第二章 第二十九話 屋根に並ぶ弓
白環治療院が前日から残し始めた記録には、夜のうちにもいくつかの変化が加わっていた。正門は一度も閉じられていない。夜間の急患も二人受け入れられ、治療を終えた付き添いの家族も帰宅を許された。しかし、深夜を過ぎても周囲から濃紺の外套が消えることはなく、東側の交差点では二度人員が交代し、西市場へ続く道では夜半から同じ場所に一人が残り、裏手の洗濯場へ続く通りでも治安局員らしい二人組が一定の間隔で行き来していた。誰かが正門を封鎖したわけでも、通行を禁じたわけでもない。それでも夜明けを迎えた時、白環を囲む三本の道には、どこにも治安局の姿があった。
中央回復室の卓では、ミレナが夜の記録を時刻順に並べていた。見えた人数、人員が交代した時刻、荷車が止められた時間、患者や職員が何を尋ねられたか。そこに推測は一行もない。誰の命令だったのか、目的は何なのか、ヘルマン・ロウが関与したのか。確認できないものは書かないと決めていた。
「夜中もずっといたんだね」
アイリが紙を覗き込む。
「少なくとも、見える場所から完全には消えていないわ」
「交代してるなら、最初から夜も残る予定だったんじゃないのか」
レンが言うと、ミレナは炭筆の先を止めた。
「そうかもしれない。でも、確認できるのは交代があったことまで」
「昨日より厳しいな」
「昨日あなたたちに何度も言われたからよ」
窓際では、ガリックが椅子に腰掛けたまま朝食の黒パンを食べていた。左脚は朝の診察でも悪化しておらず、脇腹にも新しい出血はない。六年前の背中の傷も古い痕のままだが、夜の間に通りを横切る靴音が聞こえるたび、眠りの浅いところへ引き戻されたらしい。
「眠れた?」
アイリが尋ねる。
「三回起きた」
「痛くて?」
「違う。外の足音だ」
「怖かった?」
「ああ。ただ、昨日よりは何が怖いのか分かる」
ガリックは残りの黒パンを口へ入れ、ゆっくり噛んだ。
「見えない相手まで勝手に六年前と同じにする方が、今は怖い」
レンが少し意外そうに彼を見る。
「成長したな」
「お前に言われたくない」
「褒めたのに」
「褒め方が腹立つ」
アイリが笑い、エリリアも僅かに口元を緩めた。彼女は朝の診察を終えたばかりで、身体そのものに大きな問題はない。ただ、消耗からの回復はまだ十分ではなく、今日も風を使うことは禁止されている。外を確認する時も魔力には頼らず、建物や通りの位置だけを目で追っていた。
「昨日まで正面の交差点にいた人とは違いますね」
「顔まで覚えてるの?」
アイリが尋ねる。
「立ち方が違います。昨日の人は壁へ背を預けることが多かったけれど、今朝の二人は通りを見ながら立っています」
「兵士?」
「そこまでは分かりません。ただ、見張ることには慣れているように見えます」
レンは窓へ近づこうとして右腕の重さに気づき、その場で止まった。
「痛む?」
アイリがすぐに見る。
「少し重いだけ。右脚は朝から問題ない。左手の痺れも昨日と同じ」
「聞く前に全部言った」
「毎回聞かれるから覚えた」
「それならいいよ」
その直後、院長が一枚の通知を手に回復室へ入ってきた。
「東地区の治療施設へ一斉に出されたものだ」
「白環だけじゃない?」
ミレナが受け取る。
「ああ。医療施設、倉庫、宿泊所、一部の商会にも同じものが届いているらしい」
文面には、東地区で行われている通行記録監査に伴い、主要街路と高所へ臨時の警戒員を配置するとあった。目的は監査対象となる荷車や関係者の所在確認、無断移動の防止、記録物の保全。武力行使を前提とした配置ではなく、住民の通行を制限するものでもないと記されている。
「無断移動って何だ」
レンが眉を寄せた。
