第二十五章 いい苗
艾蕾拉は枝の上でうずくまっていた。指がまだ震えている。
だが怖がっている時間はなかった。
彼女の魔力はほぼ空になっていた。先ほどの土魔法の封印に木魔法で木に登る動作を加えて、残っていた魔力の大半を消費した。今、彼女がやるべきは一つ。宇安が再接近する前に、最後の強攻撃を放って、彼のリズムを崩す。
残った魔力を集中させ、掌を下に向けた。
風魔法。
樹上から下方へ、強風が一気に押し下りていく。宇安の方向へ真っ直ぐに巻き起こる。速く、力強く、今の彼女が出せる中で最速の魔法だった。
宇安は風が来るのを見た。
剣で受けもしなかったし、防御の構えも取らなかった。ただ、身を横にずらし、わずかに沈んで、その風が左肩のあたりを擦り抜けるのに任せた。服の端をかすめ、布がはためいたが、本体には当たらなかった。
それから彼は前に突っ込んだ。
艾蕾拉が反応する前に、もう樹の下に着いていた。
本能的に跳び退こうとしたが、木魔法の樹根がまだ引いていない。間に合わない。
下から拳が上がってきた。
剣ではない。拳だった。
艾蕾拉は打たれる最後の一瞬に、腹部の前に風魔法の防御層を張り、同時に半歩後退して衝撃を殺した。
ドン。
拳が防御層を抜けて、腹部に打ち込まれた。
力を殺した後でも、身体がぐにゃりと崩れるほど痛んだ。樹から滑り落ち、辛うじて一本の枝に引っかかって止まった。が、両脚が立たない。腹の中が掻き回されるような感覚、吐き気がするのに吐けない。
背中を樹幹に預けて、一息ずつ喘いだ。
宇安が一歩下がり、続けなかった。
◆
「隠身、潜伏、機を待つ」
宇安が口を開いた。先ほど打った時の声とは全く違う。授業の声だった。平らで、ゆっくりで、戦闘とは無関係な何かを語っているような声。
「あるいは、自分を傷つけないように機を作る」
一拍。
「だが、そのために費やした魔力と体力は――相手が隙を見せなければ、全て無駄になる」
艾蕾拉は何も言わず、彼を見ていた。
宇安が続けた。
「あんたの隠身術は確かに優れている――隠身術そのものが持つ限界以外の部分では、完璧にこなしている。だからあんたは優等生だ」
彼は彼女を見た。
「しかし、それだけでは足りない。遥かに足りない」
艾蕾拉が歯を食いしばった。
言葉は返さなかった。だが、残っていた魔力。最後の反撃のために隠していたもの。を全て瞬間的に解放した。
周囲の木々が反応した。地面の樹根が隆起し、樹幹から多くの枝が垂れ下がり、葉の密度が急激に増す。地面から、樹上から、四方八方から、宇安の位置に向けて収束していき、彼を中央に包み込もうとする。
宇安がわずかに笑った。
ほんの一瞬の笑みで、すぐに引っ込めた。
「悪くない」
彼は言った。
そして一言付け加えた。
「だが、少し焦りすぎだ」
艾蕾拉の攻撃はまだ収束中だった。だが彼女自身も気づいていた。あの枝、あの樹根、収束の速度が均一ではない。魔力を放出したスピードが速すぎて、一部の方向は半拍遅れている。
宇安は収束の遅い隙間を見つけた。右前方、四十五度ほどの位置。
そこへ向かって駆け抜けた。
身を翻す。
枝網の隙間から外に出ていた。
◆
艾蕾拉は追撃しなかった。
この瞬間。宇安が近接範囲から離れた瞬間。を利用し、周囲の地面にいくつかの起動型魔法を仕掛けた。どれも小型で、消耗は少ない。だが、数秒の予警を得るには十分だった。
魔力はもうあまり残っていない。節約しなければならない。
