第11話 十九軒の家
エッダ辺境伯家から、お使いの方がいらっしゃいました。
北から八日でございます。八日かけて、書状を一通お持ちになりました。
書状には、こうございました。
――当家の付き合いを、見ていただけませんか。十九軒でございます。
それから、こう続いておりました。
――報酬はお約束いたします。ただし、お引き受けいただけない場合も、この書状はお納めください。断りの返事に八日かけていただくのは、心苦しく存じます。
断ってよい、と先に書いてございました。
母が、その書状を二度お読みになりました。
「北まで、八日ですって」
「はい」
「行くの」
「伺います」
わたくしは、そう申し上げました。
考える時間は要りませんでした。要らなかったことに、自分で少し驚きました。
道中は、思ったより短く感じました。八日というのは荷の日数でございまして、人だけでしたら六日でございます。
北へ入りますと、道の脇に石が積んでございます。冬に雪の深さを測るためのものだと、御者の方が教えてくださいました。
エッダ辺境伯家の玄関で、レオンハルト様がお待ちでございました。
背の高い方でございました。三十を少し手前といったところでございましょうか。ご当主が病を得ておいでで、この五年、代理をお務めでございます。
「リーゼ様。よくおいでくださいました」
「お招きいただきまして」
「まずは、これを」
通されたお部屋の卓に、帳面が一冊置いてございました。
開きますと、十九軒の名が並んでおります。上の段に品目と日付。下は、白うございました。
「余白が、ございませんね」
「はい」
レオンハルト様は、その白いところを指でお示しになりました。
「三年前まで、うちにも余白がございました。書いていたのは家の者で、その者が去年、里へ帰りました。四十年勤めておりました」
「四十年」
「引き継ぎはいたしました。品目と日付を、全部。……それで足りると思っておりました」
わたくしは、帳面の白いところを見ておりました。
「足りませんでしたか」
「今年の春に、二軒から返礼が参りませんでした」
二軒でございます。
十九軒のうちの二軒でございますから、三十七軒でいえば四軒ほどに当たります。
「なぜ、わたくしに」
伺いました。
伺わないままお引き受けするわけには参りません。
レオンハルト様は、少し考えてから、こう仰いました。
「六年前の秋に、当家へ届いたクラーゲン侯爵家のお荷が、それまでと変わりました」
「変わりましたか」
「品が変わったのではございません。荷の立て方が変わりました。それまでは他家と同じ日にお出しでしたが、その年から、当家だけ八日早く立てていらっしゃる」
わたくしは、六年前の秋を思い出しました。
最初の収穫祭でございます。宛名を書きながら、地図を見て、北は遠いと気づきました。それだけのことでございます。
「うちは北でございますから、遅れて着くのが当たり前でございました。四十年勤めた者が、その年に申しました。あちらの書き手が替わったようだ、と」
「……分かるものでございますか」
「分かります。四十年やっておりましたので」
レオンハルト様は、帳面を閉じられました。
「以来、礼状は私が書いております。代筆にせずに、私が」
「なぜでございますか」
「書いた方に、書いた方の字で届くべきだと思いましたので」
わたくしは、しばらく何も申し上げませんでした。
六年、二十四通でございます。二十四通のあいだ、こちらの名を一度も書かずに、あちらは書き手を見ておいででした。
「封の紙のことも、それで」
「はい。今年、紙が厚うございましたので」
レオンハルト様は、そこで一度言葉をお切りになりました。
「余計なことを申し上げました。……お引き受けいただけますか」
わたくしは、帳面の白いところにもう一度目を落としました。
十九軒でございます。三十七軒の半分でございます。
「お引き受けいたします。ただ、一つだけ」
「なんでしょう」
「余白は、わたくしの字で書きます。書いた者が誰か、分かるように」
レオンハルト様は、少し目を見開かれました。
「それは、条件でございますか」
「条件でございます」
「……理由を伺っても」
「六年前、わたくしは人の帳面を引き継ぎました。品目と日付だけを渡されて、余白はございませんでした」
「奥様から、でございますね」
「はい。ですから、最初の一年は何も分かりませんでした。分からないまま出して、二軒から返礼が参りませんでした」
六年前の新年でございます。三十五通でございました。
あの二軒がなぜ返してこなかったのかを、わたくしは翌年の夏に知りました。伺いに行ったからでございます。
「二軒」
「はい。ちょうど、こちらと同じ数でございます」
レオンハルト様は、帳面の上に手を置かれました。
「では、うちの十九軒も、伺いに行かれますか」
「伺います。十九軒でしたら、ふた月ほどかと」
「ふた月」
「一軒に半日ずつでは足りませんので」
レオンハルト様は、そこで初めて笑われました。
「四十年勤めた者も、同じことを申しました。足で書く帳面だと」
「よい言い方でございます」
「使ってやってください。あの者が里で聞いたら喜びます」
「お引き受けいただけない場合も、この書状はお納めください。断りの返事に八日かけていただくのは、心苦しく存じます」
——お誘いの書き出しがこれでしたら、たいていの方は行くと思います。リーゼも、考える時間が要りませんでした。要らなかったことに、本人がいちばん驚いております。
報復ではなく、需要で報われる。この物語が第11話で舞台を北へ移したのは、そのためでございます。彼女に要ったのは謝罪ではなく、仕事でございました。
そして条件を一つだけ出します。「余白は、わたくしの字で書きます。書いた者が誰か、分かるように」。——六年前にご自分がされたことへの、これが答えでございます。
次回、第12話「余白の正体」。蔵から、四十年ぶんの古い帳面が出てまいります。