「誰が動いちゃいけないの?」
アイリも尋ねる。
東門副長が通知を受け取り、文面を読み返した。
「少なくとも、ここには特定の誰かへ移動禁止命令が出たとは書いていない」
「でも、『無断移動の防止』とはある」
ミレナが言う。
「範囲が曖昧ね」
「違法なの?」
「根拠になっている命令を見なければ判断できん。ただ、この文書だけで白環の患者まで止められるとは読めない」
ガリックが通知へ目を向けた。
「高所へ配置するって書いてあるな」
「ああ」
「弓を持たせるとも?」
「それは書いてない」
ガリックは何も言わず、残っていた湯を飲んだ。
◇
最初の弓を見つけたのは、白環の職員ではなかった。午前の薬草を届けに来た商人が荷を下ろし終えた後、受付へ戻ってきて、向かいの倉庫の屋根に兵がいると告げた。昨日までは、そこへ誰かが上がっているのを見たことがないという。
院長は職員を不用意に窓へ立たせず、二階の廊下奥から斜めに外を確認できる場所へ東門副長とエリリアを向かわせた。半開きの室内扉越しに、向かいの倉庫の屋根の一部だけが見える。
「二人」
副長が言った。
「治安局?」
「外套は同じだ」
「武器は?」
レンは窓から離れた位置に座ったまま尋ねる。
「弓を背負ってる」
ガリックの指が膝の上で僅かに動いた。
「形は見えるか」
「長弓じゃない。街中で使うには少し短い」
「軍用?」
「そこまでは断定できん」
エリリアも目を凝らした。
「短剣も携帯しています。ただ、矢は番えていませんし、こちらへ弓を向けてもいません」
「どこを見てる?」
「一人は大通り。もう一人は東門へ続く方向です」
アイリが小さく息を吐いた。
「白環だけを見てるわけじゃないんだ」
「今見える範囲ではね」
ミレナが答えた。
ガリックはしばらく黙り、やがて低く言った。
「弦を張る音は、まだない」
「六年前の?」
レンが尋ねる。
「あの時も、森の中で先に弦を鳴らす音がした。同じ弓かどうかも、同じ兵かどうかも分からん。ただ……あの音は嫌いだ」
「怖い?」
「ああ。でも、見てないものまで見たことにする気はない」
ミレナは記録へ『午前四刻。向かい倉庫屋根に弓を携行する二名。射撃姿勢なし』と一行だけ加え、それ以上の意味は書き込まなかった。
◇
一刻も経たないうちに、別の高所にも人影が現れた。東側の古い鐘楼に二人。西市場へ抜ける通りに面した三階建ての香料店の屋上に一人。正面からは見えないが、裏通りを利用した洗濯場の職員から、宿屋の上にも弓を背負った治安局員らしい影がいると報告が入った。
「全部で何人?」
アイリが尋ねる。
「確認できたのは六人だ」
副長が答えた。
「見えない場所は数に入れていない」
「白環を囲んでる?」
「配置だけ見れば、周囲にもいる。ただ、東地区全体の警戒なら、この辺りへ集中して見える可能性もある」
「嫌な配置ではある」
ガリックが言う。
「だが、誰の命令かまでは分からん」
レンは少しだけ笑った。
「本当に変わったな」
「今度言ったら殴るぞ」
「殴ったら約束違反だ」
「そういう使い方をするな」
院長は二人を無視し、治療師長と相談して患者の配置を見直した。すべての病室を空ける必要はない。弓兵が確認された高所から直接窓を見通せる部屋だけ、身体を起こせない患者を内側の病室へ移す。歩ける患者には無理な移動をさせず、外向きの窓から距離を取るよう説明する。鎧戸もすべて閉じれば昼間の治療に支障が出るため、必要な部屋だけ半分閉じた。
「火矢の可能性は?」
レンが尋ねる。
「可能性としてはある」
東門副長が答える。
「でも、持ってるかは見えない」
「なら火事の準備だけしておこう」
院長も頷いた。