仕掛け終わって、樹幹を支えにして立ち上がった。腹はまだ痛む。風魔法で衝撃を殺したとは言え、立っているのがやっとだった。それでも立ち続けた。座るわけにはいかない、倒れるわけにはいかない、諦めるわけにはいかない。
彼女は宇安を見つめた。
眼差しは揺らがなかった。
手のひらで次の魔法を構築し始めた。何ができるかまだ分からないが、少なくとも、両手を止めてはいけなかった。
宇安は彼女の様子を見た。
先ほど枝網から抜けて以降、彼は動いていなかった。この時、口を開いた。また、あの授業の声で。
「実力は大したものではない」
彼は言った。
「だが――いい目をしている」
艾蕾拉が一瞬きょとんとした。
「最初から戦闘に入っていた」宇安が言った。「どんな攻撃を受けても、次の手を考え続けていた」
彼は彼女を見て、一拍置いた。
「しかし――」
語気が少し変わった。
「どうやら、師匠のあの言葉のせいで――それ以前、あんたの頭の中は『十分間をどう耐え抜くか』だけで埋まっていたようだ」
艾蕾拉の眼差しが動いた。
宇安が首を振り、笑った。
「あんたの師匠、戦闘に関してはあまり教えるのが上手くないな」
◆
「ぷっ――」
観戦平台の上。
ナナが吹き出した。
「聞こえた?」彼女は隣のアイレアを見た。尻尾が高く翹っている。「あんた、ちゃんと教えてないってバレてるじゃない~ダメな師匠ね~」
アイレアは彼女を見なかった。
それから。
ナナの身体に一気に藤蔓が巻きついた。
地面から、彼女が座っていた岩の隙間から、背後の枝から。藤蔓が一瞬で彼女の手首、足首、腰に絡みつき、その場に固定した。特に細い一本が、脇の下に潜り込んだ。
それから、動き始めた。
くすぐり。
「あはははは――ちょ、ちょっと――うふふふふは――悪かった! 悪かったから――はははは――ストップ! ストップ!」
藤蔓は止まらなかった。
「ははははは――藤蔓やめて――うふふふふ――アイレアあんた――はは――酷い女ね!」
アイレアの表情はまったく変わらなかった。無表情で、場の戦闘を見つめている。
「これが、宇安さんにお願いした理由の一つです」彼女は平淡に言った。誰かと世間話をするような口調だった。藤蔓に縛られてくすぐられている相手に言うような口調ではない。「前回あなたが彼のことを話してくれた後、そうしようと思ったのです」
藤蔓がようやく止まった。
ナナが全身の力が抜けたように、息を切らしながら笑いこけて、椅子に崩れ落ちた。「ああ……疲れた……笑いすぎてお腹が痛い……」
懐の佩剣を見て、口調が急に不穏になった。
「佩剣」彼女は言った。「どうして助けなかったの?」
「……」
佩剣は答えなかった。
「……佩剣?」
「……」
佩剣はまだ答えなかった。
ナナはしばらく睨んでから、溜息をついて、佩剣を膝に移した。佩剣がやっと一度震えて、返事の代わりにしたが、態度はぞんざいだった。
◆
場の中央。
時間はすでに四分を超えていた。
艾蕾拉は何度も宇安に打たれていた。重い一撃ではない。正確で、絶妙な打撃。どれも彼女の耐え切れる限界に近い位置を狙い、痛みで立ちにくくさせるが、戦闘能力を奪うほどではなかった。
宇安の攻撃のリズムは、これまでとは全く違っていた。
先ほどの二度の攻撃のように。目を閉じて聴いて、歩いて、位置を特定する。そんな準備はもう必要ない。今は彼女の目の前、三歩以内にいる。打ちたい時にいつでも打てる。三秒の間に二度連続で攻撃することもあれば、動かずに、彼女を緊張の中で三十秒待たせることもあった。
