廻る世界に祝福を 4
目の前に広がった真紅の薔薇の花束を見て、ミランダはひたすらまばたきを繰り返した。
そばかすの消えきっていない頬を紅潮させているのは、まだ若い騎士だ。ミランダより一つだけ年上で、名前が確かフィリップといった気がする。名前はわかるが、所属が思い出せない。どこの部隊だったっけとミランダが思い返している間に、フィリップが口を開いた。
「ず、ずっと見てたんです」
「は」
「カーティス様がいらっしゃるから……諦めてたんですけど……。でも、あの方がああしてミランダ様を裏切ると分かってたら、みすみす気持ちをこらえたりしませんでした!」
ひたすら目を白黒させながら、ミランダは差し出された薔薇が、かつて別の人間から渡されたものと同じであることに気付いた。その時の薔薇は一輪で、しかも薔薇の棘はそのまま残されていたので、意図が本来のものとは違うのだとすぐに分かったのだが。
『本来』、この薔薇は貴婦人に愛を告白する時によく使われる小道具である。今回はきちんと棘も取られ、花束にはご丁寧にレースのあしらわれたリボンが巻かれている。
だからこれは正当な使い方をされている薔薇だと結論付け、ミランダははたと我に帰った。その「正当なの使いかたをされている」薔薇は今、自分に向かって差し出されていないか。
つまり。
「あーえーと、フィリップさん?」
上気した頬、真剣みを帯びた瞳。その態度から誠実であろうことは分かる。分かるけれども。
「申し訳ないけど、そういう申し出は勤務時間中にはお受けできません。どうしてもと言うなら、実家の方にお願いします。ここは城内で、私たちは今陛下や王妃陛下、王女殿下をお守りする為にいるのだということを、忘れないでください」
「あ……」
苦笑して肩をすくめると、ミランダはええと、と頬をかいた。
「でも。その。実家の方にその花束を贈っていただいても、私はお受けできないです、とお返事はさせていただきます。……お気持ちは嬉しかったです。ありがとうございます」
一の騎士にぺこりと頭を下げられて、年若い騎士は恐縮した風に両手を振った。ついで失望混じりの、けれども淀みとは無縁の、気持ちのいい照れ笑いが、その顔に浮かぶ。申し訳ないですけど、と苦笑して、ミランダはもう一度頭を下げた。
「う、ううーん?」
自分の執務室につくなり、机の上に積み上げられている花束に、ミランダは再び目を白黒させる羽目になった。それをせっせと片付けてるのは自身も忙しいであろうジグと、何故かジェラルドとその従騎士だった。
「ジグ、ジェラルド殿、アルヴァ殿。……どうなさったんですか」
扉の取っ手に手をかけたまま固まったミランダの方に視線をやり、三人は互いに顔を見合わせると腰を上げた。
まず一礼して用事を切り出したのはジェラルドだった。
「私は、陛下からミランダ様をお呼びするように言われてまいりました」
「俺はたまたま通りがかってこの惨状を目にしちまったんで、思わず」
ミランダは外に出て、扉を改めて見直してみた。名札に刻まれた名前を確認する。
「……ここ、私の部屋で間違ってないですよね?」
「ええ、間違っていません」
もう一度部屋の中を見直す。恐らくはそこらへんにあるものをかき集めてきたのだろう。大きさも色もまちまちな花瓶に生けられた花はその半分以上が先ほどと同じ薔薇で、既に机の周囲を埋め尽くしていた。花束のまま、その辺に積まれている薔薇もまだかなり残っている。甘い匂いが部屋中に満ち、ミランダの粗末な居室は、今や小さな薔薇園のようになってしまっていた。
「ああ、駄目だなきりがない。アルヴァ、王宮の方に行って、手が空いている侍女を何人か呼んできてくれ。彼女達に任せた方がいいだろう」
私とジグ殿では片付けるだけで手一杯だとつぶやくと、ジェラルドは腰を軽く叩いて顔をしかめた。端正な顔がくもり、口からゆるりと息が吐き出される。
「ジェラルド殿、これは?」
「ただ積み上げておくだけは痛んでしまいますので。余計なお世話かと思いましたが、少し整理させていただきました。――送り主のメッセージは、こちらに」
