第57話
「出ろ! ギルドの最下層に封印されし神話の破壊者、『厄災の魔獣』よ!!」
ガルド支部長が手元の魔石を砕き、絶叫した。
直後、王都の地下深くにある支部長室の床が、爆発したように吹き飛んだ。
ズゴォォォォンッ!
瓦礫が舞う中、底なしの暗闇から這い出してきたのは、城の塔ほどもある巨大な三つ首の魔犬だった。
全身から腐食性の瘴気を撒き散らし、三つの口から灼熱のよだれを垂らしている。ただそこに存在するだけで、地下空間の魔力が軋み、室内の空気が酸欠のように薄くなった。
「ひぃぃっ! 本気でアレを出したのか!」
「俺たちまで食われるぞ!」
ガルドの護衛に控えていた暗殺者たちでさえ、腰を抜かして悲鳴を上げる。
それほどまでに、厄災の魔獣は『絶対的な死』を体現する存在だった。
「ははははっ! 見ろアルト! これが俺たちの切り札だ! 貴様がいかに規格外でも、神話の魔獣には敵うまい! さあ、奴らを一人残らず噛み砕け!!」
ガルドが狂喜の笑い声を上げ、三つ首の魔犬に指図する。
魔獣は三つの巨大な顎をガパァッと開き、俺たちに向かって鼓膜を破るような咆哮を――
「……おっ。タロウじゃないか」
俺がゴムハンマーを肩に担いだまま、呑気な声で呟いた。
「グルァァァ……ア?」
魔獣の真ん中の首が、ピタッと咆哮を止めた。
左右の首も怪訝そうに俺の方を向き、巨大な鼻をヒクヒクと動かして匂いを嗅ぐ。
「久しぶりだな。お前もずっとこの狭い地下に閉じ込められてたのか。散歩にも連れて行ってもらえなくて、可哀想にな」
俺が呆れながら手を差し伸べると、厄災の魔獣の三つの顔から、一切の凶暴性と瘴気が消え去った。
「キャゥ〜〜〜ン!」
巨大な魔獣は、大型犬が飼い主に再会した時のような甲高い歓喜の声を上げ、俺の足元にズサーッと滑り込んできた。
そして、ゴロンと仰向けになり、無防備なモフモフのお腹を全開にして「撫でて!」とばかりに猛烈に尻尾を振り始めたのだ。
ブンッ! ブンッ! ブオンッ!
城の塔ほどもある巨体が全力で尻尾を振った結果、凄まじい暴風が発生し、ガルドと暗殺者たちが「ぎゃあぁぁっ!」と壁に吹き飛ばされていく。
「よーしよしよし。タロウ、毛並みが少し悪くなってるな。ストレスが溜まってたのか」
俺が巨大な顎の下を撫でてやると、タロウは目を細めて三つの舌で俺をペロペロと舐めようとする。
「な、なな、なんだそれはぁぁぁっ!?」
壁にめり込んだガルドが、目玉を飛び出させて絶叫した。
「ああ。俺がギルドにいた頃、こいつの世話を誰もやらないから、俺がサービス残業で餌やりとブラッシングをしてたんだよ。時々、結界の隙間から俺の魔力を少し分けてやったら、すっかり懐いちゃってな」
ただの社畜の「押し付けられたタスク(ペットの世話)」だった。
だが、俺の無自覚な規格外魔力がこもったブラッシングは、神話の魔獣にとって『極上のエステと神気供給』であり、こいつは完全に俺の忠犬と化していたのだ。
「ア、アルトの魔性を甘く見ていたわ……! 魔神の幼体の次は、神話の魔獣まで手懐けていたなんて……っ!」
「ちょっとタロウ! 私のアルトを舐め回さないでよ! 私だってまだ舐めたことないのに!」
サクリアが戦慄し、ユエルが謎の対抗心を燃やして魔獣に抗議する。
そんな中、イルマが冷徹に魔導バインダーを叩いた。
「支部長ガルド。特定危険魔獣の劣悪な環境での無許可飼育、ならびに不当な労働力(アルト様)による飼育業務の押し付け。もはや弁解の余地はありません。徹底的に『監査』します」
「くそっ、ふざけるな! ならばこれだ!」
追い詰められたガルドが、懐から不吉な赤黒いオーラを放つ羊皮紙を取り出した。
「ギルド創設の呪具『絶対隷属の雇用契約書』! これがある限り、お前はギルドから逃げられ――」
「面倒な書類は、シュレッダーにかけるのが一番だ」
俺は一瞬でガルドの懐に潜り込むと、持っていた百均のゴムハンマーを、羊皮紙に向かって軽くコンッと振り下ろした。
パキィィィィンッ!
神話級の呪具であるはずの契約書が、ガラス細工のようにあっけなく粉砕され、光の粒子となって消滅した。
俺の『退職への強い意志(現状の生活を守る)』という概念魔法が、ハンマーを通じて物理的な呪いを完全に破壊したのだ。
「あ……あ……」
ガルドの膝から力が抜け、その場にへたり込む。
「さて、姉さん。退職の手続きの総仕上げをお願いできるかな」
「ええ、任せてちょうだい」
ミサリアがにっこりと笑い、手を高く掲げた。
「未払い残業代と、休日出勤の迷惑料。きっちり請求させてもらうわね。『グラビティ・ハンマー』!」
ズドガァァァァァァンッ!!!
王都の地下に、天文学的な重力場が発生した。
ブラックギルド『奈落の底』のすべての設備、書類の山、そしてガルドの野望が、一瞬にしてペチャンコに圧縮され、文字通り完全な『更地』へと変わった。
土煙が晴れた後。
綺麗サッパリなくなったギルドの跡地で、俺はゴムハンマーを工具袋にしまった。
「よし、退職完了。帰ろうか」
「キュォォン!」
タロウが嬉しそうに俺の後ろを付いてくる。
「またペットが増えちゃったわね。まあ、ポチとプチの良い遊び相手になるかしら」
サクリアが苦笑し、俺たちは開けたままだった『ガムテープのドア』をくぐって、温かいリビングへと帰還した。
俺が最後にドアの向こう側の景色に振り返り、バタンと扉を閉める。
そして、ダメ押しでガムテープをさらに三枚、十字にしっかりと貼り付けた。
これでもう、俺たちの平和なスローライフを邪魔するブラックな残滓は、どこにもない。
俺の、いや、俺たち家族の真の平穏が、ついに完璧に守り抜かれたのだった。




