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廻る世界に祝福を 7

「これがうちの部隊に新しくついた従騎士のリスト。『仕込杖』と渡りをつけられる連中を今から教えるから、覚えろよ」

「ああ……」

 ミランダの言葉通り、翌日の朝にはカーティスの所に使者が尋ねてきて、城に出仕するようにという国王の通達を持ってきた。

 ミランダ直属の部下達から、散々冷たい視線を浴びせられながらもとりあえず仕事場に到着した彼を待ち受けていたのは、山のような書類だった。

 ミランダからの伝言を持ってきたのは長年腐れ縁を続けているジグで、彼だけはどこか気の毒そうな様子でカーティスを気づかってくれていた。熊のように大柄でむさ苦しい外見とは裏腹に、この男は恐らく隊内で一番気配りが上手い。同僚は彼を除いてほぼ「敬愛する上司」の味方になってしまったらしく、交わす挨拶でさえ愛想がない冷たいものだった。

 針のむしろという状況を、カーティスはひしひしとその身に味わっていた。

 これだったら、一週間実家にいたほうがましだったかもしれない……。

「……なあジグ」

「あん?」

「ミランダ様に、俺、何か失礼な事してたか?」

 書類を分類しなおす手を止め、ジグは太い眉を思い切り八の字にした。

「おまえ、昨日あれだけやっといてどの口でンなことを」

「……どうもそれ以外に何か、ミランダ様の気に触ることをやっちまってるみたいなんだよなあ。それも、かなり深刻な……」

 でなければミランダがあんなに悲しそうで、寂しげな顔をする理由がない。

 泣くのをこらえるようにつぶやかれた言葉。思い出すだけで、胸が潰れそうになる。あんな顔をさせるようなことを、自分はどこでしていたんだろう。

「この世の終りみてえな顔してんなあお前」

「ああ、ある意味では終わってるよ……」

 この上もなく低い声を出して、カーティスは机の上に突っ伏した。

 暗い。放っておけば頭上に雨雲を沸かせてじとじとと湿った空気を周囲に振りまかんばかりの勢いだ。ジグは積み上げられた紙の束を一瞥する。ついで目を閉じ、神に祈るようにその場で胸に拳を当てた。

「ま、円満に解決するように祈っといてやるよ」

「それはどうも……」

「ついでにそれ早く終わらせろよ。無能のレッテルまで貼られたくなけりゃな」

 猫の手も借りたい秋の王宮の忙しさは、殺人的で容赦がない。カーティスは勢いをつけて体を起こすと、書類を取り上げた。昇格すると同時に、体を動かすよりも机の上で書き物をしたり、指示を出したりする仕事の方が増えている。

 ジグも椅子を持ってきてカーティスの向かいにどかりと座り、一番上の書類を手にとった。

「んじゃー覚えとかないといけない奴言うからな。一度しか言わないから一発で覚えろよ」

 書類をめくりながら、ジグが人物の名前を並べ立てていく。記憶の端にそれを縫いとめながら、カーティスは小さく息をついた。




 小さな手がぴたんと自分の頬を叩く。

「イタイ? キュウキュウする?」

「……」

 琥珀色の小さな瞳は、膝をついた自分よりもなお低い位置にある。無垢な子供の瞳に映っているのは純粋な心配の色で、それが無性に愛しかった。

 ミランダは首を左右に振り、小さな王女殿下の手を取った。

「だいじょうぶですよ。どこもいたくありません」

 ゆっくりゆっくり言葉を紡ぐ。二歳になったばかりだというのに、この王女はもう言葉を操る術を心得始めている。それでもまだ思い通りにしゃべる事が出来ないのがもどかしいらしく、ぐじゅぐじゅと唸ってから、ミランダの顔を真剣にのぞきこんできた。

