第一章 第十四話 熊爪の嵐
熊の咆哮と、倒れ始めた大木の軋みが重なった。
正面には黒褐色の巨体。左には太い生木。右には岩壁。そして背後からは、根元の支えを失った枯れ木が枝を折りながら落ちてくる。横へ一歩逃げただけでは、どちらかに身体を潰される。
レンは黒銀の剣を右手で握ったまま、迫る熊の肩を見た。
後ろを見る余裕はない。
倒木の影だけが、地面を這うように自分へ近づいている。
「お兄ちゃん!」
アイリの声が遠く聞こえた。
熊が踏み込む。
逃げるなら、もう今しかない。
だがレンは後ろへ下がらなかった。
むしろ半歩、前へ出た。
熊の頭が下がり、黄ばんだ牙の奥から荒い息が噴き出す。そのまま正面から受ければ終わる。レンは最後の一歩を待ち、熊が自分を押し潰すため完全に前へ重心を移した瞬間、左側の生木へ身体を寄せた。
幹そのものが邪魔で、大きく避けることはできない。
だから熊の正面から逃げるのではなく、迫る左肩の外側へ身体を滑り込ませる。
「っ……!」
右脚の噛み傷が疼いた。
足が思ったほど動かない。
熊の肩がレンの脇腹へ掠める。
まともにぶつかったわけではない。それでも巨体の勢いだけで身体が押し回され、レンは生木の根元へ肩から転がった。黒銀の剣が湿った土を削り、右手首へ強い衝撃が伝わる。
その直後。
頭上を巨大な影が通過した。
熊がレンのいた場所を突き抜ける。
そして背後から――枯れ木が落ちた。
轟音。
枝が砕け、地面が跳ねた。
レンは咄嗟に頭を右腕で庇った。小石と木片が頬へ当たり、生木の根元まで土煙が押し寄せる。
「グォオオオオッ!」
森そのものを震わせるような咆哮が響いた。
レンは咳き込みながら顔を上げる。
「……当たった」
枯れ木は完全に地面へ落ちてはいなかった。太い生木と岩壁の間へ斜めに引っ掛かり、その下に熊の後半身が挟まれている。肩から前は自由だが、腰から後ろへ巨大な幹が乗り、一方の後脚が根と地面の間へ押さえ込まれていた。
熊が暴れる。
前脚で地面を掻き、身体を前へ引きずり出そうとするたび、倒木が低く軋んだ。
抜けない。
少なくとも、すぐには。
「レン!」
「来るな!」
アイリがこちらへ進もうとするのを、レンはすぐ止めた。
「まだ動く!」
言葉とほとんど同時に、熊の巨大な右前脚が振るわれた。爪の先が近くの低木をまとめて切り飛ばし、枝が宙へ舞う。
あの範囲へ近づけば、後ろ半分を拘束されていても十分に殺される。
レンは生木の根を使って立ち上がった。
脇腹が鈍く痛む。
右脚もさっきの踏み込みで熱を増している。左前腕の包帯には、転倒で圧迫されたせいか薄い赤が少しだけ戻っていた。
だが、大きく裂けたわけではない。
まだ動ける。
「レン、大丈夫!?」
「脇腹打っただけだ! 脚もまだ使える!」
「『平気』って言わなかった」
「学んでるだろ!」
返事をしながら、レンは熊から距離を取った。
アイリとリュネも無理に近づかない。リュネは先ほどまで梃子に使っていた枝を再び杖代わりにし、固定した左足首をほとんど地面へつけずに立っていた。長い耳だけが落ち着きなく向きを変え、熊の動く音を一つずつ拾っている。
「後ろの脚……動いてない」
リュネが言った。
「どっちだ?」
「右。木の下」
レンは熊の後方を見た。
確かに右の後脚が倒木と露出した根の間へ押し込まれ、不自然な方向へ動きが制限されている。骨がどうなっているかまでは分からない。ただ、熊が身体を引くたびその脚だけは地面を捉えられず、激しく暴れたあとには一度動きを止めている。
「折れてる?」
アイリが尋ねる。
「分からない」
レンは即座に答えた。
「でも、まともに使えてないのは確かだ」
熊が前脚を突っ張った。
幹が動く。
「……待って」
リュネの耳が立った。
「何だ?」
「木の音」
「木?」
