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廻る世界に祝福を 5

 話を聞かされた茉莉は、いぶかしげな顔をした。

「……浮気?」

「というか、裏切り、というか。リフィティで姪御を押し付けられたらしい」

 この忙しい時期に厄介な面倒ごとを持ち帰ってくれたよねえと言って、ロードライトは嘆息した。普段は私室にまで仕事を持ち込むことはない国王だが、今は寝台に入っても読書用のランプを傍に置き、書類をめくる手を止めていない。しかし上手く集中できないらしく、そう時間をおかないうちに頭をがりがりとかき回し、それをサイドテーブルに放り出した。

 半端に回転して止まった羊皮紙の束が、暖色の明かりを柔らかく反射させている。

 枕に頭を埋めた夫の方に身を乗り出して毛布をかけてやりながら、茉莉は首をかしげた。

「何の冗談だ?」

「冗談じゃなくて本気らしいよ。もっとも、話を聞く前にカーティスはその姪御の手で、無理やり実家に連れ戻されてしまったけれどね」

「……」

 ロードライトの肩の横に手をついた格好のまま、茉莉は変なものを口に放り込まれた時のような、何ともいえない顔をした。妻の顔を仰ぎ見て、ロードライトは目をすがめる。

「茉莉?」

「……ありえなくないか?」

 惚れた腫れたの事情に通じているとはお世辞にも言えない茉莉にさえ、カーティスのベタ惚れぶりはよく分かるらしい。くぐもった声で相槌を打ってから、ロードライトは頭上を仰いで思案するそぶりを見せた。

「うーん、どうやらカーティス自身の意思はあまり尊重されていなかったみたいだけど。でもねえ、カーティスはもう子供じゃないんだから、本当に嫌ならリフィティに姪御を置いてくることもできたはずなんだよね。それをしなかったってことは、結局ミランダより優先する何かがあったってことだろう」

 最後の方は突き放すような言い方をして、ロードライトは頭の後ろに手を回した。彼の顔を覗き込む体勢はそのままに、茉莉はさらに納得いかない風情で首をひねった。

「だから、わざわざ城に入れるなという通達を出してまで放り出したのか」

「それぐらいは嫌がらせしてもいいだろ……あたっ」

 ぺしっと額をはたかれて、ロードライトは目を丸くした。力は強くなかったが、かなりいい音がした。はたかれた所を確かめようと動かした右手をつかみ、茉莉が半眼になってロードライトの鼻先に自分の鼻先をくっつける。艶やかな黒髪が流れ落ち、ほどかれてシーツに広がっているロードライトの金の髪の上に、新たな軌跡を描きだした。

「阿呆」

「はっ!?」

 間抜けな声を出した夫を至近距離でにらんで、茉莉は低い声を出す。

「その様子だと、ミランダ殿は説明らしい説明さえ受けていないじゃないか。自分自身で話を聞いて、その上でミランダ殿がカーティス殿を拒んだのなら話は別だが、そんな状態で放って置かれて、一番不安になるのは誰だと思っている?」

「……あ」

 呆けた声を出した夫の額をもう一度はたいて、茉莉は体を起こす。人差し指をロードライトの鼻先にぴしりとつきつけ、王妃は思い切り渋い顔をした。

「だから何度も言っているだろう。『ただ可愛がるだけでは、本当に大切なところを見落とす羽目になるぞ』と。……全く学んでないなお前は」

「あーいやそのー」

「何か反論があるのか」

 見下ろしてくる妻の視線が冷たい。視線をそらして白々しい笑い声を出した後で、ロードライトは素直に謝罪した。

「……すみません」

「謝る相手が違う」

 国王の謝罪をすっぱり切り捨て、茉莉はさらに追い討ちをかける。

「この一週間の謹慎もどきの間に取り返しがつかないことになったら、お前、一生ミランダ殿との間にしこりを残すことになるぞ。当然そこまで見通して、カーティス殿を引き剥がしたんだろうな?」

「……」

「考えてなかったんだな」

「……はい……」

 ロードライトの声が暗い。どうやら本気で後悔しはじめているらしいと悟ると、茉莉は溜め息をひとつつき、上半身を完全に起こした。髪を横に払って軽くまとめると、そのまま夫の横、本来の位置に体を横たえる。もぞもぞと体を動かして毛布を丁度いい位置まで引き上げると、茉莉はもう一度首をひねった。

「だがなあ。……やはり、ありえないと思うんだが」

 ロードライトの説明でもなお納得が行かなかったらしい。体を横に向けて妻の横顔を眺めながら、ロードライトは覇気のないを出した。

「多分、あれの姉か誰かが無茶な条件を出したんだろう。カーティスは変なところまで生真面目だから。……そうだな、ミランダと結婚するなら、自害するとでも姉に脅されてるんじゃないかなあ。エミリアだったっけ。彼の姉は結構きつい女性らしいからね。それくらいは言ってもおかしくない」

