第49話
「ごちそうさまでした。今日も姉さんのご飯は最高だったよ」
俺が空になったお茶碗を置いて手を合わせると、ミサリアは花が咲いたような笑顔でふわりと微笑んだ。
「お粗末様。アルトがいっぱい食べてくれるのが、お姉ちゃんにとって一番の幸せだからね」
二十畳のワンルームに圧縮された白亜の城。
中央に鎮座する巨大なコタツの周りでは、サクリアが優雅に食後の紅茶を楽しみ、ユエルは満足げに膨らんだお腹をさすっている。
タチアナはまだご飯のおかわりを要求し、レムとネリアは卵焼きの最後の一切れを巡って小競り合いを続けていた。
平和だ。
ブラックギルドでの地獄のような日々が嘘のように、穏やかな時間が流れている。
「さて、それじゃあ俺は食器を片付けて……」
俺が立ち上がって食器をまとめようとした、その時だった。
「お待ちください、アルト様」
シュバッ! という鋭い風切り音と共に、銀縁眼鏡を光らせたイルマが俺の前に立ち塞がった。
彼女はいつの間にか、フリルのついたエプロンに割烹着という、完璧な『昭和のお母さん』スタイルに換装している。
「特級税務調査官である私が、このような不当な無償労働をアルト様に強いるわけにはいきません。家事というタスクは、私が国家権力をもって完璧に処理いたします」
「いや、国家権力を使って皿洗いって」
俺が苦笑いしている間に、イルマは目にも留まらぬ速さで食器を回収し、徒歩三秒の距離にあるキッチンへと向かった。
「食器の油汚れは、魔導洗剤『クリア・スプラッシュ』を水と一対十の割合で希釈し……給湯温度は四十五度に設定。洗浄後の拭き上げは無菌状態のマイクロファイバークロスで行い、食器棚への収納ルートは最短距離を計算して……」
イルマは魔導計算機を弾きながら、まるで国家の命運を左右する極秘任務のような真剣な表情でシンクに向かっている。
生真面目な公務員が、ついに家庭的な家事に目覚めたらしい。その一生懸命な背中は、どこか健気で可愛らしかった。
だが、ここは規格外のヒロインたちが集う家だ。
ただの家事など、すんなり許されるはずがなかった。
「ちょっと公務員。アルトの使ったお茶碗を、そんな事務的な手つきで洗う気?」
サクリアが紅茶のカップを置き、危険な赤い瞳でイルマを睨みつける。
「そうだよ! アルトのお皿は、私がアルトへの愛を込めて、一枚一枚丁寧にキュッキュッてするんだから!」
ユエルも立ち上がり、腕まくりをしてキッチンへと突撃しようとする。
さらに、ミサリアが背後から極低温のオーラを放ち始めた。
「……あなたたち。キッチンは私の神聖な領域よ。アルトの口に触れる食器を、泥棒猫たちに触らせるわけがないでしょう?」
背後に巨大な死神の幻影を背負ったミサリアの言葉に、キッチンの空気がバキバキと凍りつく。
またしても、俺の使った食器一つを巡って、致死量の殺意と愛情が交差する修羅場が勃発しようとしていた。
『皿洗い一つで命がけの争いになるなんて、スローライフの難易度が高すぎる』
俺はため息をつき、コタツから抜け出してキッチンの三人の間にスッと割り込んだ。
「みんな、落ち着いて。食器洗いなんて、生活魔法ですぐ終わるから」
俺はシンクに山積みになった食器に向かって、軽く指を鳴らした。
パチン。
ただの『洗浄』の生活魔法。
俺にとっては、指先に少し魔力を込めるだけの日常的な動作だ。
だが、無自覚に漏れ出した規格外の魔力が、その魔法を『概念の浄化』という神話級の奇跡へと昇華させていた。
カァァァァッ!
シンクから眩い光が放たれ、食器の汚れだけでなく、お茶碗の小さな傷や、フライパンの長年の焦げ付きまでが完全に消滅した。
それどころか、ただの陶器のお皿が国宝級の白磁に変化し、百均で買ったお箸が世界樹の枝から削り出された聖遺物へとクラスチェンジしている。
「えっ」
イルマが目を見開き、手からスポンジを取り落とした。
サクリアたちも唖然として、ピカピカ……いや、神々しいオーラを放つ食器の山を見つめている。
「ほら、一瞬で綺麗になっただろ。これなら喧嘩しなくて済む」
俺が満足げに頷いて振り返ると、イルマがワナワナと震えながら俺の手を両手でギュッと握りしめてきた。
「ア、アルト様……。ただの生活魔法で、物質の時間を巻き戻し、さらに価値を天文学的に引き上げるなんて……!」
イルマの顔が限界まで赤く染まり、その瞳には国家への忠誠よりも遥かに重い、狂信的なまでの恋慕の情が浮かんでいる。
「私……国家の仕事よりも、アルト様の隣でこの理不尽な奇跡を一生見守っていたい……。私を、あなたの専属家政婦……いえ、永久雇用の妻にしてくださいっ!」
「抜け駆け禁止ーーーっ!!」
イルマの爆弾発言に、サクリアとユエルが激怒して飛びかかってくる。
ミサリアは無言で百均のスポンジを絶対切断の聖剣のごとく構え、朝のキッチンは今日も最高潮のドタバタ劇へと突入していくのだった。




