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アストラエオン 炎と影  作者: 鈴木 明
第二章 王都の闇
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第二章 第二十六話 五人の約束

六年前の記録に残されていた黒い鳥と「外・七」という符号について調べる方針を決めた翌朝、白環治療院の中央回復室には、ここ数日では珍しいほど穏やかな時間が流れていた。もちろん、何かが解決したわけではない。黒銀剣は今も治療院の武器保管庫で四者の封印を受けている。一方、銀縁のロケットは即時保全審査で定められた条件のもと、レンの首から離れていなかった。三年前の「空の荷車」、切り取られた七件の通行記録、六年前のガリックの護送任務、セイン・バルカの死、所在を追えなくなったマラとリコ、そして黒い鳥の情報保存経路。それらは互いに近い場所へ姿を現し始めていたが、まだ一つの事件として結びつけてはいけなかった。


 昨日、ミレナが口にした「並べる。でも、重ねない」という言葉を、アイリは朝食の間も何度か思い返していた。似ているものを見れば、同じだと思いたくなる。怖い記憶が絡めば、なおさらだった。けれど、先に答えを決めれば、本当に違うものまで同じ形に見えてしまう。アイリにも、その危うさが少しずつ分かり始めていた。


「さっきからパンを見たまま止まってるよ」


 レンに言われ、アイリは手元へ視線を落とした。


「考えてた」


「食べながら?」


「お兄ちゃんだって考えてるでしょう」


「俺はちゃんと食べてる」


「三口前から同じところ噛んでるよ」


 返す言葉を失ったレンを見て、ガリックが呆れたように鼻を鳴らした。


「兄妹だな」


「ガリックも人の皿を見てたでしょう」


「足りてるか確認しただけだ」


「今日は全員あるよ」


「確認したから分かる」


「確認しなくても分かるでしょう」


 窓際の椅子に座っていたミレナが、二人のやり取りに息を吐いた。


「その話、何日続けるつもり?」


「こいつらが毎日言うからだ」


「ガリックが毎日数えるからだよ」


「なら、一生終わらないわね」


 エリリアが静かに笑った。


 ガリックは治療師から左脚を休ませるよう言われ、杖を椅子の横へ置いたままだった。脇腹の傷に悪化はなく、六年前の背中の傷も古い痕として残っているだけだ。レンも朝の訓練を短く切り上げていた。右上腕にはまだ戦闘に使えるほどの力を掛けられず、左前腕も長く使えば薬指と小指の痺れが強くなる。古い右脚の傷も無視はできない。アイリの手首と右肩も回復途中で、エリリアも治療師の許可なしに魔法を使うつもりはなかった。五人とも、以前ならもう少し無理をしていただろう。