「自害? どうして。そこまでして抗議しなくてはいけないような人物ではないだろう、ミランダ殿は」

 身分違いということもないはずだし、私のように異国の人間だということもないじゃないかと言い、茉莉は言葉を切った。

「もしかして私が知らないだけで、クラルテには他にも何か、ミランダ殿のような女性を嫁にするのに支障があるような決まりでもあるのか?」

 あまり華やかなものを好まない本人の気性が災いしたのか、茉莉は子供を産んで国母となった現在でも、貴婦人たちより研究者や鉱術師達との付き合いの方が深い。一般的に淑女と呼ばれるような婦人の感覚をよく分かっていないことを、本人も自覚しているらしい。うーん、とうなってから、ロードライトは推論を口にした。

「勿論、本人の性格とか家の格とかは充分釣り合ってるんだけど。ミランダは、表向きには血筋のよく分からない娘をユーロパが養子にしたって形を取ってるし、何より軍人だからね。『貴婦人』の型には確かにはまってないから、不満に思うご婦人がいても……まあ、おかしくはないな」

 ふん、と鼻を鳴らしてから、ロードライトは意地悪く口元をゆがめた。

「まあ、それだけでもなさそうだけど……。バーナードの現当主も夫人も、その辺は分かってるだろ」

 いざとなったら少し職権を濫用してでも片付ける、とつぶやいて、ロードライトはまぶたを下ろした。

「なんにせよ、明日はミランダに謝って、カーティスと会えるように算段をつけてやらないと……。うん、確かに一番不安なのは、ミランダだよなあ……」

 言葉は尻すぼみになり、やがてロードライトの口から、規則正しい寝息が漏れ始める。頬にかかった金の髪を軽く払ってやってから仰向けになり、茉莉は天蓋をにらんでつぶやいた。

「……たとえ姉が命を盾に取って脅しても、あれならカーティス殿は無理やりにでも押し切ると思っていたんだが。妙だな」

 それとも、やはり私が性格を誤解していたのだろうかとつぶやいて、茉莉は目を閉じた。




「どうなさったのカーティス兄様。あまり食が進まれていないようですけれど」

 この状態でどうやったら食事が進むのか教えて欲しい、と思いながら、カーティスは出された紅茶を口に運んだ。酒に口をつけないのは、酔っ払ってうっかり我をなくし、既成事実を作ってしまったり、逆にヘンリエッタに手を上げるようなことになってしまっては困るからだ。元々それほど酒に弱い方ではないし酒癖も悪くはない。しかしここまで鬱屈が溜まっていると、タガを外した時にどうなるか、自分でもよく分からない。そうでなくても一月以上おあずけをくらっていて、不満は今にも爆発しそうなのだ。

 ヘンリエッタは邪気のない様子で、ただ心配そうにこちらの様子を伺っている。横目で姪を眺めると、カーティスは溜め息をついて席を立った。

「兄様?」

「エッタ。未婚の女性が、男性に馴れ馴れしく振舞うものじゃない。淑女なら、もう少し慎みを持った行動をしなさい」

 少し語尾に力を込め、咎める色を含ませる。ヘンリエッタはパンを皿に戻すと、顎を逸らして微笑んだ。

「ですから私は」

「俺はお前を婚約者だと認めた覚えはない」

「ミランダ様は、カーティス兄様に随分親しげに振舞われておりました。兄様はそういう方がお好みなのでしょう?」

「それはあの方が俺の上司だからで……」

 続けようとして口をつぐむ。

 そして、自分の気持ちを受け入れてくれたからで。

 沈黙が落ちる。

 やがてカーティスは諦めて息をつき、食事を残したまま席を立った。ヘンリエッタが何か言っていたが、構うなと手を振って扉を開き、そのまま外に出る。


 廊下の空気は冷えていた。全身から機嫌が悪いオーラを発している後継ぎと、強引に客人となった主の孫娘という異分子を抱え込んでいるせいだろう。そこかしこに気詰まりがするような、なんともいえない暗い空気が漂っている。使用人に咎はないのにと思うと彼らが気の毒だったが、どうすることも出来ない。


 自室に戻ると扉を閉めて鍵をかけ、ついでに両方の取っ手の間に火かき棒をつっこんでかんぬき代わりにする。扉をがちゃがちゃやって強度を確かめ、満足してからカーティスは部屋を見渡した。合鍵を持ってこられて夜這いでもかけられたらたまらない。昼間にあんなことをやらかすくらいだ、警戒しすぎてし足りないことはないだろう。窓の鍵も確認してから、ようやく息をついて寝台に倒れこむ。

