廻る世界に祝福を 14
宰相の邸宅は城からそう遠くない所にある。事後処理を請け負わなかった者達の中で城に居室を持つ者達は、ぐちゃぐちゃになった屋敷よりこちらに泊まったほうがいいと、早々に引き上げてきた。
「……茉莉は僕の事が嫌いなのかい……?」
話を聞いたロードライトはベッドの上で散々悔しがってから枕の上に頭を投げ出し、力なくつぶやいた。ぐっすり眠ったせいだろう、若干やつれた感は残るものの、顔色は既にだいぶ良くなっていた。
寝台に腰掛け、布で顔を拭いてやりながら、茉莉は首をかしげた。髪は既にいつも通りに結いなおされ、身につけている服も普段どおりの質素なものだ。
「そんなわけないだろう」
「じゃあなんで僕のいないところで、そんなかっこよくて綺麗な行動をして見せるんだ! あれだよね、何年か前もさ、僕より先にミランダに舞いを見せたよね!?」
「……本当に何年前の話だ、それは」
「ショックだったんだよ!! それに加えて今回はなんか話し聞くだけですごい面白そうだったんだけど! 花びらを舞わせた? ミランダを見事にリードした? カーティスに一撃お見舞いしてミランダを護りきった上に、鼻持ちならない発言をしたあれの姉を鳥を使って引っ張り出した?」
見たかった!! という叫び声に顔をしかめて、茉莉はロードライトの額の汗をぬぐう手を止めた。
「いい子だから落ち着いてくれ。興奮するのは体に良くない」
静かに言い聞かせて、間髪置かずに唇にキスを落とす。一応口はつぐんだものの、不満そうに頬を膨らませているロードライトの上に身をかがめ、茉莉は彼の金色の髪を指に絡めた。
「仕方ないだろう、お前が倒れたんだから」
「だからなんで倒れた時に限ってそんなかっこいいことを」
「お前が倒れたからだと言った。聞こえなかったのか?」
「……聞こえるけど、意味がわからない」
「お前が元気なら、カーティス殿が駄目な行動をとっても、お前がミランダ殿を護っていただろう? ふたりともが駄目な状態になったから、私はやむを得ず表に出たんだ。とはいえ、私の体格でミランダ殿を普通にエスコートしていては、他の男性の餌食になるのは目に見えていたからな。少し大げさに振舞って、威嚇させてもらった」
「……」
青色の瞳がぱちぱちと瞬きを繰り返す。
「それに、ロードが元気なら、そもそも私は男装しない。お前にエスコートしてもらう方がずっと嬉しいし、楽しいからな」
瞬きを繰り返す瞳のその下がうっすらと赤く色づく。
それを見て茉莉は満足そうに表情を崩し、夫の頬に手を滑らせた。
「今日は気を張り詰めっぱなしで、いつもの三倍くらい疲れた気がする」
だから今日はお前が癒せ。短く命じて、茉莉はロードライトの方に顔を寄せる。
その首に手をかけてしばし見つめあってから、ロードライトは病み上がりの体を起こし、茉莉を寝台に軽く押し付けた。くすぐったそうに身をよじらせて笑い声を立てる妻に口づけて華奢な体を抱きしめ、そこでゆっくり力を抜く。
重いぞと戯れに口にする茉莉に構わず、国王は黒い髪が幾筋も流れているシーツに顎を埋めて、力なくつぶやいた。
「ごめん、これ以上はまだ無理……」
「それで充分だ。やることもあるしな」
「やること?」
鸚鵡返しに言って、ロードライトがごろりと寝返りを打つ。額に腕を乗せたままこちらを見てくる夫の視線にうなずいて、茉莉は彼の目の前にぴっと指を立てた。
「ミランダ殿を狼から護らなくては」
「いやでも、ミランダ自身が狼に食われる事を望んでるんだろう? ……それを邪魔するのはいくらなんでも」
今の二人を邪魔しようと言う気は、さすがのロードライトにも起こらなかった。けれど茉莉は至極真面目な顔のまま、体を起こしてしまう。
「いいや、邪魔させてもらう。というか、邪魔しないといけない。大丈夫だ、ミランダ殿は怒らないから」
「……へえ?」
ロードライトの目がきらりと輝いた。
「僕も邪魔していい?」
「ん、来るか?」
「構わないなら、是非」
言いながら、既にロードライトは横においてあった厚手の上着を羽織っている。茉莉が横から手を出して、ほつれて広がっている金の髪を後ろでざっとまとめ、リボンで結んでしまう。
