第50話
「というわけで、俺たちには『スローライフにおける共通の目標』が必要だと思うんだ」
朝食後の片付け(という名の神話級の奇跡)が一段落したリビング。
俺はコタツの真ん中に腕を組み、真剣な顔で四人のヒロインたちを見回した。
「目標……ですか?」
割烹着姿のイルマが小首を傾げる。
サクリア、ユエル、ミサリアの三人も、俺のただならぬ雰囲気にゴクリと息を呑み、居住まいを正した。
「ああ。毎日ただのんびりするのもいいけど、それだけじゃメリハリがない。俺は元々、村人として土いじりをするのが夢だったんだ。だから……」
俺は立ち上がり、ビシッと庭(広大な更地の一部)を指差した。
「みんなで協力して、普通で、美味しくて、最高に平凡な『トマト』を育てよう」
「……」
「……えっと、トマト?」
世界征服や新次元の開拓を告げられるとばかり思っていたヒロインたちが、拍子抜けしたように瞬きをする。
「そうだ。魔法で一瞬で育てるんじゃなくて、種を蒔いて、水をやって、雑草を抜いて……時間をかけて育てるんだ。それが本当のスローライフってもんだろ?」
俺の言葉に、最初に反応したのはサクリアだった。
「時間をかけて、二人で……いえ、みんなで一つの命を育むのね。それはまるで、疑似的な家族計画……!」
「か、家族計画!? 私とアルトの初めての共同作業ってこと!?」
「素敵だわ。アルトの夢なら、お姉ちゃんが全力でサポートするわよ」
「農地開拓の助成金申請なら、書類の準備はできています!」
なぜか全員の顔が真っ赤になり、妙な方向にモチベーションが爆発した。
だが、いつものように武器を抜いて殺し合う空気はない。
「みんなでアルトの夢を叶える」という共通の目的に向かって、彼女たちが初めて完璧に団結した瞬間だった。
数十分後。
俺たちは動きやすい農作業着(俺のお古のシャツなど)に着替え、庭の隅の小さなスペースに集まった。
「よし、まずは土を耕すところからだ。鍬を使って……」
「任せて、アルト!」
俺が説明し終わる前に、ユエルが畑の前に立ち、目を閉じて深く息を吸い込んだ。
「はぁぁぁぁっ……! 秘技・剣聖百連撃!」
シュバババババンッ!
ユエルがただの木の枝を超高速で振るうと、目にも留まらぬ真空の刃が畑の土を深さ十センチだけ均等に、かつふかふかに耕し切った。
大陸を割っていた頃からは信じられないほどの、完璧な力加減と精密操作だ。
「どう!? 武器じゃなくて、農具としての剣技だよ! これなら誰も怪我しないし、畑も壊れないでしょ!」
「おお……すごいな、ユエル。完璧な畝ができてる」
俺が素直に感心して頭を撫でてやると、ユエルは「えへへ」と嬉しそうに鼻を擦った。
「ふふ、土が冷えていては発芽に悪影響よ。私が適温に温めてあげるわ」
次に前に出たサクリアが、優雅に指先を鳴らす。
いつもなら世界を灰燼に帰す獄炎の魔法陣が展開されるところだが、今日現れたのは、手のひらサイズの可愛らしい暖色の光だった。
ポワァァン……。
その光が畑全体を優しく包み込むと、春の陽だまりのようなポカポカとした熱が土に浸透していく。
「微温熱の魔法よ。これで地中の微生物が活性化して、最高の腐葉土になるはずだわ」
「サクリアもすごいな。魔力コントロール、すごく上達してるじゃないか」
俺がサクリアの額の汗を指で拭ってやると、彼女は顔を赤くして「妻として当然の嗜みよ」と誇らしげに胸を張った。
いつもならここで「私だけ撫でて!」と修羅場になるところだが、今日のヒロインたちは違った。
アルトの夢の邪魔をしてはいけないと、互いに牽制しつつもグッと堪え、協力体制を維持しているのだ。
「それじゃあ、私が買ってきた最高級のトマトの種を蒔くわね」
ミサリアが優しく土に穴を空け、一粒ずつ丁寧に種を落としていく。
イルマがバインダーを見ながら「等間隔二十センチ、日照角度も完璧です」と監査の太鼓判を押した。
最後に、俺がジョウロで水をたっぷりとやる。
「よし、これで完了だ。あとは毎日、少しずつ成長するのを待つだけだな」
俺たちは縁側に並んで腰を下ろし、ミサリアが淹れてくれた冷たい麦茶を飲んだ。
まだ土しかない小さな畑。だが、そこには確かな達成感があった。
額に浮かんだ心地よい汗と、土の匂い。
「……なんだか、本当に普通の家族みたいね」
サクリアが麦茶のグラスを見つめながら、ポツリと呟く。
その横顔は、魔王の威厳も、孤独な影もなく、ただの穏やかな女の子の顔だった。
「そうだな。こういうの、ずっとやってみたかったんだ」
俺が微笑むと、隣のユエルが俺の肩にコテンと頭を預けてきた。
「明日には芽が出るかなぁ。楽しみだね、アルト」
「ああ。真っ赤なトマトができたら、姉さんに丸かじり用のサラダにしてもらおう」
穏やかな春の風が、更地となった庭を吹き抜けていく。
宇宙規模のインフレも、致死量の嫉妬と武器の応酬も、ここにはない。
ただ、一つの小さな命が育つのをのんびりと待つ、完璧で平凡なスローライフ。
俺は満足げに目を閉じ、冷たい麦茶を飲み干した。
――ポンッ。
その時、畑の方から軽い音が響いた。
俺たちが目を開けると、先ほど種を蒔いて水をやったばかりの畝から、鮮やかな緑色の双葉が、ピョコンと顔を出していた。
「あ……」
魔法による過剰成長ではない。俺の無自覚チートがほんの少しだけ土に溶け込み、純粋に「元気に育ってほしい」という願いに応えて、ほんの少しだけ早く芽を出したのだ。
小さな、けれど力強い生命の誕生。
俺たちは顔を見合わせ、誰からともなくふき出し、やがて温かい笑い声が縁側に響き渡った。