 一月留守にしている間も、掃除は怠られていなかったのだろう。日向の匂いのするシーツが心地よかった。

 用事がありすぎて頭からいろいろなことが吹っ飛んでいたが、どうやらかなり疲れていたらしい。全身が鉛のように重く、だるかった。明日はどうしよう、とりあえずミランダに会う算段だけでもつけなくては。そうは思うが、頭が全く働いていない。これでは考えつくものも考えつかない。休まなくては、と自分に言い聞かせる端から不安と焦燥が胸をちりちりと焼き神経を昂ぶらせる。……一向に休める気配がない。

 何度目か分からない寝返りを打って息を吐いたとき、コン、と窓ガラスに何かが打ち付けられる音がした。

「!?」

 苛立ちは一瞬で吹っ飛び、カーティスは勢いをつけて体を起こした。横に置いていた油石入りのランプに明かりを灯し、裸足のまま窓に駆け寄る。

 せいぜい合鍵をこっそり手に入れる程度だろうと思っていたのだが、まさか窓から侵入するなどという強硬手段を使うような娘だったのか、ヘンリエッタは。

 ごくりと喉が鳴った。重いカーテンを引く手をつかの間さ迷わせてから、カーティスはえいやと気合を入れてそれを横に引いた。重厚な布地がはためく。窓の外に広がっていたのはただ暗い闇だったが、油石の明かりがガラス一枚隔てた外を、わずかに照らし出している。


 闇の中に明かりが描き出したのは、カーティスが思いもしなかった人物の姿だった。

 大声を上げそうになる寸前でカーティスははっと我に返る。眉を八の字にして首をひねり、窓の外にいた人物は申し訳なさそうに窓の鍵を指ししめす。それに一も二もなく頷くと、カーティスは慌てて窓の鍵を回した。

 軽い金属音の後で、キィと枠をきしませて窓が開かれる。冷えた外気が部屋の中に流れ込んできて、カーティスは思わず体を震わせた。外に居た人物も寒かったらしく、部屋の中に入るとやや慌てた様子で窓を閉め、カーテンを引いた。

「――ええっと」

 言葉もなく見下ろされて、居心地が悪かったらしい。軽く身をよじってから、彼女は苦笑する。

「ごめんね、変な所から入ってきちゃって。その、表門から回ると、なんかややこしそうだったから……」

 練り絹色の髪が、油石の明かりに照らされている。カーティスは口をぱくぱくと動かした後、はっと気付いてランプを床に置いた。

「あの」

「あ、寝てたんだ。髪に癖がついてる。……疲れてたのに、起こしちゃったね。ごめん」

 細い指が、カーティスの頭にそっと触れて髪を撫で付けて離れていく。それだけで、形容しがたい熱いものが胸に込み上げてきた。謝らなくてはいけないのはこちらの方なのに、目の前の女性は本気で申し訳なさそうに体を縮めている。

「……ミランダ様」

 そんなことはないです、とか、どうしてこんな時間に、とか。言わなくてはいけないことや、聞かなくてはいけないことが山ほどあった。しかし次に飛び出した言葉は、実に間抜けで、カレンがここに居たら速攻で火炎石の標的にされても文句つけられないものだった。

「思いっきり抱きしめていいですか」

 場の空気も何もあったものでない言葉を口にしてから、カーティスははっと口をつぐんだ。全身の血潮が羞恥で逆流する。そんなことを口にできる立場に、自分は居ない。

(あれだけ不誠実なことをしておきながら、ミランダ様の気持ちを考えるより先に自分の欲求を通そうとするなんて、俺はどれだけ厚顔なんだ!?)

 自分で自分にあきれたくなる。すみませんと謝罪して発言を取り消そうとするより早く、ミランダの口が開かれた。

「うん」

 言葉と同時にミランダが体を寄せてくる。柔らかくて温かな感触。背中に回された腕に、力が込められる。


 強い眩暈に、頭が焼かれそうになる。


 一ヶ月。

 どうして自分がそんなに長い間このぬくもりと離れていられたのだろうと、カーティスは心底疑問に思った。嬉しすぎて泣きたい。

「えっと」

 ミランダの声がわずかにかすれている。泣いているのだろうかと慌てて顔を上げさせると、薄茶色の瞳が少しだけうるんでいた。

「だ、だいじょうぶ……じゃないですよね。もうしわけありまもがっ」

 右手でカーティスの唇を押さえると、ミランダはくすりと笑う。その拍子に、目尻からぽろりと一粒、涙の雫がこぼれ落ちた。

「……まだ言ってなかったから」

「え、報告に漏れでもありましたか」

「違うよ」

 ぷっと子供のように頬を膨らませ、それからミランダは改めてカーティスの胸に額を押し付けた。


「おかえりなさい」


「あ……」

 きゅうっと子供のようにしがみつき、ミランダはカーティスの胸に頬をすりよせる。

 その一言を頭の中で何度も何度もかみしめるように反すうしてから、カーティスはミランダをしっかりと抱きこんだ。


「……ただいま帰りました」


 安堵と感慨の込められた低い甘いささやきが、ミランダの耳朶に落とされた。



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