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猫管理人と騎士王の隠居生活  作者: tobyisme


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第五十一章 白血球

 宇安が目を開けたとき、頭の上にあるのは見慣れた天井だった。


 謎域の住処のリビング。窓の外の光は夕方の、橙赤色のもの。接続装置のインジケータがちょうど青の「接続中」から灰色の「待機中」に切り替わるところだった。


 彼は起き上がり、首を回した。仮想世界での擦り傷の痛覚はまだ少し残っていたが、それが脳の残留印象で、本当の傷ではないことは彼にも分かっていた。


 ナナはすでに起き上がっていた。猫耳が一度動き、彼女がだらしなく伸びをした。


「⋯⋯戻ってきたわね」彼女が言った。


 その時、窓の外から微かな音が聞こえてきた。


 窓ガラスが一度揺れて、自動で開いた。


 エイセイが飛び込んできた。


 その剣身には数本の汚れがついていた。黒い、何かが焼けた金属の残骸のような汚れと、淡い青の、冷却液のような液体。剣先には少し曲がった跡が、自動で修復された痕跡として残っていた。


「⋯⋯」彼は飛び込んでくるなり、軽く一度震えて、いくつかの緩い汚れを振り落とした。


「大丈夫か?」宇安が訊いた。


「平気」エイセイが言った。「外のあいつら、さっき全部止まった」


「⋯⋯?」


「無人機」エイセイが言った。「外、お前らが接続してからしばらくしてから出てきた。最初は二機、十分後には五機、三十分後には群れだった。ずっとこの区域に侵入しようとしてた。俺が何時間か防いでた」


 彼が一拍置いた。


「ついさっき数分前、全部止まった。攻撃の途中だったやつも、動作を途中で止めて、向きを変えて引き返していった。一機も残らなかった」


 彼が剣身をまた一度震わせた。


「夜まで戦うかと思ってたが、お前らが戻ってきたら向こうが全部引いた」


 ナナが小さく笑った。


「⋯⋯お疲れさま」彼女が言った。


「⋯⋯どうやって?」エイセイが訊いた。


「権限がリセットされたから」ナナが言った。「あの無人機たちはヴァイラが送ったわけじゃない。この世界の防御メカニズムが勝手に動いてた。リセット前は、私の管理員権限はもう剥奪されてた。データベースの中で、私は排除対象になってた。だから世界の防御システムが自動で処理に来てた。リセット後、私の身分が戻ったから、もう動く理由がない」


 エイセイが頷いた。だいたい分かった。



   ◆



 宇安が、まだ汚れを振り落としているエイセイを見て、それからナナを見た。


 彼が少し考えて、口を開いた。


「⋯⋯ナナ」


「ん?」


「仮想世界に入ったのは」彼が言った。「お前の権限を調整するためだ」


「うん」


「でも仮想世界の中で、彼女は俺たちのログアウトを止められない。いつでも降りられた」


「⋯⋯うん」


「じゃあなんで、あの数時間、中で粘る必要があった?」


 ナナが目を一度瞬かせた。


「⋯⋯いい質問ね」彼女が言った。


 彼女が脚を組んで、楽な姿勢で座り直した。


「中心データベースが管理するのは仮想世界だけじゃない」彼女が言った。「この世界全体、現実も含めて、すべての場所がデータベースに登録された自分のデータを使う。権限、身分、座標、過去の記録、所属グループ⋯⋯全部同じセット」


「⋯⋯」


「リセット前。私の管理員権限はもう剥奪されてた。データベース上、私の身分は排除対象。この状態でこの住処から外に出て、街に出ると⋯⋯」


 彼女が小さく笑った。


「⋯⋯この星の基本的な防御メカニズムが、私たちをウイルス扱いする」


「⋯⋯ウイルス?」宇安が訊いた。


「想像してみて」ナナが言った。「私たちはウイルス。そこら中にいる白血球が、私たちを見たら、問答無用で排除する。『先に逮捕、それから尋問』みたいな前置きはない。白血球はウイルスを逮捕しない。白血球はウイルスを食べるだけ」


 彼女が肩をすくめた。


「力で言えば、私たちはこの程度の相手は対処できる。でもこれは私の宇宙。街を歩くために街一面の物を全部叩き壊したくはない。別のやり方があるなら、そっちでやる」


「⋯⋯」


「今はリセットされた」彼女が言った。「私たちは『ウイルス』じゃない。データベース上、私の身分は管理員に戻ってる。でも政策があるから、首席であるヴァイラは私に対していくつかの制御はかけられる。政策自体は合法に通ったものだから、私が直接無視するわけにもいかない」


 彼女が手を振った。


「ただ、この制御は限られてる。私は犯罪者じゃないし、侵入者でもない。彼女は私の足跡を追える、私に何かをすることもできる、でもこの世界のすべての防御メカニズムを私たちに向けて一斉に発砲させることはもうできない」


