第二章 第二十七話 閉ざされる東門
ヘルマン・ロウの名が記された照会文が白環治療院へ届いた翌朝、東門副長は夜明け前から中央回復室の卓を借り、治安局から送られてきた文書を何度も読み返していた。文面そのものに脅迫的な表現はない。六年前に処分された元王立街道警備隊員ガリック・ヴェインについて、本人の所在、追加聴取の可否、関連資料の保管状況を確認したいという、形式だけを見れば珍しくもない行政照会だった。しかし、六年間ほとんど動かなかった記録へ今になって触れ、その担当欄に当時の隊長本人の名がある。その事実は十分に不自然だったが、不自然であることと、何かを企んでいることは同じではない。昨日交わした五つ目の約束を守るなら、ロウが記録を消そうとしているとも、自分たちを狙っているとも、まだ決めることはできなかった。
「返答期限は今日の正午だったな」
ガリックが尋ねた。左脚を休ませるため椅子へ深く腰掛け、杖は手の届く場所に置いている。脇腹の傷にも六年前の背中の古傷にも悪化はないが、ロウの名を見てから右肩へ余計な力が入ることが増えていた。
「ああ。ただ、昨日のうちに『本人は治療中であり、詳細な聴取の可否は主治療師と調整中』とだけ返した」
「資料の所在は?」
窓際のミレナが尋ねる。
「回答していない。俺個人の控えは東門の公的資料じゃないし、白環にあるとも書いていない」
「ロウがそれで引くと思う?」
「思うかどうかじゃない。次に何をするかを見る」
副長の返答に、ミレナは僅かに口元を緩めた。
「昨日より上手ね」
「誰のせいだと思ってる」
「私たち全員でしょう」
アイリが言うと、レンも卓の文書を見たまま付け足した。
「五つ目だな」
副長は溜息を吐いたが、否定はしなかった。
レンは卓から少し離れた椅子に座り、傷ついた右上腕へ負担を掛けない姿勢を取っていた。左前腕も朝から細かな作業を続けたせいで薬指と小指に薄い痺れが残っている。それでも以前のように無理を隠すことはせず、治療師へ伝えて休む時間を増やしていた。アイリも手首と右肩を庇いながら薬草の仕分けだけを手伝い、エリリアは魔力を使わず卓上の資料を読んでいる。ミレナだけは身体に問題がなく、東地区の古い記録一覧と「外・七」の紙片を別々の場所へ並べていた。
「ロウの照会と『外・七』は分ける」
ミレナが確認するように言った。
「六年前という時期が同じでも、それ以上はまだない」
「分かってる」
ガリックが答える。
「分かっていても確認する。似たものが増えた時ほど危ないから」
「それは俺じゃなくレンに言え」
「聞こえてる」
「ならちょうどいいわ」
朝の鐘が二度鳴った頃、中央回復室の扉を東門の若い衛兵が叩いた。昨日とは違って制服のままで、外套の留め具も正式な位置へ整えられている。ただ表情は硬く、入室して副長へ敬礼すると、懐から二枚の公文書を取り出した。
「東門に新しい命令が来ました」
「見せろ」
一枚目は、王都治安局から東門管理部へ出された臨時通行監査命令だった。東街道を利用する荷車と商隊の記録に不整合が確認されたため、当面の間、東門から出入りする大型荷車について積荷、所有者、通行許可証、車輪番号を再確認すること。過去三年分の通行帳と関連する旧道資料については、監査が終わるまで持ち出しを停止すること。東門の閉鎖も、人の往来の禁止も命じられてはいない。しかし、一台ずつ荷を下ろして調べれば、通行速度は大きく落ちる。
「これだけなら、監査としてはあり得ます」
エリリアが文面を読みながら言った。
「三年前の記録に七件の差があることは、こちらも確認しています。治安局側でも同じ不整合へ辿り着いたなら、荷車を調べる理由はあるでしょう」
「問題は二枚目だ」
若い衛兵が差し出したもう一枚は、東門内部の記録閲覧権限を一時的に制限する通知だった。六年前から現在までの街道護送、夜間通行、旧道使用に関する記録は、指定された治安局担当者の立会いなしに閲覧してはならない。複写も禁止。ただし、既に正式に作成された控えを破棄せよとは書かれていない。
