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第七章 鉱術師の告白 5

「……つまりこの先で眠っている女王を解放しろと、貴公はそうおっしゃりたいのだな」

「女王?」

 右手を腰に当て、茉莉は大きく頷いた。

「その扉の向こう、棺が納められている場所に、眠っている魂がある。本来ならばとうの昔に天に還り……いや、この国では死した魂は一度地に帰り、再び転生の輪の中に入るのだったか。とにかく、あるべき命の流れから外れ、今もここに留まっている」

 カリナンは顔を伏せたまま、動こうとしない。泉の向こう、ひときわ繊細な造りの両開きの扉の向こうに、ダリア女王は眠っているはずだ。

「生きた貴石が鉱石に力を与える動的な存在ならば、貴公と開祖殿の魂はそれを支える陣のようなものなのだな。……死した魂を贄にしてまで、こんなからくりを作る必要はあったのか?」

「ダリアが望んだからな。自らの魂などどうなってもいいから、二度とこの国に悲劇をもたらさないでくれと」

「愚かな」

「ああ、愚かだ。だがその愚かな契約にすがらなくては、……ダリアはきっと、正気を失っていた。あれは不思議なほど世俗の穢れとは無縁で、無邪気に兄達を慕っていたから。きっと伝承は彼女の事を勇敢な女王と伝えているのだろうな。だが、実際は……」

 言葉を切って、カリナンは大きく首を左右に振った。

「傷をつけぬように、大切に大切に育てられた娘が、慕っていた家族をその手で殺せと言われて、正気を保っていられると思うか?」

「為政者にはそのような冷酷さが求められる時が往々にあるだろう。それに耐えられないというのなら、それは育てるものの手落ちか、その娘に元々為政者の資質がなかったということだ。第一、貴公が本当に望んでいたのは、そのようなことではないだろう」

 歯に衣着せぬ物言いだ。頭を深く垂れて、カリナンはその通りかもしれないとつぶやいた。

「鉱石の薬効も、生きた貴石も、その守護者を造り出す王族の血も、貴公にとって全ては副産物と呼んで差し支えないものだったのだろう。魂を縛りつけ、子孫にまで呪いを伝え、それだけのものを対価にして。……ダリア女王の記憶を捻じ曲げた。それが貴公の、本当の目的だったのだろう?」

 問いかけの形をとりながらも、茉莉はそれが正解なのだと確信しているようだった。カリナンも反論せずに、ただじっとその場に膝をついている。

「ま、待ってください!」

 ロードライトが、制止の声を上げた。カリナンが顔を上げ、茉莉が肩越しに振り返る。

 声は普段の彼からは想像もつかないほどみっともなく震え、唇は寒さのせいではなく青ざめていた。

「どういう……記憶を捻じ曲げた? それだけのために、国に呪いを?」

「……さすがと申し上げるべきか。そこまで分かるものなのか」

「天に昇れない魂を縛り付けている、しがらみや因縁を解き放つのが神樹のいとし子の役目だったからな。魂に奇妙な紋が刻まれている。仕組みまでは分からないが、性質くらいは推測がつく。分かっていて、喚んだのだろう」

「ああ」

「立っていただきたい。先祖に頭を下げられたままでは、子孫はいたたまれないだろう」

 カリナンが立ち上がるのを待って、茉莉はロードライトに向き直った。

「忌まわしい記憶を封じるだけの法ならば、東照にも存在する。術を使わずとも、あまりにもひどい記憶を心の奥底に無意識に封じ込んでしまう者もいるくらいだから、これだけならばさほど難しいことはない。術の対価もそう重いものではないんだ」

「だが、ダリアは女王として立った。兄を殺した記憶を、忘れるわけにはいかなかった。だから……私は鉱石に宿る神を呼び出し、契約を交わしたのだ。一族と彼女自身の命を対価にして、ダリア自身の意識を変えてしまうことを。兄を慕っていた意識を彼女の中から消し、変革の為政者として、申し分ない器にと」

