第51話
双葉が顔を出した翌朝。
俺は心地よいテンポで目覚め、パジャマのまま縁側へと直行した。
「おお、ちゃんと育ってるな」
朝露に濡れた小さな緑の葉が、朝日に照らされてキラキラと輝いている。
スローライフの第一歩。このままじっくりと、ゆっくりとしたペースで育てていくのが農作業の醍醐味だ。
だが、畝の様子がどうもおかしい。
昨日、ミサリアたちが綺麗に整えてくれたはずのふかふかの土が、なぜか右半分は黄金色に眩しく発光し、左半分はドス黒い紫色の瘴気をボコボコと吹き出しているのだ。
「なんだこれ……」
「ふははは! 驚いたかアルト!」
「うむ、我々の特製ブレンド肥料の成果を見よ!」
振り返ると、パジャマ姿のレム(創造女神)とネリア(冥界の王女)が、泥だらけの顔でドヤ顔を決めていた。
昨日の農作業で出番がなかった二人が、俺たちが寝静まった夜中に、こっそりと「神界の奇跡の土」と「冥府の腐葉土」を畝に混ぜ込んでしまったらしい。
「お前たち……スローライフは日常の『テンポ』が大事なんだ。一気に育てたら意味がないだろ」
俺が頭を抱えていると、サクリアとユエルも目をこすりながら起きてきた。
「ちょっと駄女神! 私の愛の結晶に何勝手なことしてるのよ!」
「アルトとの共同作業を邪魔する気!?」
再び不穏な空気が流れ始めた、まさにその時だった。
ジジジジジ……。
空から、耳障りな羽音が聞こえてきた。
見上げると、太陽を覆い隠すほどの巨大な黒い雲が、猛スピードで我が家の庭に向かって降下してくる。
いや、雲じゃない。それは一匹一匹が犬ほどもある、凶悪な顎を持った巨大なバッタの群れだった。
「ひっ……な、なにあれ!?」
「神聖な魔力と極上の瘴気に引き寄せられたのね。最悪の農業害虫、『暴食蝗害』の群れだわ……!」
サクリアが青ざめた顔で叫ぶ。
手塩にかけて(まだ一日だけど)育てたトマトの双葉が、今まさに食い荒らされようとしている。
「私のトマトちゃんに触るなあああ!」
ユエルが聖剣を抜こうとするが、相手は空を覆う何万という群れだ。剣を振り回せば、余波でトマトの双葉ごと庭が消し飛んでしまう。
サクリアの極大魔法も使えない。物理的な「数の暴力」と「畑への被害」を盾にした、農家にとって最悪のシチュエーション。
「くっ……お姉ちゃんの超重力で押し潰せば、土壌が固まって水捌けが……!」
「監査官の権限で差し押さえの札を貼るにも、数が多すぎます!」
ミサリアとイルマも、畑を守るという制約のせいで完全に手詰まりになっていた。
巨大な顎を持った先兵のバッタが、双葉に食らいつこうと急降下してくる。
「させないぞ」
俺は縁側に置いてあった、百均の『虫取り網』を手に取った。
そして、野球のバットのように軽く構え、群れの中心に向かって一閃する。
シュバァァァンッ!
網を振った風圧が俺の無自覚チートによって極限まで圧縮され、巨大な竜巻となって空へ逆巻いた。
周囲の空間ごと害虫の群れだけを正確に吸い込み、成層圏の彼方へと一網打尽に打ち上げていく。畑の土埃ひとつ舞い上がらせない、完璧な『防虫ネット』の展開だった。
キラッと空の彼方で群れが星になって消え、庭に再び平和な朝の光が戻る。
「よし、駆除完了。これで一安心だな」
俺が虫取り網を肩に担いで振り返ると、ヒロインたちはポカンと口を開け、やがて歓声を上げて俺に飛びついてきた。
「アルトすごーいっ!」
「さすが私の夫ね! 完璧な害虫駆除だったわ!」
「まったく、お前たちは世話が焼けるな」
俺がレムとネリアの頭もポンポンと撫でてやり、家族全員で笑い合った、その時だった。
「……おや。こんな辺境の地に、これほど見事な『神域の土』があるとは」
庭の入り口(昨日ガムテープで塞がなかった方の門)に、一人の男が立っていた。
巨大なリュックを背負い、つばの広い帽子を被ったその男は、胡散臭い笑顔を浮かべて俺たちの小さな畑を見つめている。
「俺は行商人ヴァンセル。……そこのお兄さん。そのトマト、このままじゃ明日には『世界樹』になっちまうぜ?」
男の言葉に、俺の笑顔がピタリと凍りついた。
ただの平凡なトマトを育てるはずが、新たなトラブルの種はすでに土の中で規格外の芽を吹き出そうとしていたのだった。




