廻る世界に祝福を 12
耳をつんざくような高い音と共に、ホールの窓ガラスが砕け散った。前触れなく起こったその現象に人々が凍りついた一瞬のうちに、ホールの中に次々と黒い影が滑り落ちてきた。
「!」
それとほぼ時を同じくして舞踏会の会場に駆け戻ったミランダが、すぐに侵入者の視線の先を割り出す。
――狙いは。
「チェスター様!!」
警戒を呼びかける声は、そのまま仲間に侵入者の目標を教えた。帯剣こそしていないが、「近衛騎士」の得手は剣ばかりではない。ほぼ全員が、手にした椅子やら花瓶やらで、とっさに近くにいた相手を豪快に殴りつける。それでかなりの数の影が倒れた。
ミランダが姿勢を低くしたままチェスターに駆けより、彼を力任せに地面に引き倒す。来る途中にメイドから拝借したモップの柄で、飛んできた短剣を叩き落した。勢いを保ったまま棒を振り回して数人をなぎ倒したが、それを避けた一人が、短剣をチェスターめがけて振り上げる。
「駄目っ!」
甲高い悲鳴と赤い巻き毛。チェスターと刺客の間に割り込もうとした人物に、ミランダは目を丸くした。突き出しかけていた毒針を慌てて引っ込める。
このままでは刺客の短剣が、彼女の心臓を一突きしてしまう。こちらは避けきれなくてもナイフがチェスターの肩をかする程度だと判断し、ミランダはヘンリエッタに足払いをかけた。同時にチェスターを抱え込み、肘を思い切り後ろに突き出す。刺客の顎を正確に狙ったそれは、しかしすかっという空振りに終わった。
「無理をするなと言っているのに、ちっとも聞く気がないんだな」
冷気、と称するのが一番ふさわしいであろうと思われる力の奔流が、刺客を丸ごと押し流していく。チェスターを助け起こしながら体を起こし、ミランダは目を丸くした。
「ミコト様っ」
透き通った水色の空気が、王妃を取り巻くように流れている。わずかに光を帯びて黒々と輝く王妃の瞳から、ミランダは視線が外せなくなる。
その片腕には、気を失ってぐったりとしている赤毛の女性が抱え込まれていた。
「重い」
ヘンリエッタは決して大柄な方ではないが、茉莉よりはかなり大きい。少しよろけて姿勢を崩した王妃の方に、椅子を放り出したジグが駆け寄ってきた。
「水簾」
ヘンリエッタをジグに押し付け、茉莉がぱちんと指を鳴らす。途端に王妃を取り巻いていた水色の空気が収束し、そこに水のように波打ち、わずかに透き通ってさえいる髪を持った、異形の男が現れた。
何度か見たことがある、茉莉の「式」という術だ。
「わっ、私よりチェスター様を!」
「式」はしかし、軽々とミランダを抱え上げ、すたすたと歩き出してしまう。慌てて抗議するミランダの方に閉じた扇を向けて、茉莉は一回とん、と足を動かした。
「着崩れている」
「!?」
「直さないとそろそろ際どいぞ?」
「えっ、あ、きゃあっ!」
上着がはだけて薄い布に包まれただけの胸が半ばまで見え、スカートがめくれあがって太股までばっちり見える状態になっている。指摘されてその事実に初めて気がつき、ミランダは焦って上着を引き上げ、スカートを直した。
「……下からだと、それでも際どいです」
カーティスが水簾の横を走り抜けざまに、自分のマントをミランダの頭からかぶせてしまう。ミランダが慌ててマントから頭を出した時には、カーティスは門衛から奪い取ったと思しき剣を手に、刺客と切り結んでいた。
茉莉を王妃だと見抜いた男が、恐らくは人質にするために彼女に襲いかかろうとしている。しかし彼女はそれを危なげのない動作で避け、テーブルを蹴倒してその影に身を滑らせてしまう。そのまま耳に飾っていた宝石を外してテーブル越しに相手に投げ、床に落ちる前に扇を広げて風を送った。青い燐光を放った小粒の宝石が一瞬だけ強くまたたく。次の瞬間、豪快な濁流が、男達をいかにも高価そうな装飾品ごと壁に叩きつけていた。
