廻る世界に祝福を 13
テラスに放り出されたエミリアは、完全に放心した様子でその場に膝をついていた。
カーティスが慌ててそちらに駆けより、姉の肩をつかむ。
「問題の人物にこちらにお出まし願った。多少乱暴にはなったが、ま、命に別状はないだろう」
あっさり言い放って炎の鳥をその場から消し、茉莉がすたすたと歩み寄ってくる。
「姉上、姉上!?」
驚愕に焦点を失っていた瞳に、光が戻る。化粧が完全に剥がれ落ち髪は見事にほつれ、普段の厳粛な面影はどこにもない。
カーティスの姿を認めると、エミリアは紫色になった唇をわなわなと震わせた。
「な――」
「な?」
「なんなのですかあれはっ! もっ、ものも言わずにいきなり人の家に押し入ってきたと思ったらいきなり巨大な鳥に変わるわ、あげくのはてにはわたっ、わたっ、わたくしを足にひっかけて、ふうっ」
恐怖まで一緒に思い出してしまったらしく、エミリアはくらりと体をふらつかせた。姉の名を呼びながら、カーティスがその頬をはたく。
「何をやったんですか、王妃陛下!」
「何って、普通に迎えに行かせただけだが。死人は出すな、屋敷は吹き飛ばすなと厳命しておいたから、あちらの被害とて、せいぜい扉が数枚破壊された程度だろう」
うわぁ、とジグがつぶやき、チェスターが唇を引きつらせる。ミランダがあ然とした後で顔を青くして、エミリアの傍によってきた。大司祭が目をきらきらさせながら口にした「素敵」というつぶやきは聞かなかったことにして、カーティスはエミリアを抱え上げた。
「ジグ、悪いけどうちの両親とエッタを呼んできてくれ。チェスター様、ソファでもどこでも構いませんので、姉を横たえられる場所をお貸し願えますか」
「私の私室でよければ案内しよう。多分怪我人用に開放されてはいないはずだから」
「助かります」
チェスターの先導を受け、カーティスは足を踏み出した。
気付け薬をかがされ、水を飲み毛布に包まって体温を取り戻し、エミリアはようやく正気を取り戻したようだった。とはいえ顔には疲労の色が濃く、厳しい表情はすっかりなりを潜めている。ベッドに半身を起こした状態で、エミリアは弟の横に立っている女性に目をやった。
「……お初にお目もじつかまつります。ミランダ・グラファイトと申します」
優雅に、完璧な挨拶をしてみせたミランダを、しかしエミリアは気のなさそうな表情で見やっただけだった。ふいっと視線を外し、挨拶もしようとしない姉に、カーティスは表情を険しくした。
「姉上。その態度は失礼にすぎます」
「無礼な呼びつけ方をしたのはそちらでしょう。話をする義理がどこにあるというのです」
「エミリア姉上!」
声を荒らげたカーティスを、ミランダが静かに制する。呼びつけられたカーティスの両親が、ぐったりと椅子に座っているヘンリエッタの世話をしながら、こちらをちらちらとうかがっている。他の人間は負傷者の手当や事後処理をするためにほうぼうに散ってしまっていて、今この部屋にいるのはその六人だけだった。
ミランダが、ゆっくりと頭を下げる。
「ぶしつけな真似をしたことは、重ねてお詫びいたします」
「ミランダ様がなさったことではないでしょう」
不快そうに口にしたカーティスの言葉を、ミランダは穏やかに首を振って否定する。
「王妃陛下が私のためにしてくださったなら、同じことだよ」
カーティスが言葉に詰まって、悔しげに顔を歪ませる。
それにもまるきり関心を示さずに、エミリアは壁の方に顔を向け、ミランダを完全に視界から追い出した。
「出て行ってくださいまし。あなたの顔など見たくもありません。女の領分をわきまえようともせずに剣を振り回す卑しい血筋の女を受け入れるほど、バーナードは誇りのない家ではありません。許しませんよ」
「卑しい血筋って、お前……」
呆れた風に続けようとしたカーティスの父親の手の甲を、母親が思い切りつねる。体を硬直させて変な顔をした後で、彼はおほんと咳払いをした。一応それが機密で、基本的に家族にも話してはいけないことに思い当たったらしい。
後ろのやり取りが納まるのを待ってから、ミランダは首を左右に振った。
「――カーティスの伴侶になってもいいと認めていただくまで、出て行くわけには参りません」
