第二十九章 謎域
「全宇宙電競大会?」ナナの目が一瞬光った。
「今年、確かに開催されるわよ。二ヶ月後。出てみたいの?」
「いや」宇安が言った。「ただ、この世界に少し興味があるだけだ」
「いいわ」ナナがウィンドウを引き寄せ、軽く触れた。
画面に球体が現れた。黒く、表面に半透明の回路紋様が絡みついた世界。回路紋様は発光し、球体の表面でゆっくりと流れていた。
「謎域」ナナが言った。「私の宇宙で一番科学技術が発達してる世界。住民の大半は人類だけど、他の種族もいる。少ないけどね。ほとんどの人がいろんな高科技義肢や装備をつけてる。感覚増強、計算補助、機械外肢、そういうの」
宇安が画面を見た。
「つけない人もいる」ナナが付け加えた。「無改造主義者って呼ばれてる。少数派ね」
彼女が別のウィンドウを開いた。
「先に全宇宙電競大会の話ね。四年に一度開催されて、今年がちょうど開催年。二ヶ月後に開幕」彼女が言った。「全宇宙の人がやって来るわ。レーシングゲーム、戦略ゲーム、シューティング、オートチェス、リズムゲーム。思いつく限りの種目が同時並行で進む」
宇安が頷いた。
「規模はかなり大きい」ナナが続けた。「参加するには本人の真実序号で登録が必要。開幕の一ヶ月前が登録期間、その次の一ヶ月が予選期間。各種目の予選方式はバラバラで、オンライン対戦のもあれば、一ヶ月の間に何度か小さい大会をやって、その合計点で枠を決めるのもある」
「今は開幕の二ヶ月前ってことは、登録期間が始まるところか」
「うん、もうすぐね」
宇安が画面を見て、何も言わなかった。
ナナが三つ目のウィンドウを引き出した。今度は都市の映像だった。
「核心都市はだいたいこんな感じ」
画面の都市は垂直構造だった。超高層ビル、透明な天橋、浮遊交通が異なる高度層を流れている。色とりどりのホログラム広告が空に明滅していた。
「綺麗で、明るくて、整然としてる」ナナが言った。「でもこの世界には別の顔もある――」
彼女が次の画面に切り替えた。
暗く、ネオンが溢れ、混沌とした路地。
「ネット黒市区。サイバーパンクなあれよ」彼女が言った。「核心都市と同じ実体空間、ただ別のエリア。普段は半合法地帯。年に二回、特別に賑わう日があるの。一つは年末のハッカー祭り、もう一つが四年に一度の電競大会」
彼女がウィンドウを閉じた。
「この世界には王様がいない。議会制。議員十一人と首席一人」彼女が言った。「ま、今日は誰にも会わない予定。あんたを連れて街を見て回って、実体の遊戯場で遊ぶ。神経接続装置を使った仮想空間の遊びも体験したいなら、そっちもいっぱいある」
「仮想空間?」
「この世界じゃ普及してる技術。装置に繋ぐと、意識が構築された空間に入って、走ったり跳んだり戦ったり、現実とほぼ変わらない体験ができるの」彼女が言った。「あっち着いたら分かる」
◆
宇安が朝食を食べ終えた。
永誓が剣架の上で一度震えた。
「俺も行くか?」
ナナと宇安が同時に剣架を見た。
ナナが少し考えた。
「……いいわ。あっち、剣を禁止してない。剣があると少し変な目で見られるかもしれないけど、警戒はされない。あの世界、どんな人でもいるから」
永誓が嬉しそうに震えた。
宇安が手を伸ばして剣架から下ろし、腰に佩いた。
「服は替える必要があるか?」宇安が訊いた。
ナナが少し考えた。
「いらない。あっちは色んなスタイルの人がいる。特別な人で溢れてるから。このまま行きましょ」
◆
ナナが手を伸ばした。
空気の中に裂け目が現れた。
他の世界へ行く時の裂け目とは少し違う。この裂け目の縁には淡い電子的な明滅があり、ノイズのように見えた。ナナの指が縁で何度か動き、明滅の周波数が安定した。
「謎域は接続点の要求が高いの」彼女が言った。「ちょっと周波数を調整しないと」