「ミラ、いたそう。えーんするまえみたいな、おかおよ?」

「私はケガはしてないですし、風邪をひいてもいません。えーんすることはなんにもないですよ?」

「……」

 と、パールが不意にくしゃりと顔を歪めた。琥珀色の瞳が涙をたたえ、それはすぐに堰を切って溢れ出した。ミランダは仰天して、慌ててパールを抱き上げた。

「どうなさいましたパール様!?」

「ウソ」

「えっ」

「がまんしちゃ、だめよぅ!!」

 抱き上げられたパールはミランダの首にかじりつくと、今度こそ声を上げて泣き出した。隣に控えていた侍女と顔を見合わせ、ミランダは困惑しながらパールの背を軽く叩いた。

「パール様? 私は本当に、どこも痛くないんですよ?」

「まあまあパール様、そのようにお泣きになられてはせっかくのドレスも台無しになってしまいますわ。お似合いですのに」

 侍女の声にもミランダの声にもパールは首を左右に振って答えない。小さな子供の高い体温と、邪気のない泣き声。いとおしいと思うと同時に胸がつきんと痛みを訴えた。眉根を寄せて、ミランダはパールの背を叩いていた腕を止める。

「……心配してくださってるんですか?」

「ミラが、ひく、げんきないのは、っく、やだぁ」

 じたばたと手足を動かし、小さなふくふくとした手を一生懸命伸ばして、パールはミランダをぎゅっと抱きしめた。

「もしかして、だれかにいじめられたの? だったらパールがえいやあ、してあげる」

「ありがとうございます。ですけど」

「安心しろパール。お前の代わりに父様やカレン殿が、ミランダ殿をいじめている輩をこれでもかとばかりにいびっているからな」

「あ」

 中庭の木陰に現れた人物を認めるや否や、侍女の方は腰を折って深く礼をする。パールを抱えたまま頭を下げるわけにも行かず、軽く会釈をして済ませた。色づいた木々の間を縫うようにして、異国の服をまとった王妃が歩いてくる。くるくると舞い落ちてきた木の葉をつかむと、茉莉はミランダの方に歩み寄ってきた。

「おかあしゃま」

 ぐし、と鼻をすすりあげ、パールがミランダの肩から顔を上げる。真珠色の癖のある髪が、涙と鼻水でほっぺたに張り付いている。

「せっかくかわいくしてもらったのに、台無しだな?」

 苦笑すると、茉莉は懐からハンカチを出して、パールの顔をぬぐってやった。もう一度大きくしゃくりあげてから、パールは首をかしげた。

「おとうしゃまと、かえんさまがえいやあ、してくれゆの?」

「うんまあ、してくれるだろう。……ミランダ殿の意思が無視されているのが問題だがな……。……えいやあして疲れたお父様が、お前と遊んで欲しいんだそうだ。パール、おいで」