 レンは空になった器を卓の端へ寄せた。


「一つ、決めたいことがある」


「嫌な始まり方ね」


 ミレナが言う。


「まだ何も言ってない」


「そういう顔で始める話は、大抵面倒なの」


「お前に言われたくない」


「私は最初から面倒だと分かるように話すわ」


「それ、自慢?」


 アイリが尋ねる。


「場合によるわね」


 エリリアがレンへ視線を戻した。


「何を決めたいの?」


 レンは四人を順番に見た。


「一緒に動く時の約束だ」


 その言葉にミレナの目が僅かに細くなった。


「仲間になる話なら、私はまだ――」


「違う。王都を出た後まで決めるつもりはない。ガリックにもミレナにも事情がある。俺たち三人だって、次にどこへ行くか決めてない」


「では、今この王都で協力している間だけ?」


 エリリアが尋ねる。


「ああ」


「何を約束するの?」


 アイリが聞く。


 レンは卓の中央へ薄い記録板を置き、左手で炭筆を握った。


「まず、一人で消えない」


 ミレナは眉を上げた。


「私を見ながら言わないで」


「全員に言ってる」


「今、明らかに私を見た」


「一番やりそうだからだ」


「あなたもでしょう」


「俺は今、走れない」


「治ったら?」


「……話を進める」


「逃げた」


 アイリが笑った。


「別行動は禁止しない。でも、できるなら行き先と戻る時間を決める。緊急なら印を残す」


「戻る場所だけでは足りないわ」


 ミレナが言う。


「そこを見張られていたら戻れない。同じ道で追っていいかどうかも分かるようにするべきね」


「『来るな』は駄目だ」


 レンが即座に言う。


「だから『正面から追うな』にするの」


「迂回して、別の道を探す」


 エリリアが補足した。


「それならいい」


「街道警備でも石を使ったことがある」


 ガリックが言った。


「ただ、同じ印を使い続ければ盗賊に読まれる。出る前に、その日だけの印を決めろ」


「食べ物の名前にしたら覚えやすいよ」


 アイリが言う。


「黒パンなら危険、魚なら戻れない、とか」


「食い物を符丁にするな」


 ガリックが真顔で答えた。


「どうして?」


「腹が減る」


「そこ?」


「重要だ」


 エリリアが笑いを堪えるように視線を逸らした。レンはその横で記録板へ一つ目の丸を描き、改めて内容を確かめる。


「一人で勝手に消えない。必要なら戻る場所と時間、その日の印を決める」


 四人が同意したのを見届け、レンは最初の丸から手を離した。


 ◇


「二つ目は私。傷を隠さない」


 アイリが手を挙げた途端、四人の視線が一斉に彼女へ集まった。


「何でみんな私を見るの?」


「自分も含むんだろ」


 レンが言う。


「もちろん」


「夜に怖い夢を見ても黙ってる」


「それは傷じゃない」


「行動に影響するなら同じだ」


 アイリの指先が無意識に自分の手の甲を撫でた。ティアンケンの遺跡でヴァレクを殺した記憶は、まだ完全には過去になっていない。恐怖が現在へ重なれば、身体が止まることがある。