伸ばされた手を取ってから、茉莉は首を傾けた。
「エスコートすべきか?」
「……横に立って、一緒に歩くのがいいな」
ベッドから降りると、ロードライトは少し頼りない足取りで茉莉の横に立った。
「うん、なかなか新鮮だ」
ぶん、と繋いだ手を振って、国王は小さく童謡をくちずさむ。
子供のようだと呆れる茉莉に笑いかけて、ロードライトは「病み上がりだから」と言い訳にならない言い訳をした。
結局うやむやのうちに馬車に乗せられ騎士たちの宿舎にある部屋に連れ込まれ、ミランダはいきなりベッドの上に投げ出された。
ばふんと音を立てて寝台がきしむ。間を置かずに、カーティスがミランダの上に覆いかぶさった。
「待って、駄目だってば」
「待てません。お嫌なら自力で払いのけてください」
「いっ、いじわるっ!!」
断る気などないことを、すでに見抜かれている。たくましい腕に抱きしめられる事に、いつの間にこんなに慣れてしまったのだろう。
乱れた吐息が首筋にかかり、息を絡めとられる。
熱を帯びた瞳。その中に自分の顔が移っている。焼かれてしまいそうだと思う。わずかに乱れた息、温かくてかたいからだ。二人の間を隔てている布の存在が、酷くわずらわしかった。
――待っていたのだ、自分だって。一月以上も。
「……ミランダ様」
「っ、うん」
「俺の至らない点って、何だったんでしょうか」
「ふぇ? あ」
髪飾りが引き抜かれ、髪がほどかれる。回らない思考で必死に考えて、与えられる刺激にいちいち反応しながら、ミランダは答えを口にした。
「敬語」
「……は」
「……それ、に、ヘンリエッタさんをエッタって、愛称で呼んでた」
「はあああ!?」
素っ頓狂な声を上げ、カーティスががばりと体を離す。今の発言で一気にいろいろ吹っ飛んだらしく、顔から赤みがきれいに抜け落ちていた。
「それだけですか!?」
「だっていつまでも私にはかしこまった態度崩さないから、いつまでも一緒にいるんだったらそんなんじゃ気疲れするんじゃないかなって、かっ、家族にそんな言葉使う旦那さんなんていないじゃない、普通! 全部敬語で話す人も、いるにはいるけど。でもカーティス、ジグとかには普通に話すし……。それでも友達にだけなのかな、女の人には全員敬語なのかなって思ってたけど、ヘンリエッタさんには普通の話し方してて……っ」
一気にまくし立ててから言葉を切って、ミランダは泣きそうな顔になる。
「くだらなくなんかない! 見えない壁ができたみたいで、すごく……」
「えっ、う、あ、でもいきなり直せと言われましても」
涙の溜まった目で見上げられると、『無理です』とはとても言えない。言葉にぐっと詰まって真っ赤になってから、カーティスはぎこちなく口を開いた。敬語でない話し方、敬語でない話し方。自分は普段、どんな話し方をしていただろうか。
「努力しま……す、あ、いや違う、するよ」
うんうんと何度もうなずく顔がたまらなく可愛い。食いたい、という衝動に突き動かされ、カーティスはミランダの柔らかな耳朶に軽く歯を立てた。
ミランダがひゃあ、と裏返った悲鳴を上げ、体を震わせる。
「ええと、じゃあ、これを最初に」
「うん?」
耳元に口を寄せて、小さな声でつぶやく。
「……妻になってくれ」
は、と息を吐き、吸い込む音が、カーティスの耳を優しくくすぐった。
返ってきた言葉は、とても短く穏やかなものだった。
「はい」
言葉にするとたったこれだけ。
これだけのことにたどり着くのに、十年もかかってしまった。何やってたんだろう俺と、カーティスは自分がつくづく馬鹿馬鹿しくなる。
だがそのわだかまりも、胸にせり上がってきた幸福感にあっという間に押し流されてしまう。
やわらかなふくらみを片手で慈しむようにたどりながら、帯に手を伸ばす。
結び目に手をかけてほどこうとした、まさにその時だった。
「よーしそこまでだ!」
「わああああああ!?」
ばん、と扉が開かれ、その場にいきなり第三者の声が割り込む。
互いにがばっと体を起こし、カーティスとミランダは入り口を振り向いた。