 ほっそりとした腕が、ミランダの方に伸ばされる。ぱっと顔を輝かせて、パールは茉莉の腕の中に納まった。

「ミラ、おとうしゃまがえいやあしてくれたって!」

 さっきまで涙で顔をぐしゃぐしゃにしていたのに、パールはもうにこにこ笑っている。つられるように笑顔になってから、ミランダは頷きかえす。

「さて、お母様はミランダ殿と少し話がある。パール、しばらくお父様の面倒を見てやっておいてくれ」

「はぁい!」

 威勢良く返事をしたパールを侍女に預け、ミランダと茉莉はその場で彼女達を見送る。木立の中に姿が紛れたところで、茉莉がミランダの方を見て表情を曇らせた。

「顔色が良くないな」

「え。……そ、そうですか?」

 茉莉はミランダに歩み寄ると、その額に手を当てた。空いたほうの手を口元にやると、目を伏せて何やらぶつぶつつぶやいている。

 彼女がまとっている、森の中にいるような清浄な空気が、ふいにその濃さを増した。鳥のさえずりが遠くに聞こえる。

 心の中が、酷く静かに澄み渡った気がした。

「……」

 額に当てられた手がゆっくりと離れていく。表情の読めない、澄み切った黒い瞳が、ミランダをじっとみつめた。

「あ、あの」

 同性相手なのに、どうしてこんなに鼓動が早くなるのだろう。動揺したミランダが一歩退くと、茉莉のまとっていた緊張感がふっと緩んだ。

「そんな薄着では体が冷えてしまうぞ。……着ていろ」

 茉莉が一番上に羽織っていた東照の衣をさっと脱ぎ、ミランダが拒絶するより早く、彼女の肩に着せ掛けた。絹で出来た衣は見た目よりも重く、暖かかった。

「いけません、王妃陛下の方こそそれを脱がれてしまってはお寒いでしょうに」

「心配はいらんさ。私は風邪をひいても、せいぜいロードが大騒ぎして、パールが機嫌を損ねるくらいだ」

 それはかなり大事のように思うのだが。

「でしたら私も、風邪をひいたところで困るようなことは」

「あるだろう。特に今は」

「……」

 確かに、王妃の言にも一理あった。ミランダも今では王の一の騎士としてその政務の補佐を任されており、この時期に倒れると命令系統が混乱して、いらぬ手間が増える恐れがあるのだ。

 茉莉は東照との交渉ごと以外の国政には、一切関わろうとしない。異国人が国政に関わるのはいらぬ混乱を招くとばかりに、公務で顔が必要とされる時以外は徹底的に政治に背を向け、王宮でも貴族より研究者と親しくしているような変わり者の王妃だ。政務に深く関わっているミランダと、倒れて困るのはどちらか。この時期に限れば、優先されるべきなのは確かにミランダの体調だろう。

「ですが……」

 合理的だが、茉莉はミランダより遥かに高い身分の方なのだ。茉莉があまりそういう肩書きにこだわる人間ではないのは分かっているが、ミランダ自身は恐れ多いと感じてしまう。言葉を濁したミランダを見て、茉莉は「真面目だな」とつぶやいて苦笑した。

「東照はここよりもう少し寒くてな。この程度ならなんともない」

 安心させるように手を軽く振り、茉莉はミランダに着せ掛けた衣の紐をきれいに結んでしまう。手際よく結ばれた紐は花のような複雑な形をしていて、解く術がミランダには分からなかった。先ほどの空気の余韻が、ミランダを包み込む。

 呼吸が、少しだけ楽になった気がした。

 思わず襟に手をかけて、布地をまじまじと見つめる。特に何の変哲もない、普通の布だ。不思議に思ったのが伝わったのか、茉莉が唇を少しだけ緩めた。

「その衣はやろう。効果は薬ほど絶大ではないが、織る時に特別なまじないを織り込んでいる。羽織っていると心が落ち着く」

「え、ですが」

「別に公務の時に着ろと言ってる訳じゃない。ゆっくり眠れる程度の効果はあるから、寝巻きの上にでもひっかけていればいい」

 布の手触りはとても良く、それが高価なものであることはミランダにも分かる。いただけません、と繰り返すミランダに、茉莉はいいんだと笑い返す。

「そのうち、きちんとしたものを贈ろうとは思っていたから。東照の服は嫌いか?」

「い、いいえ」

「ならいいだろう。私は似たようなものをたくさん持っているから、一枚なくなっても不便はしない」

「……では」

 不承不承ながらミランダが頷くと、茉莉はふふ、と邪気のない笑顔になる。笑った顔がパールに似ていると気付き、ミランダは意外な心地になった。幼い王女の顔立ちには、あまり東照の人間らしい特徴は見られなかったのに、こんなところに証があるのだ。

「それでだな、あまり時間がないので聞きたいんだが」

「はい」

 茉莉はもういつも通りの、感情の読めない顔に戻っている。それでも冷たいという印象はない。それがなんだか、とても不思議だった。

「来月の二日に、あるだろう。宰相殿の六十歳祝いを兼ねた、舞踏会が」

「ありますね」

 来月と言っても、今月も残す所あと一日だ。二日は今週末で、もう三日しかない。

「カーティス殿はその調子だと同伴……しなさそうだな」

「ええ、恐らくヘンリエッタ嬢をエスコートするのではないかと」

 少しだけ胸が痛む。今まではディーンに仕立ててもらったドレスを身につけて、ミランダがカーティスの隣に立っていたのだ。その立場に他の女性が滑り込むというのは、やっぱり複雑な気分だった。自分であれだけ言い放っておいて、嫉妬も何もあったものではないというのに。