「⋯⋯」


「だから、あの数時間は必要だった」彼女が小さく笑った。「じゃなきゃ、私があんな弾が止まらない試合を、ただの楽しみのためにやったとでも思った?」


 彼女が少し考えて、また一言付け加えた。


「⋯⋯まあ確かに、それなりに面白かったけどね」


 宇安はこの一言を拾わなかった。



   ◆



 彼が少し考えて、また訊いた。


「⋯⋯それで」


「ん?」


「彼女、どうやってデータベースの中のお前の権限を書き換えた?」宇安が言った。「お前、前に、誰もハッキングに成功したことはないって言ってなかったか? 彼女が本当にそれほどの天才ってことか?」


 彼がこの一言を言い終えると、部屋が一拍、静かになった。


 ナナの耳が一度動いた。


「⋯⋯ああ」彼女が言った。


「⋯⋯それなんだけど⋯⋯」


 彼女が小さく笑った。それは見つかった時の、あまり説明したくない笑い方だった。


「ほら、何日か前に彼女が一通、お知らせみたいな質問を送ってきたの、覚えてる?」


 宇安が少し考えた。何日か前、ナナのインターフェースに確かにメッセージが一通飛んできていた。ナナはその時ちらっと見て、「あとで見る」と言った。後で見はしたが、特に何でもなさそうだと思って、処理しなかった。


「⋯⋯ああ、あれね」


「⋯⋯うん」ナナが言った。「あれね、実は権限申請だったの。シンプルなメッセージに偽装してあった」


「⋯⋯」


「私、一度見たあと、規定の時間内に処理しなかった」彼女が言った。「その時間が過ぎたら、この決議の決定権が自動で、私より下で、でも一番高い権限を持ってる人に移る」


 彼女が一拍置いた。


「⋯⋯そしてその人がヴァイラだったの」


「えへへ」


「⋯⋯」


「⋯⋯」


 宇安とエイセイが同時に言葉を失った。


 二人が同時にナナを見ていた。エイセイには目がないが、剣先の向きが明確に彼女を指していた。


 ナナが両手を広げた。


「ねえ考えてみて」彼女が言った。「こういうことって、面白くない? 最悪、彼女の言う通りにして、それを古靈の宇宙に投げちゃえばいいだけだから」


 彼女が笑っていた。


「私たちに、命に関わるような本当の危険はないから~」


 エイセイの剣身がまた一度震えて、最後の残った汚れを地面に振り落とした。


 彼は何も言わなかった。剣身の震え方は、どう見ても賛同しているようには見えなかった。



   ◆



 宇安が溜息をついた。


「⋯⋯今は?」彼が訊いた。「俺たち、何かするべきなのか?」


 ナナが少し考えた。


「ん〜いい質問〜」彼女が言った。


 彼女が片脚を立てて、膝を抱えた。


「今の政策は、私を拘束して、この政策を執行させること」彼女が言った。「あんたたちは結構安全。狙われてるのは主に私だけ」


「⋯⋯」


「正直に言うと、あんたたちは外に出て遊んでていいよ」彼女が言った。「私は逃亡を続けて、ね?」


 宇安が額を押さえて、彼女を見た。


 ナナが手を振った。


「本当だってば」彼女が言った。「これは私に任せておいて。あんたたち、引き続き遊んで。ヴァイラとお喋りしに行ってもいいよ、彼女もあんたに何かはできないから」


「⋯⋯」


「安心して〜楽しんで」彼女が言った。「何やってもいいから。私は自分で処理する。私、管理員だよ。こういう問題、何千、何万回も処理してきたんだから」


 宇安が彼女を見た。


「⋯⋯わかった」彼が言った。


 彼がソファから立ち上がって、エイセイを傍に引き寄せ、腰元に差した。


「⋯⋯自分のこと、気をつけて」


 彼がドアの方へ歩いた。


 エイセイが彼の腰元で、一緒に出ていった。


 ドアが閉まる前、彼が振り返って一度ナナを見た。彼女はソファに座って、姿勢はだらしなく、猫耳が軽く揺れていた。彼女も彼を見返して、一度小さく笑った。


 ドアが閉まった。



   ◆



 リビングの中。


 ナナが一人でソファに座っていた。窓の外の光がもう少し赤くなっていた。


 彼女の顔の笑みは消えていない。でも変わった。


 彼女の普段の笑いは、半分本気で半分面白がっている、猫がねずみと遊ぶようなふわっとした笑いだった。


 今のこの笑いは、もう少し軽薄なものだった。これから何か面白い、あまり行儀の良くないことをしに行く、というような笑いだった。


 彼女が窓の外を見た。そこには何もなかった。飛んでくる無人機はない、特に景色もない、ただ空と遠くの建物の輪郭があるだけ。


 彼女が小さく言った。


「あんたたち、楽しんでね⋯⋯」


「私も⋯⋯」


「ちゃんと、楽しんでくる」

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