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第八章 守護者の約定 1

 血にまみれ、ぼろぼろになった服。

 流れ出して服に染みこんだ血は、彼女をまだらに染め上げていた。

 どこか虚ろな目で、彼女は彼を見上げた。


 手にした剣は、かつての面影など伺わせぬほどに汚れきっていて。


 あまりの惨状に、男は言葉を失った。血のにおいが濃い。それが身にまとわりつくようで、口許を押さえて数歩後ろに退く。

 思わず、だった。なにを考えるよりも先に、体が動いてしまったのだ。

 彼女は、男の反応にへらりと貼り付けたような笑みを浮かべ、口を開いた。


「         」





 二年ですわ、と言い切ったカレンに、それはまた急なとロードライトは顔をしかめた。

「いいえ。時期はここしかございません。二年です。二年後、殿下が即位なさる前に、ダリア女王には完全な眠りについていただきます」

 きっぱりと言い切って、カレンは紙の束をどさどさどさとロードライトの前に放り出した。大半は研究文献なので、門外漢のロードライトにはさっぱり分からない。彼が理解する事を、カレンも期待してはいない。主にもわかるように概要を説明し、その了解を取り付けるのが彼女の役目だ。

「なんで二年なのか、聞いても? 術式は組みあがるかもしれないが、王室の典範やら何やらをすべて変えてしまうには、二年は短いと思うんだけど」

 王位継承権の組みなおし、「一の騎士」の制度の見直し、在野に下る王族の爵位をどうするか。決めなおさなくてはいけないことは山ほどある。さらに、今だに「異国の女を王室に迎えること」にしつこく反発している一派もいる――これだけのものに決着をつけるには、二年という時間は短すぎる。

 けれどカレンは王子の訴えを、横目で睨むことで却下した。

「――二年後には、ミコト様が第二子を身ごもられている可能性が高うございましょ」

「ぶっ!!」

 口に運んでいた紅茶を、ロードライトはまともに噴き出した。げほげほと咳き込む背中を、控えていた侍女が慌ててさすりにかかる。

「まーあ。微笑ましい反応ですわねえおほほほほ」

 棒読みで投げやりに言われても、微笑ましい気分にはなれない。何とか呼吸を落ち着けて、ロードライトは自分より年下の『大司祭』を見上げた。

 カレンはこの間、正式に大司祭に任命された。切羽詰った事態になり、これ以上地星宮の大司祭位を開けておくわけにはいかなくなったために、任命時期が早められたのだ。

 口に添えていた袖を外し、カレンは顔から笑みを消した。真剣な話になると悟って、ロードライトも気持ちを引き締める。

「現時点ではまだ鉱石の魔力にも衰える兆しは見えません。持たせようと思えば、あと十年は持つだろうという見解が出ております。ですがその間に生まれていらっしゃるお子には、ミランダやユーロパ様同様に、『一の騎士』としての能力が授けられてしまうでしょう」

「並外れた力を持つものを、王位継承候補者に据える訳にはいかない、な」

「ええ。でしたらもう、第二子が誕生される前に――殿下の即位と同時に、国の仕組みを変えてしまったほうがようございます。即位前後は、元々国が大きく揺れ動く時期でもありますしね。変化は一度に終わらせた方が、後腐れがなくて済みますわ。騎士も家臣も、大部分は殿下の即位に応じて本格的な世代交代が行われますもの」

 十年後より二年後の方が、長い目で見れば厄介ごとが少なくて済むのだとカレン達は結論づけたのだという。

「……なんだかなあ」

 腑に落ちないものを感じて、ロードライトがぼやく。バン、と手にしていた本を閉じる音でそれを一刀両断して、カレンはさばさばと告げた。

「夫婦間のやり取りが国のからくりに組み込まれるのは、王族の常でございましてよ。いい加減、慣れてくださいまし。……それから」

 じろり、と非難のこもった眼差しを向けられ、ロードライトは蛇に睨まれたカエルのように硬直した。意味もなくタイに手をやってから、何か? と尋ねると、カレンは何故だか深い深い溜め息をついた。

「その色ボケ状態からとっとと脱したら、少しは周囲に目を向けてくださいな」

「色ボケ!?」

 確かに茉莉とは一般的に『蜜月』と呼ばれる状態になっている気がしないではない。時々茉莉の妙に素直すぎる反応や、妙にずれている反応に腰を折られたりはしているが。しかし、政務に支障をきたすほど、女性に入れあげるような馬鹿ではないことを自負していい程度には、きっちり仕事をこなしているはずだとロードライトは思っている。そのはずなのだが。

「……僕が自覚してないだけで、なにか不穏な空気でも流れているのかな」

 カレンがこういう反応を見せるということは、十中八九、自分は何か重大な事実を見落としているのだろう。だとしたら自覚していないだけで、それは確かに「色ボケ」だ。自覚がない分、より一層タチが悪いとも言える。

