廻る世界に祝福を 9
磨きこまれ、飴色に変色した扉。重厚なはずのそれさえ軽く突っ切って聞こえてくる声に脱力しながら、カーティスは扉を叩いた。
ほどなくして、扉は内側からゆっくり開かれた。
現れた光景にさらに脱力しながら、カーティスは眉間に手を当てた。
「……何をやっているんですか、母上、エッタ」
「カーティス兄様。兄様はどれがお好みですか?」
ドレスをとっかえひっかえしてはきゃあきゃあ騒いでいる姪と、それに上機嫌で付き合う母親。周囲には、これでもかとばかりにドレスが散らばっている。メイドがせっせと集めて直そうとしているが、それよりも母と姪が散らかす方がどう見ても速い。
冗談でなく目眩を覚えて、カーティスは思わず壁に手をついた。
「滞在して一週間も経ってないのに、どっから持ってきたんだそのドレス……」
「さすがにオートクチュールは間に合いませんでしたから、サイズが合うものを取り寄せましたの」
鮮やかな真紅のドレスを手にとって体に合わせ、ヘンリエッタはくるりとその場で一回転して見せる。ドレスのすそが翻り、何か白いものがちらりと見えた。
はしたないと注意する気力もとうに失せてしまっていた。ただ溜め息を漏らし、カーティスは後ろ手で扉を閉める。
厳格な姉の下で育てられたにしては、ヘンリエッタはどうも慎みに欠けるところがある。
蠱惑的な笑みに、華やかな化粧。ヘンリエッタが自分の武器を充分すぎるほど理解して最大限に生かしていることが、それだけで分かる。しかし。
(なんだか胡散臭いんだよなあ……)
この上もなく可愛くて愛しいけれど、どう贔屓目に見ても地味の領域を抜け出せないミランダに慣れてしまったせいかと、最初は思った。
しかし一日中付きまとわれているうちに、カーティスはその考えもなんだか実情と違うような違和感を覚えたのだ。例えミランダとどうこうなっていなくても、自分はヘンリエッタの態度を不審に思ったような気がする。
しばらく考えてみて――やがて彼は、ヘンリエッタと非常に似た感触を覚える相手に思い当たった。
(身内相手にこういうことを思うのは失礼かもしれないけど)
それ以上は頭の中でさえ考えるのが後ろめたい。カーティスは思考をそこで無理矢理断ち切った。ドアに体をもたせかけて半眼になり、低い声を出す。
「――宰相閣下の誕生祝いには一人で行く、と申し上げたはずですが」
とたんにヘンリエッタは大きな目を見開き、表情をくしゃりと歪ませた。
「カーティス兄様! エッタにどこか至らぬ点でもありましたの?」
「いや至るとか至らないとかいう問題じゃなくてな」
「あらいいじゃないのカーティス。舞踏会はうら若い乙女の憧れの場所なのですよ。婚約者云々は置いておいたとしても、叔父が姪を連れて行くのは不自然じゃなくってよ」
(それは他に相手がいなければの話だろうが!!)
息子の心の絶叫を、母は正確に読み取ったようだった。
腕を組んで目を細め、扇で口元を覆い隠してえほんと咳払いをする。
「いつまでもお待たせした挙句にこんな失態をやらかしたような馬鹿息子など、ミランダ様はもう思い切られてしまったのではなくて。その証拠に、あれ以来お前に会ってくださってはいないのでしょう?」
「……っ」
思い当たる節が全くないわけではない。カーティスは言葉に詰まって一歩後ろに下がった。ミランダはあれからなんやかんやと理由をつけて、決してカーティスに会おうとはしなかったのだ。
ミランダ自身が会いたくないと意思表示をすれば、周囲は協力を惜しまない。
無理矢理時間を作って会いに行こうとすれば、ひねり出した時間に他の仕事を押し付けられ、かと思えば見計らったようなタイミングでミランダが国王に呼び出されていたりして――結果としてこの五日、カーティスは仕事に忙殺されながらただ悶々と日々を過ごす羽目になったのだ。
ミランダが残していった言葉に思い当たる節は、どれだけ考えても出てこなかった。あとはもう、本人に尋ねるしかない。
ミランダも、今夜は恐らく男性の格好をして来るはずだ。男装姿で来る場合は、騎士が女性であった場合でも、男性の相手はできない。誘う側になったとき、ミランダはそう頻繁にホールへは出ない。だったら、会って話も出来るかもしれない。
そんな所にヘンリエッタを連れて行ったりしては、話どころではなくなるのは目に見えている。
下手をすると、どこぞの大司祭が集まっている要人ごと会場を吹っ飛ばすかもしれない。
――想像だけで頭が痛くなるが、ものすごくありえる気がする。