「ミコト様、陛下!?」
鍵束をじゃらじゃら鳴らしている茉莉と、何故か後ろを向いているローブ姿の国王がそこにいた。ミランダが、呆然としながらもとりあえず肩から落ちていた上着を引き上げる。それを見届けてから、茉莉がおもむろに後ろにいる夫に告げた。
「振り返っても大丈夫だ」
ロードライトがくるりと体を回転させ、にこやかに片手を上げる。
金色の髪が、薄い闇に軌跡を描いた。
「やあ、お邪魔させてもらったよ。 無事に解決したようで何よりだ!」
「ななななな!?」
あまりのことに口をぱくぱくさせて思考停止しているカーティスと、真っ赤にゆであがって硬直しているミランダの方に、茉莉はすたすたと歩いてくる。鍵束を放り投げてそれを空中でぱしりとつかみ、左腕にひっかけていた白いシーツをミランダの頭の上に落とす。
「なっ、何かあったんですか!?」
カーティスより早く我に帰ったミランダが、シーツから頭を出して尋ねる。ベッドから降りようとするのを軽く制し、茉莉はにっこりと笑ってこう告げた。
「狼からミランダ殿をお護り申し上げに参上つかまつった」
「……狼って、カーティスのことですか?」
「他に誰がいる?」
数歩後ろで立ち止まったロードライトが、まだ硬直しているカーティスを面白そうに眺めている。
「もう少し遅かったら、見たくもないもの見てたんだろうなあ……。うーん、実に絶妙なタイミングだ」
「お、おおお」
「言いたいことがあるならはっきり言え」
王妃の冷たい一言でようやく硬直がとけ、カーティスは体を心持ち前に出し、ミランダの肩に手をかけた。
顔を微妙に歪ませながら、しどろもどろに反論する。
「狼って、確かに狼かもしれませんけど、でも同意はしていただいてますっ!」
「……ミコト様、私、その、嫌じゃないので」
赤くなってもごもご言い添えるミランダを見てから、茉莉はカーティスにちろりと視線をやる。途端に背中に寒い物が駆け抜け、カーティスはまた体を硬直させた。
うろんげな視線を力の限りに浴びせかけながら、茉莉が口を開く。
「馬鹿を言うな。散々苦労して護ったのに、その努力を全て無に帰すつもりか」
「はっ!?」
「だからなあ」
そこまで言って、茉莉はミランダの方にも目をやる。ただきょとんと義姉を見ているミランダの姿に、茉莉は大きく溜め息を吐いた。
「……私もミランダ殿は可愛く思っている。だがな、私はここの馬鹿兄のように盲目ではないつもりだぞ」
「盲目って、ミコトもが」
抗議を上げた夫の口に自分の手の平を押し付けて黙らせ、茉莉は鍵がつながれている金色の輪を人差し指でくるくると回す。
「ミランダ殿とて当の昔に成人した大人だ。周りがやたらめったら騒ぎ立てて過保護にすべきではないだろう。……そういう主義なんだ、いつもは」
「って、今思いっきり過干渉してるじゃないですか」
カーティスの突っ込みに、そこだ、と茉莉は鍵束をいじる手を止めた。
「成人した大人の事には口出ししない。手も出さない。基本的にはな。だが今は例外なんだ」
「何が言いたいのかよく分からないんだけど、ミコト」
その場にいた全員の気持ちを、ロードライトが代弁する。軽く宙を仰いでから、茉莉はまあいいか、とつぶやいた。
「ミランダ殿、……そこまで無自覚なのは、ある意味問題だと思うぞ」
「は?」
「まあ、全て無事に解決したようだし、もういいだろうから単刀直入に聞くぞ」
鍵束を握りこんでから、何も持っていない方の手を腰に当て、茉莉はミランダを真顔で見下ろした。
「月の客が最後に来たのは、いつだ?」
「え……っ」
ミランダが、姿勢を正す。指を折って日付を数え、宙を仰いで記憶を辿る様子を見せ――やがて彼女は、はっとした様子で口を押さえた。
「ふっ」
「ふ?」
「二月前……です……」
「……確定だな」
「えっ、あっ、もしかして!?」
ようやく何の話が進んでいるのかピンと来たカーティスが、がばっとミランダの方に体を向ける。
「カーティス殿、覚えは」
間髪置かずに茉莉の尋問が飛ぶ。しばし間を置いてから、カーティスは頬を赤らめたまま、首を縦に振った。
うんざりした風に目を細め、茉莉が厳しい口調になる。