危うく巻き込まれかけたカーティスが間一髪で後ろに退き、王妃に苦情を叫ぶ。
「素晴らしいですね。詠唱はおろか、念を込める時間さえない。東照の術と鉱術を組み合わせることに成功した、という報告は聞いていましたが。……あの程度の大きさの水練石から、あれほどの水を出せるとは」
いつの間にか水簾の横にちゃっかり並んで逃亡していたチェスターが、感嘆の声を上げる。自分が狙われているのに何冷静に分析しているんだろうと思いながら、ミランダはおろおろとデリフェルの宰相を見下ろした。
「あっあのチェスター様」
「ああご心配なく。この程度、デリフェルでは日常茶飯事ですので。多勢に無勢ではさすがに不利ですが、一対一なら朝飯前です。エレノーラもなかなかやりますよ」
「なにをですかっ!?」
「左に」
人のものではありえない、頭に直接響いてくるような声。短い指示にチェスターが反応し、右手を後ろに隠して窓の外を伺った。
闇から伸びてきた銀色のきらめきを隠して持っていた花瓶で振り払い、花ごと水を相手にぶちまける。相手がひるんだ隙を逃さずに、チェスターはひと抱えもあるそれを脳天に思い切り振り落とした。
かなりいい音がした。唖然としているミランダの前で、チェスターは卒倒している男の鳩尾を勢い良く踏みつけた。潰れたカエルのような声を出し、男が悶絶する。
「――おや?」
泡を吹いて気絶した男の顔をしげしげと見聞し、チェスターは目を細めた。
「お前が首謀か。道理で……」
ぢっ、という短い音を立て、チェスターの髪がひと房焼かれたのはその時だった。彼のすぐ横を滑りぬけた炎の渦は、そのまま窓の外に踊り出て、外から侵入を図ろうとしていた『客』を幾人か払い落としたらしかった。
「本当に、念を込める時間が短縮されるって便利ですわねえ」
遅れて聞こえてきた声に、チェスターはこめかみを押さえた。
「……花火を人に向けてやってはいけません、と習いませんでしたか、地星宮大司祭」
「あんな効率の悪い代物で遊ぶようなお子様ではありませんでしたもので、あいにくそういった指導は受けてませんの」
いけしゃあしゃあと言い放ち、カレンはつんとすましてみせる。苦虫を噛み潰したような顔をしてから、チェスターは彼女の後に続いてきた騎士たちに手を振った。
「これが首謀だ。捕らえて首にナイフでも突きつけてみせれば、残りの刺客も大人しくなるだろう」
「あらお知りあいなんですの? 暗殺しに来たにしては派手派手しいだけでへぼへぼしてて、なんだかお間抜けでしたけれど」
カレンが可愛らしく首を傾げるその向こう、舞踏会の会場では、既に落ち着きが戻り始めている気配がする。彼女の言葉通り、送り込まれた刺客は剣も持たない騎士たちにあっさり返り討ちにあったらしい。近衛騎士達は元々、こういった場所での剣を持たない戦いにも対処できるような訓練をされている。相手も悪かったですわねえと言って、カレンはころころと鈴のような笑い声を立てた。
縄をかけられて引きずられていく男を眺めながら、チェスターは腕を組んで眉間に皺を寄せた。
「昔デリフェル国現女王の兄に寄生して、甘い汁を吸っていた雑魚ですよ。去年だか一昨年だか、エレノーラに無理矢理手を出して寄生先を変えようとしたので、国外に追放したんです」
「……クラルテに逃げ込んでたんですか……」
水簾の手で床に下ろされたミランダが、呆れた風に言う。
