第七章 鉱術師の告白 4
曲が終わった後に、ロードライトの予測どおり、ミランダは貴族たちにわっと取り囲まれる事になった。
激しい動きに少々疲れた様子が見られた茉莉をリードしてその輪から抜け、ロードライトは彼女をそのまま廊下に連れ出した。
「殿下、ミコト様、どちらまで」
「休憩にね。連れが少々気分を悪くしたようだから」
警備にあたっていた衛兵に片手を上げて応え、ロードライトはその場を後にした。
「どこに行くんだ?」
見覚えのない王宮の一角に足を踏み入れたことに疑問を感じたのか、茉莉が尋ねてくる。宴の演奏ははるか遠く、人の気配さえなくなり、いつしか周囲は互いの足音以外に聞こえるものがなにもないほど静まり返っていた。
「何を置いてもまず先に、開祖に挨拶をと思ってね」
「……」
ふと、茉莉の両目が細められた。ロードライトが手にもっていた上着を茉莉の肩に着せ掛ける。開かれた扉の向こうから、身を切られるような空気がなだれ込んできた。
先に中庭に下りて茉莉の手を取りながら、ロードライトは夜空を見上げた。
「この寒さだと……氷が張っているかもしれないな」
「?」
要らぬ心配かもしれないけどねと付け加えるロードライトの吐息は白い。金色の髪に冷えた月光が降り注ぎ、肌の際をぼんやりと光らせていた。
この世のものではないのではないかと思えるほど浮世離れした様子に、茉莉がじっと見入っている。
「あ、見惚れてたね?」
悪戯めいた顔で自惚れてみせる。付き合いきれないという風に茉莉が呆れることを見越しての台詞だったが、茉莉は返事をしなかった。数段しかない階段の上で立ち止まったまま、彼女は静かにロードライトの手に、空いていた自分の手を沿わせた。
「……消えるなよ」
朱唇からこぼれ出たのは、意外なほど頼りない言葉だった。ロードライトはわずかに目を見張った後で、ゆったりと表情を綻ばせた。
ロードライトがつかんでいた手に指を絡め、茉莉は階段をゆっくりと降りてくる。空いたほうの手で床についている衣をたくしあげている。階段を降りるたびに簪の飾りがしゃらしゃらと揺れた。
「心配なら、腕でも組もうか」
肘が差し出される。戸惑って視線を迷わせる茉莉に、ロードライトは肘を軽く動かして見せた。彼の真似をして、茉莉がロードライトの腕に自分の腕を絡めた。
布越しに柔らかなものが当たる。それが何なのか察し、ロードライトは自分の申し出をわずかに後悔した。気にも留めていない女性だったならば「役得」と思ったかもしれない。しかし茉莉が一人の女性だと、こういう場で意識してしまうのはあまりありがたくない。意識がそこにばかり集中しそうになるのを何とか抑えながら、ロードライトは中庭の向こうにしつらえられた宮に向かって足を踏み出した。
妖精のようだ、どうか私とも一曲という誘いの嵐は、ミランダの心を一向に揺さぶる事がなかった。
茉莉を連れてホールを後にしたロードライトの姿を認め、ミランダはカーティスと目配せを交わしてさっと走り出した。ドレスを身にまとっていても、彼女はあくまで騎士で、その本職は王子の警護だ。軽いドレスは、彼女の動きを妨げることが全くない。夜風をはらんでひらひらと裾が翻る様は本当に妖精のようで、どこかに飛んで行ってしまいそうだと人に思わせる儚さがあった。
もっとも、本人はそのようなことは全く意識していなかったようだったが。
「どちらに向かわれたのでしょう?」
「ミコト様がお疲れのご様子だったから……ダリア女王を祀っている宮だと思う。あそこには入れるのは、国王陛下と妃殿下、それに、殿下と将来の妃の方だけだから」
「ミランダ様」
低い呼び声に、ミランダとカーティスは足を止めた。二人の前方にある扉から、鮮やかな朱色の衣装を身にまとった武官が飛び出してきた。
「誠様」
東照の将軍は、二人の姿を認めると、立ったまま礼と思しき仕草をして見せた。自国の敬礼でそれに答えて、ミランダは将軍に駆け寄る。
「命と太子殿がどちらに向かわれたか、ご存知ですか」
「ええ。……何か、ご心配でも?」
常にどっしりと構え、周囲を圧倒する威厳を放っている将軍の挙動に少々落ち着きがないのを感じ取って、ミランダは首をかしげた。将軍はいえ、と逡巡する様子を見せていたが、ミランダがじっと彼を見上げて答えを待っているのを感じ取ったのか、実は、と言いにくそうに切り出した。
「命が降嫁……いや、この言い方は失礼ですな。貴国の太子殿の妃となられることを快く思っていないものが、『こちら側』にもいるようなのです」