そして、攻撃のたびに、宇安は彼女に極めて短い反応時間を与えた。反応するには十分だが、完璧に反応するには足りない時間。躱しきれなければ打たれる。辛うじて躱せば大量の体力を消費する。
もう一つ。彼の攻撃は全て要害を避けていた。肋骨、肩、太腿、背中。そういう場所ばかり。痛い、とても痛い。だが深刻な損傷にはならない。
艾蕾拉はこんな戦闘を経験したことがなかった。
学院の訓練では、対手は彼女に当てられないか、当てる時は勝つための一撃だった。こういう方式。わざと反応時間を残し、わざと要害を避け、わざと躱せそうで躱しきれない状態を作り続ける者は、誰もいなかった。
これは、彼女の限界を絶えず広げていく戦闘だった。
思考も、反応も、魔力制御も。すべてが、彼女が自分にできると思っていた範囲を超えて押し広げられていく。痛みは彼女の思考を止めなかった。逆に、思考が冴えていった。
宇安の次の攻撃の方向を見る。左側から。彼女は右へ躱そうとした。
宇安の足が急に止まり、右へ向きを変えた。
低い蹴り。
彼女の左足首の内側に入った。
艾蕾拉の身体が平衡を失い、前に倒れた。手で支えようとしたが、力が足りない。身体ごと泥地に倒れ込み、動かない。
起き上がろうとした。
両手両脚が震えている。だが力が出ない。筋肉が動かない。
起きられない。
計時器は。五分三十七秒。
◆
宇安が彼女の傍に歩み寄った。
木剣の剣尖を地面に突き刺した。剣がそのまま泥地に立つ。
それから、彼女の横に腰を下ろした。
ただ、座っただけだった。
戦闘の構えもない。続けるつもりもない。ただ泥地に座っている。雨はまだ降っていた。彼の身体に雨が落ちる。気にしていない。
「ゆっくり休めばいい」
彼は言った。声が優しかった。
艾蕾拉が苦しそうに顔を上げ、困惑した目で彼を見た。
「十分だ」宇安は言った。「このまま、十分が過ぎるのを待てばいい」
艾蕾拉は何も言えなかった。言う気力もなかった。身体が重く、動けない。泥の中に横たわり、顔を横にして彼を見ていた。
「よくやった」宇安が続けた。
艾蕾拉の目がわずかに見開かれた。
「戦う前の態度、戦いの中の態度――あんたが学ぼうとしているのが、見えた。吸収しようとしているのが、見えた。いつでも考えて、いつでも試していた。単なる傲慢じゃなかった」
彼は一拍置いた。
「あんたはいい苗だ」彼は言った。「ただ、あんたの師匠は、あんたをどう訓練すればいいか、あまり分かってないらしい」
艾蕾拉は反応しなかった。
正確に言えば。反応したかったが、できなかった。ただそこに横たわり、喘ぎながら、彼を見ていた。
◆
雨はまだ降っていた。
先ほどより、少し小さくなっていた。
艾蕾拉はしばらくしてから、口を開いた。
「宇安先生がおっしゃった……」声がとても弱い。「背負っているものが違う、と……あなたが背負っているのは、何ですか……」
動く気力を放棄して、泥の中で横たわったまま訊いた。
宇安は遠くを見て、すぐには答えなかった。
二、三秒経った。
「一つの宇宙の安否だ」
艾蕾拉が一瞬きょとんとした。
それ以上は、何も言わなかった。
二人はそのまま、並んでいた。
場内の雨はまだ降っている。だが強度は明らかに弱まっていた。戦闘終了前、場地が自動的に環境を調節し始めているのだろう。雨音はザァザァからサラサラに変わった。樹冠から水がまだ滴り落ちる。泥地に、艾蕾拉の身体に、そして地面に突き刺さった宇安の木剣に、落ちる。
遠くの観戦平台から、ナナとアイレアが何かを言い合う声が聞こえた。具体的な言葉は聞き取れないが、ナナが笑っていて、アイレアが低く応じているのが分かる。
