第五十章 予測不能
彼は剣を握る手を緩めた。
ヴァイラのその一波、二、三十本の剣気が同時に放たれる。
彼は受けない。躱しもしない。
彼はヴァイラの方へ駆けていった。同時に、剣を直接放り投げた。
振りでもなく、刺しでもない。投げた。剣は、技巧のない軌跡でヴァイラの左肩へ飛んでいく。
飛んでいく剣が密集した剣気の網を切り裂いた。剣鋒が剣気に触れた瞬間、「ガード」能力が発動する。剣気が消散し、エネルギーが弾かれる。剣はそれ自身の軌跡に沿って、宇安が突っ込もうとする経路上の剣気を一本ずつ掃き払っていった。
彼はその剣の後ろに付いて駆けた。剣が通った場所が、彼が走れる場所だった。
彼が計算したわけじゃない。剣を投げた瞬間に、その経路が連動して開いた。
だが経路は完全には掃ききれていなかった。剣が通り抜けるとき剣気は散るが、同じ秒に剣気の網が新しく補充されてくる。側面から交差して入ってくるもの、剣が通り過ぎた後に上から落ちてくるもの。宇安にもまだ掠り傷が走った。腰、肩、太腿、左手、HPが落ち続けていた。
だが彼は止まらなかった。
ヴァイラが半秒、固まった。
半秒。普通の相手にはとても短い。彼女には長い。
彼女が剣を上げて、飛んでくる剣を受けようとした。だがこの動作は条件反射であって計算じゃない。彼女の計算には時間が要る。「宇安が剣を投げる」という事象は、彼女がさっきの四十秒で整理した「宇安のすべての動作」のリストには入っていなかった。
彼女が剣を上げたその瞬間。
宇安はもう彼女の目の前まで来ていた。
彼の手は空。剣はさっき投げた。
彼は素手でヴァイラの剣を握る右手を押さえた。同じ動作で、もう一方の手で彼女の剣の柄の下半分を掴んだ。彼女のその剣は、さっき彼が投げたものと大きさがほぼ同じ、配重も似ている。彼には握り方が分かっていた。
彼が力を込めて捻った。
ヴァイラの剣が彼女の手から外れた。
ほぼ同じ瞬間、彼がさっき投げたあの剣は、彼女の左肩を掠めた。彼女の剣を上げる動作が半秒遅れて、本当には受け止められなかった。剣はそのまま飛び続け、最後に彼女の背後の地面に突き立った。
彼の動作は止まらない。彼女の手から奪い取った剣が、彼の手の中で方向を変え、横向きになった。剣の刃がヴァイラの首の前で止まった。
ヴァイラの能力は剣気。剣気には剣が要る。
彼女は今、剣を持っていない。
インターフェースに一行の文字が浮かんだ。
「武器奪取確認。被奪取側、武器関連能力の発動不可」
◆
時間がこの瞬間、止まったかのようだった。
宇安はヴァイラの剣を握り、彼女の首の前に横向きで構えていた。彼自身、身体には十数か所の掠り傷があり、HPはもう大半が削れていた。だが彼はまだ立っていた。
ヴァイラは動かなかった。
彼女は宇安を見ていた。驚きもなく、怒りもなく。ただ見ていた。
しばらくして、彼女が小さく笑った。温度のない、しかし怨みのない笑い方だった。
「⋯⋯わかった」彼女が言った。
「⋯⋯」
「もし次があるなら」彼女が言った。「次は計算しておく」
彼女は「次は私が勝つ」とも、「もう一度やり直す」とも言わなかった。ただ、この観察結果を記録した。
彼女は学んでいた。
負けた時でさえ。負けたまさにその瞬間でさえ。彼女はまだ学んでいた。
◆
彼女は抵抗しなかった。能力には剣が要る、彼女は今剣を持っていない。彼女はこの場を諦めた。
インターフェースが浮かんだ。
「試合終了。勝者:宇安」
彼女の身体の周囲に淡い光が灯った。彼女は試合空間の外に転送される。
転送が発動する前に、彼女が顔を上げて宇安を一目見た。
「⋯⋯彼女に伝えて」
「⋯⋯」