ミランダとカーティスの表情が、さっと固くなった。
「……それは」
「神樹のいとし子……神と崇めていた者が、人の妻となる。聖性が穢されると感じるものもいるということです。穢された神の子を見続けるくらいならばいっそ……という話も出ているようですな」
「そんな、穢すなど……!!」
抗議しようと身を乗り出しかけたカーティスを、ミランダは片手で制した。出足をくじかれてひるんだカーティスの前にさっと体を移動させて、ミランダは目を細めて、自分よりもはるかに高い位置にある将軍の顔を見上げた。
「誠様は、『どちら側』でいらっしゃいますか」
静かな問いかけに、将軍は口元をゆるめた。
「命は、今は人であらせられます。あの方は、自らの意思で居場所を選ばれました。異を唱える必要が、どこにあるというのでしょう? ……私は命がこの地を選ばれたことにも、意味があると感じております」
緩やかなざわめきが、扉の向こうから流れてくる。
「こちらへ。殿下とミコト様がいらっしゃる場所の見当はついております」
先導するように走り出したミランダの後に、異国の鮮やかな朱が続いた。
冷たい空気の中で冴え冴えと輝く月の光が、夜道をぼんやりと浮かび上がらせていた。小さな宮の前には、衛兵が二人。茉莉と出合ったあの日と変わらぬ情景だ。
周囲にある木々だけが、葉を落とし寒々とした様子になっていた。背丈の低い常緑樹も植えられているはずなのだが、ここからその深い緑を認めることは叶わない。
「この宮は夏が一番美しいんだ。白亜の宮殿にダリアの花色が映えてね」
ロードライトの金の髪の上で、光が遊んでいる。白地の衣装は月光に浮かび上がるようで、刺繍が施された金色の糸にも月の光はきらめいていた。
彼の腕にかかっていた重さが、ふいにすっと軽くなった。
「どうしたの?」
するりと離れていこうとする腕の先、花のような白い手を捕らえ、ロードライトは後ろに顔を向けた。茉莉の表情は固く、警戒心さえ伺える顔つきで、その小さな宮を見つめていた。
「茉莉?」
「……開祖がいる、と言っていたな」
「ああ」
「いや……分かった。連れて行ってくれ」
こめかみに人差し指を当てて、思い切り眉間にしわを寄せてから、茉莉は軽く頭を振った。
「気分でも?」
「……大丈夫だ」
「苦虫を噛み潰したような顔で言われても、説得力はないよ。茉莉、本当に平気かい」
「平気だ」
鸚鵡返しに繰り返して、茉莉はゆっくり足を踏み出した。
「……舞踏会の夜、王子が妃候補と逢瀬をかわす時のみ、なんだろう? 直系の王族以外があの宮に入れるのは。いずれ対面しなくてはいけないのならば、今がいい」
「対面?」
「ああ、対面だ」
呼ばれている、と口の中でつぶやいて、茉莉はロードライトの腕にすがりつくように両腕を絡ませてきた。
わずかな震えは寒さゆえか、それとも他に原因があるのか。
尋ねる気にはどうしてもなれずに、ロードライトは黙って外套で茉莉をくるんで抱き寄せた。
白亜の宮殿は、木々が色を落とした中にあっても、繊細で優美な美しさを誇っていた。蔓草と季節の花々が細かく掘り込まれた壁面には、血色石がはめ込まれている。冬の寒々とした風景の中で、肉厚の葉を茂らせている椿の緑に、その赤は良く映えていた。
「人が暮らす宮じゃないから、建物の中でも寒いのは仕方がないんだけどね」
痛いほどの寒さだ。北部程ではないといえ、雪もちらついている季節なのだ。防寒さえろくにされていない宮が寒々としているのも、無理はないのだが。
だがこの寒さこそがあるいはこの神殿にはふさわしいのかもしれないと、ロードライトは思った。
人が暮らさない宮。ここに在るのは、開祖の遺志と魂だ。
月明かりを頼りに、ロードライトは回廊を進んでいく。ロードライトの一歩分が、茉莉の一歩には満たないらしい。不ぞろいな足音が、小さな神殿に響いて広がっていった。
「よく出来た細工物を、そのまま大きくしたような宮だな」
「初代女王に合わせてのことだろうね。かの方はそれは可憐でたおやかでいらっしゃったというから。ダリアというのは、花の名前なんだよ。壁のそこここに掘り込まれているだろう、ほら」
ロードライトは足を止め、すぐ横の壁に透かし彫りにされていた一輪の花を指でたどった。星のように花弁がいくつも重なり広がっていく花は、それは豪勢だ。白色のみでかたちづくられた彫刻には、複雑にカットされたダイヤを思わせる華やかさがあった。