「さっきと違う」
リュネは息を止めるようにして耳を澄ませた。
熊がまた身体を引く。
ぎし。
ごり、と鈍い音がした。
「下の根が……切れてる」
レンにも聞こえた。
倒木を受け止めていた腐った根が、熊の抵抗に合わせて少しずつ潰れている。
このまま永遠に拘束できるわけではない。
「どれくらい持つ?」
「分からない」
「だよな」
レンは黒銀の剣を右手で構え直した。
熊は苦しそうに呼吸しながら、それでも前脚を止めない。
その時。
「レン」
アイリが低い声を出した。
「左肩」
「ああ」
二人とも同じものを見ていた。
熊の左肩に刺さった、折れた古い矢。
深く食い込んだまま、錆びた軸の一部だけが黒褐色の毛の間から突き出している。倒木の衝撃で周囲の毛が乱れ、今はさっきよりはっきり見えた。
熊が左前脚へ力を掛ける。
「グルッ……!」
低く呻く。
次に右前脚へ重心を移した時には、同じ声を出さない。
リュネの耳が動いた。
「左をつく時だけ、音が違う」
「やっぱり痛いんだ」
アイリが言う。
「たぶんな」
レンは熊の動きを見続けた。
「でも、あれを抜くのは駄目だ。何が起きるか分からない」
「抜くんじゃなくて……もっと使えなくできない?」
アイリが尋ねた。
レンは少女を見る。
「何を考えてる?」
「左肩に力を入れるたび痛いなら、そこへもっと体重を掛けられなくしたら、木から抜けにくくなるかもしれない」
「どうやって」
アイリは折れた矢を見る。
それ以上は言わなかった。
レンも理解した。
「……矢を動かすのか」
「できる?」
「分からない」
正直に答える。
「近づけば、あの爪の範囲だ。しかも片手しか使えない」
「じゃあ一人で行かないで」
アイリの声が少し強くなった。
レンは反射的に「でも」と言いかけた。
止める。
昨日。
昨夜。
今朝。
そして少し前、黒い鉤を自分で持って走ろうとした時。
何度同じことを言われたか。
「……分かった」
「本当に?」
「一人で勝手にやらない」
アイリが僅かに目を見開いた。
「何だよ」
「いや……ちゃんと覚えてるんだなって」
「そこまで信用ないのか」
「今朝の見張り」
「……何も言えないな」
リュネが二人を見比べた。
「何するの?」
「矢に触れる」
レンが答えた。
「抜かない。熊の左肩がもっと使いにくくなるように、出てる部分を少しだけ押し込めるか試す」
「近づいたら叩かれる」
「ああ」
「頭が動く前に分かればいい?」
レンがリュネを見る。
「分かるのか?」
「見るより先に、足が土を擦る音がする。頭を振る時も、首の毛が木に当たる」
少女は自信ありげではなかった。
それでも耳を熊へ向けたまま続ける。
「たぶん……言える」
「たぶんでいい」
「分からないって言わないの?」
「今は、分からないまま使えるもの全部使う」
レンが答えると、リュネは小さく頷いた。
アイリも周囲を見回し、地面から拳ほどの石を一つ拾った。
「わたしは?」
「熊の頭を反対へ向けられるか?」
「これ投げる?」
「熊に当てるな。右側の木へ」
「右肩使えないから、左で投げるよ」
「十分だ。音がすればいい」
「じゃあレンは?」
「頭がアイリ側へ向いた瞬間に左肩へ入る。矢を一回だけ動かして、すぐ離れる」
「何回もやらない?」
「一回」
「約束」
「分かった」
レンは息を整えた。
右脚へ体重を掛ける。
痛い。
けれど、さっきよりは落ち着いている。
「リュネ」
「うん」
「頭が俺の方へ戻りそうになったら叫べ」
「分かった」
「アイリ」
「いつでも」
熊が前脚でまた地面を掻く。
倒木が軋む。
「今」
アイリが石を左手で投げた。
狙いは熊ではない。
右側に立つ木の幹。
石が樹皮へ当たり、乾いた音を立てる。
熊の頭が反射的に右へ動いた。
「向いた!」
リュネの声。