「誰が立ち会う?」
ミレナが尋ねると、若い衛兵は通知の末尾を指した。
「現場担当者として、ヘルマン・ロウの名前があります」
ガリックの右手が膝の上で僅かに強張った。だが昨日のように反射的な否定を口にすることはなく、先に自分から息を吐いた。
「怖い。昨日よりはましだが、名前を見ると身体が先に固まる」
「痛みは?」
エリリアが尋ねる。
「背中は痛んでない。脇腹も変わらん。頭の方だ」
「なら二つ目は守れてるね」
アイリが言った。
「毎回褒めるな」
「守らなかったら毎回言うよ」
「そっちの方が嫌だ」
レンは二枚の文書を見比べた。
「ロウは今、どういう役職なんだ?」
「まだ正確には分からない」
副長が答える。
「治安局の人事記録は外から簡単に見られん。ただ、この命令に現場担当として名前を載せられる程度の権限はある。少なくとも、六年前の隊長だった時と同じ立場ではない」
「命令を出した本人?」
「違う」
ミレナが文書の発令欄を指す。
「発令者は治安局本部。ロウは執行側。そこは分ける」
「つまり、ロウが東門を好きに閉められるわけじゃない」
アイリが確認する。
「今の文書だけならな」
副長は若い衛兵へ目を向けた。
「門の様子は?」
「もう列ができています。荷車を全部開けているので、朝だけで城内側に十二台、城外側に十九台。商人がかなり怒っています」
「人の通行は?」
「今のところ普通です。ただ、荷車と一緒に出ようとした者は止められています」
「食料は入ってくる?」
ガリックの声が少し低くなる。
「入っています。ただ遅いです」
「それなら今日すぐ飢えることはない。今日すぐ、はな」
ガリックは卓の端に残された朝食へ一度視線を向けた。
「門で一台ずつ止めれば、生鮮品から傷む。二日、三日続けば値段が上がる。東地区は外から入る食料が多い」
「白環の備蓄を数え直しましょう」
回復室の入口から院長が言った。
「患者数も増減している。薬も食料も、昨日の数字のままでは判断できん」
「手伝う」
ガリックが杖へ手を伸ばした。
「お前は座って数量表を見ろ」
「倉庫へ行く」
「左脚を休ませろと言った」
「数えるだけだ」
「倉庫へ行く必要はない。数字を持ってこさせる」
ガリックは不満そうに眉を寄せたものの、杖から手を離した。
「……分かった」
「進歩したね」
アイリが笑う。
「だから褒めるな」
◇
午前の終わりには、東地区の変化が白環治療院の周囲にも見え始めた。普段なら正午前に到着する薬草商の荷車が一刻近く遅れ、厨房へ野菜を運ぶ商人も、門で積荷をすべて下ろされたと愚痴をこぼした。荷物そのものを没収された者はいない。治安局員が商人の名前と荷の内容を書き写し、通行帳の記録と照合しているだけだったが、いつもなら数分で抜けられる東門に一時間以上掛かるようになっていた。
「閉じてはいない。でも、通れなくなり始めてる」
アイリが窓から街道へ続く通りを見ながら言った。
「門を閉じる方法は、扉を下ろすだけじゃないからね」
ミレナが答える。
「通るのに時間と手間を掛ければ、人は別の門を選ぶ。荷も別の道へ流れる」
「だからって、監査自体が悪いとはまだ言えない」
レンが言った。
「ええ。三年前の七件を見つけた私たちが、それを言うのは変でしょうね」
「でも、六年前まで閲覧制限する理由は?」
「そこは確認する必要がある」
副長が答えた。
「今朝、東門から治安局へ問い合わせを出した。監査対象を三年ではなく六年に広げた根拠と、俺の閲覧権限まで止める理由を聞いている」
「返事は?」
「まだだ」
「副長自身は戻らないの?」
アイリが尋ねる。
「今戻れば、記録へ触れられないうえ、そのまま事情聴取へ回される可能性がある。俺が白環にいること自体は禁止されていないから、今はここで待つ」
「部下を置いてきたことは気になる?」
「ああ」
「怖い?」
副長は一瞬だけ黙ったが、すぐに頷いた。