差し出された紙の束を受け取って、ミランダは一番上にあるカードを眺めた。どこぞの画家の直筆と思しき、リボンを咥えた小鳥の絵。それを開いて中身に目を通して、ミランダは眉をひそめた。
「……『可憐なスミレに、小鳥と薔薇が思いを届けるでしょう』?」
「気の利かない口説き文句ですね」
「口説き文句? え、もしかしてこれ全部……」
「カードの表に描かれた絵の暗喩は全て愛の告白に絡むものでしたから、おそらくは」
次のカードを確かめる手を止めて、ミランダはぽかんと口をあけた。
「ええ? なんでいきなり??」
「……最大の障壁がいなくなったからじゃないですか」
それまで沈黙を守っていたジグが口を開く。ミランダはひたすら目を丸くしていたが、やがて困惑した風に首をかしげた。
「障壁って、カーティスのこと? えーとじゃあ、もしかして、カーティスが婚約者迎えたから私がフリーになったと思って……ありえないでしょ」
正解にたどり着く前にその可能性を打ち消して思案を始めるミランダを、ジェラルドが不思議そうに見つめる。
「ありえない? どうしてですか」
「だって私、容姿は十人並み以下だし、全然貴婦人らしくないし……男の人が口説きたい『女性』じゃないですから」
からかわれてるのかなあ、としょげた声を出し、ミランダは肩を落とす。
「来る途中にも、何回か花束差し出されたんだよね……。昨日のあれ、そんなにからかいの種にしたくなるような出来事だったのかなあ……」
ジグとジェラルドは互いに顔を見合わせ、ついで気落ちしているらしい一の騎士に同時に歩み寄った。
「いや、全員この上もなく真剣だと思いますよ」
「私も、婚約者がいなければ名乗りをあげていたと思います」
「ありがとうございます……」
なぐさめてくれて、という言葉が後に続きそうな力のない笑みに、ジェラルドとジグは同時に苦笑する。穏やかな心根や朗らかな物言いが、容姿や貴婦人らしい立ち居振舞いがどうでも良くなるほど強烈に異性をひきつけていることを、当のミランダは全く自覚していないらしい。
「とにかく。こういうことはやめてもらわないと。秋の忙しい時期なのに、何考えてるんだろ」
唇を尖らせて文句を言いながら、ミランダは薔薇を一輪花瓶から抜き取って、それをくるくるともてあそぶ。
「薔薇は何も悪いことしてないんだから、捨てるのは忍びないけど……これじゃ、仕事出来ない……」
溜め息と共に吐き出された感想は、薔薇の送り主達が期待していたものとはまるで違っている。正攻法の口説き方がこの上司に通用しないことを、同僚の自爆を両手に余るほど見てきたジグはよく分かっている。それを知らなかったのがこいつらの敗因だなと結論付けて、ジグは頭に手をやった。
「ミランダ様、今日は内宮の部屋で政務をされてはどうですか。その間にこの薔薇はどこか邪魔にならないところに、分けて飾ってもらいましょうや」
「ああ……うんそうだね……。ジェラルド殿、申し訳ありません。伝言を持ってきてくださっただけなのに、余計な仕事までさせてしまって」
肩を軽く回しながら、ジェラルドは優しげな容姿を最大限に生かした微笑みをミランダに向ける。
「構いませんよ。そうだミランダ様、昼食はまだお済みではないですよね?」
「? ええ、はい」
「陛下は『用事は急ぎではないけれど長引くので、済んでいないようなら昼食を取らせてから連れて来るように』と仰せでした。よろしければご一緒させていただいても?」
「あ、はい。是非」
そういえば朝はろくなものを食べていない、と言ってミランダは腹を軽く押さえる。空腹という現実を思い出して、少し元気が出たらしい。かすかに笑ってうなずいてくれたので、ジェラルドはほっと息を吐いた。
柱時計を見上げてから、ジグがミランダの方に向き直る。
「俺もまだなんでご一緒させていただいてもいいですかね? 食堂ですよね」
「うん。ここで食べるのは無理だから、食堂だね」
「アルヴァに書置きを残させていただいても?」
「あ、はい。そこにある紙を使って……って、紙まで埋もれちゃってる……。ちょっと待ってくださいね」
