第56話
ピクニックから帰宅した夜。プチが小さな植木鉢のベッドでスースーと寝息を立てているのを確認してから、俺はコタツに集まった皆に向けて口を開いた。
「今日のお弁当は最高だったけど……少し、考えたんだ」
俺が真剣なトーンで切り出すと、サクリアたちも居住まいを正した。
「あの暗殺者たちを追い返しただけで、ブラックギルドが大人しくなるとは思えない。またプチのお昼寝が邪魔されたり、姉さんの料理が台無しにされるのは、絶対に嫌だ」
「アルト……」
「だから、元凶から断とうと思う。明日、俺からギルドに『退職の挨拶』に行こうと思うんだ」
俺の言葉に、真っ先に反応したのはイルマだった。彼女は眼鏡をギラリと光らせ、分厚い六法全書をドンッとコタツに置いた。
「大賛成です! 労働基準法違反、不当な業務命令、殺し屋の派遣。もはやギルド『奈落の底』は違法組織の極み。労働基準監督官たる私を筆頭に、強制的な『臨検監査』を行う正当な理由があります!」
「監査(という名の物理的殲滅)ね。いいわ、元魔王として、下等生物の巣を灰燼に帰してあげる」
「アルトの有給休暇を邪魔する奴らは、全員みじん切りだよ!」
「お姉ちゃん、お夜食の準備をしてから行くわね。アルト、血で服を汚さないようにね」
皆のやる気(殺意)は十分すぎるほどだ。
俺は静かに頷き、立ち上がった。
「明日まで待つ必要はない。今から行こう。早く終わらせて、明日の朝はゆっくり寝たいからな」
俺はリビングの壁際にある、ガムテープで厳重に封印された黒いドアの前に立った。かつて城をリフォームした際、ブラックギルドの会議室と空間が繋がってしまった、あのドアだ。
◇ ◇ ◇
その頃、王都地下深くにあるブラックギルド『奈落の底』支部長室。
「……ひぃぃぃっ! ば、化け物だ! あんなの勝てるわけがない! 退職させてくれぇぇっ!」
ガルド支部長の目の前で、最強を誇るはずの特務暗殺部隊のリーダーが、完全に精神を崩壊させて床に丸まっていた。
「チッ、使えんゴミどもめ!」
ガルドは苛立ちに任せてリーダーを蹴り飛ばし、血走った目で補佐官のヴェスペラを睨んだ。
「こうなったら手段は選ばん! 地下に封印されている『厄災の魔獣』を解き放て! 奴が愛するあの家ごと、王都の外縁を更地にしてでもアルトを連れ戻すんだ!」
ガルドが禁忌の命令を下した、まさにその瞬間だった。
支部長室の空間が、バキバキと音を立てて歪み始めた。
虚空に、見覚えのある銀色の布製ガムテープが十文字に貼られた『ドア』が物理的に現れたのだ。
「な、なんだこれは!?」
ガルドが後ずさる中、ガムテープがビリビリと内側から剥がされ、ギギギ……とドアが開いた。
そこから顔を出したのは、使い古した作業着姿の俺だ。
「こんばんは、ガルド支部長。遅い時間まで残業お疲れ様」
「ア、アルトォォッ!? なぜお前がここに……っ! しかも自らやって来るとは、ようやくギルドに戻る気になったか!」
狂喜するガルドの言葉を、俺は片手で制した。
「いや、有給消化中なんだけど、正式な退職届を出してなかったなと思って。あと……俺の大切な家族の休日に、迷惑なダイレクトメール(暗殺者)を送るのはやめてもらえないかな」
俺の後ろから、極大魔法の陣を展開するサクリア、抜身の聖剣を構えるユエル、超重力で室内の空気をミシミシと軋ませるミサリアが、地獄の底から這い出たような笑顔で姿を現す。
さらにイルマが、魔導バインダーを掲げて一歩前に出た。
「ギルド『奈落の底』支部長ガルド。これより労働基準法違反の疑いで、当事業所の強制監査、ならびに物理的な『差し押さえ』を実行します」
「な……監査だと? ふざけるな! 侵入者を殺せ! 厄災の魔獣を出せ!」
ガルドが泡を食って叫ぶが、俺は小さくため息をつき、腰の工具袋から愛用のゴムハンマーを取り出した。
「面倒なタスクは、残業せずに定時で終わらせる。俺流のスローライフ・マネジメントを見せてやるよ」
王都の地下で、真の家族(規格外)によるブラック企業への、慈悲なき逆襲の幕が上がった――。




