第72話
朝食の片付けが終わり、俺が縁側で温かいお茶をすすっていると、背後からドスドスと足音が近づいてきた。
「お兄ちゃん! いつまで呑気にお茶なんて飲んでるのよ!」
銀色のツインテールを振り乱し、大賢者の杖を突きつけてきたのは義妹のリゼだった。
彼女の顔は不満げに膨らみ、大きな瞳にはどこか焦りのような色が浮かんでいる。
「どうした、リゼ。食後のデザートなら冷蔵庫にプリンがあるぞ」
「プ、プリンの話なんかしてないわよ! さっきの公務員や騎士のハレンチな格好、見たでしょ!? あんな泥棒猫たちと同じ屋根の下にいたら、お兄ちゃんがダメな大人になっちゃうわ!」
顔を真っ赤にして捲し立てるリゼ。
周囲の過激なアピール合戦に取り残され、ツンデレな彼女はどう甘えればいいのか分からず、完全に空回っているらしい。
「だから! 私が大賢者として、お兄ちゃんを外界の誘惑から完全に隔離してあげる!」
リゼが身の丈ほどの杖を天に掲げた。
バチバチとオゾンの匂いが立ち込め、俺とリゼを中心にして、半透明で幾何学的な模様が浮かぶ『隔離結界』がドーム状に展開される。
「ふふん! これぞ神話級・絶対遮断の賢者ドーム! 外の音も物理干渉も一切通さない、完璧な二人っきりの空間よ!」
結界の外では、異変に気づいたミサリアたちが血相を変えて飛んできた。
サクリアが極大魔法をぶっ放し、ユエルが聖剣を叩きつけ、ミサリアがお玉から超重力を放つが、大賢者の全魔力を注ぎ込んだ結界はビクともしない。
「どう!? これで邪魔者は誰も入ってこれないわ! ずっと私だけを……その、見ていられるんだからねっ!」
得意げに胸を張るリゼだったが、その声は微かに震え、瞳にはうっすらと涙が浮かんでいた。
「……リゼ。お前、無理してるだろ」
俺が床に置いた湯呑みから手を離し、静かに声をかけると、リゼの肩がビクッと跳ねた。
「な、何よ。私は立派な賢者として、お兄ちゃんを……」
「ずっと一人で、魔法の修行ばっかりして頑張ってきたんだよな。俺を助けるためだって言って」
俺は立ち上がり、杖を握りしめて震えるリゼの前に立った。
そして、その小さな頭にポンと大きな手を乗せる。
「あうっ」
「本当は、ただ甘えたかっただけなんだろ。結界なんか張らなくても、俺はどこにも行かないし、リゼはずっと俺の可愛い妹だよ。……いや、今はそれ以上かもしれないけどな」
俺が少し意地悪く微笑んで頭を撫でてやると、リゼの張り詰めていたツンデレの防壁が、ガラガラと音を立てて崩れ去った。
「うぅ……っ、お兄ちゃんの、ばかぁ……っ!」
杖がカランと床に落ちる。
リゼは俺の胸に顔を押し付け、両手で俺の服をギュッと握りしめて子供のように大泣きし始めた。
「他の人に、取られたくなかったのぉ……っ! 私だって、お兄ちゃんのお嫁さんになりたいのに、どうやって甘えればいいかわかんないんだもん……っ!」
しゃくり上げながら本音を吐き出す義妹。
その純粋で真っ直ぐな想いが愛おしくて、俺は彼女の背中を優しく抱きしめ返した。
「よしよし。リゼは不器用なところも可愛いよ」
俺の言葉に、リゼは真っ赤な顔を上げて「ほんと……?」と潤んだ上目遣いで見つめてくる。
「ああ。だから、こんな息苦しい結界はもうおしまいだ」
俺はリゼを抱きしめたまま、結界の内壁に向かって軽くデコピンを放った。
パリンッ!
大賢者の全魔力を注いだ絶対防壁が、俺の無自覚な『生活魔法(空間換気)』の前に、ガラス細工のようにあっけなく砕け散る。
結界が消滅した瞬間、外で待ち構えていたミサリアが、鬼の形相でズンッと一歩前に出た。
「……随分と大胆なことをしてくれたわね、ぽっと出の義妹さん? お姉ちゃんの特等席を強引に奪うなんて、お仕置きが必要かしら」
「ひぃっ!? べ、別に! 私はお兄ちゃんを消毒してただけなんだから!」
さっきまで俺の胸で大泣きしていたリゼが、慌ててツンデレモードに戻ってミサリアに言い返す。
だが、その手は俺の服の裾をガッチリと掴んで離さない。
「アルトは私のだー!」
「抜け駆けはさせないわよ!」
サクリアやユエルたちも再び雪崩れ込んできて、リビングは再び『誰がアルトの隣に座るか』というカオスな身内争いの戦場と化した。
「パパ、大人気!」
足元でプチが能天気に跳ねている。
「やれやれ。俺の休日は、どうやら一生やってこなそうだな」
俺は呆れながらも、胸にすがりつくリゼの頭をもう一度撫でてやった。
春の陽気と、限界を突破したヒロインたちの愛の重さ。
俺の望むスローライフは、最高に騒がしくて、最高に幸せな軌道を描いて進んでいくのだった。