「……分かった。でも、お兄ちゃんも」


「ああ」


「右腕が痛くなったら?」


「言う」


「左手の痺れも?」


「言う」


「右脚も?」


「言う」


「戦えると思っても?」


「そこまで確認するのか」


「する」


 レンは諦めたように息を吐いた。


「約束する」


「ガリックも」


「脇腹も左脚も、悪くなったら言う」


「エリリアも」


「魔力の消耗も含めて、隠さないわ」


 ミレナが静かに続けた。


「全部を説明する必要はない。でも、判断へ影響するほどなら言う。それでいいんじゃない?」


「恐怖も入れる」


 レンが言った。


「なぜ?」


「怖い時ほど、一人で決めようとするから」


「誰のこと?」


「全員」


 今度のレンは誰か一人へ視線を向けることなく答え、エリリアもその意図を理解して頷いた。


「傷、痛み、疲労、魔力の消耗、それから恐怖。行動に影響するなら、誰かへ伝える」


「言葉にできない時は?」


 アイリが尋ねた。


「卓を二回叩く」


 ミレナが答える。


「近くにいるなら手を二回握る。どちらも無理なら、意識して長い呼吸を三回」


「卓を二回。手を二回。呼吸を三回」


「覚えた?」


「うん」


 アイリの返事を聞き、レンは記録板へ二つ目の丸を加えた。


 ◇


 三つ目を口にしたのはガリックだった。


「命を勝手に差し出すな」


 その言葉にレンが顔を上げた。


「俺を見ながら言うな」


「お前が一番やるからだ」


「さっきと同じだね」


 アイリが言う。


「今回はレンだ」


「何で俺だけ」


「アイリを助けるためなら、自分の身柄でも剣でも差し出そうとするだろ」


 レンは反論しかけ、止まった。


「状況による」


「出た」


 ミレナが言う。


「さっき私が使って、あなたが嫌がった言葉」


「本当に状況はあるだろ」


「だから、絶対にするなとは言ってない」


 ガリックの声が少し低くなる。


「時間があるのに、一人で決めるな。自分が消えれば全部終わるみたいな顔をする奴ほど、残された側を忘れてる」


 アイリが兄を見る。


「私も約束してほしい」


「アイリ」


「私を助けるために、お兄ちゃんが自分を渡すのは嫌」


「お前を置いていけってことか」


「違う」


 アイリは首を横へ振った。


「一緒に戻る方法を探してほしい。私だけ助かって、お兄ちゃんがいなくなったら、私にとっては助かったことにならない」


 レンは答えられなかった。母を失ってから、自分が傷つくことを、妹を守るための代価として受け入れすぎていた。けれど自分が倒れれば、その後を背負うのはアイリだ。


「……分かった」


「本当に?」


「ああ。時間があるなら、一人で決めない」


「命だけではないですね」


 エリリアが言う。


「身柄、自由、それから黒銀剣やロケットのように、渡せば全員の状況が変わるものも」


「私の情報は?」


 ミレナが尋ねる。


「お前の仕事で得た情報を全部共有しろとは言わない」


 レンが答えた。


「でも、今一緒に調べてることを誰かとの取引で渡すなら話せ」


「急いで決める必要がある場合は?」


「その時は動くしかないこともある」


 エリリアが答える。


「ただ、後で必ず伝える。何を渡したのか、なぜそうしたのか」


「それなら現実的ね」


「ガリックもだよ」


 アイリが言った。


「セインさんや家族のことで何か条件を出されても、一人で決めない」


「分かってる」


「本当に?」


「俺はレンより慎重だ」


「それはまだ証明されてない」


「お前は誰の味方だ」


「全員」


 即答され、ガリックが不満そうに鼻を鳴らす横で、レンは三つ目の丸を記録板へ加えた。


 ◇


「四つ目は、昨日の続きにしましょう」


 エリリアが言った。


「記録の中の人たち?」


 アイリが尋ねる。


「ええ」


 六年前、ガリックが開けた荷車には十二人がいた。だが、その名前は分からない。大人と子供。手を縛られ、口を塞がれ、眠らされていた者もいた。人数は記録に必要だ。それでも十二という数字だけが残れば、その中にいた一人一人は「十二人分の荷」と同じものになってしまう。


「人を数だけにしない」


 アイリが言った。


「人数を書かないって意味じゃないよ」


「名前が分からなくても、人だったことを残す」


 ミレナが続ける。


「子供がいた。眠らされていた人がいた。立てない状態の人がいた。分かることだけでいい」


「勝手な仮名は付けない方がいいでしょう」


 エリリアが言った。


「後で本名と混ざる可能性があります」


「なら、名前の空欄を残す」


 レンが答えた。


「分かった時に書けるように」


「セインさん、マラさん、リコちゃんみたいに」


 アイリの言葉にガリックの視線が僅かに下がる。


「セイン・バルカ」


 レンが口にする。


「マラ・バルカ」


 アイリが続ける。


「リコ・バルカ」


 エリリアも静かに復唱した。


「覚えているわ」


 最後にミレナが答えると、ガリックはゆっくり息を吐いた。


「知らない名前は、知らないままでいい。だが、人がいた場所を荷物の数だけにはしない」


 その言葉を受けて、レンは四つ目の丸を記録板へ描いた。


 ◇


「最後は?」


 レンが尋ねた。


 誰も「五人だから五つ」と決めたわけではない。それでも、四つ並んだ丸を見れば、自然ともう一つを待つ空気になっていた。


 ミレナは窓の外へ目を向けた。昨日まで、自分は六年前の黒い鳥と「外・七」を、どこかで今の「鴉」へ繋げたいと思っていたのかもしれない。方法も言葉も似ている。だから同じ誰かがいたと考えれば分かりやすい。けれど、分かりやすさは証拠ではない。


「分からないことを、都合のいい答えで埋めない」


 ミレナが言った。


「一番難しそう」


 アイリが呟く。


「特にあなたのお兄さんにはね」


「お前もだろ」


「もちろん」


 ミレナは卓へ視線を戻した。


「六年前の荷車と、三年前のエドラスの荷車は似ている。でも、まだ同じだとは分からない。黒い鳥と私の『鴉』もそう。『外・七』も、人なのか場所なのか経路なのか分からない」


「黒い糸と黒い封蝋も、黒いから同じじゃない」


 アイリが言った。


「ええ」


「救助してくれた赤い瞳の人と、夢の女の人も別に考える」


「少なくとも、今分かっている姿は違います」


 エリリアが慎重に続ける。


「夢で見た女性と、ロケットの写真の少女も外見が異なります。今のところ、関係があると考える根拠はありません」


 レンは首元のロケットへ触れかけ、手を止めた。


「救難信が届いたことと、後から原本が盗まれたことも別だな」


「そういうこと」


 ミレナが頷いた。


「答えを探すのはいい。でも、見つける前に作らない」


「俺は全部知りたい」


 レンは正直に言った。


「母さんが何を知っていたのか。村がどうして襲われたのか。『星脈の子供』が何なのか。ロケットの少女が誰なのか。誰が俺たちを助けたのか。夢の都が何なのか。全部」


「なら、なおさら急がないことね」


 ミレナが言う。


「一度間違った答えを信じれば、本当の証拠までその形に見える」


 レンは少し黙り、やがて頷いた。


「分かった」


「本当に?」


「……たぶん」


 その答えにアイリが吹き出した。


「ミレナと同じ言い方」


「私の真似をしないで」


「役に立ってる」


「それも何度目?」


 レンは五つ目の丸を記録板へ加えた。そこに文章は残さなかったが、五人はそれぞれの意味を覚えていた。一人で勝手に消えないこと。行動に影響する傷や恐怖を隠さないこと。命や身柄、大切なものを差し出す決断を一人でしないこと。人を数字だけに戻さないこと。そして、分からないことを都合のいい答えで埋めないこと。その五つが、今この王都で共に動く間の約束になった。


