第7話 気持ちの花束
うちの花季は十四軒でございます。
そのうちのひと家がヴァイエル男爵家でございまして、母の名代でわたくしが伺うことになりました。距離は近く、馬車で半刻ほどでございます。
伺いましたのは、クラーゲン侯爵家の荷が着いた翌日でございました。
玄関の脇に、大きな籠が置いてございました。
深い籠でございます。花がたっぷり入って、上に薄い紙が掛けてございます。紙の下に、菓子の箱が二つ。焼き菓子でございましょう、砂糖の匂いがいたします。その籠の前に、老いた侍女の方が立っておいででした。
ヴァイエル男爵家に長くお勤めの方でございます。名をハンナ様と申されます。わたくしが六年、この家へ品をお出しするたびに、玄関で受け取ってくださった方でございます。
「ハンナ様」
声をお掛けいたしましたら、振り向かれました。それから籠のほうへ手を向けて、また下ろされました。
「……リーゼ様」
「はい」
「これは、どちらへ返せばよろしいのでしょう」
返す、と仰いました。ヴァイエル男爵家の先代様は、三年前から甘いものを断っておいでです。お医者様に止められておいでで、ご当主もそれをご存じですから、この家では茶菓子を出さないのが決まりになっております。お客様にも出しません。出さないことで、先代様が気を遣わずに済むようになさっている。
その家へ、砂糖の匂いのする箱が二つ届きました。
悪意は、どこにもございません。
「お返しにならないほうがよろしいかと存じます」
「けれど」
「お返しになりますと、返された、ということが残ります。お屋敷のどなたかに差し上げてしまうのが、一番角が立ちません」
ハンナ様は、紙の端を指でつまんで、それから離されました。
「六年、こういうことはございませんでした」
わたくしは、何も申し上げませんでした。申し上げることが、ございませんでした。
「あちらのお家は、どうなさったのでしょう」
「差配の方が替わられたと伺っております」
「そうですか」
ハンナ様は、それだけ仰いました。
この方は、それ以上お聞きになりません。長くお勤めの方は、聞かないことを覚えていらっしゃいます。
うちの荷は浅い籠に花だけ入れてまいりました。菓子は添えておりません。六年ぶん同じでございますので、うちの荷を見れば、この家がどういう家かは伝わります。
「リーゼ様」
「はい」
「差し出がましいことを伺いますが、あちらのお家に、覚え書きのようなものはございませんでしたか」
ハンナ様は、玄関の柱に手を掛けたまま、そう仰いました。
「ございました」
「そうでしょうね。うちの先代のことを、六年、一度もお間違えになりませんでしたから」
「お渡しする折に、お伝えしようといたしました」
「伝わりませんでしたか」
「品と日付が分かれば十分だと、そう仰いました」
ハンナ様は、少しのあいだ黙っておいででした。
それから、こう仰いました。
「うちも、そう申しますよ」
「はい」
「新しく入った者に、日付と品目だけ教えて、済ませてしまうことがございます。あとで困るのは、こちらでございますのに」
ハンナ様は、うちの籠を両手で受け取ってくださいました。
それから、深いほうの籠をもう一度ご覧になって、こう仰いました。
「あちらの籠は、玄関に置いておきます。先代様のお部屋は二階でございますから、階段の下でしたら匂いは上がりません」
帰りの馬車で、わたくしは何度か窓の外を見ました。
道の両側に花が出ております。花季でございますから、どの家の門先にも荷が着いております。三十七軒のうち、今日届いたのは何軒でございましょうか。
届いていること自体は、間違っておりません。品目も日付も、写しのとおりでございます。菓子を添えたのは、たぶん親切でございます。花だけでは寂しいと思われたのでございましょう。実際、他の三十六軒のうち二十軒ほどは、菓子を添えたほうが喜ばれます。喜ばれるからこそ、添えない家に添えると目立ちます。
うちの荷は、六年とも同じ日に着くように立てております。ヴァイエル男爵家は近うございますから、出すのは前の日でございます。前の日に出して、朝のうちに着く。着く刻限まで揃えているのは、この家がお昼前に来客をお受けにならないからでございます。
そういうことも、書いてございます。
わたくしは、膝の上で指を折りました。
菓子を添えてはいけない家が三軒。白いものを贈ってはいけない家が二軒。順序を動かしてはいけない組が二組。花の丈を決めているお家が一軒。
それだけで八軒でございます。三十七のうちの八でございますから、五軒に一軒は何かしら決まりごとがございます。
家に帰りましたら、母が玄関で待っておりました。
「ヴァイエル様は、なんて」
「ハンナ様が、返し先を聞いておいででした」
母は、少し目を細められました。
「花季のうちに、あと二つ三つは出るでしょうね」
母は、そういうことを言い当てる方でございます。
「なぜ二つ三つでございますか」
「三十七軒でしょう。四十軒近くお出しになって、何も起きないほうが珍しいわ。うちは十四軒ですけれど、それでも年に一度は何かございますよ」
「うちは、この六年ございませんでした」
「あなたが書いていたからよ」
母は、そう仰って玄関の戸をお閉めになりました。
甘いものを断っておいでのお宅へ、砂糖の匂いのする箱が二つ届きます。
添えた側に、悪意はございません。むしろ親切でございます。三十七軒のうち三十四軒でしたら、たいへん喜ばれた親切でございました。
この回でいちばん書きたかったのは、返し先を尋ねる老侍女ハンナ様の一言でございます。「六年、こういうことはございませんでした」。——誰も褒めなかった六年というものは、無くなってはじめて形になります。
そのハンナ様ご自身も、こう仰います。「うちも、新しく入った者に日付と品目だけ教えて済ませてしまうことがございます」。よそ様のことでは、ないのでございますね。
次回、第8話「順序」。今度は品ではなく、着く順が問われます。