 ロードライトの肩が、大きく震えた。為政者としてという意識よりも、もっと奥深い場所にある何かが、男の言葉に深い嫌悪を示している。

「そんな……」

「巫女姫よ。恐らく貴女はそういった行為を何よりも嫌われるのだろう。だが、あの時、疲弊しきった国を立て直す為に、あれは止むを得ない行為だったのだと、私は今でも思っている」

「気には食わないが既に済んだ話だ。それに関して口を出す気はない。理不尽な話など、歴史の中には掃いて捨てるほど転がっている」

 まぶたを伏せて、強い口調で言い切ってから、茉莉はぎゅっと拳を握り締めた。

「私が怒っているのは、別の件だ……分からないとは言わせんぞ。開祖を支えるものの名を戴いているのであれば、やるべきことは分かっていただろうに。……どうしてもっと早く、国のものに伝えようとしなかったんだ。呪術の要、女王の魂が消えかけていると」

 形容しがたい表情で、カリナンは小柄な巫女姫を見つめた。




 話の意味をなんとか噛み砕いて理解するなり、ロードライトは茉莉の肩に手を置いて、彼女に早口で問いかけた。

「茉莉。それは一体……消滅しかけてるって」

「文字通り、無に帰すということだ。転生も叶わぬまま、な。神樹にさえ寿命があるんだ。人を媒介とした呪術が、未来永劫続くことなどありえない。魂とて無限の時を持つわけではないのだから。ましてやそれが不自然に手を加えられ、歪められているのであれば、病んで消滅がはやまることなど目に見えている」

「開祖の魂が消滅したら……どうなるんだ」

 一拍の間を置いて、返答があった。

「術式が崩壊するな。もともとの願いは既に成就されているし、対価も払われているから新たな厄災が降りかかることはないだろうが……この国の鉱石からは薬効が喪われ、お前の妹はお前に刃を向けることができるようになる」

「い、いや後者は別にいいけど前者は充分厄災だよ!! どれだけの民が鉱術で生計を立てていると思ってるんだ!」

 とっさにロードライトの口から出てきた言葉が、自分ではなく国の将来を案じるものであったことに、カリナンは一瞬だけ満足そうな顔をした。しかしそれはまばたきを一回するかしないかの刹那の出来事で、彼はすぐに真顔に戻り、茉莉のほうに向き直った。

「だが放っておけば、それは近く訪れる未来だ。東の媛君よ。貴女にならば、何とかできるはずなのだ。鉱石の薬効は私にとっては副次的なものだったが、この国にとっては既にかけがえのないものになってしまっている。今ここで、この呪いを崩壊させるわけにはいかないのだ」

「それが分かっているのなら、どうして己が意志を継ぐ者達にそれを伝えようとしなかった。たとえ開祖の女王の魂を一層歪め、苦しませる結果になったとしても、その苦しみを甘んじて受けるだけのことを、あなた方は行ったはずだろう。時間があれば何がしかの対策を立てられたかもしれないのに、貴公はその時間を民から奪ったんだ。他国の小娘を当てにし、全てが丸く収まるだろうと甘い期待をするのは、虫のいい、自分勝手な考えだとは思わないのか」

「厳しいな」

「いくら年上であろうと、敬意を払えない者に対して礼を尽くせるほど、私は人間が出来ていない」

 茉莉の声は決して荒げられることはなかった。だがそれが逆に、淡々とした怒りを痛いほど伝えてくる。

「この時期に、貴女が国を出たことがめぐり合わせだと感じるのを、許してはいただけないのだろうか。神樹の欠片と貴女の血があれば、ダリアは今度こそ安らかな眠りにつき、クラルテの鉱術は変質しながらもさらに発展していくことが出来るだろう」

