていた。


 古靈が彼らを比較的奥のテーブルに案内した。


 彼らが座った。エイセイがテーブルの周りを一周飛んで、それから宇安の膝の上に降りた。剣身には淡い光が散っている。外で警戒モードに入っていた状態を、たった今解いたばかりの光だった。


 テーブル面にインターフェースが灯った。この店の注文システムだった。


 古靈はすぐに注文した。明らかにこの店に慣れている。


 宇安はメニューを見た。


 メニューの内容は屋台より複雑だった。普通の人向けのものと、機械改造率の高い人向けのもの、両方あった。彼は一番普通に見えるステーキを選んだ。インターフェースが「実体タンパク質調理」というカテゴリーを出してくる。この世界では、ステーキでさえ「実体調理」か「分子再構築」かを選べる。彼は実体を選んだ。


 インターフェースが確認した。


 古靈も注文を終えた。エイセイは注文しなかった。食べないからだ。



   ◆



 彼らが料理を待つ間、宇安は古靈にここで何をしているのか、どう訊くか考えていた。


 その時、レストランの反対側から足音が聞こえてきた。


 見覚えのあるシルエットが、ゆっくり近づいてきて、彼らの対面に座った。


 宇安が顔を上げた。


 彼が目を一度細めた。


 ヴァイラ。


 彼女が着ているのは、さっき仮想世界で見たのと同じスタイルの服だった。黒くて簡素、洗練されたカットの服。顔にマスクはなく、向こうで見た顔と同じだった。


「こんばんは、ヴァイラさん」淡々とした語気で古靈が口を開いた。


「こんばんは、管理員さん」ヴァイラが言った。


 彼女の声には、軽くデジタル処理がかかっていた。淡い合成のフィルター。


「それから⋯⋯」彼女が宇安を見た。「騎士王さん」


「⋯⋯」


「あ、忘れるところだった」その視線がもう一度、宇安の膝の上のエイセイに移った。「武器さんも」


 彼女の礼儀は完璧だった。さっき仮想世界の中で「障害物の処理」をしていたあのヴァイラの冷たさはない。今のこのヴァイラは、社交の場で必要な礼節を尽くしている、というような感じだった。


 宇安は応えなかった。少し眉を寄せていた。


 エイセイが一度動いて、口を開いた。


「こんにちは⋯⋯?」


 彼が一拍置いて、また続けた。


「あんたたち⋯⋯仲が良いの?」


 彼のこの一言は、宇安が訊きたいと思っていたことそのものだった。



   ◆



「まあね」古靈が言った。


 彼は、サービスインターフェースが運んできた料理を受け取った。かなり凝った、キャラメル色を帯びた一品だった。ステーキじゃない、別の何かだが、宇安には何なのか分からなかった。


「私は主にヴァイラさんと、ある研究をしてる」古靈が言った。


「より正確に言えば」ヴァイラが自分の飲み物を受け取った。「私がその実験体ってこと」


 彼女が飲み物を一口含んで、小さく笑った。


 彼女が選んだものは比較的シンプルだった。合成タンパク質のステーキが一皿、黒い、淡い紫の光沢を帯びた飲み物が一杯。前にカフェで飲んでいた、機械改造身体のために最適化されたあれと、おそらく同じ類のものだった。