「小物だと見逃したのがいけませんでしたね。エレノーラが『恐怖で国を押さえつけて支配するのは絶対に嫌だ』と言い張るので、害がなさそうな者の処断は極力穏便に済ませていたんですが」
「まあ、戦闘時の術の有用性を確かめられましたので、私からは感謝申し上げたいくらいですけれども。……宰相閣下のお屋敷の被害は甚大ですわよ」
割れた花瓶を持ち上げ、チェスターはああ、と頷いた。
「……父の半年分の収入がふいになった程度でしょう。まあ、彼は美術品と人の命を両天秤にかけるような人物ではありませんし。珍しい術が見られて、むしろ喜んでますよ、多分」
「ミランダ殿! 無事か!?」
あわただしい複数の足音が響く。同時に水簾の姿がくにゃりとゆがんだ。
ほどけて水気になったそれが、螺旋を描きながら駆け寄ってきた王妃の左手に収束して消えてしまう。
「あ……」
とっさにそちらに手を伸ばし、ミランダは何かいいたげな顔をする。その手を取って額に手を当て、茉莉は真面目な表情でミランダの顔をのぞきこんだ。
「……うん、大丈夫だな」
「あの、ミコト様。私だって一応騎士なんですから、わざわざ術を使って救出していただかなくても大丈夫です」
「何を言うか。たとえ騎士でも、こういう時は大人しく護られて後ろに下がっているものだ」
追いついてきたカーティスとジグが、うんうんと首を縦に振っている。
「あんなもん見せられたら、他の騎士の気が散って被害が広がるばかりですよ。王妃様の的確なご判断に感謝すべきですぜ」
「ミランダ様の足を拝見するのは俺だけでいいです」
「カーティスっ!」
「公の場で堂々とのろけんじゃねえよアホが」
真っ赤になったミランダが上げた悲鳴のすぐ後を、すぱーんという景気のいい音が追う。頭を押さえて涙目になり、カーティスはジグにかみついた。
「ってえな! いいじゃないか、事実なんだから」
「そういう頭の悪い発言が出るということは……覚悟を決めたと見ていいんですのね?」
ミランダと茉莉の前に進み出て腕を組み顎を逸らし、カレンがカーティスをじろりとにらむ。迫力に押されて、カーティスはごくりとつばを飲み――しかし一歩も退かずに、真面目な顔でうなずいた。
「姉には……俺から話をつけます。彼女の話を通しても、俺もヘンリエッタも……ミランダ様も、幸せにはなれませんから」
「でしょうね」
あっさり同意して、カレンが息をつく。
虚をつかれ、カーティスは一瞬ぽかんとした。そういえば、とジグがつぶやき、王妃と大司祭をかわるがわる見やった。
「……さっき、あの赤毛の娘さんの様子がおかしかったですけど。なんか自分の感情でカーティスを落とそうとしてるっつーのは違うような……。王妃様、カレン様、何かご存知なんですよね?」
「え?」
その場面に居合わせなかったミランダとカーティスが、同時に声を上げる。互いに顔を見合わせてから、二人は王妃と大司祭に視線を向けた。
「推論だがな」
眉を八の字にして息を吐き、茉莉がつぶやく。カレンが組んだ腕をほどいて腰に当て、短く悪態をついた。
「おおかた、エミリア夫人は、カーティスには『ミランダがバーナードの女主人にふさわしくない』だのなんだのと難癖をつけたのでしょう。……理由を正直に話したら、カーティスはきっぱり話を拒むはずですもの」
「……やっぱり何か、あるんですか」
「あら、朴念仁が珍しく鋭いですわ。明日は雨でしょうかしら」
「大雪かもしれませんぜ」
「あのですねえ」
思い切り力が抜け、カーティスはがっくんと姿勢を崩す。さっきから散々馬鹿だの無能だの、ろくでもない言葉ばかり投げつけられている気がする。
「細かい事情は分かりませんけど、エッタの態度は明らかにおかしかったですから。……その」
