第65話
お風呂上がりのリビングには、八種類の甘い石鹸の香りが熱気と共に立ち込めていた。
火照った体を薄いパジャマに包んだリゼが、コタツの前にちょこんと座っている。
その後ろで、俺は彼女の濡れた銀色のツインテールを、ふかふかのタオルで優しく包み込んだ。
「べ、別に。お兄ちゃんに乾かしてもらいたいなんて、一言も言ってないんだからね」
「はいはい。でも、自分でやると毛先が絡まるだろ。じっとしてろよ」
タオル越しに頭皮をマッサージするように、ゆっくりと指を滑らせる。
微風の乾燥魔法を指先に纏わせ、熱すぎない完璧な温度の温風で根元から乾かしていく。
俺の無自覚な魔力コントロールが、傷んだ髪のキューティクルを神話級の艶髪へと修復していくのだが、今はただのドライヤー代わりだ。
「んっ……ぁ……」
リゼの小さな肩から、スッと力が抜けた。
首筋に触れる俺の指の感触と、心地よい温風の熱。大賢者の張り詰めた神経が、完全に解けていくのがわかる。
「……お兄ちゃんの手、すごく気持ちいい。昔から、ずっと……」
トロンとした瞳で、リゼが俺の膝に背中を預けてくる。
その無防備な顔は、俺に守られていた小さな頃の妹のままだった。
だが、この二十畳のワンルームにおいて、その極上の癒やし空間は一つの火種にすぎない。
「…………」
俺とリゼを囲むように、七人の女たちが無言で正座していた。
サクリアの手元で、化粧水の瓶がピキピキと凍りついている。
ユエルは無表情で木剣の素振りを繰り返し、風圧だけで部屋の空気を斬り裂く。
ミサリアに至っては、俺のパジャマのボタンを縫い直しながら、針の先からドス黒い重力波を放っていた。
「な、なによ。文句あるわけ?」
俺の胸に寄りかかったまま、リゼが勝ち誇ったように七人をねめつける。
「妹の特権よ。血が繋がってないからって、お兄ちゃんが私を一番可愛がってくれる事実は変わらないんだから」
「……ふふ。そうね、今はまだただの妹だもの。せいぜい今のうちに甘えておきなさいな」
サクリアが艶やかに微笑みながら、己の豊かな胸元を強調するようにパジャマの襟元を少しだけ広げた。
「私には、妻として夜のベッドでアルトの熱を直接感じる特権があるもの」
「ちょっと!それは私が先だよ!」
ユエルが素振りを止めて身を乗り出し、タチアナも顔を真っ赤にして立ち上がる。
イルマは無言で六法全書の婚姻法のページを引き裂きそうになっていた。
「こら。夜中に騒ぐと近所迷惑だぞ」
俺がリゼの髪を梳かし終え、最後にその頭をポンと叩く。
「ほら、綺麗に乾いた。次、誰の番だ?」
ピタリと、七人の動きが止まった。
直後、リビングの床板がミシミシと悲鳴を上げる。
俺の前の特等席を巡る、音のない凄まじいポジション争い。
春の夜の生温かい空気の中、石鹸の香りと重すぎる愛情が、コタツの周りで限界まで渦を巻いていた。