「本物のダリアの花が咲き乱れる頃のここは、それは美しいんだよ。王族しか見られないのが、残念に思えるほどにね」
自然と、ロードライトの声がひそめられた。茉莉の手を引きながら、ロードライトはゆっくりと歩みを進めた。
しつらえられた、数百年前の様式を律儀に守っている白い柱。その向こうから、さらさらと流れる水音が忍び込んでくる。
「ここが、あの時茉莉がいた場所と『繋がった』泉だ」
小さな泉の底に沈められた無数の宝石が、水に光を歪められながら頼りない月光と星明りをきらきらと反射している。この寒さの中だというのに、泉の水は凍ることなく、さらさらと水路に流れ出していた。
「この向こうには、開祖ダリアが眠っている。棺が納められている場所には、僕も入ることは出来ないんだ」
そこに入れるのは国王陛下だけだよと付け加えて、ロードライトは泉と茉莉を交互に見た。呼ばれている、と茉莉は言ったが、今のところこの場所にも、茉莉にも、それらしい変化は見られなかった。
「何か、感じる?」
きゅっと唇を結んで、虚空を見つめている茉莉の表情はただ固い。
「ロード」
「うん?」
茉莉の胸が、呼吸に合わせてゆっくり上下するのを何とはなしにながめながらロードライトは返事をした。彼の手を振り解くと、茉莉はゆっくりと、重ねられていた衣に手をかけた。
「!」
色とりどりの重ねが無造作に地面に放り出される。白い、薄い衣を重ね、ゆったりとした帯が結ばれただけの衣装は、先ほどまでの華やかさとは打って変わって、ただ清冽な印象だけを見るものに与えた。
静かに圧倒される清冽さだ。そうロードライトは思った。
よどみ、濁りきったものに囲まれてもなお、この姫君は周囲を圧倒する清清しさをその身にたたえているのだ。
「抜いてくれ。これを捧げ物にしよう」
指し示されたのは、茉莉の髪をまとめていた、あの簪だった。金色の細い鎖の先では、赤紫色に輝くロードライト・ガーネットの花が揺れている。
瑞々しい葡萄を思わせるその宝石をそっと茉莉の頭から抜き去ると、彼女の黒髪がはらりと解けて背中に流れていった。
その一筋を何となく人差し指に絡めて弄んでから、ロードライトは半分伏せていたまぶたを開いて、茉莉を見た。
「……僕も、外套と上着を脱いでも?」
「構わないが、寒くはないか」
「どうせこれからもっと寒くなるんだろう? メイドにこっぴどく叱られるのは、遠慮したいんでね」
茉莉に簪を預け、ロードライトは青い外套と豪華な刺繍が施された重い上着を脱ぎ捨てた。ついでに装飾用の剣やら何やらも、ガチャガチャと外してしまう。シャツとズボンだけになってしまうと、随分と身が軽くなった。
「ふう、すっきりした」
「余計なものがなくなって男前になったな」
「そう?」
風はないが、夜気は底冷えがして、つま先から震えが上ってくる。簪を挟む形で手を取り合うと、そこだけがひどく温かかった。
額と額を一度だけあわせて、互いの意志を確認する。
顔を離し泉の方に向き直り、二人は手を繋いだまま、足を踏み出した。
裸足になって泉に足を踏み入れると、ふくらはぎのあたりまでが一気に水に沈んだ。足の裏に水で磨かれた鉱石が当たる、すべすべとした感触があった。茉莉の衣が水に浮かんで色味を増して、水面に広がった。子供が五人、手を繋いで輪を作った程度の広さの泉だから、数歩も進めば中央にたどり着くことができる。
水に滑り込ませると、簪はすいっと弧を描いてから、水底に沈んでいった。
ふわりと体を持ち上げられるような浮遊感に、全身が包まれたのはその時だった。
「茉莉!!」
とっさに叫んで茉莉の腕をつかんで後ろにかばい、ロードライトは淡く輝き始めた水面を見つめた。澄んだ水の底に沈んでいるはずの宝石が、ぐにゃりと形を変え、渦を巻き始めている。――あの時のように。
泉から出たほうがいいのではないか――切羽詰った様子でロードライトが茉莉の方を振り返ると、彼女は静かに首を左右に振った。
「大丈夫だ」
「だけど」
「危険はない。万一危険が降りかかったとしても、私一人でお前くらいは守れる。私は」
言葉を切って、茉莉は宙に目を向けた。
「……死に近い者に引きずられるほど弱くはないからな」
背後で動く気配を感じて、ロードライトは、ばっと勢いをつけて、茉莉と反対側、泉の中央に向き直った。淡い光はいつしかそこに、一人の男性の姿を映し出していた。
(白色の髪、紅の双眸――)
開祖と共にあり、この国で最初の鉱術師となった、ダリアの夫――
