第四章 公爵の陰謀 6
「よっ、と」
ガコン、と音がして扉が外れる。当たりだったらしい。外に出ようとするロードライトを片手で制して、茉莉が炎の髪を持った女性に指示を出した。
「恵方、先に様子を確認して来い」
女性は心得た様子で頷き、上についた扉をこじ開けて外に出た。日の光が足元に差し込んできて、ロードライトは目を無意識に細めた。しばらく待っても、特に異変が起こったような物音は聞こえてこなかった。
「大丈夫なようだな」
「やっぱり地下室だったのか……あ、どうも」
差し出された手をおっかなびっくり取って地上に出れば、めくられた絨毯が扉のすぐ横に折りたたまれていた。見渡す限りでは、屋敷そのものはごく小さいように思えた。ここはどう見ても西部の城ではない。だとすれば。
「別荘のひとつかな。もしくは妾宅か」
男性が抱えていた王女を一旦床に下ろし、様子を検分する。薄い胸は規則正しく上下していて、顔色は良くはないが先ほどと比べればわずかに赤みがかってきている。無事だったらしいと悟って、ロードライトはほっと息を吐いた。
「どうかなさいましたか……殿下!?」
メイドと思しき女性がかけて来て、口もとを覆って悲鳴を上げる。
ん、と相手の顔を確認して、ロードライトは気さくに片手を挙げた。
「リズ、お前がここに潜入してたのか。悪いんだけど他の人達に連絡をつけて、医師と馬車を手配してもらえないか。公爵がデリフェルの第一王女を誘拐なさりやがってね」
「え、ええ!? デリフェルの!?」
「…何者だ?」
茉莉が不思議そうに尋ねてくる。
「新人の間諜さん。良かった、やっぱりいたんだね。ああ、リズ、良ければ朝食をお願いできないか。それからこちらのご婦人に代えのドレスを……」
気さくに話しながら、ロードライトはふと言葉を切った。
「いや、そのまま城に来てもらった方がいいかな」
言ってロードライトはにやりと人の悪い笑みを口元に浮かべた。
「リズ、鳩を飛ばしてくれ。討伐隊が組まれているかもしれない。……討伐隊の目当ての王子も公爵も、ここにいるんだし。討伐自体も無駄足になりかねないからね。この時期に街道が塞がれるのもあまりよろしくない」
焼きたてのテーブルロールにスグリのジャム、ごく軽めのコンソメスープに白身魚のムニエル。秋野菜のサラダ、とごくごく質素な朝食が並ぶ。
リズの説明によれば、この屋敷はロードライトの予測通り、郊外の妾宅で、屋敷の主は召し使いを引き連れて、アダマスに旅行に出かけているのだという。確かにこの時期の首都はいろいろな意味で賑やかで、貴族向けの高級宝石店も次々と新作を発表する。屋敷に残っていたのも数人のメイドと留守を預かる執事だけで、それさえ夜には屋敷から出ていたのだという。
「盗られて困る高級品もさほどございませんですし」とは、リズの言だ。彼女にまではまだ王子誘拐の情報は知らされていなかったのだという。説明を受けたリズは、青くなりながら連絡に走り回っていた。仕事を始めたばかりとは言っても、彼女は王の一の騎士が直接指示を下すいわば「王の仕込み杖」のような組織の一員だ。すぐに仲間が呼び寄せられ、地下で縛られて気絶していた公爵は身柄を拘束され、デリフェルの王女は保護され、鉱術に詳しい医師が呼びつけられて診察に訪れた。とりあえず出来ることを全てやってしまってから、ロードライトと茉莉は遅い食事を取っていた。
「ナイフとフォークは使い慣れない?」
「ん?……ああ、すまない。慣れていないもので」
ロードライトの仕草を見よう見まねでやっているのだろうが、どうもうまくコツをつかめないらしい。かちゃかちゃ音を鳴らし、茉莉は四苦八苦しながら白身魚のムニエルと格闘していた。
「箸があればいいんだが」