「断る、と言ったら?」

「数百万の民が路頭に迷うことになるだろうな。ダリアは消え、無数の悲しみがこの国に満ちる。そこの貴石のこれからの生涯も、明るいものとは言えなくなるだろう」

 さらさらと、流れる水の音ばかりがあたりに響いた。


「茉莉」


 自分のみに許された名を呼んで、ロードライトは茉莉を背後から抱き寄せた。小さな体が怒りの為に震えている。老獪さを身につけているとはいえない仕草は、紛れもなく若い娘のものだ。そのまっすぐな気質を愛しいと感じながら、ロードライトは始祖の夫に目を向けた。

「……カリナン様。それは脅迫と言いませんか」

 子孫の言葉に、少しも動じた様子を見せずに、カリナンは答える。

「駆け引きでは、圧力も脅迫も日常的に使用されているものだろう」

「そりゃそうですけどね。何か、幻滅ですよ。おとぎ話の中では開祖ダリア女王の夫にして初代の鉱術師といえば、かっこよくて知的で、話を聞く子供の憧れの的だったのに」

 ふう、と芝居がかった仕草で溜め息を吐いて、ロードライトは茉莉を抱き寄せる腕に力を込めた。

「私とこの国を取引のダシに使われるのは、はっきり申し上げて不愉快です。僕は国益のために茉莉を妻に迎えたいと思ったわけじゃありませんからね」

「……ロード」

 寄るべない船に、たった一人で乗り込んでいるかのような、頼りない声だった。落ち着かせるように指先で茉莉の髪を梳いて、ロードライトは彼女に囁きかける。

「望まないなら、何もしなくていい。これはこの国の問題だ。何も出来ずに手をこまねいて見ているほど、鉱術師達は怠け者じゃない。それが目的で茉莉を呼んだと思われるのは、うちが無能だと言われているようで、癪だ。時間を与えて下さらなかったご先祖様には、少々恨み言を申し上げたい気はするけど」

 ねえ、とロードライトは少しおどけて、茉莉の後頭部に顎を埋めた。

「……大丈夫だから。民も僕も、そんなにやわじゃないよ。僕は僕の意志で君を愛してるし、茉莉が本心から嫌がることまで強制する気はないから。だから泣かないで」

 茉莉の頬を辿れば、温かく濡れたものが指先を塗らした。

 どうせなら最初に見る涙は嬉し涙が良かった。少し残念に思いながら、ロードライトは茉莉の頭をなだめるように何度も撫でた。


「……私は、もう神樹のいとし子ではないんだ。使える力など、たかが知れている。成功するかどうかも分からない。そんなものにすがって、もし全てが駄目になったら、どうするつもりなんだ……」


 ぽつりと落とされた言葉は、ひどくか細く頼りなかった。

 カリナンの表情が、初めて揺れる。

 なるほどそれが不安で怒ったのかと納得して、ロードライトは柔らかく笑った。


「手伝ってくれるならそりゃ嬉しいし助かるけど、茉莉ひとりに全てを背負わせる気はないから。安心していいよ。……全く」

 はあ、と盛大に溜め息をついて、ロードライトは自分の父親より若く見える鉱術師を笑顔で見返した。

「数百年に及んで苦しみ続けてきた、開祖の嘆きを感じ取れなかった子孫にも落ち度はあると思いますけどね。もう少しご自分の子孫を信じていただいても構わなかったんじゃないですか? この上死者に鞭打つような真似をするほど、僕らは恩知らずではないと自負しているのですがね」

「……」

 カリナンの叱られた子供のような表情を、面白いなあと思いながらロードライトは見やった。こうして見ると、数百年前の人間も自分達と変わらないのだと思えるから不思議だ。

「……一度戻ります。こういった国の大事は、僕や茉莉の独断では進められませんからね。しばらくは宮のほうが騒がしくなると思いますが、ご容赦の程を」

 さて、と言うなりロードライトは背をかがめて、茉莉を一気にすくい上げた。小さく悲鳴を上げて首に腕を回してきた茉莉を横抱きにして、ロードライトは泉を後にした。




 話を聞かされて烈火のごとく怒り狂ったのは、国王夫妻でも一の騎士でも宰相でもなく、地星宮の次期大司祭だった。

「なああああんですの、それえええ! 馬鹿にしてますわ!! この国の鉱術師達がそんなに無能だって言いたいんですのー!?」

 放っておけばじたばた暴れ出しそうなカレンを、ミランダが慌ててなだめにかかっている。

 その横でいかつい顔をさらに険しくしたのは、東照の将軍だった。

「……昔の命であれば、調整や魂の浄化などはお手の物だったでしょうがなあ。生憎、既に水だけで睡眠なしでもぴんぴんしているようなお方ではなくなってしまいましたから、確かに不確実ではありますな」