彼女が裂け目に入った。
宇安が後を追った。
◆
二人は高所の平台に現れた。
宇安が足を止めた。
彼が顔を上げた。
建物が彼の上方にさらに伸びていた。何百層もの摩天楼。彼はこれほどの高さを見たことがなかった。永誓星では、最も高い建築物は王城の鐘塔で、十数階程度だった。学院では、最も高いのは世界樹そのもの、だがあれは一本の木で、「人が造ったもの」ではなかった。
目の前のものは人造のものだ。この世界の人間が、彼の知らない材料と技術で、無理やり積み上げたものだ。
しかも、ただ高いだけではない。街全体が発光していた。建物の表面、街路の上空、浮遊車両、行き交う人々の義肢と装備、全てが発光している。あらゆる色、あらゆる強度が、重なり合っている。
彼はしばらく、立って眺めていた。
彼は学院で機械造物の人々を見たことがある。クロウ、フミリ。彼ら自身の見た目は人間とほぼ変わらない。ただ、彼らの世界は元々純粋に機械の世界で、機械が極限まで発達して、智慧を持って、人間のような智慧生物に進化した姿だった。
目の前のこれは違う。
目の前のこれは人だ。元々は人間だった人間が、自分を機械に改造している。半分の顔、半分の腕、肩から伸びる延長、眼窩の中のセンサー、鎖骨の下を流れる紋様。
片方は機械が智慧生物に進化したもの。こちらは人間が自分を機械に改造したもの。
二つは、まったく別物だ。
「……」彼は何か言いたそうだったが、すぐには言葉が出なかった。
ナナが横目で彼を見た。
「何か言いたい?」
「……ちょっと衝撃を受けてる」宇安が言った。「こんな高さの建物、見たことがない」
彼は一拍置き、通り過ぎる行人を一人見た。左半分の顔が機械で、目は発光する赤いセンサーだった。
「自分を機械に改造する人間も、見たことがない」彼が続けた。「学院の機械造物とはかなり違う。あちらは機械が智慧生物に進化した感覚で、こちらは……人間が自分を機械に改造した感覚だ。独特だな」
ナナが小さく笑い、何も言わなかった。
彼にもう少しの間、見させた。
◆
宇安がその場に立っている時、腰の永誓もわずかに震えた。
歓喜の震えではない。スキャンされた震えだった。この世界の中心データベースは、すべての「この世界に入ってきた物体」に対して基本的な走査を行う。
宇安の背中にも一瞬、奇妙な感覚があった。実体ではない何かに撫でられたような感覚。とても軽く、とても速く、撫でて消えた。
ナナの尻尾が一つ、ぴくりと動いた。
「……識別されたわね」彼女が言った。
宇安が彼女を見た。
「誰に?」
「中心データベース」ナナが言った。「この世界、すべての人が生まれた瞬間に偽造防止ラベルを打たれて、中心データベースで管理されるの。私たちが入ったら、当然スキャンされる」
「永誓もか?」
「そう」
永誓が震えた。あまり気持ちのいい感覚ではないようだった。
ナナが手を上げると、メッセージウィンドウが彼女の前に浮かんだ。
彼女が開いたのではない。この世界のシステムが能動的に押し寄せてきたものだった。
メッセージは純テキスト。送信元は読めないコード列だった。
「五十七層の『黎明珈琲』にいる。来てくれ。連れも一緒に」
ナナが一目見て、笑った。
「彼女、本当に一秒も無駄にしないんだから」
「彼女?」宇安が訊いた。
「現任首席、ヴァイラ」ナナが言った。「データベースが私を識別した直後、彼女のところにも通知が行ったはず。それですぐにメッセージを送ってきた」
「行くのか?」
「来たんだしね」ナナが言った。「向こうから誘ってくれたんだから、ついでにあんたを首席大人に紹介してあげるわ~」
◆
二人は街の中心へと歩いた。
道を歩いている時、宇安はあることに気づいた。誰も自分たちを特別な目で見ていない。