「ハシ? あるんじゃないかな。蒼麗の料理にはハシで食べるものもあるし」
残っていたメイドに目で合図すれば、メイドは慌てた様子で台所に消えていった。いきなり王子が屋敷に現れて動揺しているのだろう。奥のほうからガッシャーンという派手な音と、数人の悲鳴が聞こえてきて、ロードライトは申し訳ないような、ほほえましいような心地になった。
「ねえ」
「なんだ」
「もし、よければなんだけど。しばらく城に滞在してみる気はない?」
ナイフもフォークも使わなくていいパンを口に運んでいた茉莉が、動きを止めた。
「どうしてだ?」
「いや、荷物置いてこさせちゃったし。君、一文無しでしょ? あ、そうだ人前で名前連呼するのはまずいよね。なんて紹介すればいいかな。あざな?っての?つけた方がいい?」
立て続けに提案する。茉莉はそれを頭の中で処理しきれなかったらしく、何度もまばたきを繰り返した。
「……だが、私は何の後ろ盾もない平民だぞ。この国では平民もほいほい城に上がれるのか」
無論通常は不可能だ。だがロードライトはいい事を思いついたと言わんばかりに満面の笑みを浮かべて茉莉の言葉を否定する。
「平民だけど東照の術者だよね? ……城の術式が東照の術によって破られたんだ。出来ればここに滞在して、東照の術を鉱術師達に教えてやってほしいんだ。さっきの……シキ、だっけ? ああいう術や人を操るような術は、そもそもこの国には存在しないんだ。もし今後も使われるなら、警戒しないといけない」
「求められるなら対処法を教えることくらいはやぶさかではないが……だとしても、城に滞在する必要はないだろう。その、四神殿? のどこかにしばらく居場所を用意してもらえれば」
「加えて、君は僕の命の恩人だからね。それに、実はまだ王宮の関係者は東照人にお目にかかったことがないんだ。できれば東照の国情なんかも聞かせてもらえればありがたい」
「……まあ、まだ外交まで手が回る状況ではないだろうからな、東照は」
パンをむぐむぐとかみくだし、ミルクを口に運んで、茉莉はゆっくりとした動きで顔を上げた。
「私でよければ、しばらく厄介になろう。さほど詳しいことは話せないと思うが、正式な使節がじきクラルテにも到着するだろうし、それまでの暇つぶし程度にはなるだろうよ」
「よし、決まりだ。あ、それで名前名前。どうするの? えーと、『あれ』は口にしないほうがいいんだよね?」
「茉莉」という言葉を、ロードライトはここでは口にしていない。「東照の人間はおいそれと他人に本当の名前を教えはしない」という茉莉の言を、律儀に守っているのだ。だがいつまでも「君」だの「そちらのご婦人」だの言って切り抜けるのは少々不便だ。
茉莉はしばらく考え込むような仕草をした後で、ポツリとつぶやいた。
「そうだな……では、命とでも」
「ミコト?」
「周りの人間は、私をそう呼んでいた。昔の呼び名だが」
「ミコト、か。分かった。二人きりの時以外はそう呼ぼう。……どういう意味があるのかな。あ、ちなみにね、ロードライトって言うのは宝石の名前だよ。紫がかった水晶の一種でね」
現物を今は身につけていない。見せられないのが残念だよと続けたロードライトを、なんともいえない表情で見つめた後で、茉莉は静かに言葉を紡いだ。
「ミコトは、古代語で命を意味する言葉だ」
「……いの、ち」
「そうだ。茉莉は花の名前。白くて香りの強い花だ。……仮の名に、本来の名が負けているな。過大な期待とかいうやつだ」
あっさり言って、茉莉は差し出された銀製の箸を手に取る。少々ぎこちない動きではあったものの、魚の身は先ほどよりずっと器用にほぐされていく。ぎこちないのは本人も自覚しているのだろう。む、とかん、とか時折妙な呟きを漏らしながら、黙々とムニエルと格闘していた。