「今の私は少々強い術者程度の能力しかないんだ。使えそうなものは、せいぜいロードにやった神樹の枝くらいだ。それとて、どれ程の力が残っているのかは怪しいが」

 ふむ、と手元でその枝を弄り回しながら、ロードライトがテーブルに肘をついた。

「歴代の王への呪いと、ダリア女王の魂、それにカリナン様の魂。これがクラルテの呪いの基幹でありからくりな訳だよね。どうしてカリナン様はこれとミコトの血が、代替になるとおっしゃられたんだろうね?」

「命の血、というのは、太子殿と命が子を成されることを言っているのでしょう。元々命は純粋な人間とは言えないところがございますから、それが何がしかの変化をもたらすのかもしれませんが……ですが、神樹のいとし子が人間の下に嫁いだ先例は、わが国にもございませんから、こればかりは何とも……」

「そちらの予測ならつくが」

 あっさり言ったのは当の茉莉だった。全員の視線が一斉に集中する。いつもの質素な衣装であっても、茉莉は、着飾った面々の中で見劣りすることがなかった。巫女というのは得てしてそういうものなのかもしれない。

 茉莉は何かを指し示すように、自分の胸元を軽く押さえた。

「体の調子を整える薬のようなものだ。私の血は神樹の性質をわずかに受け継いでいる。淀みを吸収し、新たな空気を作り出し、大地のあるべき力を増幅させる。……この国は元々鉱石の性質が強いから、初代の鉱術師も呼び出す神を鉱石の神に定めたのだろう?」

「ええ、そのような記述は国史のそこここにございますわね」

 カレンの補足を得て、茉莉は一つ頷くと、テーブルを囲んでいる重鎮達の方に向き直った。

「だから、私の血が入ることで、鉱石の薬効は増幅できるようになるのだと思う。元々、生きた『貴石』は術式の要となって鉱石の力を増幅させ、効用を整える働きをしていたようだしな。それを術に頼ることなく、血筋で行おうとしているのだろう。……問題は、薬効を与える肝心要の部分、ダリア女王の魂の位置に入る、代替だ」

「神樹の枝はその代替にはなりえませんの?」

「そのままの形では無理だな」

 茉莉の横に、番人のように控えていた誠が、おもむろに口を開く。

「鉱石の効用を持続させたいだけなのでしたら、術を根本から変えたほうが早いのではないかと存じます。元々、命や神樹の枝は、呪術とは相反する性質の持ち主でいらっしゃいますから……」

「血は問題ない、あとは新しい術を編み出せということか」

 出来るか、と集められた神殿の大司祭達を、国王が見渡す。四人の大司祭達が、自負をもって頷き返してきた。

「やるしかないでしょう。方法がないわけではありますまい」

「祖先に見くびられて、矜持を傷つけられたのはカレン殿だけではありませんよ」

 頼もしい返事を受けて、ロードライトがこっそり茉莉にささやきかけた。

「ね、大丈夫って言っただろう」




 慌しく大司祭達が退出して行く。それを見送ってから、東照の将軍が残された国王夫妻と王子達の方に向き直った。

「それから出来れば、王位継承者以外のお子……王女などは、在野に降りて嫁がれるようになさった方がよろしいのではないかと存じます。王子の扱いがこの国でどのようになされているのかは、私には分からないのですが……王子も、出来れば」