「あのなあミランダ殿。……ここまで私が口を出すのもどうかと思うんだが、思い当たる節があってなおかつ月のものが遅れた時は、まず、疑わんか」
「つ、疲れてるからだと思って……えええ?」
ミランダが、まだ信じられない様子で目を丸くしている。ロードライトが茉莉の肩に手をかけ、おやまあと呆れた風につぶやいた。
「間違いないのかい、ミコト」
「子を迎えた女性のまとう雰囲気は、普通の女性のそれとは明らかに違うからな。この間直接触って、気脈の変化も確認している。ほぼ確定だろう。今後の事もあるから、明日にでも医者に診てもらえ。いいな」
「はっ、はい」
「……子供!?」
素っ頓狂な声を上げたカーティスに、茉莉は極上の笑みを送った。
「お父さんだな、言祝ぎを贈っておこう、カーティス殿。ただしそういうわけだから、夫婦の営みはしばらく我慢だ。妊娠初期は危険が一杯なんだぞ。――全く。人が細心の注意を払っていたのに、刺客相手に思い切り暴れるわ式に乗せろと言い出すわ……こっちは気が気じゃなかったぞ」
「いっ、言ってくだされば」
「馬鹿を言うな。相手が違う女を連れて帰ってきたなんていう事実を突きつけられた直後にこれを話したら、ミランダ殿は間違いなく精神的に参っていたはずだぞ。それこそ子供に良くないだろうが」
全く自覚がなかったのもそれはそれで問題だがという義姉の釘指しに、ミランダは言葉もなく黙りこむ。腹の上に手を置いてそこをしげしげと眺めてから、ミランダははっと顔を上げた。
「あっあの、じゃあ池で体を冷やすなと衣を下さったのも、東照のドレスをわざわざ仕立てられたのも、私を連れて行くのではなくエミリア殿を連れてきたのももしかして全部……」
「この時期に風邪でも引いたら大事だし、あの衣装は腹を締め付けないしヒールのある靴を履く必要もないからな。式の件に関しては、言うまでもないな」
茉莉はごくあっさり言い切る。ロードライトがうわぁと感嘆の声を上げた。
「でも、だったら、せめて僕とかカレンとかに相談してくれれば」
「……ヘンリエッタ嬢を見るなり火炎石で宮廷を吹き飛ばそうとした大司祭殿と、話も聞かずにカーティス殿をいきなり締め出した兄馬鹿に、惨事が起こるのを承知の上で全て話せと?」
「……」
三者が三者ともその光景をリアルに思い描いてしまったらしい。重苦しい沈黙が、場を支配した。
「ああいうのを、まさに過ぎたるは及ばざるがごとしとか言うんだろう。……一人でいろいろ策を弄するのは、さすがに大仕事だったぞ。ああ、やっとすっきりした。さて寝るか」
首をこきこき折り曲げ、大儀そうにあくびをしてから、一人だけ気の抜けた様子になった王妃がうん、と伸びをする。それからおもむろに「さあ帰るぞ」と宣言し、まだ複雑そうな顔をしているロードライトの袖を右手に持ってすたすた歩いていく。
部屋の扉に手をかけたところで、茉莉は半歩だけ振り返り、涼やかな笑みをミランダに向けた。
「そうそう、肝心な事を言い忘れていたな。――おめでとう。幸せになれよ」
清涼な空気を残し、王妃は颯爽と部屋を後にする。
その様を半ば呆けて見送ってから、カーティスはベッドにうつぶせに倒れた。
「……いろいろ言いたいことはあるんですけど」
「うん」
「なんというか……完璧に打ち負かされました。なんですかあれ、トドメまで完璧じゃないですか。俺もう一生ミコト様に頭上がりませんよ」
「う、うんすっごいかっこよかった。心臓がまだばくばく言ってる」
ミコト様が男性じゃなくて良かったと心の底から思いながら、カーティスは体を起こした。
ぺたんと膝をついて腹に手を当てているミランダににじりより、その横に体を寄せる。ミランダの頭が、カーティスの肩にこつんと当てられた。
「――大声で叫んだら、この時間だとさすがに迷惑ですよね」
「だね」
「やったぁとか叫んで、ミランダ様を抱き上げてぐるぐる回りたい気分なんですけど」
「……明日ね」
「では、今日はこれだけで我慢しておきます」
ミランダの体に腕をゆっくり回してから、カーティスは彼女を力いっぱい抱き寄せた。
(終わり)