「ではこちらが出て行きましょう。カーティス。わたくしをバーナード家に連れて行きなさい。今すぐにです」
「お断りします」
きっぱりと言い放って、カーティスは目を細めた。
「エミリア姉上、誤解されているようですから言っておきますが。貴女は他家に嫁がれた人間です。バーナード家の内実に干渉する権限を、姉上は既にお持ちではありませんよ」
「私に逆らうのですかっ」
「バーナード家の後継ぎは俺です。伴侶を誰にするかを選ぶのも、家の今後のことを考えるのも俺の仕事です。貴女に口出しされる謂れはありません」
エミリアの顔に、濃い影が浮かぶ。弟からこれほど冷たい言葉を浴びせかけられたことがなかったのだろう。酷いショックを受けた様子で、彼女は呆然とカーティスを見上げた。険しい表情を崩さないまま、カーティスは姉に追い討ちをかけていく。
「――ミランダ様は城を空けられる事の多いユーロパ様の代わりに、幼い頃から家を守っていらっしゃいました。主人としての屋敷の回し方は心得ていらっしゃいますし、今も騎士の仕事と当主の仕事をきちんと両立されています」
「そのような問題では」
「武を重んじるバーナード家に、騎士たちから慕われている女性が嫁ぐ事は、得になれこそすれ損にはなりません」
「……っ、血筋も定かではない、片親に育てられた娘を」
「一の騎士は、国王が人格と実力、両方の面において最も信頼している人間に与える称号だということをお忘れですか。……現国王と先の国王陛下のお二方を侮辱されるおつもりならば、どうぞ続けてください。ただしその場合、臣下の娘としてあるまじき考えを抱く者として、私は姉上と完全に縁を切らせていただきますよ」
「カーティス」
疲れている女性を思いやる様子をかけらも見せず、ひたすら冷たく応じるカーティスを見かねて、ミランダがそっと彼の袖を引く。しかしカーティスはその手を押し留めると、ただ冷たくエミリアを見下ろした。
「――いいんです。俺があの時きちんと言わなかったから、結局ミランダ様もエッタも苦しめる羽目になったんですから。それに、自分の命を盾に取るという卑劣な行為を最初にやったのはこの人です」
そこで一旦言葉を切って、カーティスは息を吸い込んだ。
「王妃陛下に引きずり出していただいたのはいい薬になったでしょう、姉上。死ぬのはそれよりずっと苦しいですよ。あなたに自分の命を断つ度胸がありますか?」
「……馬鹿に……っ!」
カーティスのすぐ横に、ふわりと香水の匂いが忍び込む。巻き起こされた小さな風に、彼の髪が揺れた。
髪を振り乱して叫ぼうとするエミリアの頬で、唐突に高い音が鳴った。
「いい加減になさい、エミリア。子供を産んで育てておきながら、子に命を断たれる親の悲しみと苦しみがどれほどのものか、想像さえつかないのですか、お前は!」
ぶるぶる震える手を押さえて、バーナード夫人が甲高い叫び声を上げる。皺が寄り始めた瞳には涙が浮かび、薄い紅の引かれた唇がかみ締められていた。
「クレア」
妻の名前を呼んで、既に老年の域に足を踏み入れている現バーナード当主がその肩を抱く。
「止めないで頂戴、カイラス。この馬鹿娘に自分がしたことがどれほど愚かで救いがたい行為だったのか、思い知らせてやらなくては」
「止めろとは言っとらん。ただ、それより先に話しておきたいことがある」
「なんですの!?」
感情が昂ぶりすぎたあまりにぐし、と鼻を鳴らした妻の涙をハンカチでぬぐってやってから、当主は深い溜め息を吐いた。エミリアが、わずかに身じろぎする。
若い頃からそれだけは変わっていない、黒々とした瞳で娘を見据え、当主はゆっくりと口を開いた。
「近いうちにカーティスに家督を譲る気ではいるが、バーナードの現当主は私だ。それを踏まえた上で聞け。――私が当主でいる間にヘンリエッタとカーティスが夫婦になるなら、私はカーティスの方を婿に入らせ、こちらには新たに養子を迎え、その人間を次期当主にするぞ。それでもお前は、ヘンリエッタとカーティスをめあわせるのか?」
「なっ――」
絶句したエミリアを見下ろし、カイラスは眉間に皺を寄せた。年を重ねてもなお張りを失わない声が、淡々と言葉を紡ぎ出していく。