 茉莉とロードライトを交互に見て、誠は少し赤くなって、オホンと咳払いをした。

「子供、って」

 つられてロードライトも赤くなる。茉莉だけが平然と誠に頷き返した。

「いずれ血は薄れていくものだからな。消えることはないだろうが、この血筋を持つものが各地に散らばるように配しておいた方がいい。広く薄くという奴だ」

「う、ううん。その辺はまあ、おいおいということにしておいて」

「……つまり」

 黙ってそれまでの話に耳を傾けていたミランダが、口を開いた。

「王族の方の地位が、呪いによって絶対的なものであると保証されることはなくなる、と」

 ふっと、全員が口をつぐんだ。

「……それが普通の国の姿ではあるけれど。これからの国王は、国の舵取りと権力抗争の調整に、気を張らないといけなくなるわけだね」

 これまでは、『貴石が死ねばクラルテの富が失われる』という呪いが、王宮内での王の抗争を完全に抑えてきた。第二子以降の子供が第一子に刃を向ければ、その心臓はたちどころに凍りつき、動きを止めると言われていたから、第二子以降の子供が王座を望むことがそもそも不可能だったせいもあるだろう。

 それこそがダリア女王の願いであり、呪いの要であったのだから、呪いを解くとなれば、その長所が喪われることも覚悟しなくてはいけないのだ。


「デリフェルを他人事と笑えなくなるわけだ。だが、まあ、そればかりは蓋を開けてみなければどうなるかは分からないところだね」




 舞踏会を終わらせ、重鎮を集めて極秘裏に話し合いを行い、ひととおりのことに決着がついたときには、既に日はかなり高い所まで昇ってしまっていた。

 ベッドに身を投げ出して、ロードライトはぼんやりと天蓋を眺めていた。

 全てのことがあまりにも性急に進みすぎて、まるで現実感がない。

 大きく呼吸をして、全身の力をくたりと抜く。ベッドに体が沈み、乾いたシーツの匂いが全身を包んだ。

 ぼんやりしていると、コンコン、と小さなノックの音が部屋に響いた。侍女のものではない。彼女達のノックは部屋の主に確実に聞こえるように、それなりに大きく響くように言いつけられている。

「誰だ?」

 問いかけると、一瞬の沈黙の後に、返答があった。

「……私だ」

 茉莉だ。何か用があったのだろうか。寝台から勢いをつけて降りる。

 上着を羽織りながら扉を開けると、いつも通りの格好をした茉莉が立っていた。

「何かあった?」

 面倒な知らせだったら、このまま茉莉を抱えて知らん振りして眠ってしまおうかなと、他愛もない事を考えながら尋ねる。茉莉はきょとんとした様子でロードライトを見上げ、それからゆっくりと首を傾けた。

「舞踏会が終わったら部屋へ来いと言ったのは、お前だろう」

「あ」

 と言ったきり固まったロードライトの頬を、茉莉が右手の指先でそっとなぞった。頬に髪が張り付いていたらしい。

 頭の中で形にならないもやがぐるぐる渦を巻いているのを、ロードライトは必死に整理する。いつもなら多分もう少し綺麗に事を運べるのだが、いかんせん今は眠すぎて、上手く頭が回っていない。頭をわしわしとかき回してから、ロードライトは茉莉の肩に手をかけた。

「う、ん。いや……」

 とにかく入ってと促され、茉莉は大人しくそれに従った。


「眠いんだろう」

「うん。まさかこんなことになるとは思わなくて、ははは」

 既にすっかり日も昇ってしまっている。いくらなんでも、この状態では。

 タイミング逃しちゃったなあとぼやいて、気まずそうに眉を八の字にしているロードライトを横目で見やって、茉莉は自分の髪留めに手をやった。ぱさり、と乾いた音がして、茉莉の髪が肩から滑り落ちる。