 宇安はすぐには言葉を返さなかった。


 彼はもう少し詳しく訊きたかった。だがこの二人は明らかに自分たちの事情を抱えていて、ここで追及するのは場の空気を悪くしかねない。


 彼は先に自分の皿に取り掛かった。


 ステーキはよく出来ていた。実体の、焼いた跡のある、分子再構築のあの「完璧だが何か足りない」食感ではないもの。古靈が選んだ店は正しかった。



   ◆



 しばらくして、ヴァイラが口を開いた。


 彼女は宇安を見ていた。


「騎士王さん⋯⋯」


「⋯⋯ん?」


「自分の世界を守ったことがある?」ヴァイラが言った。「自分が美しいと信じる世界を、守ったことがある?」


 宇安のナイフとフォークの動きが、一瞬止まった。


 彼がヴァイラを見た。


「⋯⋯ある」彼が言った。


 彼が肉を切る動作を続けた。


「なぜ?」ヴァイラが訊いた。


「目の前で人が死んだ」宇安が言った。「俺に生きるチャンスを譲った。俺の方がその世界を守る可能性が高いと言って」


 彼が肉を一口、口に運んだ。


「⋯⋯ただ責任のため?」ヴァイラが訊いた。


「最初はな」宇安が言った。「やり遂げないと、生きてる資格がないとか、そんな感じだった」


 彼が一拍置いて、続けた。


「あとから破猫に会った。娘を一人引き取った。たくさんの弟子を育てた。それからだんだん⋯⋯みんながずっとこのままでいてほしい、という気持ちが生まれた」


 ヴァイラが聞いていた。彼女はゆっくり食べていて、一口一口の動作が正確だった。機械改造身体の人間の食事の習慣で、神経インターフェースがすべての動作を精密に制御している。


「この世界をどう思う?」ヴァイラが訊いた。


 宇安が少し考えた。


「悪くない」彼が言った。「福祉制度が整ってる。基礎物資が全部自動化されてる。働かなくても生きていける。努力する人にはより良い生活が手に入る。みんな、それなりに良く暮らしてる」


 ヴァイラが頷いた。


 彼女は続けて訊かず、一拍置いた。


 それから彼女が言った。


「私はこれを続けたい」


「⋯⋯」


「私の一生分でも、二度目の人生分でも」彼女が言った。「永遠に」


 宇安は何も言わなかった。聞いていた。


「あんたなら、分かってくれるはず」ヴァイラが言った。「こんなに守る価値のある世界のために、私はどんな不測の事態も許せない。私の上に、これを変える可能性のある人間が存在することを、私は受け入れられない」


 宇安が肉を一切れ切って、噛んだ。


 彼はすぐには返さなかった。


 噛み終えて、飲み込んで、それから口を開いた。


「理解はできる」彼が言った。「でも、それであんたが正しいとは思わない」


 ヴァイラの食べる動作が、わずかに止まった。


 彼女は顔を上げず、自分の皿を見続けていた。だが彼女は聞いていた。


「彼女はそういうやつだ」宇安が言った。「あの世界の最終的な管理権を手放さない。それと同時に、あんたがこの世界に対して定めたどんな政策も変えない。それが彼女の、彼女の宇宙を管理するやり方だ」


 彼がナイフとフォークを一秒置いて、ヴァイラを見た。



   ◆



 テーブルが少しの間、静かになった。


 ヴァイラが小さく笑った。


 古靈も笑った。


「ほらね」古靈が言った。「彼もそう言っただろ」


 彼がヴァイラの方を向いた。


「ナナは絶対にあんたに干渉しない。たまに来て面倒事を投げ込んでくるくらいで、本当にこの世界を脅かすことはない」


 宇安がこの二人を見ていた。


「⋯⋯それで?」彼が言った。「今のこの状況は、何だ? 単に俺の意見を聞きたかった、と?」


 ヴァイラが自分の皿の最後の一切れを食べ終え、口を拭いた。


「まあ、そんなところ」彼女が言った。


 彼女がナプキンを置いた。


「古靈さんがすでに、私に同じことを言っていた。ナナ本人もそう言っていた。あんたもそう言った」彼女が言った。「だから、もうこれを強制的に進めるつもりはない」


 彼女が一拍置いた。


「⋯⋯でも」


「誰かが、もう熱くなってるみたい」



   ◆



「どうした?」古靈が訊いた。


 ヴァイラが目を一度閉じた。


 彼女が目を開けたとき、目つきはさっきとは違っていた。冷たく、集中していた。あるプログラムがバックグラウンドで動いていて、彼女がその結果を読んでいる、というような目だった。


「私の『分身』が、攻撃を受けてる」彼女が言った。「権限のレイヤーから」


「⋯⋯」


「彼女が、私たちが権限管理層に置いた実験体を見つけた。今、そこで交戦してる」


 古靈の帽子が、少し前に傾いた。


 ヴァイラが立ち上がった。


「失礼するわ」彼女が言った。


 言い終えた瞬間。


 彼女の身体が、糸の切れた操り人形のように、椅子の中へ後ろに倒れ込んだ。目を閉じ、呼吸はある、だが本人はそこにいない。


 宇安が、椅子の上に倒れ込んだ彼女を見た。


 それから古靈の方に視線を向けた。


「⋯⋯どういうことだ?」

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