第10話 花季の宴
花季の宴には、母が参りました。
うちからは一人でよいお招きでございましたので、母が行くのが筋でございます。わたくしは家におりました。母がお戻りになったのは、夜の十時を過ぎておりました。
「ただいま」
母は外套を脱ぎながら、こう仰いました。
「十一だったわ」
わたくしは、お茶をお出ししました。
「空席が十一。招きは三十七、出席が二十六」
母は数を先に仰る方でございます。うちの母はそういう方でございます。
「広間は、上座から見て左の列が三つ空いておりました。それが並んで空いておりましたので、目につきましたよ。あとは散って」
「並んでおりましたか」
「ええ。リンドナー様、シャルンホルスト様、それからオルブリヒ様」
左の列は、格の順で申しますと上のほうでございます。
「オルブリヒ様は、ご高齢でいらっしゃいますから」
「アデーレ様は、去年の花季には出ていらしたわ」
母は、そう仰って茶碗をお持ちになりました。
「マルグリット様は、最後まで背筋を伸ばしていらっしゃいました。あの方は、そういうところは立派よ」
「はい」
「途中で、家令の方が数えていらっしゃるのが見えました。柱の陰で、指を折って」
ヴェルナーでございましょう。あの方は数を追うのがお上手でございます。指を折って数えたということは、頭の中の数と合わなかったということでございます。合っていれば数え直しません。
「そのあと、その方がマルグリット様に何か申し上げて、マルグリット様が『数え直しなさい』と仰いました」
「聞こえましたか」
「聞こえるところにおりましたもの」
母はお茶を一口お飲みになりました。
「わたくしの隣が、ヴァイエル様の奥様でしたのよ。ハンナさんのところの」
「さようでございましたか」
「花季の籠の話をなさっていたわ。返さずに済んだ、と」
母は、それ以上お続けになりませんでした。わたくしも、伺いませんでした。
「ソフィ様は」
「いらしていたわ。ずいぶん静かにしていらして」
「さようでございますか」
「マルグリット様のお隣に座って、最後までいらっしゃいましたよ。途中でどなたかが花季の籠の話を始めたときに、席をお立ちにならなかったのは立派だと思いました」
母は、そこで一度言葉をお切りになりました。
「あの方、逃げないのね」
「はい」
「逃げないというのは、案外、めずらしいことですよ」
わたくしは頷きました。
「ユリウス様は」
「ご挨拶に回っていらっしゃいました。上座から順に。……三つ空いているところで、少しお止まりになって」
「止まられましたか」
「止まって、それから飛ばして次へ行かれました。飛ばすときに、椅子の背を一度お触りになったの」
母は、そういうところをご覧になる方でございます。
しばらく、二人でお茶を飲んでおりました。柱時計が十一を打ちました。
「オルブリヒ様のことだけ、伺ってもよろしいでしょうか」
「アデーレ様ね」
「はい」
「欠席のお返事に、お手紙が添えてあったそうよ。マルグリット様が読んでいらしたのを、隣の方が見たと」
「お手紙」
「一行だけだったって。……庭の花が、今年は白いのばかりですって書いてあったそうよ」
わたくしは、茶碗を持ったまま少し動けませんでした。アデーレ様は、そういう書き方をなさいます。困ったとも迷惑だとも書かれません。起きたことだけをお書きになります。
「それ、どういう意味なの」
「……庭の花のことでございましょう」
「そう」
母は、それ以上お聞きになりませんでした。
「帰り際にね」
母が、思い出したように仰いました。
「家令の方が、玄関でお客様お一人ずつに頭を下げていらっしゃいました。皆さまお帰りになるところですから、普通のことですけれど」
「はい」
「そのときに、こう仰っていましたよ。来年は改めます、と」
わたくしは、茶碗を置きました。
「お一人ずつにでございますか」
「お一人ずつに。二十六回」
二十六回でございます。改めます、と申し上げるのは、何を改めるかが分かっているときに使う言葉でございます。分かっていなければ、申し訳ございませんと申し上げます。
ヴェルナーは、改めますと仰った。順序のことは、もうお分かりなのでございましょう。順序だけでしたら、荷を立てる順を直せば済みます。距離の順ではなく、格の順に立てる。それだけのことでございます。
直せば、あの二軒は戻ります。残りの九軒は、戻りません。
なぜなら、あの九軒に何が起きたのかを、まだどなたもご存じないからでございます。菓子と、白い花と、丈の高すぎた花と、家名だけの宛名と、それから犬のいるお家の百合と。一件ずつ違うことが起きております。一件ずつ違うということは、一件ずつ気づかなければ直らないということでございます。
「あなた」
母が、わたくしのほうをご覧になりました。
「数を、書き留めておかなくていいの」
わたくしは、少し考えました。六年のあいだ、数はすべて帳面に書いておりました。三十七通そろった日は丸を一つ。そろわなかった日は、そろわなかった軒を書きます。書いておかないと、翌年に同じことをいたします。
「書くところが、ございません」
母は、そうねと仰って、茶碗を片づけに立たれました。
第二章の締めでございます。空席、十一。
この物語のいちばん静かなところは、山場に主人公が居ないことでございます。リーゼは家でお茶を飲んでおりまして、宴の様子は母君の土産話として、夜更けに届きます。手も汚しませんし、見にも行きません。
柱の陰で指を折って数え直す家令。三つ並んだ空席のところで一度止まり、椅子の背に触れて次へ行かれた若様。——お二人とも、数はもうお分かりでございます。分からないのは、なぜ、のほうでございます。
順序を直せば、二軒は戻ります。残る九軒は、戻りません。九軒には、九通りのことが起きておりますので。
次回、第11話「十九軒の家」。北から、八日かけて書状が一通まいります。