 ミランダの人差し指が、意識しないままに自分の唇を押さえていた。

 茉莉がわずかに目をすがめる。しかし彼女はその事には触れず、頭を軽くかき回して両手を腰に当てた。

「舞踏会自体には参加されるんだろう?」

「ええ、勿論です。宰相閣下には、私も大変可愛がっていただきましたから」

「と、いうことはだ。……エスコートする殿方は、なしなんだな?」

「ええ。騎士の格好で参加すれば、エスコートはされなくても出席が可能ですから」

 もう女物の服を身につける必要もないのかもしれない、とミランダはぼんやり思う。思い出されるのは、カーティスの隣に立っていたヘンリエッタの自信ありげな態度や、女性独特の華やかさだ。ああいう類の女性には、自分は逆立ちしたってなれない。

「騎士服を引っ張り出すのは、久々です。太ってたら困るなあ。今からじゃ補正も間に合わな……」

 冗談のつもりで言ったのに、ぽろりと涙がこぼれ落ちた。あれ、と思う間もなく、ぼろぼろぼろと涙がこぼれ出す。

「あ……れ。も、申し訳ありま……」

 カーティスが違う人を選ぶ、ということを初めて実感したら、とたんに涙腺が決壊してしまったらしい。それともこの衣がいけなかったのだろうか。心が落ち着いてしまったから、蓋をして、考えないようにしていた事が自分の弱い所を突き崩して。今は勤務中なのだ、私情を持ち出すなんてとんでもないのに。

 涙を止めようと、ミランダは慌てて袖でごしごし目をぬぐう。けれど涙は一向に止まる気配がない。

「申し訳……」

「どうせ誰も見ていない。……私はカーティス殿を責めにすっ飛んで行ったりしないから、今のうちに泣いてすっきりしておけ」

 静かな王妃の声が、心にすとんと落ちてきた。

 ――だから、泣けなかったのだろうか。

 答えはわからなかったが、それでも酷く安心して、ミランダは一つ頷くと肩を震わせた。東照の衣は、袖がひどくゆったりとしている。顔を押し付けると、視界が白一色になってしまう。

 柔らかな体温が、自分をそっと包み込んだ。男性のものではない、柔らかくて安心できるぬくもり。近くにいると、森の空気に似たものに、甘い匂いが混ざっている事に気付く。

 母親、というものがいたら、あるいはこういう感じなのだろうか。

「大丈夫だ」

 ただ労わりと慈しみだけをこめられたささやきが、酷く心地よかった。自分よりずっと小柄なはずの女性に、包み込まれている。

 凝り固まって胸につかえていた重いものが、涙と共に洗い流されていく。


 やがてミランダが顔を上げると、茉莉は静かに微笑んで、袖の端で涙をぬぐってくれた。

「帰る前に、どこかで顔を洗っていこう。それで戻ったら大騒ぎになる。カーティス殿が、本気で殺されかねない」

「そんな……」

 だがそれを本気で実行しそうな友人の顔を思い出し、ミランダの言葉は途中で止まる。現場を見せられただけであれだけ激怒したのだ。泣いていたなどと知られたら。

「だろう?」

 念を押して、茉莉はくすくすと笑い声を立てる。なだめるように頭を撫で付けられる。子供ではないのに、と思うけれども、細い手の感触が心地よかったので、ミランダはそれを大人しく受け入れた。

 つかの間ただよった穏やかな空気に亀裂を入れたのは、侍女の甲高い悲鳴だった。

「誰か! 陛下、パール様!!」

 茉莉とミランダは互いに顔を見合わせる。間髪置かずに、ミランダの表情が厳しいものに変わる。地面を強く蹴って走り出した一の騎士のあとに、やや遅れて王妃が続いた。




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