無視されているのではない。この世界、もともとどんな人でもいる。
二人の前を歩いている男性は、左半分の顔が機械で、目は発光する赤いセンサーだった。後ろの二人の女性のうち一人は手が四本あった。余分な二本は機械で、三つのホログラムウィンドウを同時に操作していた。
子供が一人走り抜けていった。背中に自分で飛ぶ小型ロボットを背負っていた。
ナナの猫耳と尻尾はここでは違和感がない。個性的な義肢や装備はこの世界の常態で、彼女は「動物特徴改造」を選んだ住民の一人にしか見えなかった。
永誓も誰の関心も引かなかった。機械腕をつけた人や、飛行ペットを連れた人がいる世界では、宇安の腰の剣もまた一つの「個人スタイル」にすぎなかった。
二人は街の中のある建物に着いた。中心白塔ではなく、ごく普通の、五十数層のビル。
ナナがエレベーターのボタンを押した。
エレベーターは透明だった。三面ガラス、ホログラムで階数表示が浮かんでいる。
二人が乗り込んだ。
「五十七」ナナがエレベーターに言った。
エレベーターが上昇し始める。宇安の予想よりずっと速かった。街の景色が外で流動した。中段で浮遊車の高度層を抜け、ホログラム広告の高度層を抜け、いくつかの建物の頂上に見える小型の空中庭園を抜けていった。
宇安は外を見ながら、先ほどの視覚的衝撃をゆっくりと消化していた。
◆
エレベーターが止まった。
ドアが開く。やや低めの階のロビーだった。窓からは街の全景が見える。この高さから見下ろすと、下の街路が一筋一筋の光の線になっていた。
「黎明珈琲」はロビーの一角にあった。看板はホログラム投影で、とても簡素。黒地に、いくつかの白いアルファベット。
珈琲店の客は多くない。何人かが各所に散らばっている。
ナナが店に入った瞬間、視線が窓辺のある席にロックされた。
一人の女性がそこに座っていた。
深い色の、簡潔な裁ちのジャケットを着ている。三十代前半に見える。が、この世界の人は高科技医療のせいで年齢の判別が当てにならない。
彼女の義肢は黒と深紫の設計で、手首から指先まで、首の下から鎖骨まで。線が極めて美学的で、表面に非常に淡い、ゆっくり流れる紫の光があった。粗野な機械感ではなく、義肢を芸術品として扱う、精密に設計されたスタイルだった。
左目が機械だった。だがデザインが自然で、遠目には機械の目には見えない。色が薄く、瞳孔の深い目に見えた。
彼女が顔を上げ、ナナを見た。口角が動いた。
「ナナ」彼女が言った。
声に何らかのデジタル処理がかかっていた。鮮明だが、わずかに電子的な質感があった。普通の女性の声に薄い合成フィルターが被さっているような声だった。
「久しぶり」
ナナが彼女の向かいに座った。
宇安も座った。
ヴァイラの視線が宇安に移った。零点何秒、彼女はそのまま彼を見ていた。それはこの世界の人が視覚増強器でデータをスキャンする時間だった。
「……こちらは?」
ナナが笑った。
「簡単に紹介するね」彼女が手を上げて宇安を指した。「このお方は武力超群の騎士王。管理人を殴り倒し、次代の精靈女王を蹴り飛ばし、ミーム病毒を意に介さない存在」
彼女が一拍置いた。
「現任モフモフ隊隊長、宇安」
宇安が言った。「……」
ヴァイラが言った。「……」
ナナは止まらない。今度は宇安に向き直り、向かいのヴァイラを指した。
「そしてこちらは愚昧な前首席を打ち倒した存在。普天下のすべての公民の前で、十分にも及ぶ個人資料を入力し続けた猛者。連任三期を達成中の議会首席」
先ほどと同じテンポ。
「現任議会首席、ヴァイラ」
宇安がヴァイラを見た。
ヴァイラが宇安を見た。
二人が同時にナナを見た。
ナナが何でもない顔で自分の席に戻り、椅子を後ろに反らし、尻尾を揺らした。
「……」ヴァイラが一拍置いて、最後に口角が動いた。「謎域へ、ようこそ」