スカートを少しだけたくしあげ、薔薇をかきわけるようにして、ミランダは机に向かっていく。赤い薔薇はミランダには確かに少々派手過ぎるきらいがあるが、似合っていないわけではない。ジェラルドが目を細めてミランダの動向を見守っていると、ジグの肘が横からジェラルドのわき腹をつついてきた。
「……ほんとに急ぎの用事じゃないんですか?」
「どの道、陛下も今ごろは世話係に無理やり昼食を取らされている時間だ。多少遅れても支障はないさ。私とジグ殿がついていれば、廊下を出歩いていても大半の虫は寄ってくるまい」
ささやかれた言葉にジェラルドがささやき返すと、ジグは心得たようにうなずいた。確かにこの調子だと、ミランダは食堂で落ち着いて食事を取ることさえ難しいだろう。
宮中では国王についで優美な外見を持っていると称される騎士と、山賊上がりだと言われても信じてしまいそうないかつい体格と顔をした騎士が後ろに控えていれば、確かに声をかける連中は減るはずだ。常に神経を尖らせ周囲を威嚇し、ひたすら一の騎士を追いかけつづけていた側近の騎士ほどの効力はないにせよ。
「ミランダ様は当分お帰りになりません」
馴染みになっていたはずの門番の態度が、この上もなくそっけない。ここまで既に情報が回っていたのか、とカーティスは歯噛みしたくなった。
ミランダとうやむやのうちに引き離された後、カーティスの所に、『国王直筆の』令状がすぐに届いた。
――いわく。長期の出張のねぎらいの意味もこめて、一週間の休暇を与えると。
言い換えれば「この期間で厄介ごとは全て片付けろ」という、半ば嫌がらせの意味を込めた『命令』なのだろう。正式な命令文の後に、「カーティスは仕事熱心すぎていけないから、城門に来ても休暇中は追い返すように通達を出した。しっかり休め」という一文が付け加えられているし、カーティスと同様に昨日王都に戻ったジグは、今日も普通に出仕している。これが嫌がらせでなくてなんなのだ。
カーティスの母親は、最初こそ孫の突拍子もない申し出に目を丸くした。しかし姉からの文に目を通すと「お前も二十六なのだから、自分の問題は自分で片付けなさい」とそっけなく言い放ち、ヘンリエッタを連れて馴染みの仕立て屋に出かけてしまった。
せめてミランダの実家、グラファイト家に言付けを頼もうと思えばこの有様だ。
完全な孤立無援。
自分の状況にも頭を抱えたかったが、それ以上に何の説明もされないまま放り出してしまったミランダの心境の方が、カーティスには気がかりだった。強烈に誤解されている。絶対誤解されている。冷静な方だから、自分の態度がおかしかったことには気付くだろうと期待する端から浮かんでくるのは、長い長い片思い期間の間に散々経験させられた、苦い自爆の体験だ。
ミランダは鈍い。それはもう、奇跡的なまでに鈍い。
彼女を長年追いかけている間に、ミランダはどうやら「自分に好意が向けられることなどありえない」と思い込んでしまっていることが分かってきた。容姿のせいか立場のせいかはわからない。しかしそれがミランダの「自分に向けられる好意にだけは鈍い」というややこしい性格を形作っている一端だと、カーティスは確信していた。多分今でも、ミランダはカーティスが彼女を好きでたまらないということを、どこかで疑っているだろう。
そんな状況で、説明もなしにあんな場面を見せられたら。
多分ミランダは、あっさりカーティスを思い切ってしまうだろう。それも仕方がないかと、どこか寂しげな、気負わない笑みを顔に浮かべて。
冗談じゃない。それだけは絶対に嫌だ。
「カーティス殿、用事がないならお帰りください。この時期、ミランダ様は一月はお屋敷に戻られないのを、カーティス様はよくご存知のはずでしょう」
「カーティスさん」ではなく「カーティス殿」と呼ぶのも、わざとだ。思わずすがるような視線を向け、カーティスは馴染みの青年の名を口にした。
「セロン」
「カーティス殿に馴れ馴れしく呼ばれる名前を、この屋敷の使用人は一人として持ち合わせてません」
つん、と顎を逸らされる。敬愛する主人の一人娘を無下に扱われては無理もないだろう。はあ、と溜め息をつき、カーティスは馬の手綱を取った。ここを強硬突破しても、屋敷の中に目当ての人物はいない。大人しく帰った方が賢明だろう。