「平たく言えば、これ以上ブレッシン家に援助をするつもりはないということだ。お前が望んだから嫁がせる事に否やは言わなかったし、持参金も多めに持たせたがな、エミリア。お前の夫の商売の手腕は、ただ金を食いつぶすだけでお世辞にも上手いとはいえないことくらいは、門外漢の私にも分かる。厳しい性格のお前が手綱を締めれば大丈夫かと思ったが――。うちまで食いつぶされてはたまらないからな。当主には、家を守る義務がある。たとえ娘を見捨てても、だ」
「……やっぱり裏があったんですか」
心底納得した声を出し、カーティスは肩から力を抜く。カイラスがふと表情を崩して、横に立つ息子に目をやった。
「気付いていたのか」
「商売の事にはくわしくないので、ブレッシン家のあれこれは全く知りませんでしたが……。俺がエッタに会ったのは一度きりですが、母上は何度もリフィティに孫の顔を見に行かれてるんです。その度にヘンリエッタは本が好きでおしゃれに関心を示さなくてつまらない、とこぼしていましたから。数年の間に性格が変わったのかと思いましたけど、それにしては態度がおおげさすぎて不自然でしたし――」
俺を誘惑しようとする態度が、気持ちの伴っていない花街の女性の演技にどこか似ていたし、と心の中でつぶやいて、カーティスは瞳を伏せる。これは、自分の心の中だけに留めておいてもいいだろう。
彼女が本気の相手に見せる表情や行動は、恐らくはああいう類のものではなく――。
「……エッタ、お前、本当は――」
椅子の上から時間をかけて立ち上がり、ドレスをきちんと調えると、ヘンリエッタはどこか諦めたような顔で微笑んだ。控えめで、大人しそうな印象。これが本来の彼女の姿なのであろうことが、カーティスにはすぐに分かった。母の話から想像できる姪の姿は、確かにこの印象とぴったり一致している。
両手をきちんと組んで、ヘンリエッタが瞳を伏せる。
「それ以上はおっしゃらないでください。何をするつもりもなかったんです。……あきらめは、とうの昔についています。お元気そうなお姿を拝見できただけで充分です。もしもの可能性にかけて、良かった」
ありがとうございます、と口の中だけでつぶやいて、ヘンリエッタは寂しそうに苦笑する。
「お母様、もう止めましょう。カーティス兄様はミランダ様しか見ていませんわ。それに、バーナードの当主の妻となられる方は……当主に守られるより、当主の背中を護って戦えるような方のほうがふさわしいと、エッタも思います」
「ヘンリエッタ」
「いくら待たれても、どんなにお金を用意しても、お父様はきっともう、お母様のところへは帰って来ません。……ミランダ様」
名前を呼ばれ、ミランダがヘンリエッタの方に体を向ける。互いに歩み寄り、距離が詰まっていく。一歩分の距離を残した所で二人の足はとまった。
ヘンリエッタは、ミランダを一度見上げたあとで深く頭を下げた。
「私のわがままで、この舞踏会まで滑稽な劇を続けてしまいました。……傷つけてしまって、申し訳ありませんでした。どうか、お許しください」
「そんな」
「それからもうひとつ。これを、お渡しするつもりで来ました。本当はおじい様にお願いするつもりだったのですけれど……貴女の方が、確実だと思いますので」
ドレスの胸元に手を入れて、ヘンリエッタはそこから小さな薬包をつまみ出した。
手のひらに乗せられたそれを見るやいなや、ミランダが表情を曇らせる。
「これは」
「『亡国の果実』……中毒性の高い、麻薬です。リフィティの東港にある、レイドリールの占術屋――父の愛人の家を隠れ蓑に、取引が行われています。兄が持ち込んだ話に、父が乗ったのです。私一人では、もうどうすることもできなくて」
当主が体を乗り出してうめき声を上げ、カーティスが大きく目を見開いた。
「なんてことを……!!」
口を両手で覆って、エミリアが短く叫ぶ。取り乱す娘を抱きかかえ、クレアがその髪を強く撫でつけた。
エミリアの声に動じた様子を見せることもなく、ヘンリエッタは静かに話を続けた。
「麻薬輸入の斡旋は重い罪になるのでしたね」
「――一番軽いもので、国外追放です」
言いにくそうに言葉を濁すミランダを見上げ、ヘンリエッタはきっぱりと言い放つ。
「妻がバーナード家……貴族と繋がりがあるという理由で罪状を軽くするような真似はどうかなさらないでください。どの道あれでは、父も兄もあと何年も生きられないでしょう。――お願いです、どうか」
