第35話
四月に入り、少しだけ暖かくなってきた土曜の夜。
本来なら一週間の労働の疲れを癒やし、家族とゆっくり過ごす至福の時間のはずだった。
だが、更地となった我が家の跡地には、四つん這いで追いかけてくるゾンビのぬいぐるみや、血の涙を流すフランス人形が山のように転がっている。
「ひっ……アルト、お願いだから私を一人にしないで……っ」
「あっち行けえええっ! こっちくんなあああ!」
俺の両脇では、泣き叫ぶサクリアとユエルがコアラのようにガッチリとしがみついて離れない。
普段は威風堂々としている二人が、ここまで我を忘れて怯えるのには理由があった。
「サクリア。魔王だった君が、どうしてお化けをそんなに怖がるんだ」
俺が背中を優しく撫でながら尋ねると、サクリアは俺のシャツをギュッと握りしめ、震える声で吐露した。
「……幽霊や呪いは、生きている者の温度がないわ。それは私がずっと座っていた、あの冷たくて真っ暗な玉座と同じだから……っ。やっとアルトの隣で、生温かくて騒がしい居場所を見つけたのに。死者の冷たさに触れると、またあの永遠の孤独に引き戻されそうで怖いの一杯なの」
強気な元魔王の、切実すぎる本音だった。
俺という「生の温もり」を知ってしまったからこそ、彼女は死を連想させるものが極端に恐ろしくなってしまったのだ。
「私だって……」
ユエルが、しゃくり上げながら俺の胸に顔を押し付ける。
「私の剣じゃ、呪いや実体のないお化けは斬れないもん……。アルトを守れない私は、ただの役立たずになっちゃう。そうしたら、もうこの家にいちゃダメだって言われそうで……」
戦闘兵器として育てられた彼女の根本的な自己肯定感の低さ。役に立たなければ捨てられるという恐怖が、お化けへの恐怖と直結していたのだ。
二人とも、俺への深い愛情と依存があるからこそ、怯えていた。
そのいじらしさに胸が締め付けられ、俺は二人の頭を両手でしっかりと抱き寄せた。
「馬鹿だな、二人とも。俺は幽霊じゃない、ちゃんと生きてここにいる。それに、ユエルが戦えなくたって、誰もここから追い出したりしないさ。俺が全部守ってやるから、安心していいんだぞ」
俺の体温と鼓動が伝わり、サクリアとユエルの震えが少しずつ治まっていく。
その様子を少し離れた場所から見ていたネリアが、ハッとしたように自分の足元に散らばるホラー人形たちを見つめ、シュンと肩を落とした。
「……すまない、サクリア、ユエル。お前たちがアルトと築いた温かい場所を、私の悪趣味な人形で冷たくしてしまったな。……片付けるぞ」
ネリアは寂しそうに微笑み、大好きなグロテスクな人形たちを魔法空間へと仕舞い始めた。
自分の趣味を我慢してでも、家族の平穏を優先しようとする不器用な優しさ。
俺はネリアの小さな頭にポンと手を置いた。
「ネリア、全部片付けなくてもいいんだぞ。……そうだ、お化け以外のおもちゃは持ってないのか」
俺が尋ねると、ネリアはパチクリと瞬きをし、ドレスのポケットから小さな手のひらサイズの玩具を取り出した。
「これならあるぞ。四足歩行の魔獣なのだが、関節を折りたたむと車輪のついた魔導車両へと変形するからくり玩具だ」
ガシャン、とネリアが手際よく魔獣を車に変形させてみせる。
「おおっ、すごいなこれ! 男心をくすぐる完璧なギミックじゃないか。ちょっと俺にも触らせてくれ」
俺が本気で感心してその玩具を受け取ると、ネリアの顔がパァッと明るく輝いた。
その和やかなやり取りを見ていたサクリアとユエルも、恐る恐る顔を上げ、変形する魔獣の玩具を覗き込む。
「……お化けじゃないなら、怖くないわ。ネリア、それはどういう仕組みなの」
「私にも変形させて! アルトと一緒に遊びたい!」
ネリアのホラー以外の趣味(車と動物の変形玩具)をきっかけに、ヒロインたちが少しずつ歩み寄りを始める。
吹き抜ける四月の夜風はまだ少し肌寒いが、身を寄せ合う俺たちの間には、確かな家族の温もりが満ちていた。