「茉莉?」

 すたすたと歩いていって、茉莉は寝台の端に腰を下ろした。スプリングのきいたベッドが、茉莉を乗せたまま軽く上下に揺れる。

 ぽん、と膝を手で叩かれ、ロードライトは彼女の指示の意味を理解した。上着を脱いでタイを解き、襟元をくつろげると、ベッドに這い上がって茉莉の膝にゆっくり頭を乗せた。目を閉じると、茉莉の柔らかな手が額を滑ってそっと両目の上に乗せられた。その冷たさが熱を持ったまぶたに心地よくて、ロードライトはほっと息を吐いた。

「……冷たくなってるね。ごめん、約束していたんだから迎えに行けば良かった」

「気にするな」

 茉莉の両手が離れると、今度は毛布がふわりと体にかけられた。再び額に戻ってきた茉莉の手を、ロードライトは自分の手で軽く包んで、口元に指を滑らせた。茉莉の指先が、ぴくりと揺れる。


「東方の光、か」


 新しい血筋、変革のきっかけとなるもの。

 預言の意味が、あらためて体に染みてくる。


 窓から差し込んでくる日の光が、茉莉の肌の際を淡く縁取っている。

 光の際を払うように指を伸ばして、その姿勢のまま、ロードライトは動きを止めて、ふわりと茉莉に微笑んで見せた。

 怪訝そうな顔をした茉莉の表情を確認したのは、ほんの一瞬だった。


 一つまばたきをする間に、二人の体勢は入れ替わっていた。それにうろたえた様子も見せずに、茉莉はロードライトを見上げている。両手はロードライトの手と絡められ、上のほうで抑えつけられてしまっている。

「ロード」

 どういうつもりだ――そういう意味が込められているのであろう強い視線が、自分を射抜いている。

 それをロードライトは心地よいと感じた。

 清冽な視線が、自分の体にまとわりついた澱を洗い流していく。

「……捕まえたくなっただけだよ」


 伝承だの、なんだのは関係なしに。ただ。



 金色の光が、夜の闇の中に溶け込んでいく。



 やっとのことで口づけから開放された時には、茉莉の胸は大きく上下していた。

 呼吸が乱れ、頬は赤く上気している。

「機を、逃した、と、言った端から……」

「嫌ならやめてあげるけど?」

 『あげる』の部分に力を込める。案の定、茉莉はぐっと押し黙った。見返してくる潤んだ瞳に、どうしようもなく胸が熱くなるのを感じながら、ロードライトは茉莉の首元に唇を寄せた。

「……光という呼び方は、好きじゃないな」

 こういう状況で焦るのはスマートじゃないなあと心のどこかで自分にあきれながら、それでもロードライトは、茉莉の着物のあわせに差し入れている自分の手の動きをもどかしく感じていた。白い肌はしっとりと吸い付くように手になじみ、きめの細かさを、その下で緩く息づく命の息吹を伝えてくる。


 もっと傍に。足りない、これだけでは。


「花を手折って。……この腕の中に捕えておく罪を、君や君の国の人は許してくれるかな」

 自分だけが呼ぶ事を許された花の名前。

 深い、森の中にいるような空気が、一層その濃さを増したように感じた。

 その中に混じる、甘い花の香り。

 薔薇とも香水とも違う、ささやかな香りは、彼女にひどくふさわしいもののように思える。

「……は」

「うん?」

「私は、自分の意志でこの場所を……お前を選んだんだ。妙な誤解をして勝手に罪の意識に浸るな。迷惑だ」

 眉がしかめられ、涙の珠が端に浮かんでいる目が細くなる。本当に心底迷惑だと思われているのだ。

 こみ上げてくる嬉しさが、そのまま顔に出ていたらしい。

 茉莉の肌がさっと色づいた後、その唇が悔しげに引き結ばれ、ついと視線が逸らされた。

「先に言ったのは、お前だろう。私が同じ気持ちでいると、どうして思わないんだ。手折るとか、許すとか……そういう言葉を、使うな」

「うん」


 ごめん、と耳元で囁くと、茉莉は小さく頷いた。


 小刻みに震えながら、必死に自分を受け入れようとしている小さな存在を、ロードライトはこの上もなく愛しいと思った。









(第七章 鉱術師の告白 終わり)

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