レンが走る。
いや、走れるほど右脚は万全ではない。
できるだけ短く、三歩だけ。
一歩目。
二歩目。
熊の左肩が目の前へ来る。
折れた矢。
レンは黒銀の剣を刃ではなく柄側へ持ち替えるように右手首を返した。長く振る余裕はない。剣の柄頭を、露出した錆びた軸へ短く押し込むように叩きつける。
鈍い手応え。
矢が僅かに沈んだ。
「グァアアアアッ!」
「戻る!」
リュネが叫ぶ。
レンは即座に離れた。
熊の左前脚が地面を抉る。
爪はレンの背中を数寸外れ、土だけを跳ね上げた。
レンは右脚を滑らせながらも、生木の陰まで戻る。
「一回って言った!」
「一回しかやってない!」
アイリへ返しながら振り向く。
熊は激しく肩を振っていた。
左前脚へ体重を掛けようとする。
だが、すぐに引く。
もう一度。
今度は爪先だけ地面へつき、完全には荷重を乗せない。
「効いた……?」
アイリが呟く。
「分からない」
レンは呼吸を整えた。
「でも、さっきより左を使いたがってないようには見える」
それで十分だった。
◇
だが。
熊は弱ったからといって、諦めなかった。
むしろ拘束から逃れようとする動きはさらに激しくなった。
右前脚だけを強く使い、前へ。
身体を捻る。
もう一度、前へ。
倒木が動く。
「レン……!」
リュネの声が変わった。
「何だ?」
「根が……もう一本切れた」
ばき、と遅れて大きな音がした。
熊の腰へ乗っていた幹が数寸持ち上がる。
「下がれ!」
三人が距離を取る。
熊がさらに身体を捻った。
挟まれていた右後脚が、倒木の下から少しずつ抜ける。自由になったわけではない。地面へ足先をつけた瞬間、体重を支え切れずに腰が落ちた。
それでも。
抜ける。
「もう持たない!」
アイリが叫んだ。
「リュネ、もっと下がれ!」
「でも――」
「今は下がる!」
リュネは枝を杖にし、右足で地面を蹴るように移動する。アイリも左脚を庇いながら隣へついた。
熊が前へ身体を引く。
一度。
二度。
三度目。
巨大な幹が跳ねた。
押し潰されていた右後脚がようやく抜ける。
「グォオオオオッ!」
熊が前へ転がるように脱出した。
だが立ち上がり方がおかしい。
左前脚には完全に体重を掛けられず、右後脚も地面へつくたび腰が沈む。四肢すべてを使っていた時の速度はもうない。
それでも、まだ巨大だった。
まだ牙がある。
まだ爪がある。
そして三人のうち、まともに走れる者は一人もいない。
熊の鼻が動いた。
倒れた枯れ木の枝には、黒い鉤のついた布片がまだ挟まっている。
一度そちらへ顔を向けた。
だがすぐに大きく身体を振り、近くにいたレンへ前脚を向けた。
「来る!」
リュネの声。
レンは熊の正面から外れる。
左前脚が使いにくいためか、熊は身体ごと右へ傾きながら進む。だからといって安全ではない。むしろ動きが不規則になり、どちらへ崩れるのか読みづらい。
右前脚が横へ振られた。
レンは黒銀の剣を合わせない。
身体を後ろへ引く。
爪が上着の胸元を掠め、既に裂けていた布をさらに引き裂く。
刃を返す。
熊の右前脚へ浅く一線。
すぐ離れる。
「右!」
リュネ。
熊の頭がこちらへ振られる。
レンは先に半歩下がった。
牙が空を噛む。
「今度は左!」
熊が左前脚を前へ出そうとする。
だが肩へ力を掛けた瞬間、身体が僅かに沈んだ。
レンはその隙を使ってさらに距離を取る。
「聞こえるのか、そこまで!」
「全部じゃない!」
リュネも必死に答える。
「でも土の音が違う!」
「十分だ!」
熊が低く唸った。
レンへ向き直る。
また来る。
今度は速くない。
しかし、狭い。
岩壁。
倒木。
散らばった太い枝。
こちらも自由には動けない。
レンは木の間を使う。
熊が右から来れば左へ。
左へ回れば、倒木を挟む。
正面へ入らない。
力を受けない。