「俺がいない間に、誰かが無理な命令を受けるのが怖い」
「なら、連絡方法を決める?」
アイリが昨日の約束を思い出して言う。
副長は若い衛兵へ向き直った。
「お前、もう一度戻れるか」
「はい」
「無理なら断れ」
「戻れます」
「では日没の一刻前までに、もう一度ここへ来い。戻れない場合は、西側の古井戸の南へ白石を二つ置け。こちらから人を送って確認する」
「危険の印は?」
レンが尋ねる。
「白石二つの上に黒石を一つ。見つけたら、同じ道では追うな」
「昨日の一つ目と同じだ」
アイリが言う。
「使えるなら使わせてもらう」
「五人の約束なのに」
「規則に人数は関係ないだろ」
ミレナが笑った。
「その通りね」
若い衛兵は三つの石の意味を復唱し、東門へ戻っていった。
◇
正午を過ぎる頃、治安局から副長の問い合わせに返答が届いた。監査対象を六年前まで広げた理由は、現在確認されている三年前の記録不整合と類似した形式上の欠落が、それ以前の資料にも存在する可能性があるため。副長の閲覧権限が止められたのは、彼が六年前のガリック処分時に記録担当の一人として関与していたため、監査対象資料との利益関係を避ける措置だという。
「筋は通ってる」
エリリアが言った。
「少なくとも文面上は」
「俺が六年前の記録を残していたことまで把握しているのか?」
副長が呟く。
「記録担当だったことは公式に残っているでしょう」
ミレナが答えた。
「あなたが改訂前の控えを個人的に残したことまで知っている証拠にはならない」
「そうだな。この約束、思ったより面倒だ」
「だから必要なんでしょう」
アイリが言ったところで、院長が別の紙を持って回復室へ入ってきた。
「こちらにも来た」
「治安局?」
「ああ。白環治療院へ、保全中の黒銀剣と銀縁のロケットについて明日の午前中に状況確認を行いたいと」
レンの表情が変わった。
「持っていくって?」
「書いていない。四者封印が維持されているか、ロケットの保全条件が守られているかを確認するだけだ」
「誰が来る?」
「担当者名はまだない」
「ロウ?」
アイリが尋ねる。
「分からない」
ミレナが先に答えた。
「書いてないなら決めない」
「……分かってる」
アイリは少し恥ずかしそうに視線を逸らした。
「剣は動かさない」
レンが言う。
「もちろんだ」
院長が頷いた。
「四者の封印がある。こちらから破る理由はない」
「ロケットも?」
「今の条件を守る。レンが院外へ持ち出さない限り、首から外す必要はない」
レンは服の下にある銀縁のロケットを左手で一度だけ確かめた。写真の少女が誰なのかも、母がなぜあれほど強く忘れるなと言ったのかも、まだ分からない。分からないからこそ、治安局が関心を持つ理由まで勝手に一つへ結びつけることはしなかった。
「明日までに確認することが増えたな」
ガリックが言う。
「剣の封印、ロケットの条件、東門の監査、ロウの権限、六年前の記録の閲覧履歴」
「『外・七』も」
ミレナが付け足す。
「それは別の紙だろ」
「分かってるならいいわ」
◇
午後になると、東門の混雑はさらに酷くなった。治安局は荷車だけでなく、東街道へ出る商人の大型荷袋も抜き取りで調べ始めた。人の通行そのものは禁止されていないが、門前には城内外あわせて百人近い列ができ、商人たちは西門や南門へ回るよう互いに声を掛け始めている。白環へ届くはずだった薬草も一部が遅れたが、没収されたわけではなく、夕方までには必要量の大半が届いた。
ガリックは厨房と薬庫から集められた在庫表を見ながら、数字を何度か確認した。
「今の人数なら、食料は六日以上ある。水は井戸で問題ない。薬は種類によるが、明日すぐ困るほどじゃない」
「なら大丈夫?」
アイリが尋ねる。
「今日のところはな。監査が一日で終わるか、一週間続くかで変わる」
「じゃあ、まだ配給を減らす必要はない?」
「ない。必要がないうちから減らせば、患者が弱る。ただし無駄にはするな」