「私は別に、エッタが娘になっても構わないのよ。孫に『お義母様』と呼ばれると若返ったような気がしなくて?」
のん気にほほほと笑い声を立てる母親の横で、ヘンリエッタは頬を染めている。
「いやですわ……『お義母様』」
「あらあらおほほほ。苦しくなくってよ」
両頬に手を添えて、ヘンリエッタが恥じらうように体をくねらせる。その横で母親が優雅な笑い声を立てた。
勝手に盛り上がる女性陣の横で、カーティスは心の底からうんざりして溜め息をついた。
薔薇の間と称される客間の中で、ミランダは額からだらだら汗を流していた。目の前に広げられたものを確認し、茉莉に目をやり、視線をそのまま横にすべらせる。
メジャーを手に何かブツブツ言っているディーンがそこにいた。まだ何か微調整したいといころがあるらしく、眉間に皺を寄せて図面と向かい合っている。
もう一度王妃に視線をもどし、ミランダはぎくしゃくとした動きで口をひらいた。
「あの、これ……」
「私から贈ると厄介な事になるらしいのでな。名目だけ、『ユーロパ殿がミランダ殿に贈る』という形を取らせてもらった。……父親なら、問題ないのだろう?」
茉莉が小鳥のように可愛らしく小首をかしげる。それを目にしながら、ミランダは首を機械仕掛けの人形のようにぎこちなく左右に振った。
「いえ、そういう問題ではなく」
「いーじゃんミランダちゃん、絶対似合うって。俺が王妃様の侍女殿の協力を得てきっちり作成したのよ? ミランダちゃんの容姿の生かし方なら、右に出るものはない自信があるディーン様が保障するんだから大丈夫だって」
この場にカレンがいたら「嫌らしい言い方するんじゃありませんわよこのボケナス」という突っ込みが飛んできただろうが、茉莉は「らしいな」とあっさり同意してその言葉をさらりと流しただけだった。
ディーンが一瞬だけ拍子抜けしたような、物足りなさそうな顔をする。茉莉はそちらにはまるきり関心を示さずに、言葉に詰まっておろおろしている義妹の方に向き直った。
「あのいえでも……」
「……駄目なのか?」
茉莉がしょんぼりとしょげ返った声を出す。年を重ねて艶を増した視線がそっと伏せられ、桜色に色づいた唇から小さく吐息が漏れる。
妖艶さとはまるきり縁がない王妃なのに、そういう表情はこちらの胸を嫌というほどちくちく刺してくる。何も知らない無垢な少女を、不用意に傷付けてしまった時のような感じに似ている。泣かせたことがないので本当に似ているのかどうかは分からないが。
「いっ、いえ、喜んで受け取らせていただきますっ」
落とされた肩が震え出すのを見るに至って、ミランダはついに耐え切れなくなった。侍女が持っていたそれを奪い取るようにして自分の前にかかげ、茉莉の顔を覗き込むために背をかがめる。
「そうか、それは良かった」
途端に茉莉は先ほどのことなど忘れ去った様子でけろりと顔を上げた。あまりの豹変振りにぽかんとしているミランダを放っておいて、すぐに自分の部屋から装身具を持ってくるように侍女に言いつける。
「装身具……ってまさか、王妃陛下!?」
青くなって慌て出すミランダの鼻先を人差し指で小突き、茉莉はにこりと微笑んで見せる。
「私の見立ては不確かかもしれないが、その形の服にクラルテの装身具はあわないだろう。どうせ灯が腐るほど贈りつけてきた上に、ロードが機会をうかがってはあれこれ作らせているからな。とりあえず貸すだけのつもりではいるが……気に入ったものがあったらやるぞ?」
「結構ですっ!」
半分泣きながら、ミランダは茉莉の申し出を断る。そうか、と茉莉は心なしか残念そうな顔をして首をかしげた。
「まあロードに言いつければ喜んで作らせるだろうから……」
「そんなことで無駄金を使わないで下さいっ!」
「心配するな。そういったものは全てロードのええとなんだ、『ぽけっとまねー』とかいうものから出るらしいから。私の分は、ある程度は必要経費だとか言ってたが」
確かに、王妃を見栄えがするようにあれこれ飾り立てるのは必要経費だろうが。
「何なら私が地星宮や風星宮から個別に貰っている『講義の報酬』で買い求めても」
「それも必要ありませんっ」
王妃の言葉を半ばでさえぎる。肩でぜはぜは息をしながら、ミランダは助けを求めるようにディーンを見た。しかしディーンは頬をぽりぽりと掻いた後で視線をおもむろに窓の方に向け、ぼそりとつぶやいた。
「俺としては、コーディネートをこの上もなく完璧に仕上げられるなら、これに勝る幸せはないっつーかぁ」