「これが五人の約束?」


 アイリが尋ねた。


「『五人』という呼び方には、まだ少し異議があるけど」


 ミレナが言う。


「ここに五人いる」


「人数の話じゃないでしょう」


「なら何て呼ぶ?」


「……今は五人でいいわ」


「諦めるの早いね」


「あなたと話してると疲れるの」


「褒められた?」


「違う」


 ガリックが五つの丸を見る。


「王都にいる間だけか」


「まずは」


 レンが答えた。


「その先も続けるかは、その時にまた決めればいい」


「永遠の誓いじゃないのね」


 アイリが言う。


「永遠なんて簡単に使わない方がいいわ」


 ミレナが答えた。


「守れなかった時に重すぎる」


「じゃあ、今できる約束」


「それならいい」


「約束って、取引に似てる?」


 アイリが尋ねる。


 ミレナは少し考えた。


「似ているかもしれないわね」


「何を払うの?」


「自由」


「自由?」


「一人なら、好きな時に好きな場所へ行ける。約束をすれば、行く前に話す。止められれば考え直す。自由を少し渡す」


「代わりに?」


 ミレナはほんの少し間を置いた。


「自分で戻れなくなった時、戻そうとする人がいる」


 アイリはゆっくり頷いた。


「悪くない取引」


「でしょう?」


「金貨は?」


 ガリックが尋ねる。


「あなたからは取る」


「なぜ俺だけだ」


「昨日払うと言ったでしょう」


「冗談じゃなかったのか」


「冗談を真に受けたのはあなたよ」


「ややこしい女だ」


 五人は署名も血判も魔法の契約も使わず、五つの丸を囲むように一人ずつ卓へ触れた。レンは左手を使い、アイリも傷への負担が少ない手で指先を置く。エリリアは静かに卓へ触れ、ガリックは太い指の関節を当てた。最後にミレナが黒い羽根の飾りへ一度触れてから、卓の端を軽く叩く。五つの音は強さも間も揃わなかったが、それでも同じ卓の上に残った。