「屋根へ人は上げない。乾燥室と屋根裏へ続く階段の内側に水桶と濡れ布を増やす。ただし、治療に使う水を減らすほどは運ばない」
「乾燥薬草は?」
「高価なものと不足しているものだけ中央薬庫へ移す。全部動かして治療を止める必要はない」
アイリは少し考えた。
「私たちの薬も?」
「特別扱いはしない。今使っている薬は各治療室に残す」
「燃えたら?」
「予備を分ける。怖いから全部一か所へ集めれば、そこを失った時に終わる」
「人も薬も、一か所に集めないんだね」
「ああ。必要以上にはな」
ガリックが反応した。
「食料もだ」
院長が嫌そうに眉を寄せる。
「またその話か」
「搬入がさらに遅れても、子供と重傷者の配給は減らすな」
「昨日から何度言う」
「確認だ」
「備蓄はまだある」
「それでもだ」
アイリが笑った。
「弓が増えても食べ物の心配してる」
「弓が増えたからだ。腹が減れば、怖い時に判断を間違える」
ミレナが僅かに眉を上げる。
「珍しく筋が通ってる」
「いつも通ってる」
「料理の話だけはね」
「お前には昼のパンをやらん」
「そういう権限はないでしょう」
短いやり取りに、張りつめていた空気が僅かに緩んだ。
◇
昼を過ぎる頃には弓兵の噂が院内にも広がったが、昨日のような大規模な説明会は開かなかった。各病棟の治療師が患者へ、高所に武装した治安局員が配置されていること、現時点で白環への攻撃命令も外出禁止命令も確認されていないこと、外向きの窓から不用意に身体を出さないことだけを伝え、それ以上の推測は付け加えなかった。
それでも、不安を抑えきれず中央へ尋ねに来る者はいた。昨日、大広間で娘のことを気にしていた中年の患者もその一人だった。まだ長く歩くことができず、妻に肩を貸されながら廊下の椅子へ腰を下ろした。
「昨日、出たければ出られると言ったな」
院長へ向けた声には、怒りより疲れが滲んでいた。
「ああ。今も変わっていない」
「あの弓兵がいても?」
「患者へ外出禁止命令は出ていない」
「なら、娘と妻だけ先に家へ帰せる?」
院長は母子の状態を確認した。
「二人に治療上の問題はない。本人たちが望むなら可能だ」
「外で捕まらない?」
「昨日までの例では、質問を受けても通行は認められている。ただし、今日も同じかは実際に確かめる必要がある」
男は妻を見た。
「行くか?」
妻はすぐには答えなかった。弓兵の存在を知ったことで、昨日より迷いが強くなっている。
「……門まで一緒に来てもらえますか」
院長が頷いた。
「治療師を一人つける」
アイリは男の幼い娘を見た。
「怖い?」
少女は母親の服を握ったまま頷いた。
「私も怖いよ」
「お姉ちゃんも?」
「うん。でも、外に弓があるからって、必ず撃つとは決まってない。分からないところは、お父さんとお母さんと一緒に決めていいと思う」
「アイリ」
レンが小さく呼ぶ。
「何?」
「昨日より説明するの上手くなったな」
「褒めてる?」
「今度は普通に」
「じゃあ受け取る」
遠くからガリックが鼻を鳴らした。
「俺の時と扱いが違う」
母子が白環を出たのは、昼を少し過ぎた頃だった。正門前に弓兵はいない。通りの角にいた治安局員が母親へ名前と住所、白環にいた期間を尋ね、同行した治療師が退院許可を示すと、それ以上止められることもなかった。母親は一度だけ屋根を見上げた。向かいの倉庫には朝からいた二人の弓兵が残っているが、弓は背負ったままで、矢も手にしていない。母親は娘の手を握って通りを歩いていき、その後を追う者はいなかった。
「出られたね」
二階から様子を確認していたアイリが言う。
「ああ。少なくとも今は」
レンが答えた。
ミレナは『午後一刻。退院者二名。治安局による質問あり。通行許可。拘束なし』と、その事実も記録へ加えた。