(食事のとり方はぎこちないんだけど、それ以外の立ち居振る舞いは平民に見えないんだよねえ)
ロードライトを目の前にしてもまったくたじろいだ様子を見せず、使用人に対しても萎縮するような様は見受けられない。少なくとも、「人に仕えられること」に慣れたものであることは間違いないだろう。さらに、「過大な期待」という先ほどの言葉。
東照人に会ったことはないので確信は持てない。一人で身の回りのことが出来るような様子でもあったから、あるいは平民は平民でも、「元」がつくなら何らかの役職者だったのではないだろうか。そうロードライトは推測した。
「東照では、術者は敬われるのかな」
「敬われるものは敬われるし、一介の薬師と似たような働きをして市井を渡り歩くものもいるな。……私を客人として迎えても、外交で貴国の得になるようなことは起こらないぞ。私には係累も後ろ盾もないからな」
先回りして釘を刺されたようだ。苦笑して、ロードライトは話を打ち切った。
「殿下!!」
息せき切って部屋の中に飛び込んできた人物に、ロードライトは片手を軽く挙げて苦笑して見せた。
「すまなかったねミランダ。心配をかけた。この通りぴんぴんしてるよ」
着替えていつものペースを完全に取り戻しているロードライトの姿を認め、ミランダがほうと息を吐いた。ロードライトが近寄って、髪に絡まった木の葉を取ってやっても、「臣下への振る舞いをもう少しお考え下さい」と怒り出すこともしない。よほど疲れさせたのだろう。
「主犯の公爵は拘束してある。大丈夫だよ」
「デリフェルの……」
「王女殿下もご無事だ。どういうことかは公爵にお伺いしよう」
時間はたっぷりあるしね――と悪戯っぽく言うロードライトを溜め息混じりに見上げてから、ミランダはその場に倒れこむように膝をついた。
「この度は……警護が行き届かず……誠に」
「ミランダの警告を聞き入れなかったのは僕の方だ。ミランダに責任はないよ」
頭を下げようとするミランダの前に片膝をついて、ロードライトは自分の一の騎士の肩に手を置く。
「ですが、予測……できたことです。それに、一歩間違えれば、取り返しのつかないことに」
「僕は生きているよ。反省や処分は全てが片付いた後でいくらでもやればいい。今はそれどころではないだろう。まずは全てに決着をつけなければね。……リズ、ミランダを寝室に案内してやってくれ」
「殿下」
「命令だ。城に戻ればミランダにも働いてもらわなくてはいけない。そう長い時間はあげられないが、休んでおきなさい」
なおも言い募ろうとするミランダを制して、ロードライトはきびすを返す。
「……そちらの方は?」
ロードライトの後ろに佇む、見たことのない服をまとった異国の女性に気づいて、ミランダが尋ねる。
少しの間を置いて、茉莉は膝を折り曲げて腰を折り曲げる、見たことのない所作をした。それがどうやら彼女の国の正式な挨拶らしいと、ロードライトもミランダも察する。さらさらと絹のような艶を持つ黒髪が音を立てて流れる。黒曜石の黒さを持つ切れ長の瞳がゆるゆるとまぶたの下から現れる。ミランダが息を呑んだのが、ロードライトにもはっきり分かった。
簡単なことでは気圧されないミランダを、所作だけで完全に呑んでしまっている。やはり只者ではないのだろうと確信しながら、ロードライトは茉莉の姿をミランダにしっかり見せようとするかのように、その場から一歩しりぞいた。
「ミコト、という。僕の命の恩人で、東照国の客人だ。丁重にもてなすように」
「東照……?」
鸚鵡返しに問われた言葉に、異国の少女は静かに頷き返すことで応えた。
(第四章 公爵の陰謀 終わり)