「不穏な空気はそこかしこに流れておりましてよ。異国の女性を王妃に据えて、反発が全く起きないとでもお思いなんですの?」

「それは分かっているよ。だから手も打っている」

 先ほどのカレンの口調には、ロードライトが明らかに何も気づいていないことへの非難が込められていた。だから、彼女が言いたいのは、自分に全く自覚がない事柄なのだとロードライトは踏んだ。

「カレン」

 名前を呼んで見つめても、カレンは全く動じない。幼い頃からロードライトと接している上に、彼女は仕事に人生を捧げているので、王子の「色仕掛け」も全く通用しないのだ。

「……教えてくれないか。僕は、何を見落としている?」

 一転して低くなった声に、カレンは本を軽く抱えて肩をすくめた。

「本当にお分かりでないのだとしたら、色ボケも相当な重症ですわね」

「……」

「ご自分の周囲の様子を、今一度よーっく思い返してごらん遊ばせ。では、失礼いたしますわ」

 慇懃に礼をし、答えを口にせぬまま、カレンは王子の執務室から退いた。ゆったりとした神殿服が、冬の空気に翻って、白い軌跡を描く。

 一人残されたロードライトは、閉められた扉を、難しい顔でいつまでも見つめていた。




 二年、と告げられた。

 手のひらを握って、もう一度開く。すっと呼吸を整えて、剣を鞘から抜き放つ。剣を手にした途端に、満ちてくる力がある。


 ――国を守るために、貴石を守るために、お前はこの力を授けられたのだ。

 ――驕ることなく、自惚れることなく、その力の意味を、力の重さを忘れずに、殿下をお守り申し上げるように。



 お前にしか、出来ないことなのだから。


 腹に力を込めて剣を横に払えば、剣圧で空気が刃と化し、あたり一帯の枯れ草を薙ぐ。

 反動で起こった風に、自分の練り絹色の髪が幾筋か流れていくのが目に入った。

 通常の騎士では起こりえるはずのない現象だ。このような細身の剣ではなおのこと。「力」を強く意識するのはこういうときだ。呪いは束縛とも呼べない束縛を彼女に与え、その代わりに、彼女に居場所を与えてくれた。

 「貴石の守護者」。一の騎士をはじめとする、王の妹や弟達を、事情を知るものはそう呼ぶのだという。忌まわしい呪いの象徴だと、歴代の王は思ったのかもしれない。日の下に決して出ることもなく、汚れ仕事に手を染める弟や妹たちを、彼らはどんな気持ちで見守ってきたのだろう。


 けれど。

 自分こそが国を支えているのだと――聡明な貴石の傍にあって、他の何者にも代わりは務まらない任を負っているのだと自負できる幸せを、ミランダは知っている。

 そう教えられ、あの金色の王子を影で支えていくのだと、それをこの上もなく喜ばしいことなのだと心から思って、この十六年を生きてきた。


 あと二年。それは決して、遠い未来ではない。

「二年後、か……」

 剣を鞘に仕舞う。音も立てずに静かに鞘に刃が納まれば、彼女を包んでいた緊張感は、実にさりげなく周囲に溶けていく。

 自分の右のてのひらを、ミランダは静かに見つめた。まめができては潰れ、できては潰れたせいで、てのひらの皮は厚く、ごつごつしている。

 蝶よ花よと育てられた、しとやかな令嬢達のものとは似ても似つかない。一応色仕掛け方面の技術も仕込まれはしたが、おそらくそれを使うことはないのだろうなと思えるほど、自分は色事には縁がない。一生を一の騎士としてロードライトに捧げるのだから、結婚など考えなくてもいいと、そう思っていた節もある。

「でも……」

 呪いが解かれることになれば、きっと自分の実力は一の騎士に相応しいものではなくなってしまうだろう。体力や力の面では『呪い』の効力がなくなれば、自分はどうあっても成人男子に叶わないことくらい、とっくに自覚している。もちろん、技量の面では今のところ、誰にも劣っていない自信はある。

 まなうらに、あの東の姫君が浮かんだ。圧倒的な力を持って、貴石の危機を救った人物。開祖の夫にまで頼られるその技量があれば、自分などいなくてもいいのではないかと思えてくる。力がなくなり、ただの騎士に戻るなら、なおのことだ。

