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第42話

白亜の大理石が敷き詰められた、果てしなく続く王城の回廊。

コツン、コツンと冷たい足音だけが、無駄に高い天井に反響している。


俺の隣を歩いていたサクリアの足が、ふと止まった。

彼女の視線の先には、俺がうっかり日曜大工で造り上げてしまった、冷たい宝石で飾られた巨大な玉座の間があった。


サクリアは自身の肩を両腕で抱くようにして、小さく震えた。

そして、逃げるように俺の背中にぴたりと身を寄せ、無言のまま俺の作業着の裾をギュッと握りしめる。指先が微かに白くなるほどの、強い力だった。


「……アルト」


消え入りそうな声。俺は振り返らずに、その冷たくなった小さな手を自分の手で包み込んだ。


「アルトぉ! 東棟の窓ガラス三万枚、全部拭き終わったよ!」


回廊の反対側から、凄まじい剣幕でユエルが走ってきた。

息を切らし、パジャマを真っ黒に汚した彼女の瞳は、どこか切羽詰まったように俺を見上げている。


「次は西棟の床磨きにいくね! 私、ちゃんとお掃除できるから! だから……ずっとここに置いてね」


俺は手に持っていた百均のメジャーを巻き取り、深いため息をついた。


広すぎる空間は、人を不安にさせる。

冷たい大理石の壁は、温かい会話を吸い取ってしまう。

何より、寝室からキッチンまで歩いて三十分もかかる間取りは、朝食を食べるためだけに毎日一時間の無給の通勤時間を強いるのと同じだ。そんな劣悪な労働環境を、俺は絶対に認めない。


「よし。リフォームしよう」


俺は腰の工具袋から、使い古したゴムハンマーを取り出した。


「えっ? アルト、お城を壊しちゃうの?」

「壊さないよ。少しだけ導線を最適化するんだ」


俺は回廊のど真ん中に立ち、空間の歪みを測るようにメジャーをスッと伸ばした。そして、目星をつけた何もない虚空に向かって、ゴムハンマーを軽く振り下ろす。


ぽんっ。


気の抜けた音が響いた瞬間。

超巨大なファンタジー・キャッスルの内部空間が、まるで折り紙のようにバタバタと畳み込まれ始めた。

大理石の回廊がスライドし、無駄に広い客間が圧縮され、天井が温かみのある高さまでググッと下がってくる。


物理的な質量はそのままに、俺の無自覚な空間圧縮魔法が、城の内部構造を『ワンルーム』へと強引に書き換えていく。


数秒後。

俺たちは、木目調のフローリングが敷かれた、程よく狭くて温かい二十畳ほどのリビングのど真ん中に立っていた。

部屋の中央には、俺が端材でササッと組み上げた巨大なコタツが鎮座している。


「あ……」


サクリアが目を丸くする。

先ほどまでの凍えるような冷たさは消え、部屋のどこにいても互いの息遣いと体温が伝わる、極上の密着空間がそこにあった。


「これなら、どこにいてもすぐ顔が見えるだろ。キッチンもトイレも徒歩三秒だ」


俺がコタツの電源を入れると、サクリアは張り詰めていた糸が切れたようにへなへなと座り込み、そのままコタツの中に潜り込んで俺の膝に顔を埋めた。


「もう……アルトのばか。こんなに温かくされたら、一生ここから動けなくなるじゃない……っ」


「私も入る! アルトの隣!」


ユエルも満面の笑みで飛び込んできて、俺の腕にピッタリとくっつく。無駄な掃除のタスクから解放され、彼女の顔からは見捨てられる焦りが完全に消え去っていた。


「お待ちください。内部空間の面積が外観の体積と一致しません。これでは固定資産税の計算が」


魔導計算機から煙を出しながらイルマもコタツに吸い込まれ、あっという間に定員オーバーの超密着ハーレム空間が完成する。

ミサリアが淹れてくれた温かいお茶をすすりながら、俺は完璧なスローライフの実現に満足げに頷いた。


だが、部屋の壁際に一つだけ、見慣れない漆黒の重厚なドアが残っていることに気がついた。

空間を畳み込んだ際に、どこかの部屋のドアが混ざってしまったらしい。


「あれ、あんなところに収納スペース作ったっけ」


俺はみかんを片手に立ち上がり、不用意にそのドアのノブをガチャリと回した。


開かれたドアの向こう側。

そこは収納スペースなどではなく、薄暗い地下室の長机に、目の下に濃いクマを作った数十人の男たちが座る、息が詰まるような重苦しい会議室へと繋がっていた。


長机の上座で、胃薬の瓶を片手に頭を抱えていた黒ローブの男が、ゆっくりとこちらを振り向く。


「……あ? 誰だ貴様、会議中に……って、ア、アルトぉ!?」


それは、かつて俺に月五百時間の時間外労働を強要したブラックギルド『奈落の底』の現支部長、ガルドだった。

空間の圧縮と歪みが、あろうことか最悪の元職場の会議室と、俺の家のリビングを物理的に直結させてしまったのだ。


「お前、ずっと探して……! 頼む、帰ってきてくれ! お前が抜けてからギルドの業務が回らなくて、俺はもう三日も寝てないんだ!」


血走った目で手を伸ばしてくるかつての上司。

その後ろには、絶望的な量の未処理書類の山が見える。


俺は手に持っていたみかんをそっとガルドのデスクの上に転がした。


「お疲れ様です。労基署に駆け込むことをお勧めします」


バタンッ。

俺は一切の表情を変えずにドアを閉め、百均で買った南京錠をガチャンと掛けた。


「なんか変なゴミ捨て場と繋がっちゃったな。明日、ガムテープで目張りしておこう」


俺が再び温かいコタツへと潜り込むと、何も知らないサクリアとユエルが、待ってましたとばかりに俺の両腕にすり寄ってくる。

背後のドアの向こうから「開けてくれえええ!」という悲痛な叫び声が聞こえる気がしたが、平和なスローライフを守るための強固な防音壁(ただのベニヤ板)の前には、一切のノイズなど届かないのだった。

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