さっきまでの攻防で徹底してきたことを、そのまま続ける。
熊が振るった右前脚を、黒銀の剣の刃で受け止めようとはしない。
爪の外側へ刃先を軽く触れさせ、軌道を数寸だけ変える。
それだけでいい。
熊の爪が生木へ当たり、樹皮が剥がれる。
「っ……!」
だが、レンの右脚が遅れた。
爪そのものではない。
熊の前腕が上着の左脇を掠め、身体が横へ押される。
レンは倒れないよう右足を踏ん張った。
噛み傷が脈打つ。
「レン!」
「まだ動ける!」
今度はそれだけ答えた。
熊がさらに来る。
レンは剣を返す。
黒い刀身が鼻先へ近づいた瞬間、熊が頭を振った。
その動きが予想より大きかった。
熊の爪が剣へ直撃したのではない。
レンが引き戻しかけていた刀身の先近くへ、横から前脚がぶつかった。
大きな衝撃。
「っ!」
右手首が強く捻られる。
汗と血で滑っていた指が耐え切れない。
黒銀の剣が手から抜けた。
「お兄ちゃん!」
剣は土の上を一度跳ね、回転しながら熊の後方へ滑っていった。
その先。
アイリの近く。
レンの顔色が変わる。
「アイリ、剣はいい! 離れろ!」
アイリは剣を見る。
熊を見る。
レンを見る。
黒銀の剣は、彼女から数歩。
熊との間にも数歩。
「アイリ!」
「分かってる!」
アイリは走らなかった。
右肩は動かせない。
左脹脛も痛む。
無理に走れば、剣へ届く前に転ぶ。
だから一歩ずつ、最短で近づいた。
熊の注意はまだレンへ向いている。
レンは武器を失った。
腰には旅用の小さな刃物があるが、あれで巨大熊へ向かうつもりはない。
足元から太い枝を拾う。
武器ではない。
ただ、近づかれた時に鼻先へ突き出して距離を作る程度のもの。
「こっちだ!」
熊の注意を引こうと声を上げる。
熊がレンへ頭を向ける。
「よし……」
そのままこちらへ来い。
アイリから離れろ。
レンは少しずつ後退する。
だが。
「……お兄ちゃん」
アイリの声。
熊の頭が動いた。
レンではない。
突然動いたアイリの方へ。
「アイリ、止まれ!」
彼女はその場で動きを止めた。
黒銀の剣まで、あと一歩。
熊が向きを変える。
右後脚を引きずりながら。
左前脚へ十分に体重を掛けられないまま。
それでも進む。
「リュネ!」
レンが叫んだ。
「アイリの左に行け! あの太い根の向こう!」
「アイリは!?」
「俺が行く!」
レンも進む。
右脚が痛む。
速度が出ない。
アイリは左手を伸ばし、黒銀の剣の柄へ指を掛けた。
重い。
昨日、狼との戦いでこの剣を手にした時と同じだった。レンが振るえば鋭い一撃になる黒銀の剣も、今のアイリには片手で持ち上げるだけで精一杯だった。
両手ならまだ違う。
だが右肩は固定され、使えるのは左手だけ。
「持つな! 引きずっていい!」
「分かってる!」
アイリは剣を持ち上げようとするのをやめた。
柄を左手で掴み、刀身を土の上へ滑らせる。
熊から離れる方向へ。
一歩。
また一歩。
だが左脚が痛み、速度は上がらない。
「来る!」
リュネの声。
アイリが振り返る。
熊が前へ出ている。
速くはない。
それでも近い。
「剣を置いて逃げろ!」
レンが叫ぶ。
アイリは周囲を見る。
逃げ道。
左にはリュネ。
右には岩壁。
後ろへ下がれば、太い根が地面から大きく盛り上がっている。
その根を越えるには、今の左脚では時間が掛かる。
熊は待ってくれない。
アイリは黒銀の剣を見る。
振れない。
重い。
片手では、熊へまともな斬撃を入れることなどできない。
昨日、狼との戦いでこの剣を使った時もそうだった。
あの時。
自分が剣を振ったのではない。
相手が来た。
その勢いを使った。
アイリの目が、足元の太い根へ向いた。
根と地面の間に、浅い窪みがある。
「……リュネ」
「何?」
「もっと左へ下がって」