「それはいつもでしょう」
「いつも以上だ」
ミレナが横から笑った。
「食料の話になると本当に元気ね」
「食料がなくなってから考える奴よりましだ」
「それは認める」
回復室に少しだけ穏やかな空気が戻った直後、窓の外から通常とは違う鐘の音が響いた。日没にはまだ早い。東門の鐘楼から、低い鐘が二度、間を置いて鳴る。
副長が顔を上げた。
「通行制限の鐘だ」
「閉門?」
アイリが尋ねる。
「まだ完全閉門じゃない。大型荷車の出入停止を知らせる合図だ」
「どうして今?」
副長が窓へ向かおうとした時、廊下を急ぐ足音が近づいた。昼前に東門へ戻った若い衛兵が息を切らして回復室へ入り、そのまま報告する。
「副長、追加命令です。日没まで大型荷車の通行を全面停止。既に検査待ちの荷車は城内側と城外側へ分けて待機させます。徒歩と小荷物の通行は続けるそうです」
「理由は?」
「通行帳と実際の車両番号に追加の不一致が出たと」
「何台」
「詳しい数は知らされていません」
「命令は本部からか?」
「はい。ただ、現場責任者が東門へ到着しました」
その一言で、ガリックの表情から僅かに血の気が引いた。
「ロウか」
「はい。治安局員を六人連れて、午後の三刻頃に管理棟へ入りました。門長と話した後、記録室を確認しています」
「門長は拘束された?」
アイリが尋ねる。
「いいえ。職務も続いています。ただ、六年前から現在までの記録については、治安局立会いなしでは触るなと改めて命じられました」
「武器を取り上げられた者は?」
「いません」
「門の鍵は?」
「東門側が持っています」
副長はゆっくり息を吐いた。
「なら、まだ接収じゃない」
「ええ」
ミレナも頷く。
「ロウが来た。それ以上でも、それ以下でもない」
ガリックの手が膝の上で強く閉じたが、すぐに自分で指を開いた。
「怖い。それと、今すぐ会いに行きたいとも思ってる」
「行く?」
レンが尋ねる。
「行かん。少なくとも、何のために来たか分かるまでは」
「ちゃんと守れてるね」
アイリが言う。
「だから褒めるな」
「守らなかったら怒るよ」
「分かったから」
若い衛兵はもう一枚、小さく折られた紙を副長へ渡した。
「門長からです」
そこには短い文章しかなかった。
『監査は合法。現状、武力接収なし。記録室のみ制限。副長は戻るな。白環への照会が増えている。』
「白環への照会?」
レンが尋ねる。
「治安局員が、今日ここへ誰が出入りしたか、東門の衛兵へ聞いています」
「それは普通?」
「ガリックの所在確認と、俺がここへ来ていることを確かめるだけなら不自然ではない」
副長が答えた。
「だが、白環の出入りまで詳しく調べる理由はまだ分からん」
「なら、今夜のうちに聞かれている内容を整理しましょう」
ミレナが言う。
「それと、戻れない時の印」
アイリが若い衛兵を見る。
「使わなかったね」
「戻れましたから」
「次も同じにする?」
副長は少し考えて首を横へ振った。
「いや。今夜は東門から出るな。ロウが来た以上、若い衛兵が何度も白環と往復すれば目立つ。次の連絡は門長側から通常の伝令を使う。特別な印は必要になった時だけだ」
「一つ目の約束は、別行動しないことじゃなくて、戻り方を決めることだからね」
アイリが言うと、ミレナが笑った。
「覚えてるじゃない」
「昨日決めたばかりだもん」
◇
夕刻が近づくにつれ、東門前の列はさらに長くなった。大型荷車が動けなくなったことで、商隊は荷を置いて宿を探し始め、城外へ出る予定だった者の多くは別の門へ向かった。徒歩の旅人はまだ通れる。小さな荷物も検査を受ければ持ち出せる。それでも遠くから見える東門は、朝までとは明らかに違っていた。門扉そのものは開いているのに、その前で人と荷が滞り、治安局員と東門衛兵が一台ずつ確認を続けている。
「閉まってないのに、閉まって見える」
アイリが窓辺から呟いた。
「人は扉だけで止まるわけじゃないから」
エリリアが答える。
