第四十三章 脆弱性
ナナはインターフェースを操作し続けていた。
テーブルのウィンドウが多すぎて、はっきり見えないほどだった。各ウィンドウは密集したコードの一面。彼女の指の動きは非常に速かったが、乱れていない。各動作が精確だった。
永誓は静かに領域を維持していた。
宇安は動かずに立っていた。
時間が静かに過ぎた。
数分? 十数分? 外の謎域の空が午後から夕方へとゆっくり移っていった。彼らは日曜日の午後三時に会議を開いた。今は午後四時半頃のはず。窓の外のネオンが灯り始めた。
領域は維持されていた。
ナナはまだインターフェースを操作していた。
時々、部屋の外側から奇妙な信号が入ってこようとした。音でもない、光でもない、その中間のような「干渉」。
大半は領域の縁で消散していった。少数の強い干渉には、永誓の剣身がほんの一瞬震え、そして消えていった。
また時間が経っていった。
ナナの手の速さは変わらない。彼女の尻尾が背後で軽く揺れていた。彼女の表情は集中していたが、張り詰めてはいなかった。むしろ、自分がよく知っているものを一度ばらして、中の部品を並べ直しているような感じだった。
彼女が一区切りつけて、止まった。
彼女が一息吐いた。
「⋯⋯OK」彼女が言った。「終わった」
◆
彼女が椅子から立ち上がり、伸びをした。
「宇安、領域、解除していいよ」彼女が言った。
宇安が目を開けた。
彼が剣先を地面から抜いた。部屋の空気がすぐに元に戻った。
永誓も静かになった。剣身が軽く揺れる。「俺も疲れた」というような感じ。
宇安が彼をテーブルに置いた。
彼は自分でナナの傍に歩み寄り、テーブル上のウィンドウを見た。
「⋯⋯さっき、何をやってたんだ?」彼が訊いた。
ナナが笑った。
「私たち二人のアカウント種別を変えた」彼女が言った。
「⋯⋯」
「私たちは今、『プレイヤー』じゃない」ナナが続けた。「仮想世界では、私たちは『操作可能な不変 NPC』」
宇安:「⋯⋯何?」
「不変 NPC は、この世界の仮想空間にあるプリセットのプログラム単位」ナナが説明した。「例えば、競技サービスホールの受付、NPC ダンサー、市集の屋台員、賭場のディーラー。これらの NPC は固定のプログラム。意識はない、キックされない、権限を書き換えられない。システム設計上、『不変 NPC を書き換える』機能自体が存在しないからね」
彼女がインターフェースを引き出して、指した。
「プレイヤーとやり取りできるように、識別用の『タグ』を持ってる。でもこのタグはリードオンリー。設計者は誰もこれを修正しようと思わなかった。だから『書き換えできる』というコード自体が書かれてない」
彼女が小さく笑った。
「これは脆弱性」
「⋯⋯」
「私たち二人のプレイヤー種別を、不変 NPC のタグに変えた」ナナが言った。「私たちは普通に操作できる。元のプレイヤー機能が残ってるから。でもヴァイラは私たちの権限を書き換えられない。システムに『不変 NPC を書き換える』機能自体ないから。キックもできない。固定 NPC はキック対象じゃないから」
彼女が肩を一度すくめた。
「つまり、仮想世界で、私たちは彼女が触れられない存在になった」
宇安がその論理を考えた。
彼は技術者じゃないが、大体は理解できた。
「⋯⋯だから、さっきずっと操作してたのは、俺たちを NPC に変えるためか?」
「うん」ナナが言った。「ややこしかった。この脆弱性は厳密には存在しないものだから。私はそれを『開けて』、私たちをそこに押し込んで、また『閉じ』なきゃいけなかった。同時に彼女の攻撃を躱しながら」
「⋯⋯彼女がずっと攻撃してた?」
「そう」ナナが言った。「さっきの干渉、全部彼女。私たちへのコントロールを取り戻そうとしてた。でも、もう無理」
彼女が手を振って、テーブルのウィンドウを全部仕舞った。
テーブルが綺麗な状態に戻った。
「これで仮想世界に入れば、彼女には私たちが見つけられない」彼女が言った。「正確には、見ることはできるけど、影響を与えられない」
◆
宇安が彼女を見ていた。
彼が少し考えた。
「⋯⋯それで、俺たちは何をする?」
ナナの尻尾が揺れた。
「中心データベース」彼女が言った。「あそこに行く」
「⋯⋯何のために?」
「権限のリセット」ナナが言った。「中心システムにはリセット機能がある。実行すれば権限が工場出荷状態に戻る。今日通った『徹底自治化』も含めて、全部元通り」
「⋯⋯そんなに簡単?」
「リセット自体は一瞬」ナナが言った。「難しいのは、たどり着く方」
彼女が壁の時間を一目見た。
「中心データベースは仮想世界の中にある。元々は直接検索でたどり着ける。でも今はヴァイラが阻止する。彼女は検索経路を撹乱できる、偽の経路を作れる、自分が仕掛けた空間に誘い込める。私たちは自分で道を見つけなきゃいけない」
「⋯⋯あんたは見つけられるか?」
「うん」ナナが言った。「でも、進みながら計算する必要がある。少し負担になる」
彼女が宇安を一目見た。
「⋯⋯あんたが私を守って」
宇安が頷いた。
彼は細部を訊かなかった。彼は自分にできること、できないことを知っている。「守る」は、彼にできることの一つだった。
「永誓は?」彼が訊いた。
「永誓は現実に残る」ナナが言った。「私たちが入っている間、謎域住処にも誰かいる必要がある。もしヴァイラが現実側から別の手段で攻撃してきたら、例えば実体侵入とか、私たちは戻れなくなる。だからここは彼に守ってもらう」
テーブルの剣が軽く揺れた。
「⋯⋯任せて」永誓が言った。
「あんた、今は剣。剣は飛べる」ナナが補足した。「この部屋の権限を一時的にあんたに開放する。部屋に入ってきたものは何でも、自動で攻撃できる」
永誓はすぐには返さなかった。一拍置いてから、剣身が一度沈むように動いた。その権限を受け取ったような動き。
「了解」彼が言った。
◆
ナナが宇安の肩を軽く叩いた。
「準備できた?」
「ああ」
「じゃあ、入る」
彼女が接続装置の傍に戻った。
宇安はその隣の一台へ。装置に入る前に、テーブルの上の永誓を一目見た。今度はヘッドカバーの接続口には差し込まない。剣をまっすぐに置き直しただけだ。
「⋯⋯永誓」彼が言った。
「うん」永誓が言った。
「⋯⋯気をつけろ」
永誓はすぐには返さなかった。
「⋯⋯お前もな」彼が言った。
宇安が彼を一瞬見つめてから、振り返って自分の接続装置に寝そべった。
ヘッドカバーが降りた。
彼が目を閉じた。
最後に感じたのは、部屋のあの微かで静かな雰囲気。ナナが自分の装置の傍で最後のいくつかのインターフェースを調整していること。永誓がテーブルの上で警戒を保っていること。窓の外の街の光が、夕闇に沈みながら少しずつ濃さを増していくこと。
それから一筋の光。
彼の意識が仮想世界に巻き込まれた。