「これも残すの?」
「悪いことだけ書いたら、記録じゃなくて主張になるでしょう。通れた時は、通れたと書く」
「その方が変化も分かる」
東門副長も頷いた。
◇
午後の薬草車は前日よりさらに遅れて到着した。東地区へ入る直前の検査所で積荷をすべて確認されたためで、中身に問題はなく、没収された薬草もない。しかし商人は到着するなり、次回から別の門を使いたいと院長へ申し出た。
「西門から回れば半日近く余計に掛かる」
ガリックが在庫表を見ながら言う。
「それでも来なくなるよりはいい」
「値段が上がる」
「多少はな」
「多少で済むか」
「今から怒っても荷は増えん」
レンが言った。
「分かってる」
「顔が分かってない」
「お前に言われたくない」
院長は商人へ無理な経路を強制せず、次回は西門を回っても構わないと伝えた。治療院側でも、急を要する薬だけ小分けにして運べないか確認する。それ以上は、実際に供給が止まってから判断することにした。
「先回りして全部変えたら、それだけで白環が混乱します」
エリリアが言う。
「治療を続けること自体が大事ですね」
「ああ。弓が見えるからといって、全員で弓だけを見ていたら治療院ではなくなる」
院長の言葉どおり、午後も治療は続いた。包帯は交換され、薬は煎じられ、熱のある患者には水が運ばれる。窓の外へ不用意に近づかないという違いを除けば、できる限り普段の白環を保っていた。その間にも高所の人影は少しずつ増え、香料店の屋上にもう一人、古い鐘楼には三人目、南側の宿屋にも新たに一人が確認された。
「九人」
東門副長が記録する。
「確認できる範囲だけだ」
「朝は六人だった」
アイリが言う。
「増えた理由は?」
「分からん」
「配置命令が追加されたとか?」
「可能性はある。ただ、新しい通知は来ていない」
ガリックは一度だけ窓の方へ視線を向けた。
「弓の種類は同じか?」
「似ています」
エリリアが答える。
「ただ、ここから細部までは分かりません」
「六年前のものと同じか確かめたい?」
レンが尋ねる。
ガリックは少し考え、首を横へ振った。
「今はいい。向こうから矢が来てないのに、同じだと確かめるためだけに近づく理由はない」
「前なら?」
「見に行ってただろうな」
「成長した」
「それ以上言うな」
◇
夕刻近く、白環へ二通目の通知が届いた。東地区の監査強化に伴い、日没後から翌朝まで主要な高所配置を継続すること。武装員は治安局の管理下にあり、一般住民への攻撃を目的とするものではないこと。治療施設への出入りも引き続き認めること。ただし、監査関係者や記録物の無断移動が確認された場合は、現場判断による制止を行うことがあると記されていた。
「また『監査関係者』」
レンが言う。
「誰なのか書いてない」
「そこは問い合わせる」
東門副長が文書の写しを取った。
「俺たちが対象なのか、東門の担当者だけなのか、荷車の所有者まで含むのか。範囲を確認する」
「答えが来るまでは?」
「患者の出入りはこれまでどおりだ。新しい禁止命令はない」
「弓兵は?」
「下げろとは書けないな」
「配置の理由は聞ける?」
アイリが尋ねる。
「白環へ射線を取る必要があるのかも含めて確認できる」
「射線?」
レンが聞き返すと、エリリアが窓の向こうを示さずに位置関係だけを説明した。
「向かいの倉庫にいる二人は、今は通りを見ています。でも身体の向きを変えれば、白環の二階窓も見える位置です。鐘楼も同じです」
「全部こっちを狙える?」
「すべてではありません。ただ、いくつかは」
ガリックの右肩が僅かに強張った。
「大丈夫?」
アイリが尋ねる。
「大丈夫じゃない。弓が増えるのを見るのは嫌だ」
