表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
猫管理人と騎士王の隠居生活  作者: tobyisme


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

11/50

第十一章 宇宙に祝福された者

 訓練場はナナが思っていたよりずっと広かった。


 幾つかの区画に分かれていて、それぞれで騎士たちが訓練をしている。金属のぶつかる音、号令の声が入り混じっている。騒がしいが、煩わしくはない。


 フィナが入口脇の柵に飛び乗り、四本の足で立って中を見た。


「上達してる」


 彼女は言った。


「前に来た時は、第三陣形の連携にまだ穴があった」


「来たことがあるのか」


 宇安は言った。


「たまにね」


 フィナは言った。


「私の宇宙の出来事は、一応見ておくの」


 宇安を一瞥した。


「あなたが育てた人たちだもの。様子くらい見るでしょう」


 宇安は何も言わず、訓練場の中央に目を向けた。若い騎士たちが二人一組で打ち合っている。


「師匠が言ってた、手首は安定させろ、足は軽くしろ、お前らじゃ猫一匹にも勝てないぞ」


 一人の若い騎士が仲間を指導していた。


 ナナの耳がぴんと立った。フィナを横目で見る。


「猫一匹にも勝てない。聞き覚えのある台詞ね」


「宇安が教えたのよ」


 フィナは当然のように言った。


「猫に勝てないのが最低基準。私が入門のベンチマーク」


「あんたに勝てるのが入門なのか」


 宇安は言った。


「そう」


 フィナは迷いなく言った。


「私の物理能力は極めて低いから、入門基準も低いの」



   ◆



 あの若い騎士が振り返った。


 視線が宇安とぶつかった。


 手にしていた訓練用の剣が、からんと地面に落ちた。


 他の者が一人、また一人と動きを止め、訓練場の音がゆっくりと消えていった。全員が入口の方を見ている。


「し、師匠……?」


 宇安は軽く頷いた。


瑞恩(ライアン)、教官になったのか」


 訓練場が一瞬で騒がしくなった。騎士たちが一斉に駆け寄ってくる。


「師匠、生きてたんですか――」


「俺たちはてっきり――」


 フィナは柵の傍らに立ち、その群れが宇安に押し寄せるのを眺めていた。尻尾がゆっくりと揺れている。


 ナナが隣に歩み寄り、低い声で言った。


「あの様子だと、ずっと残ってほしいと思ってるわね」


「ええ」


 フィナは言った。


「でも、彼は残らない」


「なぜ分かるの」


「勘」


 フィナは言った。


「百年以上一緒にいれば、言わなくても分かることがあるの」


 瑞恩が宇安の前に立った。右の拳を左胸に当て、礼をした。声がわずかに震えている。


「騎士団第三軍団教官、瑞恩。参上いたしました」


 宇安は手を挙げて礼を返した。


「いい。俺はもう騎士王じゃない」


「師匠、管理人さまが国王に、あなたは相討ちで……」


 瑞恩は一拍置いた。


「碑も立てました。記念館も……」


「駄猫がやったことだ」


 宇安は言った。口角がわずかに動いた。


「あいつはそういうやつだ。お前たちも知ってるだろう」


 何人かの騎士が思わず笑い、すぐに顔を引き締めた。


 フィナが柵の傍らでかすかな音を立てた。咳なのか笑いなのか分からない。


「あなたが彼らに私の性格を教えてたなんて、知らなかったわ」


 彼女は言った。


「感心するわね」


「皆知ってる」


 宇安は振り向かずに言った。


「俺が言ったんじゃない。事実だ」


 フィナの尻尾が一振りした。


 瑞恩が姿勢を正した。


「師匠の定めた訓練計画を、ずっと続けてきました。たとえ師匠がもう……と思っていても、これを途絶えさせたくなかったんです」


 宇安は訓練場を一周見渡した。


「上達してる」


 彼は言った。


「見せてくれ。全員で来い。ウォーミングアップだ」


 瑞恩が一瞬固まった。


「師匠……二十人いますが」


 宇安は彼を一瞥した。


「二十人で俺に勝てるなら、とっくに戦場に連れて行ってる」


 訓練場が二秒間静まった。それから誰かが笑い出し、何人かが手首を回し始めた。


 ナナはフィナの隣に立ち、宇安を見た。


「あの人、私が買った部屋着のままよ」


「それでも、あの二十人に勝ち目はないわ」


 フィナは言った。


「これは彼なりの手加減。本身の剣すら持っていない」


 宇安が訓練場の中央に歩いていった。架から訓練用の剣を一本取り、手の中で軽く弾ませた。


「始め」


 二十人が同時に動いた。


 宇安は剣を抜かなかった。鞘で受け、鞘で捌く。


「遅い」


 彼は言った。声は穏やかだ。


「瑞恩、左の守りに隙がある」


 言い終わる前に瑞恩の左に回り込み、鞘が肋の下を軽く突いた。瑞恩が何歩も後退した。


 騎士たちが陣形を組み替えた。五人一組、四方向から同時に仕掛ける。宇安はそのすべてを知っているかのように、攻撃が届く寸前の一瞬で、もうそこにいなかった。


 フィナは柵の傍らに腰を下ろし、四つの足を揃え、静かに見ていた。


「第三陣形の穴、まだ残ってる」


 低い声で言った。


