第37話
花の冠を被ったサクリアからの、突然の背伸びキス。
七歳の俺は顔を真っ赤にして、持っていたイチゴを落としそうになった。
「お、お嫁さんって、気が早すぎるだろ」
俺が照れ隠しにそっぽを向くと、サクリアはふふっと得意げに笑い、俺の服の裾を小さな手でギュッと握りしめてきた。
このままずっと、春の陽だまりで遊んでいたい。
そう思った直後、森の奥から鋭い風切り音が響いてきた。
ビュッ、ビュンッ。
ただの風の音じゃない。何か重たい棒のようなものを、必死に振り回している音だ。
俺とサクリアが顔を見合わせ、音のする茂みをそっと掻き分けると、そこには小さな空き地があった。
空き地の中央で、銀色の髪を振り乱した同い年くらいの少女が、自分の背丈よりも長い木剣を振るっていた。
ボロボロの修道服を着た彼女の手のひらは擦り切れ、血が滲んでいる。それでも彼女は、大粒の涙をこぼしながら、ただひたすらに重い木剣を振り続けていた。
「千、千一……千二……っ。もっと強くならないと……捨てられちゃう」
しゃくり上げながら自分を追い詰めるその姿は、痛々しくて見ていられなかった。
後の剣聖となるユエルとの、最初の出会いだった。
大人の都合で兵器として育てられていた彼女は、限界を迎えて修道院から逃げ出してきたのだろう。だが、逃げた先でも恐怖に駆られ、一人で剣を振り続けていたのだ。
「千三……ああっ」
ついに体力が限界を迎え、ユエルは足をもつれさせて転倒した。
地面に擦りむいた膝から血が流れ、彼女は痛みを堪えるようにギュッと目をつぶる。
俺はたまらず茂みから飛び出し、ユエルのもとへ駆け寄った。
「大丈夫か」
「ひっ……ご、ごめんなさい。私、まだ戦えます、剣も振れます……だから捨てないで」
大人が迎えに来たと思ったのか、ユエルは怯えきって体を丸めた。
俺はそのボロボロになった小さな手を、両手でそっと包み込んだ。
「俺は村の大人じゃないよ。アルトだ。……手が痛いだろ。もう剣は振らなくていいよ」
俺は近くに生えていたヨモギの葉をちぎって少し揉み込み、彼女の傷だらけの手に当てた。
「痛いの痛いの、飛んでいけ」
おまじないの言葉と共に、俺の無自覚な回復魔法がヨモギの葉を媒介にして発動する。
淡い光がユエルの手を包み込み、擦り切れた傷跡が嘘のように塞がっていった。
「えっ……痛くない。温かい……」
ユエルが目を丸くして俺を見上げる。
俺はニコッと笑い、自分の首にかけていた野イチゴの入った籠から、一番赤くて甘そうな実を取り出して彼女の口元に運んだ。
「強さなんていらないから、俺と一緒に遊ぼう。まずはこれ、食べてみて」
ユエルは戸惑いながらも、パクッとイチゴを口に含んだ。
その瞬間、張り詰めていた彼女の顔からポロポロと涙がこぼれ落ち、今度は恐怖ではなく、安心したような顔で俺の胸に飛び込んできた。
「わああぁんっ、アルトぉ……っ」
俺の胸で泣きじゃくるユエルを、よしよしと背中を叩いてあやす。
放っておけない女の子を助けただけだったが、俺は背後から突き刺さる強烈なプレッシャーに気づいていなかった。
「……ちょっと、アルト。その泥棒猫は誰なの」
花の冠を被ったサクリアが、ぷくっと頬を膨らませて立っていた。
赤い瞳には、明らかな嫉妬の炎がメラメラと燃えている。
「私がいの一番にお嫁さんになるって約束したのに。アルトの胸は私の場所よ」
サクリアが駆け寄り、俺の右腕にギュッと抱きつく。
すると、泣いていたはずのユエルが負けじと俺の左腕に抱きつき返した。
「だめっ。アルトは私にイチゴをくれたもん。アルトは私のなんだから」
「私の方が先にイチゴをもらったわ」
七歳の森の空き地で、魔族の姫と聖剣の器による、俺の両腕を巡る可愛すぎる修羅場が勃発する。
スローライフと呼ぶには少しドキドキしすぎる幼少期が、確実に動き始めていた。