 きっと、それでも、ロードライトはミランダが望みさえすれば、彼女を一の騎士の位に留めおいてくれるのだろう。

 だが、腕が落ちることは、手合わせをする騎士にはすぐに伝わってしまうだろう。

 一の騎士の振る舞いは、そのままその主への評価に直結する。

 だとしたら。

「どうしたら、いいのかな……」

 てのひらを握り締めて、小さくつぶやく。

 呪いが解かれても、鉱石の力がなくならない方法が見つかりそうだと、皆が喜んでいる。その中で、自分の立場が不安なのだとはどうしても口に出来ない。

 遠くから、自分を探すカーティスの声が聞こえてきた。

 迷いを吹っ切るように強く頭を左右に振ると、ミランダは顔を上げて走り出した。


「……」

 風が髪を撫でる感触。肌に張り付いたそれを払いながら、茉莉は先ほどまでミランダが剣を振るっていた場所を見下ろしていた。

「危うい、な」

 肩に止まっているのは、紅色の羽も鮮やかな、小鳥だ。気配を完全に経つ為に呼び出した恵方を肩に乗せ、茉莉は朝からそっとミランダの後をつけていた。本物の小鳥のように身を寄せてくる恵方の頭を軽く撫でると、茉莉はバルコニーから部屋の方へ飛び降りた。

 紺色の帯が、寒空に舞って広がっていった。




「ミランダ様?」

 はっと意識を引き戻すと、すぐ目の前にカーティスの顔があった。心配そうにこちらをのぞき込んでいるカーティスに、ミランダは首をかしげて小さく笑いかけた。

「ごめん、ぼーっとしてたみたい。どうかした?」

「……いえ、特に何かあったと言うわけではないのですが。失礼しても?」

 右手の手袋の指先を、口にくわえて外しながら、カーティスが尋ねてくる。何をする気なのか分からないながらもうん、とミランダが頷くと、彼はその手をミランダの額に当ててきた。

「熱はない……ですね」

「カーティス?」

 額に当たる大きな手のひらの感触につかの間意識をゆだねてから、ミランダはカーティスを見上げた。手のひらを離してから、カーティスは気遣わしげにミランダを見やった。どうして彼がそんな表情で自分を見ているのか分からずに、ミランダは自分の頬に片手を当てた。

「顔色、そんなに悪い?」

「お顔の色が優れない、というよりは、むしろ……」

 うまい言葉が見つからないのか、カーティスはしばらく小さく何かを口の中でつぶやいていた。瞳が一度伏せられてから、再びミランダを捕らえる。

「心配事がおありなのではないですか?」

「……どうしてそう思うの」

 作った笑みが不自然なものになっていないか。それがまず気になった。

 カーティスの表情は晴れないままだ。彼はこういうことに案外鋭い。ごまかしきれなかったか、とミランダは心の中で舌打ちした。

 冬の日の光が、大きく取られた窓から差し込んでくる。思いもかけない暖かさが、今はどこか遠かった。

 何かいいたげなカーティスから目を逸らして、ミランダは廊下をさっさと歩き始めた。

 

 気づくな、と、本能が強く命じている。

 胸に刺さった不安の底で渦巻くものに、目を向けてはいけない。


 もし、それに目を向けて、呑み込まれてしまったら、きっと取り返しのつかないことになる。

 それだけは。




 ロードライトの即位時期が近づいているせいだろう。ただでさえ少なかったミランダの城下の見回りは、最近に至ってはほとんどなくなっていた。

 胸の中に巣食った不安から目を逸らしながら、ミランダは黙々と仕事を片付けていた。

 新しい術式の研究のせいで、神官や鉱術師達は慢性的な人手不足の状態に陥っている。個人的に地星宮の大司祭と懇意にしていて、いろいろ融通が利くことの多いミランダに、橋渡しの役目までが回ってきてしまったせいで、彼女の仕事は下手をすれば普段の倍近くの量になってしまっている。

 カーティス達が正式に城に上がる、「世代交代」の引継ぎが行われるのはもう少し先だ。

 必然的に一人で走り回る時間が増える。考え込む時間がないほど忙しいのは、今の彼女にとってはありがたい状況ですらあった。


 何も考えなければいい。その必要などないのだと、ミランダは何度も自分に言い聞かせた。


「でん……」

 裁可を求められている嘆願書を渡すべき相手が、視界の端に映った。出来るだけ早い方がいい。そう判断して駆け寄りかけて、ミランダは数歩進んだ所で足を止めた。

 光の差し込む窓際で、ロードライトは隣に立っている人物に、笑顔で何かを話し掛けていた。黒い髪、今ではすっかり目に慣れてしまった、すっきりとした異国の服。見えたのは彼女の後ろ姿だったが、この城であの姫君を見間違えることなどありえない。