「終わった?」


 ガリックが尋ねる。


「何か食べたいの?」


 アイリが言う。


「話したら腹が減った」


「朝食を食べたばかりでしょう」


「食事を我慢しないも入れるべきだった」


「六つになる」


「六人目が増えた時に考えればいい」


 アイリが笑ったが、その何気ない言葉に、この時は誰も深い意味を持たせなかった。


 ◇


 昼を少し過ぎた頃、東門の副隊長が再び白環治療院を訪れた。昨日までの革鞄はなく、手には折り目の新しい公文書が一枚だけあり、部屋へ入った時からその表情は硬かった。


「何かあった?」


 アイリが尋ねる。


「六年前の件について、照会が来た」


 その一言でガリックの顔つきが変わった。


「どこから」


「王都治安局」


 ミレナも目を細める。


「今になって?」


「ガリック・ヴェインの旧処分記録について、関連資料の所在確認と、本人への追加聴取が可能か回答しろとある」


「昨日の調査が向こうへ伝わった?」


 レンが尋ねる。


「分からん」


 副隊長は即答した。


「ヴァルトが以前ガリックの経歴を確認した流れで古い記録が動いた可能性もある。即時保全審査に伴う照会かもしれないし、別の理由かもしれん」


 ミレナが確認するようにレンへ視線を向けた。


「決めない」


「分かってる」


「誰が出した?」


 ガリックの声が低くなる。


 副隊長は公文書を机へ置いた。


「末尾を見ろ」


 文書の末尾には王都治安局の印があり、その下に担当者の名が記されていた。ガリックはその文字を目にした瞬間、椅子の肘掛けを強く掴んだ。


「……ヘルマン・ロウ」


 低く漏れた声に、アイリがすぐ反応した。


「ガリック」


「……大丈夫だ」


 反射的に返したものの、アイリは何も言わず彼を見続けた。ガリックはやがて長く息を吐き、肘掛けから手を離した。


「いや。大丈夫じゃない。六年ぶりに名前を見た。腹が立ってる。それと……怖い」


 レンが顔を上げた。ガリックの右肩が、六年前の傷を思い出したように僅かに強張っている。


「また記録を消されるかもしれんと思ってる」


 約束を交わしてから、まだ半日も経っていなかった。それでも彼は、いつものように「何でもない」とは言わなかった。


「追加聴取の場所は?」


 ミレナが尋ねる。


「まだ指定されていない。まず本人が白環にいるか、聴取可能か、六年前の関連資料がどこにあるか回答しろとある」


「全部答える必要は?」


「ない。俺が個人で残した控えまで、即座に所在を明かす義務はない」


「期限は?」


「明日の正午」


「急いでる」


 エリリアが言う。


「そう見える」


 レンは文書を見つめた。


「ロウは、ガリックがここにいると知ってる?」


「照会文は所在確認の形式だ。知っていてそう書いたのか、本当に確認しているだけなのかは分からん」


「六年前の記録を俺たちが見たことは?」


「書かれてない」


「なら、そこも決めつけない」


 ミレナの口元が僅かに緩んだ。


「少しは身についたみたいね」


「今はな」


 その時、ガリックの手が杖へ伸びかけたのを、アイリはすぐに見つけた。


「どこ行くの?」


「行かん」


 ガリックは途中で手を止めた。


「……行こうとは思った」


「東門?」


「ロウが今どこにいるか、副隊長なら――」


「一人で?」


 その問いにガリックが黙ると、レンは卓に残った五つの丸へ視線を向けた。


「約束したばかりだ」


「分かってる」


「会いに行くなら、一人で決めない」


「お前に言われたくない」


「だから言える」


 しばらく睨み合った後、ガリックは杖から手を離した。


「……今日は行かん」


「今日は?」


 アイリが聞き返す。


「明日も勝手には行かん」


「よし」


「子供扱いするな」


「約束を守っただけだよ」


 副隊長はそのやり取りを見届けてから文書を畳んだ。


「返答は俺が止めておく。期限までは時間がある」


「その間に調べられることは?」


 レンが尋ねる。


「照会がどの部署を経由したか。ロウが今、どういう立場でこの件へ触れているのか。それから、六年前の処分記録を最近誰が閲覧したか。確認できる範囲で見る」


「ロウ本人についても?」


 ガリックが言う。


「ああ。ただし、勝手に会いには行くな」


「お前まで言うのか」


「六年前からお前を知ってるから言ってる」


 そこでミレナは椅子から立ち上がり、机の上の資料へ視線を移した。


「私は『外・七』を続ける。ロウの照会と黒い鳥を同じ話にはしない」


「でも、どっちも六年前」


 アイリが言う。


「だから並べる。でも重ねない」


「覚えてる」


「なら上出来」


 レンは机の上に残された五つの丸を見た。この約束を王都の外まで持っていくのか、何年先まで守るのかは、まだ誰も決めていない。それでも約束は、その日のうちに意味を持った。ガリックは恐怖を隠さず、一人でロウを探しに行くことも踏みとどまった。そして五人も、ロウから照会が届いたという事実だけで、六年前の出来事と現在の調査を一つの答えへ結びつけようとはしなかった。


 ガリックは折り畳まれた公文書を見つめた。ヘルマン・ロウ――六年前、自分の背中を斬り、拘束された人々を乗せた荷車を旧道へ進ませ、その後、王都治安局へ移ったと聞いていた男。その名が今、六年前の記録ではなく、今日付の治安局文書へ記されている。過去だったはずの名前が、初めて現在の日付を持ったのだ。ガリックは拳を握りかけたものの、約束を確かめるようにゆっくりと指を開いた。


「今度は、一人では行かん」


「ああ」


 レンが答えた。


 ミレナは公文書ではなく、卓に残った五つの丸を見ながら静かに言った。


「なら、まず確かめましょう。ロウが何を知っているかを想像するんじゃない。今の私たちに、何を確かめられるのかを」


 誰も異論を挟まなかった。五人の約束が結ばれたその日に、六年前から追いついてきた一つの名前が、王都の現在へ戻ってきた。

ここまで読んでくださり、そして『アストラエオン 炎と影』を応援してくださって、本当にありがとうございます。


もし物語を楽しんでいただけましたら、ぜひブックマークと5つ星の評価で応援していただけると嬉しいです。


皆さんからの応援は、これからも物語を書き続けていくうえで大きな励みになります。


いつも本当にありがとうございます。これからも『アストラエオン 炎と影』をよろしくお願いいたします!

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