第33話
もうもうと立ち込める土埃の中、俺は百均で買ったアルミの鍋蓋を片手に立っていた。
「ごほっ。夕飯の湯切り用に持っておいてよかったな」
俺が無傷で姿を現すと、武器を構えていた三人の表情から怒りがスッと抜け落ちた。
カラン、とユエルの手から聖剣がこぼれ落ちる。
「アルトの……ばか」
最強の剣聖であるはずの彼女の瞳から、大粒の涙が溢れ出した。
「勝手に冥府に永久就職なんてしないでよ……。アルトがいなくなったら、私がただの『兵器』に戻っちゃうじゃないか……っ」
戦うことしか知らなかったユエルにとって、温かいご飯の匂いと俺の頭撫でだけが、ただの女の子でいられる唯一の鎖なのだ。
隣では、サクリアが血の気の引いた顔で俺の胸ぐらをきつく掴んでいた。
「許さないわよ……。あなたが手の届かない暗闇へ消えてしまったら、私はまた、あの凍えるほど孤独な玉座に逆戻りじゃない……っ!」
絶対的な強者として君臨し、誰かに甘えることすら許されなかった元魔王。彼女の震える手からは、俺というたった一つの居場所を失うことへの切実な恐怖が伝わってくる。
ミサリアも無言で俺の背中にしがみつき、その温かい体温で必死に俺を地上に繋ぎ止めようとしていた。
ただの嫉妬じゃない。この規格外の同居人たちは、本気で俺を家族として愛し、失うことを恐れてくれているのだ。
終わりのない過労で心をすり減らし、誰の温もりも知らずに孤独な夜を過ごしてきた過去の俺とは違う。
俺は鍋蓋を放り出し、泣きじゃくるサクリアとユエルの頭を両手で優しく引き寄せた。
「ごめんな。でも安心してくれ。俺の帰る場所は、この騒がしくて温かい家だけだ」
俺の胸の中で、二人の体がビクッと跳ねる。
「それに、冥界に行くにしても絶対に出張扱いにする。サービス残業させられるようなブラック企業なら、初日で辞表を叩きつけて帰ってくるからな」
俺がかつての社畜のトラウマを交えて真剣に答えると、涙目だったサクリアがふき出し、ユエルも俺の胸に顔を埋めたままクスッと笑った。
「もう……アルトは本当に、底抜けのお人好しなんだから」
サクリアが背伸びをして、俺の頬にそっとキスを落とす。ユエルも負けじと反対の頬にすり寄り、ミサリアが背中から俺をきつく抱きしめ直した。
完璧な家族の絆。誰もが心を通わせた、最高に甘くて温かいラブコメのひとときだ。
だが、その極上の空気を、無慈悲な銀縁眼鏡の光が切り裂いた。
「……感動のところ申し訳ありませんが、アルト様」
イルマが魔導計算機を弾き、どこか拗ねたような、それでいて冷徹な公務員の声で宣告する。
「冥界の王族との婚姻は、ギルド税制において異界資産の不正譲渡とみなされます。よって、アルト様には大冥界の国家予算全額に対する贈与税が課せられました」
突きつけられたバインダー。そこに並んだゼロの数は、もはや星の数すら凌駕する暴力的で天文学的な数字だった。
「えっ」
感動の涙が引っ込み、俺の魂が口から抜けかけた直後。
足元の冥界の門から、ネリアの父親らしき超巨大な暗黒神が「娘を頼む」とばかりに、結納金として数万トンの呪われた金貨を吐き出しながら這い出してきたのだった。