「私は諦めない」ヴァイラが言った。「彼女はこの場で勝った。でも、私には他の手がある」
彼女が一拍置いた。
「行きなさい、やるべきことを」
彼女の視線が宇安を越えて、半透明の控室の方へ向けられた。薄い壁を一枚隔てて、ナナにも彼女が見えているはずだった。
「⋯⋯それから」
「あとのことは、覚悟しておいて」
宇安には聞き取れなかった。
彼はヴァイラを見た。目には疑問があった。
ヴァイラは説明しなかった。彼女は小さく笑った。光が彼女を包む。
彼女が消えた。
◆
場の光が散り始めた。
宇安はその場に立っていた。身体の傷口が仮想世界の中で自動的に修復されていく。試合終了後、システムが選手の状態を元に戻す。HPも満タンに戻った。
彼は自分がさっき投げた剣を地面から拾い上げた。それからヴァイラの剣も。
二本の剣は試合終了の指示と共に自動消散した。試合空間の中の武器は一時的に生成されたもので、試合が終われば回収される。
インターフェースが浮かんだ。
「勝者は中心データベースの核心へ向かってください」
控室の方が光っていた。ナナがすでに転送されてきているはずだった。
彼はそちらへ歩いた。
◆
ナナが試合空間の外で彼を待っていた。
彼女は元の控室の位置に立っていた。彼女についていくあの剣が、その傍らに浮かんでいた。宇安が入場する前にここに残されていたものだった。
彼女が宇安が歩いてくるのを見て、全体的に少し緊張が解けた。
「⋯⋯勝ったね」彼女が言った。
「ああ」
「どうやって勝ったの?」彼女が訊いた。「動作は見えた。掠り傷だらけで突っ込んで、剣を投げて、剣を奪って、終わり。でも⋯⋯どうやって剣を投げるって思いついたわけ? 彼女、あんたを計算してた。あんたがその動作をすれば、彼女は受け止めるはずでしょ」
宇安が少し考えた。
「⋯⋯俺自身も剣を投げる予定はなかった」彼が言った。「彼女が計算してるのは、俺がやることだ。俺は俺自身も予定してなかったことをやった。だから彼女の計算が合わなくなった」
ナナが一秒、固まった。
それから笑い出した。
「⋯⋯それは、本当に予測しにくいことをやってのけたってことね」彼女が言った。「あいつはもう、有機生命体って感じじゃないからね。よくやった」
彼女の語気にはいつもの面白がる感じがあった。宇安には後半がよく分からなかったが、何気ない比喩じゃない、と感じた。
彼は訊こうとした。
ナナはもう前に歩き出していた。
「⋯⋯先にリセットしに行こ。彼女の言ってた『他の手』が何かは、リセットが終わってから見ればいい」
彼女が手を伸ばして、宇安の腰元から白い球を取った。球体は彼女の手の中で淡い光を放っていた。
「⋯⋯行こう」
◆
彼らが向きを変えて、中心データベースの奥へ歩いていった。剣が宇安の傍らで漂っていた。
奥へ進むほど、光の密度が高くなっていった。空間の中の何かのエネルギーが、彼らの周囲を流れていた。これが中心システム自体のエネルギーだった。
彼らはいくつかの展示台、いくつかの浮遊する展示区を通り過ぎた。中心データベースの中のものは、彼らが通り過ぎるとき、それぞれ静かに元の場所にあった。
核心は最も奥にあった。
最後の展示台の前。
展示台には何もない。ただ、白い球の大きさにぴったり合った浅いくぼみがあるだけだった。
ナナが白い球をその中に置いた。
球体がくぼみに触れた瞬間、中心データベース全体が一瞬光った。すべての展示台が同時にもっと強い光を放ち、それから元の明るさに戻った。
インターフェースに一行の文字が浮かんだ。
「リセット確認中。お待ちください」
カウントダウンが始まる。