「宇安も気づいてるわ。左に一歩踏んだのを見て」


 ナナがその方向を追うと、宇安はすでに第三陣形の弱点に回り込んでいた。二人の騎士が反応する前に、もう鞘が触れていた。


「彼の戦い方、よく知ってるのね」


 ナナは言った。


「百年以上見てたから」


 フィナは言った。


「知らない方がおかしいでしょう」


 五分もかからなかった。二十人全員が急所を突かれるか武器を落とされ、宇安は息一つ乱れていない。


「師匠、やっぱり強すぎます……」


 瑞恩が地面に座って息を切らしながら笑った。


 宇安は訓練用の剣を架に戻した。


「上達してる。だが連携がまだ足りない。俺が本身の剣を使っていたら、二十回死んでいる」


「第三陣形」


 フィナが口を開いた。声は大きくないが、訓練場は静まり返っていたので全員に届いた。


「帰って練習しなさい。次に見に来るから」


 騎士たちがフィナを見た。瑞恩が礼をした。


「はい」


「師匠」


 瑞恩が何か思い出したように言った。


「記念碑をご覧になりますか? 本部の裏にあります」


 宇安は少し沈黙した。それから頷いた。



   ◆



 記念碑は新しかった。


 花崗岩。刻まれているのは宇安の姿――軽鎧、長剣、遠くを見つめる眼差し。


 宇安はその前に立ち、静かに見ていた。


 フィナが傍らの石に飛び乗り、顔を上げて石の宇安を見た。


「なかなかの出来でしょう。表情はあなた本人より、よほど騎士王らしいわ」


「俺本人はどんな顔だ」


 宇安は言った。


「だるそうな顔」


 フィナは言った。


「今のあなたを彫ったら、ソファに寄りかかって目を閉じてる姿になるわね」


「それも一つの形だ」


 ナナは言った。碑文を見上げている。


「碑文には相討ちって書いてある。でも、あなたはここに立ってる」


「駄猫がやったことだ」


 宇安は言った。


「ん」


 フィナは石から降り、碑の傍らに立った。


「あの時こう思ったの。もし彼が本当に死んでいたら、この碑はこのまま残す。もし死んでいなかったら、この碑は笑い話になる。どちらでも構わない」


 ナナは彼女を見た。


「ずいぶん冷静ね」


「冷静じゃないわ」


 フィナは言った。


「彼はこの宇宙に祝福された者だから。たとえこの宇宙を離れても、あの繋がりが途切れていないことは感じ取れたの。どこにいるかは分からなかったけど」


 彼女は一拍置いた。


「だから碑は、外の人たちのために立てたもの。私は知っていた。彼が死んでいないことを」


 宇安は碑を見た。


「いい出来だ」


 彼は言った。


「あの職人に礼は言ったか」


「言ったわ」


 フィナは言った。


「謝礼も上乗せした」


「ならいい」



   ◆



 瑞恩が駆けてきた。


「師匠、国王がお帰りを聞いて、お目にかかりたいと」


 宇安は頷いた。


「案内してくれ」


 フィナが石から降りた。


「私は広場で日向ぼっこしてるわ。宮殿はつまらないもの」


 伸びを一つ。


「終わったら迎えに来て」


「分かった」


 宇安は言った。


 フィナが広場の方へ歩き始めた。数歩進んで、振り返らずに言った。


「宇安」


「ん」


「ちゃんと定期的に帰ってきなさいよ」


 フィナは言った。あのいつもの気だるい語尾のまま。


「いつも私から探しに行くのは、面倒なんだから」


 彼女は歩いていった。尻尾が揺れて、人混みに溶けていった。


 ナナはその場に立ったまま、耳がわずかに動いた。


 何も言わなかった。



   ◆



 宮殿はナナが思っていたより質素だった。


 国王は中年の男で、宇安を見る目にははっきりとした敬意がある。席から立ち上がって歩み寄ってきた。


「信じられない……」


 宇安が礼をした。


「陛下」


 国王が彼の腕を支えた。


「それには及ばない」


 ナナを見た。


「こちらは?」


「ナナ」


 宇安は言った。


「友人だ」


 国王が頷いた。


「ようこそ」


 その後の会話で、国王はあの戦いのことを幾つか尋ねた。宇安の答えは短く、率直だった。ナナは傍らに立ち、国王が何度か宇安に残留を匂わせていることに気づいた。だが宇安はその度に自然に話題を逸らした。断りもせず、受けもせず、ただ話を別の場所へ持っていった。


「……どのような選択をされても、永誓星は永遠にあなたの故郷です」


 国王は最後にそう言った。


 宮殿を出た時には、もう夕暮れだった。


 広場の端でフィナを見つけた。階段に丸まって、顔を夕陽の方に向け、目は半分閉じている。尻尾が階段の上でゆっくりと揺れていた。


「日向ぼっこはどうだった」


 宇安は言った。


「まあまあね」


 フィナは目を開けずに言った。


「終わった?」


「終わった」


「ん」


 フィナが立ち上がり、伸びをした。


「先にクロウの様子を見に行きましょう。その後のことは、それから」


 二人と一匹の猫が歩き出した。フィナが先を行き、尻尾が悠然と揺れている。


 夕陽が彼女の白い毛を、淡い金色に染めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