絵姿で見たものとは比べ物にならないほど、怜悧な印象を受けた。ダリア女王の逸話には、必ずと言っていいほど登場していた。伝え聞いた話と、寸分たがわぬその容姿。
開祖を支え、鉱石の神をこの地に喚んだ、希代の術師。
動けないでいるロードライトの前に進み出て、茉莉は自分の頭よりかなり高い位置にある男性の顔を見上げた。
「私をここに呼び寄せたのは、貴公か」
問いかけ、というよりは、確認の形に近い言葉だった。
異常な事態に全く動じることなく、それが当然だと言わんばかりの茉莉の態度に、その鉱術師は何を思ったのか、唇をゆっくりと歪めた。笑みの形になった唇、細められた目。赤と白という色彩と相まって、酷薄にさえ見える。だというのに、目が離せない。
病んだ美しさだ。そう感じさせる歪んだ何かを、男はその身にまとっていた。
「――お初にお目にかかる」
大仰な礼は、ひどく古風なものだった。衣装もよく見れば、今は廃れ、もう技術を伝えるものもいない織りのものだ。淡い光が周囲で踊っている他は、異相を持ってはいるものの、普通の人間の男性とそう違わないように思えた。
男自身もそれに感心しているようだった。袖を目の前に上げて、感心した様子でそれをしげしげと見つめている。
「ああ。やはり伝え聞く噂に相違はないようだな。力が一度に満たされたよ。……この姿で人前に出るのは久しぶりだ。そこにいるのが次代の貴石か。……確か、ロードライトといったな」
豪胆で知られる王子も、さすがにこれほどの事態にはとっさにはついていけなかった。ええ、とかすれた声でやっと返事をする。男は目を細めて、ロードライトのつま先から頭のてっぺんまでを、つくづくと眺め倒した。
「意識体だけの時もうすぼんやりと見えてはいたが……。数百年たってもまだダリアの面影を残しているのは、やはり呪いのせいなのだろうか、ね。私の面影はどこにも見当たらないというのになあ」
ふむふむと一人で繰り返して、男は得心が行った様子でうなずいた。
「まあ、それも今語ることではないか。――名を名乗っておこう。クラルテ開祖ダリアの夫、……カリナン、という。東の姫君よ、貴女の来訪を心から歓迎する」
ロードライトでさえ、ただ圧倒されるばかりの威厳と威圧感をカリナンは漂わせていた。見た目はせいぜい三十手前と言ったところだ。さして年を取っている風にも見えないのに、まるで数百年も生きてきた老人を目の前にしているようだとロードライトは思った。
だというのに、茉莉は全く気圧されることなく、平然とカリナンを見返している。
「歓迎の意志はありがたく受け取らせていただく。もう一度お聞きする。私をここに呼び寄せたのは……」
カリナンは、今度は極めて友好的な笑みを顔にのぼらせた。
表情が柔らかくなると、それだけで印象ががらりと変わる。少々神経質そうな線の細い面立ちに、優美な表情が加わると、まるでよく出来た彫像か何かのように見えた。
「ああ、私だ。子孫がここに来た時に、貴女が丁度水場に近づかれていたのでな。ダリアの子孫は代々我が強く好奇心が旺盛だから、惹かれるだろうと思って場を繋いだ」
「何の目的で、と尋ねても?」
「既に察しがついているご様子だが、改めて言い直す必要はあるだろうか?」
泰然とした様子で言って、カリナンは悪気のない様子で首を傾ける。じれた風でもなく、茉莉はただ淡々と言葉を紡いだ。
(あえてつっけんどんにしているような……)
剣呑、という形容が一番ぴったり来る。どうしてここまで茉莉は不機嫌になっているのだろう。そっと袖を引くと、茉莉の黒々と塗れた瞳が、ロードライトの方に向けられた。その奥に強い光が宿っている。強い、揺るがない意志を感じ取って、ロードライトは茉莉の方にそっと身を寄せた。
「……私の推測と、貴公の望みが一致するとは限らないだろう」
強い口調で言い切って、茉莉は黙ってカリナンの返事を待った。大きく一つ頷いて、カリナンは水の上に膝をつく。ももの半ばまでが水に浸かったというのに、裾の長い古めかしい神殿服は水に塗れて色を濃く見せることはない。足に布地が張り付くこともない。そのおかしさが、やはり目の前にいる人物はこの世のものではないのだと教えていた。
「……解放と変革を。無数の魂を迎え、見送り、そして今は人となった神に最も近しい国の媛君よ。貴女になら、それが出来るはずだ」
静かに言葉は紡がれる。根底にどうしようもない渇望をたたえた瞳は、凪いだ湖面のように、どこか見るものに物悲しさを感じさせるものがあった。