「でも――」
「お願い」
声は震えていた。
それでも、目は熊から逸らさない。
リュネは一瞬迷い、枝を使って左へ移った。
「アイリ!」
レンが近づいてくる。
「それで受けるな! 支え切れない!」
「分かってる!」
「じゃあ離れろ!」
「間に合わない!」
その言葉で、レンも距離を見た。
理解する。
熊。
アイリ。
背後の根。
今から横へ逃げれば、熊の進路へ身体を晒す。
戻れば根を越えられない。
そして剣は重過ぎる。
「アイリ、聞け!」
「うん!」
「腕で止めるな!」
「止めない!」
「当たる瞬間に手を離せ!」
アイリが目を見開いた。
そして頷く。
「分かった!」
レンも同じことを考えていた。
黒銀の剣の柄頭を、根と硬い地面の境へ押し込む。
人間が支えるのではない。
地面へ支えさせる。
アイリは左手だけで剣を持ち上げるのを諦め、刀身を低い角度のまま引いた。柄頭を太い根の窪みへ差し込み、鍔の片側が根へ引っ掛かる位置を探す。
一度外れる。
「っ……!」
熊が近づく。
「あと三歩!」
リュネが叫ぶ。
アイリがもう一度柄を押し込む。
今度は止まった。
柄頭が根と固い土の間へ噛む。
黒い刀身が斜め上へ伸びる。
剣先は熊の胸より低い。
前脚の後ろ。
巨体が前へ出れば、その下側へ入る角度。
「二歩!」
アイリの左手が震える。
右腕は胸元へ固定されたまま。
剣へ触れない。
支えているのは左手だけ。
いや。
支えているのは、根だ。
地面だ。
アイリはただ角度を保っている。
「アイリ!」
レンの声。
「一歩!」
熊の口が開く。
黄ばんだ牙。
荒い息。
血と泥の臭い。
アイリの身体が逃げろと叫んでいる。
怖い。
昨日よりも。
狼よりも大きい。
あの剣が刺さったところで、本当に止まるのか分からない。
それでも。
今さら振ることはできない。
できることは一つだけだった。
熊が踏み込む。
「今、離せ!」
レンが叫んだ。
アイリは左手を柄から放し、身体を左へ投げるように倒した。
次の瞬間。
熊の巨体が黒銀の剣へ乗った。
鈍い。
重い。
肉を裂くというより、何か巨大なものへ鋭い杭を打ち込んだような衝撃音が響いた。
剣先が、熊の前脚の後ろ――胸郭の下寄りへ斜めに入る。
熊自身の前進が止まらない。
刃がさらに押し込まれる。
柄頭は根元へ噛み込んだまま動かない。
「グォオオオオオオッ!」
熊が絶叫した。
巨体が大きく跳ねる。
黒銀の剣の柄が根から外れ、熊の身体へ刺さったまま横へ振られた。
アイリは地面を転がった。
「アイリ!」
レンがようやく追いつき、彼女と熊の間へ入る。
武器はない。
それでも入った。
「動けるか!」
「……うん」
「肩は!?」
「ぶつけてない……左脚は痛いけど、動く」
それだけ聞き、レンは熊へ向き直った。
熊は倒れていなかった。
右後脚を満足に使えず。
左肩には古い矢。
そして前脚の後ろには、黒銀の剣が深く斜めに刺さっている。
血が黒い毛を伝って落ちる。
巨体が一度大きく揺れた。
「倒れ……」
リュネが呟く。
だが最後まで言えなかった。
熊の右前脚が地面へ叩きつけられた。
身体が持ち上がる。
濁った黄色い瞳が、もう一度開いた。
「嘘……」
アイリの声が震える。
レンも息を呑んだ。
黒銀の剣は入った。
深い。
それでも。
熊はまだ――立っていた。
ここまで読んでくださり、そして『アストラエオン 炎と影』を応援してくださって、本当にありがとうございます。
もし物語を楽しんでいただけましたら、ぜひブックマークと5つ星の評価で応援していただけると嬉しいです。
皆さんからの応援は、これからも物語を書き続けていくうえで大きな励みになります。
いつも本当にありがとうございます。これからも『アストラエオン 炎と影』をよろしくお願いいたします!