 どうということはない光景だ。茉莉はすでに妃の位に収まるのだと、大多数の家臣たちにも認知されている。ちょっとした休憩に、王子が自分の妻と話しこむのは普通の事だ。

 短い冬場の昼間は、晴れ渡れば日差しが穏やかで心地よい。

 何がおかしいのだろう。ロードライトは肩を揺らしてくすくす笑って、茉莉を引き寄せて額に軽く口付けている。

 一枚の絵のような幸せな光景だ。茉莉を妃に迎える事にいい顔をしていない者たちでさえ、思わず心を和ませてしまうような温かさが、そこにはあった。

「……」

 どうしてだか、それ以上その光景を見たくない、と思った。


 まばゆい光を、貴石を支えているのは自分なのだという自負と誇りが、彼らを進んで影の世界に留めている。

 けれど、彼には光のそばで寄り添う守護者がいるのだ。


 ――自分は、それに引き換え。


 きっと、あそこにいたのが普通の人間の妃だったなら、自分は平気でいられただろう。あの光景を、笑顔を護れる立場にいることを、幸せだと思えたはずだ。自分を育てた一の騎士のユーロパや、歴代の王弟、王妹達と同様に。


 ――異国の姫君が、物珍しいだけの、ただの人間だったなら。


「……っ」

 自分の中で渦巻いた感情に、怖気が走った。

 今、自分は何を考えたのだ。王子の幸せや国の幸せよりも、自分の立場を求め、あまつさえ――

 日が差し込む窓際の世界が、決してたどり着けない遠い世界のものに思えた。

 自分に、あそこに行く資格はない。

 震えだした右腕を左手で押さえ、ミランダはそっとその場を後にした。一歩、二歩とのろのろと進んでいた足は、やがて何かを振り切るように駆け足になった。




「……あれ?」

 談笑していた話を唐突に打ち切って、ロードライトが茉莉の頭の向こうを見やった。背後を静かに振り返ってから、茉莉はロードライトの方に向き直る。

「どうした」

「いや、ミランダが今そこにいたような気がしたんだけど……気のせいだったのかな。最近会ってないから、恋しさが幻を呼んだかなあ」

「会っていないのか。彼女はお前が一番信頼している臣下なのだろう?」

「さらに、可愛い可愛い妹だよ。忙しいみたいで、城に上がっているはずなんだけど、そういえばろくに話も出来ていないや。今日のお茶にでも誘ってみようかなあ。涙目で抗議してくる時の顔なんて、可愛くて可愛くて疲れも皆吹っ飛んでいっちゃうんだよねえ」

 うんうん、と一人で繰り返して悦に浸っているロードライトを、茉莉は半眼で見つめた。

「……何?」

「……いや」

 小さく吐息交じりに言われ、ロードライトは何度もまばたきを繰り返した。

「何か、気になるなあ。カレンといい、茉莉といい……似たような目で見られると肩身が狭いんだけど……」

「私も多分カレン殿と同じことを思っているのだろう。だがそれは、ロードが自分で気づけなければ意味がない事柄だ」

「茉莉?」

 上着を羽織りなおして、茉莉は、闇に続いているような暗い廊下の先に顔を向けた。

「ただ可愛がるだけでは、認めている、とは言えないだろう。……つけこまれかねないぞ、目を離すな」


 既に手遅れなのかもしれないが、というつぶやきは、彼女の喉元で消えた。

 言葉にすれば、それが力となって流れを決定付けてしまうかもしれない。

 それほど強い力は、自分にはもう残っていないはずだが、茉莉はその懸念を口にする気にはなれなかった。




 とにかくあの場から逃げ出したかった。誰にも会いたくない、と人のいない場所に逃げ込んだ。人を避けながら来た先にあったものに、ミランダは笑い出したくなった。

 小さな宮。ダリア女王を祀った神殿は、王族以外は入る事を許されない、光の象徴だ。こんな考えを持っている自分が来るのに、これほど不釣り合いな場所もないだろう。

 それでも人の気配がないことにほっとして……すぐにミランダは、それに違和感を覚えた。

「門番がいない……?」

 いくら王族以外は入る事のない宮だとはいえ、ここは開祖を祀った、国にとっては最も重要な象徴のひとつだ。

 常に宮の入り口の門には二人一組で門番が詰めているのが常だというのに、門の前にも、その横に設けられた小さな詰め所からも、人の気配さえ感じられなかった。

 警備の手落ちで穴でも出来たのだろうか。だとしたら由々しき事態だ。

 人を呼びに行こうと踵を返しかけたその時、唐突に声がかけられた。

「ご存知ですか。その宮には、貴女も足を踏み入れる資格があるのですよ」

「!」

 間近に現れた気配に、驚く事より早く体が反応していた。相手の喉元に剣の切っ先を突きつけてから、ミランダは大きく目を見開いた。

「お前、は……」

 あえぎ声のようなかすれた音が、ミランダの口から漏れる。

「覚えていてくださいましたか。光栄です。……王女殿下」

 低い声が、歌うように、彼女を呼んだ。


 許されない、名で。




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