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第52話

「……トマトが、世界樹になる?」


俺は虫取り網を握ったまま、胡散臭い行商人ヴァンセルの言葉に眉をひそめた。


「ああ。俺は多次元を渡り歩く行商人ヴァンセル。珍しいアイテムや魔導具を扱っててね。商売柄、ヤバい魔力には鼻が利くんだ」


ヴァンセルは人懐っこい笑顔を浮かべつつも、その目は俺の背後にある小さな畝を警戒するように見据えていた。


「あの畝、神界の霊土と冥界の腐葉土が完璧な比率で混ざり合ってる。あのまま放っておけば、ただ巨大化するだけじゃない。明日には『深淵の自我を持つ世界樹トマト』として覚醒し、自ら根を引き抜いて大陸を食い荒らしながら歩き出すぜ」


「なっ……トマトが歩く!?」


俺は戦慄した。

野菜が勝手に歩き出したら、収穫の手間は省けるかもしれないが、そもそも畑の意味がない。俺のスローライフの夢(家庭菜園)が、物理的に家出してしまうということだ。


「そんなの絶対にダメだ! 俺の初めての農作物が!」


俺が頭を抱えると、背後でサクリアとユエルがスッと武器を取り出した。


「歩く前に灰にすればいいわね」

「私がお刺身みたいに薄切りにしてあげる!」


「待て待て! 育てる前に消し飛ばしてどうする!」


俺が慌てて二人を制止すると、ヴァンセルがニヤリと商人の顔になった。

彼は背負っていた巨大なリュックをガサゴソと漁り、古びた木箱を取り出す。


「へへっ、そこで俺の出番ってわけだ。この箱の中には、神話の時代に狂える森を鎮めたと言われる伝説の魔導具『豊穣神の戒め』が入ってる。こいつを双葉に巻きつければ、どんな異常成長も完全に抑え込み、普通のトマトとして固定できる。お値段は特別価格、一億ゴールドだ!」


ヴァンセルがもったいぶって木箱を開ける。

中に入っていたのは、緑色をした細い針金のようなものだった。


俺はそれを見て、ポカンと口を開けた。


「……ヴァンセル。それ、ただの園芸用結束バンド(百均で売ってるやつ)じゃないか?」


「なっ!? ば、馬鹿野郎! これはエルフの秘術で編まれた……」


「いや、うちにも同じのがあるから大丈夫だ。わざわざありがとうな」


俺は作業着のポケットから、昨日ホームセンターで買っておいた緑色のビニールタイ(園芸用の結束ワイヤー)を取り出した。

そして、異常なオーラを放ち始めている双葉の茎に、クルッと巻きつけて軽くねじって固定する。


「お、おい! そんなただの針金で、神と冥界の魔力が混ざった暴走を止められるわけが……っ!?」


ヴァンセルが青ざめて後ずさる。

だが、俺が双葉にビニールタイを巻きつけた瞬間、無自覚に俺の指先から漏れ出した『現状維持(スローライフを守りたい)』という圧倒的な概念固定の魔力が、その百円のワイヤーに流れ込んだ。


カッ!


ワイヤーが神々しい金色の光を放ち、双葉から吹き出していた黄金と漆黒の瘴気を、一瞬にしてギュンッと内部に封じ込めたのだ。


「……は?」


ヴァンセルが目を剥いて硬直する。

光が収まった後、畝の上には巨大な世界樹でも、大陸を食い荒らす化け物でもなく。


ポンッ。


可愛らしい音と共に、大福のようにまん丸で真っ赤な、手のひらサイズの『トマト』が一つだけ実っていた。

しかもそのトマトの下部からは、短い緑色の葉っぱの足が二本生えている。


「キュイ?」


歩く世界樹になるはずだったエネルギーを極限まで圧縮された結果、それは『手のひらサイズの歩くトマト』という、謎の愛玩生物へと変異してしまったらしい。


トマトは葉っぱの足でトコトコと歩き出し、俺の足元にすり寄ってきた。

そして、俺を見上げて愛嬌たっぷりに鳴いた。


「パパ!」


「……えっ」


俺が固まった瞬間。

背後で、これまでギリギリのバランスで保たれていたヒロインたちの理性の糸が、ブチィッと音を立てて千切れた。


「パ、パパ!? アルトをパパと呼んだわね! ということは、この子に私の魔力(微温熱)を注いだ私が、実質的なママということね!」

「何言ってるの! 土を耕したのは私だよ! 私がママに決まってるでしょ!」

「いいえ、種を蒔いたのはお姉ちゃんです。戸籍上、私が妻であり母です」

「私が肥料をやったのだぞ!」

「いえ、私が……」


手のひらサイズの歩くトマト(パパと喋る)の誕生により、誰が『ママ』の座に就くかという、我が家史上最大の血みどろのヒロイン戦争が勃発した。


「……おいおい、嘘だろ」


その惨状を見た行商人ヴァンセルは、恐怖でガタガタと震えながら俺にすがりついてきた。


「神話の暴走を百円の針金でねじ伏せる男に、神や魔王が『ママ』の座を巡って殺し合う家……っ! あんた、一体何者なんだよ! 俺が今まで見てきたヤバい顧客の中で、ダントツで一番イカれてるぜ!」


すっかり常識人(ツッコミ役)の顔になったヴァンセルは、リュックを抱きしめて涙目になっている。

俺はため息をつき、足元で「パパ、だっこ!」と跳ねるトマトを手のひらに乗せた。


「ただの平凡な村人Aだよ。……ヴァンセル、あんた色んなアイテムを持ってるんだろ。この子用の、小さな植木鉢のベッドはあるか?」


「あ、ある! あんたみたいな規格外のお得意様には、格安で何でも卸させてもらうぜ!」


こうして、我が家に「お抱えの商人」と「歩くトマトのペット」という新たな家族(?)が加わり、スローライフの騒がしさはさらに加速していくのだった。

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