そこで言葉を詰まらせ、ヘンリエッタは深く頭を下げた。握り締められた手が、真っ白になっている。
「お母様を、解放してあげてください。このままではお母様のお心が、壊れてしまいます。……たった一人残った家族まで、失いたくないのです……!」
今にも泣き出しそうな声をしながら、ヘンリエッタはしかし、ギリギリのところでそれをこらえているようだった。彼女の肩に手を置いて、ミランダは強く唇をかみ締めた。
「――サイラス」
「はっ」
司令官の顔になった一の騎士に、バーナード家の当主が敬礼を返す。
「日が昇り次第、伝書鳩を飛ばしてください。……レイドリールの占術屋は、貴方の手勢だけで完全に包囲することが出来ますか?」
「他の地域ならば少々辛いとお答えする所ですが……季節風の関係で、リフィティだけは、秋はむしろ静かな季節ですからな。まず大丈夫でしょう」
「……船を押さえた方が確実じゃないですか」
腕を組んでつぶやいたカーティスの言に、サイラスも同意してうなずく。
「罪状を重くしたいのであれば、そちらの方がいいだろうな」
「取引の時期をしばらく探りましょう。見張りだけなら、風星宮と地星宮に援護をお願いすれば事足ります」
「……積荷は毎月二回、新月の夜に降ろされています。占いの客をもてなす珍しい食材や果物を詰めた木箱に忍ばせているのではないかと……」
船までは分からなかったのですけれど、とヘンリエッタが言い添える。
「……さすがはわが孫だ」
目を細めてつぶやくと、サイラスはヘンリエッタの頭をくしゃりと撫でた。
「ミランダ様、あとはこの老兵にお任せください。身内から出た錆です。せめてものお詫びに、蟻の子一匹たりとも逃さずに、必ずや法廷に引きずり出してご覧に入れます」
言い終わるやいなやマントを颯爽とひるがえし、白髪の老兵が小走りで外に飛び出して行く。
「まあまあ、張り切っちゃって。よほど腹に据えかえたのね。あの方はエミリアを一番可愛がっていたから、無理もないけれど」
左腕で嗚咽を漏らしているエミリアを抱きかかえたまま、カーティスの母親は空いた手で孫を手招きする。おずおずと祖母に歩みより、ヘンリエッタはその場にぺたんとひざをついて、腕の中に大人しく納まった。
「……おばあ様、申し訳ありません」
「あらどうして謝る必要があるの? 私、気骨のあるしたたかな女性って大好き。身内は信用ならないと、目の前に祖父がいるのに一気に一の騎士殿に話を持っていく肝の太さと言ったら! おばあ様、久しぶりに感動しちゃったわ」
「でも……わがままでミランダ様を傷つけて、カーティス兄様を困らせました」
「まあ! 一生懸命一人で頑張ってきた孫が、ずっと片思いしていた方のお姿を見たいがためだけにほんの少しの間だけ一芝居を打つことの、どこが悪いというのです。というか、一番悪いのははっきりせずにいつまでもぐずぐずしていたうちの馬鹿息子です。謝るべきなのはカートであってエッタではなくてよ」
「言葉もありません……」
力なく言うカーティスの肩を、ミランダが苦笑しながら叩く。
「クレア殿のおっしゃる通りです。ヘンリエッタさん、気にしないで下さい。……むしろお礼とお詫びをさせていただかなくてはいけないくらいです。その取引に気付けなかったのは、こちらの落ち度なんですから」
ヘンリエッタの表情が歪む。溢れ出した涙をこらえきれずにとうとう泣き出した孫の顔を抱え込んで、クレアが勢いよくまくしたてる。
「さあ、忙しくなってよ。家族が二人も増えるんですもの、いろいろ用意しなくては! ……三人目の用意もした方が良くって? それとも、まぁだ時間がかかるのかしら?」
揶揄するように言った母の言葉に、カーティスは苦笑して肩を揺らした。
「三人目の用意もお願いします」
そう、と笑うと、クレアは息子を追い払うようにぱっぱと手を振る。
「だったらさっさとすることを済ませてきなさい。一ヶ月以上離れていた上に続けてこの仕打ちでは、お前、本当にミランダ様に愛想をつかされても文句は言えない立場なのよ。分かっていて?」
「分かってます。では、お言葉に甘えて」
「えっ、きゃあ!?」
いきなり横抱きにされ、ミランダが悲鳴を上げる。足をじたばたさせて降ろしてくれとさわぐ声を綺麗に無視し、カーティスは部屋を後にした。