「通れるか分からない場所には、次第に近づかなくなる」
「それが狙いだと思う?」
「まだ分かりません。監査の結果としてそうなっているだけかもしれない。ただ、このまま続けば東門を使う商人が減ることは考えておく必要があります」
レンは窓の外を見ながら右腕を無意識に動かしかけ、痛みに眉を寄せた。
「痛んだ?」
アイリがすぐに気づく。
「ああ。少し」
「ちゃんと言った」
「言わないとお前が怒るだろ」
「約束だから」
「分かってる」
ミレナは卓に並べた資料へ視線を落とした。
「今日分かったのは、ロウが現場担当として東門へ来たこと、監査が今のところ正式な命令で動いていること、そして白環への照会が増えていること。それだけ。ロウが六年前の記録を消そうとしている証拠も、東門を乗っ取った証拠もない」
「明日は剣とロケットの状況確認もある」
エリリアが言う。
「誰が来るかはまだ不明」
「『外・七』は?」
ガリックが尋ねる。
「今日は進展なし。だから無理にロウへ繋げない」
「分かった」
その時、東門の鐘楼からもう一度、先ほどより長い鐘が鳴った。副長は立ち上がり、窓の向こうへ目を凝らす。
「日没前の一時閉門だ」
「一時?」
「監査中の荷車を整理するため、主門を一度閉じる時の鐘だ。普通なら半刻ほどで再開する」
遠くの城壁で、大きな東門の扉がゆっくりと動き始めた。外側に残された荷車が後退し、城内側でも衛兵が人を離れさせている。治安局員が扉を押しているわけではなく、鍵を扱うのも東門の衛兵だった。それでも、開いていることが当たり前だった巨大な門が明るいうちから閉じていく光景は、王都の東側に暮らす者たちへ十分な不安を与えた。
「六年前も、最初は『確認するだけ』だった」
ガリックが窓の外を見たまま言う。
ミレナはすぐには否定せず、それでも静かに釘を刺した。
「だから警戒する。でも、六年前と同じだとは決めない」
「分かってる」
「怖い?」
「ああ」
「それでも?」
ガリックは一度だけ目を閉じ、再び開いた。
「それでも、今はここにいる」
レンも閉じていく東門を見つめた。昨日までは、ロウの名が現在へ戻ってきただけだった。今日は本人が東地区へ入り、正式な命令の下で記録へ触れ始めている。まだ剣は抜かれていない。誰も拘束されていない。白環治療院へ強制捜索が来たわけでもない。だから急いで答えを作ることはしないが、何も起きていないふりもしない。
巨大な門扉が最後まで閉じると、鐘楼の音が途切れた。
「半刻で開くんだよね?」
アイリが尋ねる。
「命令どおりならな」
副長が答えた直後、廊下から一人の治療師が入ってきた。
「院長、治安局から使者です」
「何の用だ」
「明朝の保全状況確認について、担当者が決まったそうです」
「名前は?」
治療師は手にした紙へ目を落とした。
「ヘルマン・ロウです」
部屋の空気が静かに張り詰めたが、ガリックは杖へ手を伸ばさず、レンも立ち上がろうとはしなかった。ミレナは「外・七」の紙を裏返し、ロウの文書とは別の束へ置いた。
「明日、来るのね」
アイリが言う。
「ああ」
ガリックは閉ざされた東門から目を離し、白環治療院の中へ視線を戻した。
「なら今度は逃げずに話す。ただし、一人では会わん」
卓には昨日描いた五つの丸がまだ残っていた。閉ざされた東門の向こうで何が動いているのかは、まだ誰にも分からない。ただ一つ確かなのは、六年前の男が記録の中から抜け出し、とうとう白環治療院の扉まで歩いてこようとしていることだった。
ここまで読んでくださり、そして『アストラエオン 炎と影』を応援してくださって、本当にありがとうございます。
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皆さんからの応援は、これからも物語を書き続けていくうえで大きな励みになります。
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