言葉をとぎらせて、カーティスはちらりとチェスターの方を見た。視線を向けられた本人が自分を指差し、ゆっくりと首を傾ける。
「私は何も知らないが?」
「ああいえ、チェスター様が直接どうこうというわけではないのですが」
「……ま、その辺は私達が関与する話ではありませんけれども」
当事者なのにまるで話についていけていない様子のミランダが、不安げに茉莉の袖をつかむ。茉莉の顔に微笑が浮かんだ。子供にするように、王妃がミランダの頭をよしよしと撫でる。少し頬を赤くしたミランダの首に手を回し、彼女はそのままミランダを抱き寄せた。
何かいいたげな顔をして足を踏み出したカーティスに、大司祭と王妃の鋭い視線が突き刺さる。一瞬の間に駆け抜けた冷たい殺気に、その場にいた男性全員が震え上がった。
場の空気が読めていないミランダだけが、王妃の腕から逃れようと一人四苦八苦している。
「あっあの、ミコト様」
「そっくりだな」
「はっ?」
「おねだりすることがある時のパールと、よく似た顔をしているぞ? 何か望みがあるんだろう」
二歳児と同じだと言い放たれ、ミランダはみるみるうちに赤くなって黙り込んでしまう。しかし、やがて小さくうなずいて口を開くと、ぽそぽそと話し始めた。
「先ほどの『シキ』は、あの時の『リュウ』ですよね?」
「ああ」
「事後処理は、多分チェスター様と宰相殿にお任せして大丈夫だと思うので。……『リュウ』に乗せて、連れて行っていただけませんか。リフィティに」
「ミランダ様!?」
驚くカーティスをまっすぐ見て、ミランダは真顔になった。
「カーティスは譲れないもの。でも、そのせいで誰かを不幸にはしたくない。話をさせて、お願い。……あれなら、一晩あれば行って戻ってこられるから」
「……」
口をぽかんと開けて固まったカーティスの頭を、ジグが勢いよくはたく。
「アホみたいに口開けて感動噛みしめてる場合かアホ。ありゃ本来お前が言わないといけねえことだろうが。こんな時にまで見せ場持ってかれてどうすんだ。……ミランダ様、こいつを旦那にしたら絶対苦労しますよ。今からでも考え直した方がよくねえですか」
「嫌」
短い即答が返ってくる。ジグは意外そうな顔をしてから、少し低い位置にあるカーティスの頭をさらにもう一度はたいた。
「って、何するんだよ!!」
「うるせえ代表だ」
「何のだ!?」
カレンとジグがカーティスにしらじらとした視線を送り、チェスターが愉快そうに喉を鳴らす。
「ミコト様」
義妹の呼びかけに、茉莉は極上の笑みを返した。
「却下だ」
「……お願いします」
「却下だと言っている。いくら水簾が飛べば速いといっても、行って帰って来るほぼ一晩の間、夜風に晒されつづけるんだぞ。どれだけ体が冷えると思ってる」
「それくらい、平気です。そんなにやわじゃありません」
必死に言い募るミランダの額をこつんと殴るふりをして、茉莉は笑みを深くした。
「義姉の言うことは聞いておけ。駄目と言ったら駄目だ。……その代わり」
夜空に浮かんでいる月に、影が差した。窓の外を見る形になっていたチェスターがまずそれに気付いて顔を上げる。つられるように全員がそちらに目をやり、近づいてくるそれを認めた。術の気配を読むのに長けているカレンが、いち早くその正体に気付いた。
「……王妃陛下の、鳥、ですかしら? そういえば先ほど見かけませんでしたけれど」
「迎えにやっていたからな」
影はそう時間をおかずに、橙色に輝く鳥に形を変えた。それがどんどんこちらに近づいてくる。
鳥の足に引っかかっているものを確かめ、カーティスが悲鳴にも似た声を上げた。
「あっ、姉上!?」