「……味方になってくれると期待した私が馬鹿でした……」
背中に何か黒いものをしょってしまったミランダを尻目に、ディーンはけらけらと笑い声を立てる。
「うんまー装飾関連に関しちゃ俺結構貪欲だから! 東照の装身具やら服やらって俺らみたいな一介の仕立て屋にはまだ手が出ない領域で流通してっから、腕がとても鳴ったね!! ミランダちゃんはこう……平均的に地味だから、その分飾り立て甲斐があるんだよなぁ。何でも似合うというか、器用貧乏というか。試作品を着てもらうにはうってつけだよいやマジで」
誉められているのかけなされているのか全く分からない。ミランダの肩がさらにがっくんと落ちる。それには一切構わずに、ディーンは薀蓄を続けている。
「あ、でも均整の取れた綺麗な体つきは貴重だぜ? そこまで完璧なプロポーションの持ち主って、お貴族様連中にはほとんどいねえもん。王妃陛下も割とこう文句のつけようがない感じだけど、ちょっと背が低くていらっしゃるからドレスはあんま映えねぇんだよなあ。癖のない黒髪とか小造りな顔ってなかなか見ないから、それはすげー魅力的なんだけどなあ」
「結構な口説き文句が並んでいる気がするのに、あまりときめかないな。言い方やら何やらを考えれば、貴族の女性の一人や二人、簡単に落とせそうな気もするが」
パトロン不足に悩んでいるとディーンが漏らしていることを、聞き及んでいたらしい。腕を組んで苦笑交じりに王妃が口にした言葉を、ディーンはちっちっちっと人差し指を振って否定した。
「貴族連中に作る服って、腹を締め上げて余った分の肉をどこにつけるかで苦心させるようなのばっかなんですよ。流行りがちょっとばかし変わったからっつって自堕落な生活を止められる連中はそういねえですしー」
「なるほどな」
「つっても贅沢言ってちゃ商売上がったりなんで、依頼が来た分はきっちり似合うように仕立て上げますけどね。世知辛い世の中ですよまったく」
それだけ好き勝手やっててどの辺が世知辛いんだろうとちらりと思いながら、ミランダは押し付けられたそれを見下ろした。
作ったドレスの数は、そう多くはない。けれど新しいものを身に付けるたびに、カーティスは頬を紅潮させて、よくお似合いになりますだの妖精のようですだの、あまり得意ではないであろう口説き文句を必死に並べ立ててくれた。
それだけで不思議と心が弾んで、こちらの気持ちまで高揚したものだったけれど。
「……」
意識しないままに、ミランダは手に持ったものを抱き込んでいた。
ディーンと茉莉が会話をぴたりとやめ、互いに顔を見合わせる。
しばし沈黙した後で、ディーンが肩を軽くすくめた。「お願いしますわ」と無言で頼まれ、茉莉が柔らかく苦笑して息をつく。
そのままミランダに歩み寄り、肩を軽く叩いてやる。
顔を上げたミランダの鼻先にもう一度細い指をつきつけ、茉莉はにやりと人の悪い笑みを浮かべた。
「思い切り綺麗にして、あのアホ騎士を死ぬほど後悔させてやろう。任せておけ」
あほきし、と鸚鵡返しに言ってから、ミランダは絶句した。パートナーを守るのはエスコート役の義務だ、とばかりに茉莉は胸を張る。
その姿によく見知った人物がだぶり、ミランダは軽い目眩を覚えた。
……間違いない、これは。
「……ミコト様」
「なんだ?」
「あの……あまり……陛下やカレンの入れ知恵には耳を貸されないほうが」
力なく言うと、茉莉はぱちぱちとまばたきを繰り返し、その後おもむろに首をひねった。
「そうか?『しょぼくれて見せるとミランダ殿は慌てるから、その隙をついてお願いをねじ込んでしまえ』というのは、実際よく効いていたように思うが」
王妃は至極真面目な顔で指を折りながら『習った事』を並べ立てていく。
その後ろで、ディーンが体を折り曲げて体をぴくぴく痙攣させている。
自分の口元が思い切り引きつるのを自覚しながら、ミランダは宙を仰いだ。憂鬱な気分が一瞬だけ完全に飛んでいってしまう。
(パール様にまで余計な知恵を吹き込まれないうちに、手を打っておかないと……)
「他にどんな知恵を授けられたのか是非ご教授ください」というディーンの申し出に、茉莉は至極真面目な顔でうなずき、「家臣を手玉に取るには」だの「騎士はこうするとあっさり墜ちる」だのの講義を始めてしまった。真顔で繰り広げられる『講義』がよほどおかしいらしく、ディーンはいちいちうなずいて同意しながらけらけら笑い転げている。
二人を止める気力さえ萎えてしまい、ミランダはただ遠い目をして窓の外を見やった。