「部屋を変える?」
「いや。見なくても音は聞こえる。それなら、分かることだけ聞いていた方がいい」
「無理だと思ったら言って」
「ああ」
◇
日が傾き始めると、空の色が薄い金色から灰色へ変わり、屋根の輪郭が次第に黒く沈んでいった。白環の窓には普段より早く灯りが入り、外から室内が見えすぎないよう鎧戸の角度が調整された。治療に必要な場所は明るさを保ち、それ以外は廊下側の灯りを中心にする。窓を塞ぎ切ることはしない。火災や急患が起きた時の逃げ道まで、自分たちで失うわけにはいかなかった。
ミレナは朝から増えた記録を卓へ並べた。
「夜間も治安局員が残った。高所へ弓を持つ人員が配置された。退院者は質問されたけれど通れた。薬草車は遅れたけれど到着した。夕方には高所配置を続ける通知が来た」
「並べると嫌な一日だな」
ガリックが言う。
「でも、まだ攻撃されたとは書けない」
「そうね」
「白環だけが対象とも書けない」
「ええ」
「ロウが全部命じたとも書けない」
ミレナは僅かに笑った。
「本当に覚えたわね」
「褒めるなら普通に褒めろ」
「上出来よ」
「それは普通なのか?」
アイリが笑いを堪えながら窓の外へ目を向けた時、向かいの倉庫の屋根で一人の弓兵が動いた。
「あれ」
全員の注意が向く。
兵は背負っていた弓を下ろした。矢には触れず、腰の道具袋から何かを取り出して弓の両端へ手を掛ける。その動きを見た瞬間、ガリックの表情が変わった。
「弦を張る」
乾いた音が夕方の通りへ響いた。弓兵は張り終えた弓を身体の横へ下ろしたまま、矢を番えようとはしない。
「撃つの?」
アイリの声が小さくなる。
「まだ分からん」
ガリックが答えた。
その直後、古い鐘楼でも一人が背中から弓を下ろし、香料店の屋上でも同じ動きが起こった。声による命令も旗による合図も確認できないまま、乾いた弦音だけが場所を変えながら一つ、また一つと続いていく。
「合図があったのかな」
アイリが尋ねる。
「可能性はあります」
エリリアが答える。
「ただ、ここからは分かりません」
「数える?」
レンがガリックを見る。
「人数だけだ。矢の本数まで想像する必要はない」
東門副長が確認できる高所を順に見た。
「倉庫に二。鐘楼に三。香料店に二。南側はここから見えない」
「七人」
「確認できるのはな」
窓の外で、倉庫の弓兵の一人が立ち位置を変えた。昼間までは大通りへ身体を向けていた男が、ゆっくり白環の方へ向き直る。矢は持っておらず、弓も下げたままだが、その位置からなら二階の窓も、正門の屋根も、屋上へ続く小さな出入口も見渡せた。
ガリックは長く息を吐いた。
「怖い。でも、まだ矢は来てない」
「ああ」
レンが答える。
「なら、来る前から来たことにはしない」
「その代わり、来ても守れる準備はしておく」
院長が続けた。
窓から人を離し、水桶と濡れ布の位置を再確認する。それ以上はしない。正門に家具を積むことも、屋上へ護衛を出すことも、患者を地下へ集めることもしなかった。まだ必要のない行動まで始めれば、自分たちの恐怖で白環を閉じることになる。
夕日が王都の城壁の向こうへ沈み切る頃には、向かいの倉庫だけでなく、鐘楼にも、香料店にも、遠くの宿屋の上にも弓を手にした影が見えていた。誰も矢を番えていない。誰も白環へ射ると宣言していない。それでも、朝には背負われていただけの弓が、今はいつでも使える状態で兵たちの手に収まっている。白環治療院の扉はその夜も開いていたが、日が落ちた街の屋根には、乾いた弦を張った弓が静かに並んでいた。
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