そうして、一分ほど、沈黙が続いた。
◆
宇安が不意に口を開いた。
「言ってみろ」彼は言った。「もしやり直すなら、どうする」
艾蕾拉はこの時にはもう、身を起こせるくらいには回復していた。完全にではないが、少なくとも泥地から上体を起こし、脇の樹幹に背を預けて座ることができた。
彼女はしばらく考えてから、口を開いた。
「最初の入り方は、同じでいいと思います」彼女は言った。まだ声が細い。「隠身術で場に入り、対手を観察する――これは基礎判断で、問題ありません」
「うん」
「でも、一度目の近接の後――あなたの実力を理解した後は――すぐに距離を取るべきでした」彼女は言った。「隠れて機会を待ち続けるのではなく、隠身術を『あなたに私の出手位置を正確に判断させない』ための手段として使う。遠距離の優位を利用して、騒がせ続け、あなたの体力を消耗させる。そして、機会があれば、あなたの要害を狙う」
一拍置いて、数秒、自分で考えた。
「そうすれば、あなたに勝てなくても、少なくとも十分終了までは持ちこたえられたはずです」
宇安が笑った。
「すごいな」彼は言った。「一度で正解の判断ができる」
彼は彼女を見た。彼女が打たれていた時には見せなかった温度が、眼差しにあった。
「過去に、こういう対手に遭ったことはないのか?」
艾蕾拉が首を振った。
「一度もありません」彼女は言った。「近接戦の強い対手に遭ったことはあっても、遠距離で私の位置を判断できる相手は、遭ったことがありません」
一拍。宇安を見た。
「あなたは……どうやって分かったんですか……あの飛んできた剣……」
◆
宇安はどう説明すればいいか、少し考えた。
「直接あんたの位置を知ったわけじゃない」彼は言った。「先に見つけたのは、『あんたから俺が見えない位置』だ」
艾蕾拉は少し困惑した。
宇安が続けた。
「あんたに近づく途中、俺は数歩ごとに方向を変えていた。そのうちのある一回――大きな木を通り過ぎて左に曲がった――その瞬間、あんたの気配が乱れた」
艾蕾拉が呆然とした。
「発見された時の乱れじゃない」宇安は言った。「『目標を見失った』時の乱れだ」
一拍。
「その時に分かった――俺が曲がったあの角度は、ちょうどあんたの視線の死角に入っていた」
「俺のあの位置から逆算する」彼は言った。「あんたの視線を遮れる遮蔽物は、いくつかしかない――何本かの大木、いくつかの茂み。俺は回り込んで、一つずつ確認した。そうしたら、見つけた」
艾蕾拉がしばらく黙り込んだ。
「じゃあ……あなたは自分の歩みで、私の視野範囲を試したのですか」
「そう」宇安は言った。「あんたが俺を見ている時、あんたの視線の方向そのものが、あんたの位置を晒している」
艾蕾拉は俯いて、この論理を消化した。
しばらくして、顔を上げた。驚きと、無奈を混ぜたような表情だった。
「難しいですね……」彼女は小声で言った。「これが、あなたの八十八歳の時の全力ですか?」
宇安が一瞬止まった。
それから、口角が動いた。
「まあ……」彼は言った。「そういうことにしておけばいい」
一拍。
「本当のことを言うと、打撃を与えそうだからな」
艾蕾拉は彼を見た。一時、どう反応していいか分からなかった。
口を開きかけて、また閉じた。
雨はまだ降っていた。先ほどより、もっと小さくなっていた。
場内の光が、ゆっくりと変わり始めた。天候シミュレーションが終わりかけているのだろう。雨霧が少しずつ散り、遠くの空色に、ほんのわずかな青が透けている。
計時器は。八分四十九秒。




